「取らないでよ。お弁当作ってこなかったあなたが悪いんでしょう」
「冷たいよう、茜さーん。今日はちょっと寝坊して、パンだけなんだから。味気ないだろ、少しでいいからわけてくれよ」
「嫌です」
「けち、いいじゃねえか減るもんじゃなし」
「減ります」
「お前そんな事言ってると、嫁の貰い手なくすぞ。お前みたいに冷たい女、俺以外に貰ってくれるような奴なんていないんだからな」
「結構です。誰もあなたの奥さんになるつもりはありません」
「夫婦喧嘩は犬も食わないってやつね」
『違うっ!』
「あれ? おかしいな、昨日勉強したとこなんだけど」
『そういう意味じゃないっ!』
いつも顔を合わせれば、喧嘩ばかりしていた気がする。不意に言い過ぎて茜を傷つけてしまい、その事に怯えて深く後悔したり。茜の言葉が胸を抉った時に、強がって無意味に笑ってみたり。
ずっとそうして過ごしてきたつもりだった。でも、周りの人々に忘れられてから初めて学校という場所に来て、改めて思い知った。ずっと一緒だったはずの茜とは、学年が違うのだから授業を一緒に受けた事が無いという事に。
僕は茜の事ならなんでも知っていると思ってた。茜も多分、僕の事をそう思っていたはずだ。でも、一日のうち一緒にいた時間は思うほど多くは無く。そこで積み重ねられたものの分だけ。僕たちはすれ違っていってしまったんだ。
こうして授業風景を見ていると、懐かしさがこみ上げてくる。週刊年漫画誌を読んでいる生徒、昼休みもすぐというのに弁当を食べる生徒。男子が手紙を回していたり、女子の一部で陰口が叩かれていたり。
「最悪ね、七瀬だけは。いやに折原君に馴れ馴れしいと思わない?」
「本当よね。あんなぶりっこ、見た事ないー」
「というわけで、下剤持ってきちゃったのよ。水溶性だから、ジュースかなんかに入れて飲ませちゃおう」
「あはは。広瀬ってば最高」
そんな陰湿ないじめの計画が立てられた頃、チャイムが鳴った。茜が誰よりも早く、教室を出て行く。前の席の男子が、確か南とかいう彼が茜を見送る。そこへ折原がやってくると、南が声をかけていた。
「なあ、折原。どうだ今日は一緒に学食でも行かないか・・・?」
南はかなり怯えた顔で、すがるように折原に言う。正面切って言う勇気も持たず、さりとて諦める勇気も無い。悲しいぐらいに手に取れるような感情を顕にしていながら、折原は気付かない。
傍観者にしかなれない僕は、だからこそいろんな事を知った。
折原と茜がお互いに興味を持った事は、確かだった。でもそれは、相手に惹かれたからでも何でもなく。折原が消える事に起因していた。
折原は消える。もう間もなく、それが正確にいつかは分からない。感覚的にそれが分かる。茜は折原にそれを感じ、折原も茜の持つ僕の空気を感じ取った。そして茜は多分、それを恐れて少し怯えている。
そして、この南という彼。定められたように中庭に行き、茜と折原が昼食をとるのを見てしまい。茜に誰も近づかせたくないと、思いながら。それでも、こうして折原にすがるのが精一杯の、
不意に名前を呼ばれた気がした。気のせいだったのだろうか。近くでは、南が折原に食い下がっている。
「お前のせいだぞ沢口」
「・・・だから誰だよ沢口って」
「じゃあ、オレ行くから。またな沢口」
不思議な気がした。折原が僕でなく、南に言っているのはよく分かっていた。ありふれた名前のはずだが、折原の周囲の沢口は僕ぐらいだ。
嬉しい。単純に言えばそうだった。多分、茜と関った事が影響して、折原の中にかすかに僕の記憶が甦ったのだ。つまりは、微かに茜の僕への想いが薄れていることで。僕が求めてやまない、向こう側への足がかりが出来た事だからだ。
でも同時に、どこかで怯えていた。今のはただの僕の推測で、同時にある推測も思い浮かんだからだ。単に、折原が向こう側の存在を薄れさせているだけだとしたら。
”茜と折原が強い絆を持てば、僕が戻れるだけでなく。折原自身が消える事からも逃れられる”
折原の事を知って、自分の良心を誤魔化す一番の手段は、そう思う事だった。でも、もし何もかもが遅かったら?
「なにやってるのよ、沢口君。お兄ちゃん達はもう、一緒にご飯食べ始めてるよ。早く行こうよ」
「え? あ、折原さん」
「『あ、折原さん』じゃなくて。いいの? せっかく私が協力する気になってるってのに。沢口君がそんなだったら、私も手を引くからね」
「ごめん、すぐ行くよ」
窓から中庭に向かって飛び降りながら、僕は思った。今更どうしようというのだ。既に、選択はなされているというのに。
もしなにもかもが遅くて、単に茜と折原を傷つけるだけに終わっても。既に動き出してしまったのだ。利用すると一度決めた以上、奇麗事言って僕だけが手を引いても。選択された道は続いていくんだ。
そして、こうなったからには、
「折原さん、ありがとう」
「お見舞いに来てくれたお礼だよ」
やや照れながら、折原さんは僕に答えてくれた。それを見て嬉しくなると同時に、とても悲しかった。誰か一人でも自分に応えてくれればいいなんて、そんなの嘘だ。人間はもっと貪欲だ。少なくとも、僕は。
折原さんだけでなく、もっと他の人とも話しがしたい。僕が話し掛けることに、呆れたり笑ったり怒ったり、反応して欲しい。人と接していたい。時折一人になるのはともかく、ずっと一人でなんていられない。
でも、何をしよう?
茜はひどく素っ気無く、折原に答えている。めげそうになりながらも、折原は会話を続けようとする。不意に、折原の気持ちが分かった。
明らかに折原は茜に魅かれている。茜ともっと話がしたい、関わっていたい、一緒にいたい、そう思っている。それはつまり、好きだから。嫌いな奴と関わろうとする奴はいない。僕だって、茜が好きだから口喧嘩してたんだ。
折原と茜が恋をするかどうかは、まだ分からない。茜もあんな態度を取りながらここを立とうとしないのは、折原が好きだから。二人は今、微妙な秤の上にいる。だったら、だったらその秤を傾けてしまえば、
「ねえ、沢口君。茜さんの好きなものってなに?」
「え、っと。料理かな」
「料理ね。お兄ちゃん、料理の話題、料理の話題」
冬の日溜りは、何故だかとても暖かく感じた。身をすくめて体を小さくする寒さも、血管を浮き出させる日の光も、僕の事を忘れてしまったというのに。枯葉の落ちきった木になんとなく目をやった僕に、こんな言葉が聞こえてきた。
「なあ、里村。昨日の晩飯何だった?」
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あつかましくも続きを書いてしまいました。元々シリーズにする気が無かったので、正直かなり厳しかったです。今回、改めて「one」やり直してみて、初めにやっときゃ良かったと後悔し通しました。あはははは(汗)
まず、enilさんごめんなさい! 私の脳味噌は何がどう腐ってたのか、「五十万円の怪獣」を「ドラさん」と勘違いしてました。笑って許して下さい。これで茜関連のSS書いてんだもんな・・・
後は折原が七歳で由起子さんに引き取られた事。「みさおの授業参観」しか頭に無かったので、てっきり小四ぐらいだと・・・ま、まあ。皆様広いお心を。
長くなってますけど、感想もいきます。(順適当)
T.kameさん
・南に幸せはあるんでしょうか? なーんか不幸街道を進みそうな気がするのは気のせい? 感想感謝です、とりあえず沢口のコメントを・・・
沢口「いいよ、僕。どうせ痴漢なんだし」
・・・さ、さて。次行ってみよー!(いかりや調)
将木我流さん
・七瀬、二位からの挽回はなるのかっ? はたまた山ごもり先での猿化と相成るのかっ? 現れたボス猿ヒロセとの対決やいかにっ? (おいおい)
偽善者Zさん
・池波正太郎さんて結構好きなんですけど、鬼平は読んでないんですよね。ちなみにわさびは好きです。さらに辛党。感想どうもでした。
ここにあるよ?さん
・おらたん「ハートのビームが出ないっ!! な、なにっ! 別の機体だと? 認めたくないものだな、若さゆえの過ちというものを・・・」という過去が。
Nさん
・「働く女」の描写がとても巧みです。すっごいリアリティがあって、こういうものが書けない私としては非常に羨ましいです。
スライムさん
・浩平のパンツを見て、全く動じないというのも凄い気が・・・まあ、確かにあんな場所でそんな事やられても、ですな。
まてつやさん
・七瀬って愛されてるなあ(笑)。猿だったりレズだったり。この先彼女がどこまでいくのか楽しみなんですけど。確かにレズっ気ありそう、七瀬って。
神野龍牙さん
・各登場人物未来SSシリーズとして、全キャラ制覇なんですね。誰まで扱ってくれるのか、楽しみにしてます。
だよだよ星人さん
・劇場版お疲れ様でした。背中がぞくぞくするようなシーンが多くて、とても楽しませて頂きました。ホームを突っ切るのが、いかにも浩平らしいですよね。
藤井勇気さん
・酢飯とチョコってどうなんでしょう。まあ、みさきさんだし。エビフライの握りって、いうと、わりと大きかったり? 想像したくないなあ(笑)。
いけだものさん
・あの学校で食べ放題、なんて勇気を持っているとは。三十分50個というと、ええと、ええと。嫌だなあ(笑)。(注:甘い物苦手なんです。)
長くなりました。この辺で失礼を。ではでは
(いけだものさんの後の方のは、これから読みますので感想は次回に)