ある少年は、悲しい雨に 投稿者: 吉田 樹

 飛行機が燃えている。
 嘘だ。僕がこの光景を見ているはずがない、現場にはいなかったんだから。それでも、繰り返し見たテレビの映像など比較にならないほどの現実感がある。
「沢口くん?」
 繰り返し起こっていく誘爆。周囲を緊迫した形相で駆け回る、青い目をした長身の男達。オレンジ色の服を着た男が、サイレンを鳴らして来た車を誘導する。ここからの距離は分からないが、熱い。ひどく熱い。
 ここで、この熱さなんだ。あの炎の中にいる父さんや母さん、そして他の乗客はどんな熱さを感じているのか。どんな恐怖を感じているのか。
「沢口くん!」
 こんな事があってはいけなかったんだ。こんな事が、父さんや母さんが死んでしまう事が無ければ、姉さんだって。姉さんはきっと、寂しかったんだ。寂しくて仕方が無かったから、だから僕を、
「沢口くん!」
 求めたんだ。姉さんの言うように、僕も姉さんを欲していたから、だから反応したんだろうか。でも僕は初めの時もそれからずっと、苦しかった。辛かった。悲しかった。
「沢口くん!」
「え?」

 視界がはっきりした。ここはどこだ?公園、か。石造りの座る場所と、橋桁を屋根にしたようなものがある。雨が降ったら、何の役にも立ちそうにない屋根だ。
 集会場所にでもなっているのか、周囲にはお年寄り達が多くいる。他には、トレーニングウェア姿の人ぐらい。街の目覚めにはまだ時間があり、ほとんどの人が睡眠の中にいる青く澄んだ空気の時間。
 周りにいる人達は、僕に気がつかない。いつからだったんだろう。周りの人々が僕のことを忘れ初めていったのは。僕が、忘れられたがっていたから、なのかもしれない。
「ねえ、大丈夫なの?」
「え、あ、うん」
「すごいおびえてたから、びっくりしたよ」
 小学校のクラスメートだった折原みさおさん、の幽霊。厳密には少し違うらしいが、病気で亡くなったはずだから幽霊だろう。
 自分が周りから忘れられるまで、僕も彼女のことは忘れていた。余り学校に来なかった彼女は、折原ぐらいしか覚えている人はいない。彼女と僕は同じようなものなんだ。みんなから忘れられて、ここにいる。
「でも、こんなところに公園なんてあったんだね。ほら、私。生きてる時はほとんど病院だったから、あちこち行ったんだけど。今まで気づかなかったな」
「折原、あ、えっと。折原さんの兄貴の折原に知り合ったの、ここだったんだ」
「え、そうだったんだ」
「うん。今まで忘れてたけどね」
 折原とは偶然ここで知り合った。身寄りの無い者同士、どこか気安かったのかもしれない。ずっと入院していたクラスメートの兄だと知って、折原さんのお見舞いにも僕は行ったこことがある。
 折原さんが死んでから、折原と会う事はほとんど無くなった。だから多分、僕の事なんて忘れてる。ははは。いや、やめよう。覚えていたとしても、忘れてしまっているに決まっているのだから。幼馴染の詩子にすら、忘れられたんだから。
「今日も、あの人いるのかな?」
「茜?」
「うん」
 いつの間にか、雨が降り始めていた。雨でさえ僕のことを忘れているらしく、体をすり抜けていく。周囲から人の姿が消えている。代わりに、起き出した人々の、憂鬱な朝を嘆く声が聞こえてきそうだ。
「あの場所に、行きたくないんでしょ」
 折原さんの言葉に、僕は頷いていた。
 結局、僕が逃げ出したかったものは。両親と同じ死に方をした姉さんや、周囲の同情だのといったものでなく。茜からだった。ここでの長く、そして短く、停まった時間がそれを分からせてくれた。
 茜が僕の事を忘れてくれれば、僕はあの日々に帰れる。それは確信していた。茜が忘れてくれれば、僕が逃げ出す理由は何も無いのだから。日々大きな事件も無く、どうしようもないほど退屈だった。そして、代えがたいほどに愛しかったあの日々に。
 ふと気がつくと、いつもの場所に来ていた。他に何もない原っぱ。草木が生い茂って、子供の頃に遊んでいた面影を忘れた原っぱ。そして、そこにいつもと同じようにピンクの傘が佇んでいる。
 どうして僕を待つんだ。なんで許してくれないんだ。どうしたら君は僕を自由にしてくれるんだ。僕に何か恨みがあるんだ。
 言葉が届かないから、何度も自問した問いかけ。

「ずっと昔からあなたの事を見てきました。私、あなたの事が好きなんです」

 姉さんが死んでしばらく経った頃、茜は破滅の言葉を投げかけた。
 子供の頃から、詩子と一緒にずっと遊んできた茜。実の姉さんよりも、ずっと兄弟のように思ってきた茜。そうして一緒にいるのが、当たり前だと思っていた茜。
 裏切られた。茜の事は大切だったけど、そういう存在じゃない。姉さんと同じなんだ。茜も、僕の気持ちなんか踏みにじって。
 正直、自分が茜の気持ちを踏みにじっている事は、よく分かっている。だから素直に言いたかった。茜の事は好きだけど、そういう好きじゃないって。でも、茜を傷つけてしまう事が怖くて、言い出せずに、
 結局、僕はここにいる。周りの人々から忘れ去られて、ここに。茜の呼ぶ心に呼びつけられて、最後に別れたこの場所に。
「やっと着いた。いつもながら瞬間移動だね」
「テレビに出たらうけるかな」
「たぶんうけると思うよ」
 出られたらね。折原さんは、僕と同じような境遇にいるだけあって、よく分かっている。何よりも望んでいること。帰りたい、こと。折原さんも僕と同じように、帰りたいんだ。折原と楽しく過ごしていた、あの頃に。
「あ! お兄ちゃん!」
「え?」
 本当だ。かなり離れた場所ではあるが、折原が歩いている。一目で分かった。あの頃とほとんど変わっていない折原が、雨を気にして歩いている。
 折原。傷ついて、それをしまいこんで。優しい奴。そうだ、折原なら。
「なに考えてるの?」
「え?」
「だめだよ。お兄ちゃんには、長森さんって人がいるんだから」
「前に言ってた幼馴染の、だろ? 折原さん、その人に好きだって言われて、折原が喜ぶと思う? 僕は苦しむだけだと思う」
「そんなの。そんなの自分の考えを勝手に当てはめてるだけじゃない」
「それでも! それでも。頼むよ」
「私に頼まれたって困るよ、そんなの」
 僕が自分勝手な意見を言ってる事は分かってる。自分が戻る為だけに、折原を利用しようとしている事も。そして、僕の気持ちが分かるから、折原さんが困っているという事にも。
 不意に折原が足を止めた。ゆっくりとこちらを見る。僕では無い、折原さんの事を見ている。それに気付いた折原さんが顔を向けるが、折原が彼女に気が付いた様子は無い。
 しばらくして、折原が茜に声をかけた。そっけなく茜が応じる。
「クラスメートの名前ぐらい、覚えておけよな」
 途切れ途切れに聞こえる会話から、そんな言葉が聞こえた。茜の無反応さに、折原が去っていく。その様子をただ、折原さんと僕は黙って見送っていた。
 茜の表情がいつもと違う。長年幼馴染みをやっていたんだ、茜のことならすぐに分かる。茜は、折原に惹かれた。少なくとも、心が動いた。それは、いつもの思いつめた表情がふっと和らいだ事でも分かる。
 なにより僕をこの場所に縛り付ける力が、うんと弱まっている。その事に気が付いた折原さんが、優しい表情をして僕の事を見た。
「仕方ないな。私も協力してあげるよ」
「ありがとう」
 やがて茜が、この場所から静かに去っていく。
 僕はずるい。臆病で卑怯で汚く、罵られても仕方の無い事をしようとしている。それでも、茜に幸せになって欲しいというのは嘘では無い。僕は、茜の気持ちには応えてやれないのだから。
 雨が降る。僕は僕のことを少しも濡らしてくれない雨を見上げた。低くたれこめた雲が、上空のとてつもない風に乗って吹かれていく。もっと吹けばいい。もっと強い風がもっと吹いて、なにもかも吹き飛ばしてくれれば。
 僕と折原さんはしばらくそうやって、降り続ける雨を眺めていた。
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 実は茜の彼の設定あったりして・・・
 初めましてです。時折覗いてるだけだったんですけど、時間出来たんで書いてみました。暇だったら読んでいただけると嬉しいですね。

 ついでだから感想書こうと思ったんですけど、文化の日だから? 多かったもので、ここ何名かの方の分だけ。

 いけだものさん
 ・読んでて恥ずかしくなっちゃうくらい、ラヴラヴしてていいっす。こらから更なるこっ恥ずかしさに期待させて貰いますね。

 雫さん
 ・そーきますか(笑)。01が黙視出来る娘や、超兵器を使って気絶(眠るんでしたっけ?)する娘の協力も(影で)あったみたいで微笑ましいです(?)。

 enilさん
 ・茜って・・・ところで、あれ、ですよね。五十万円なんですか?いやあ、勉強になります。

 ではでは