ある少年は、優しい風に 投稿者: 吉田 樹

 口から出るのは『俺』だけど、僕はいつまでたっても心の中では僕だった。
 人込みの中にいると、自分の存在を見失ってしまいそうで一人になりたがるのに。一人になってしまえば寂しいと思う。人と関わっていたくて、それでも誰にも影響を与えたくない。こんな僕にとっての永遠の世界は、傍観者となる事だった。
 でも、僕を変えていくものがあった。
「今日って、お兄ちゃんの誕生日なんだよ」
「そうなんだ」
 折原さんとの出会い。僕をずっと待ち続ける茜。茜と惹かれ合う折原。他にも色々な事、多分、だいたいの理由なんて説明できなくて。数多くの事柄は、そのどれか一つが欠けても、こうはならなかったはずだから。
「クラスメートの名前くらい覚えとけ」
「知らないっ!」
 悲しみに沈んだ雨の中に、茜と折原が立っている。お互い、言いたい事の一つすら、まともに言えなくなって。一緒にいたくて仕方が無いのに、すぐそこに迫る別れ、それが辛くてしょうがないから。
 別れが辛いから、忘れたふりをしたくても、茜は折原を呼び止めてしまう。もう、時間はすぐそこまで迫ってきている。折原は旅立とうとしている。
 僕の選択すべき時も迫ってきていた。
 色々と悩んだ。僕にとって、何が一番大切なのかという事を、真剣に考えてみた。そして結論は出たんだ。僕一人がいない事なんかより、
「なに、考えているの?」
 唐突に横から聞こえた、ちょっと真剣な声は、僕の予想していたものだった。
 ずっと遠くから、ゆっくりと沈んでくるように降る雨は、周囲をしっとりと濡らしている。もっとずっと激しければ、こんなに悲しくは感じないだろうに。
「多分、折原さんの思ってる事で正解だと思うよ」
「駄目だよ、そんな事したら」
「でも、」
「大丈夫、お兄ちゃんはきっと帰るから。自分自身を見つけて、茜さんの元へきっと帰っていくから。今、お兄ちゃんの目の前の扉を閉ざしたら、お兄ちゃんの心は本当に壊れてしまうんだよ? だから、ね」
 確かに、そうだ。
 僕が悲愴ぶって、折原をこのまま引き止めたとしても。このままではいずれ、折原の心は砕け散ってしまう。そして、二度と目覚める事もなく、永遠の眠りにつく。だから、こんなふうに感情に流されて、それを止めてはいけないんだ。
「地球はね…きっと、みんなが思ってるより、ずっとずっと優しいんだよ。そして、想像以上におせっかいなの」
 折原さんも茜と折原の事をじっと見ている。お互いの顔を見られず、見ていたら堪えられなくて。それでも背中合わせに、温もりを感じていたいと思う二人の事を。
「だから、狂気に奔ったり、心を閉ざすだけでは堪えられなくなった人たちをね。優しく包み込むんだ。それはとっても優しいから、居心地の良さに帰れなくなる人もいるけど」
 そうして折原さんがふっと笑う。折原さんは、その居心地の良さに帰れないのでは無くて。帰る場所が、なくなってしまったのだから。
 折原はどんな永遠を望んだんだろう。何が永遠に続く事を、望んでいたんだろう。僕が思うに、それは多分、
「お兄ちゃんは大丈夫だよ」
 折原さんが僕に笑顔を向けた時、草の上に何かが落ちる音がした。茜の悲痛な叫びが聞こえる。だんだんと耳に、連続する波のような音が大きくなり、体が頭から濡れていく。濡れた草が足に絡み付いて、靴が泥で汚れていく。そしてその感触が失せる事はもう、二度と無いだろう。
 僕は、帰ってきたんだ…

 三月の終わり頃だというのに汗が滲んでいた。
 天気のせいなのかもしれない。朝からずっと、飽きる事を知らないかのように太陽が照り付けてくる。奴の陽気さを少したしなめてくれるはずの雲も、今日はほとんど姿を見せない。息苦しく感じるはずの草いきれが、長雨が残した贈り物で緩和されているのが救いだろうか。
 親戚に電話したり、調べたりして分かった事だけれど。姉さんの後に祖父が死んで、今はその遺産が僕のところに転がり込んできた。直系の親族が他にいない事が幸いしてか、もめる事なく遺産を相続する事になった。
 真っ先に思いついたのが、この場所に家を建てる事だった。
 折原が茜に引き寄せられて、自分を見失わないようにという事もあったが。何よりも、茜から待ち続ける場所を奪ってしまいたかった。いや、まだ嘘だな。
 一番の理由は、この場所で茜が折原を待てば、僕の事にも想いは繋がるから。そしてそれが、茜を苦しめ、焦らせ、悲しませる事に繋がるから。僕の事で茜が苦しむと、僕が苦しい。そんな、とてもエゴイスティックな理由からだった。
 まあ、本当は。僕がこの場所を単純に好きだったからなのかも知れない。
 茜には会っていない。多分、折原が帰ってくるまでは会う事も無いだろう。共通した友達全員に、茜に僕の話題を出さないように言っておいた。まあ、全員と言っても、茜と僕との共通した友達なんて一人しかいないけど。
 差し入れを持ってきた僕に、建設会社の人達は暖かい笑みを返してくれた。する事もなく、僕が見続けているうちに時間は過ぎ。今、彼らは昼食を取りに出ている。
 まだ家と呼べるほどのものにはなっていないが、それでも見ているのはなんだか楽しかった。最近ほとんど姿を見せなくなっていた折原さんが、隣できゃあきゃあ騒いでいるからかもしれない。まだ半分以上原っぱのこの空き地で、走り回って笑っている。なにがそんなに楽しいか分からないが、見ている僕の方にも、自然と笑みがこぼれる。
 僕もお昼をどうしようかな、と思った時。両手を後ろに回して、にっこりと微笑んだ折原さんが言った。
「それじゃ、お別れだね」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。声は音として耳に入ってきたし、それが何を意味するかも分かったけれど。僕はただ、瞬きを繰り返すだけで。
「ここんとこ、沢口君に私が見えてない時が、よくあるみたいだったから。そろそろかな、って思ってたんだけどね」
「…え?」
「やっぱり気付いてなかったんだ」
 なにが可笑しいのか、折原さんがくすくすと笑う。口元に軽く手を当てて、本当に楽しそうに。
「私が見てるのに、平気で鼻をほじってたりしてたんだよ」
 目を細めて折原さんが笑っている。笑い過ぎて、目に涙が滲んでいて。そうして僕を見る目がひどく潤んでいても、それが不自然な事じゃないと言いたそうに。口に当てた手を離そうとはせず、それで僕から何もかも隠しているつもりになって。
「沢口君は、ね。ほら、ずっと望んでいた日々に、ね、帰れるから。でも、私はそっちにはいけないから。だから、お別れなんだよ」
 深く考える事もせずになんとなく、折原さんとずっと一緒にいられると思ってた。折原が帰ってきたら、あいつを見守る事になるだろうけど。でも、でもそれでもたまに僕のところへ遊びに来て、それで、それで、
「な、なに泣いてるのよ。ほら、私はもう死んじゃってるんだし」
「…ずっと友達でいられると思ってた」
「ばか。ずっと友達でいるに決まってるじゃない」
 にっこりと微笑んで目元を拭った折原さんが、どこかにいなくなってしまいそうで。僕は慌てて手を伸ばしたけれど、彼女に触れる事すら出来ず。僕の目からだんだんとその姿を薄れさせていって。そうして、何も見えなくなってしまった場所なのに、僕の目にはずっと折原さんの笑顔が浮かんでいて。
「…折原さん!」
 無駄だって分かってた。折原さんに聞こえているとしても、返事は僕の耳には届かないって事が。理解出来るから、理解したく無かった。ただ僕は、見えるはずもないのに周りを見回して。見える事を祈りながら、でも、見えないと分かっていて。
 不意に、草原の向こうから吹いてきた風が、舞い上がって僕の顔に吹きつけた。思わず目を瞑った僕は、その瞳を開ける勇気を失っている事に気が付いていた。
 いつからだったんだろう。
 愛しいものは、気付いた時には既に、心の深いところに楔を打ち込んでいて。それを失ってしまう事など考えないから、時折、乱暴に邪険にし。失ってしまう事を知った時に、不意に、涙が込み上げてくる。
「ここが『新・沢口家』候補地ってわけね。あ、候補地じゃなくて決定だったねー」
 あっけらかんとした笑い声が聞こえた。僕は人の温もりを求めて、彼女にすがりつく。子供みたいに泣きじゃくる僕を、詩子は少しびっくりして、それでも優しく頭を撫でてくれる。
 春はもうそこだというのに。こんなに天気は暖かいのに。風はまだ冬だという事を、思い知らせてくれる。その冷たさが心地よいと思う事があっても、決して邪魔だなんて思う事は無かった。
 冷たい風が気持ち良くて、ずっと吹かれていたいと思っていたから。そして何故だか、あの娘を感じられる気がしていたから。

fin

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みさお「ちゃんちゃん♪」
 …いや、あの。一応、一生懸命書いたんだから、そういうふうに茶化さないで欲しいんだけど…いや、まあ。始まりが超変化球だったもんで、後はずっと直球だけどさ。
沢口「ところでこのシリーズ終わっちゃったら、僕の出番は無いの?」
 無い(笑)。だってこれ以外で出したところで「誰?」って受け取られるだけだと思うぞ。いいとこ、「あ、南?」とか言われるだけだろうし(笑)。
みさお「次回作は?」
 未定。一応、うだうだ考えてるんだけどね。探偵ものか、どシリアス・ラブストーリーで悩んでるとこなんだけど。まだほとんど決まってない。探偵もの書くには、トリックが欲しいんだけど思い浮かばないし。登場人物は、この形で出すとファンの方に殺されそう(^^;
みさお「と、いう事ですので期待しないで待ってて下さいね♪」
 『ある少年』を読んでくれた全ての方と、感想を下さった全ての方に対して、深い感謝をここに申し上げたいと思います。本当にどうもありがとうございました。
みさお「それじゃ、次回作でお会いしましょう♪」
 ではでは