投稿者: 睦月周
 嘘は好きじゃない。
 自分も、相手も傷ついてしまうから。
 だけど、いつからか嘘なしでは生きていけなくなった自分に、ふと気づく。
 痛みを隠すため。
 本当の自分を見せないため。
 嘘が、必要になった。
 涙が出そうになった。
 でも、それが自分に必要なことなんだと、言いきかせる。

 ──そしてまたわたしは、自分に嘘をついた。

   ※ ※ ※ ※ ※ ※

「あかねっ」
 背中ごしにかけられる声。
 振り向くと、よく見た顔が優しく笑っていた。
 詩子。
 わたしの、幼なじみ。
「詩子・・・」
「奇遇だね、こんなところで! ね、奇遇がてら一緒に帰らない?」
 詩子は笑う。
「・・・構いません」
 わたしは応えた。
 構わない。別にどうでもいい。好きにすればいい。
 いいとも悪いとも言わない。
 わたしは、もう本当の気持ちを言葉にすることができなくなってしまったのかもしれない。
 ぐるぐると想いはめぐる。
 詩子は、そんなわたしの顔を少し心配そうに覗き込みながら、横に並んだ。


「・・・なのよ、信じられる?」
 道すがら、詩子のおしゃべりは絶え間なく続く。
 わたしは相槌をうつだけだ。
 「そうですね」、「いいえ」、「違うと思います」、「はい」、「分かりません」・・・。
 人形のように返すだけだ。
 それでも詩子はわたしに笑いかけてくれる。
 元気づけてくれようとしているのが分かる。
「ありがとう」
 そう言えればいい。
 でも、口がうまく動かない。
 言ってしまえば、そこから全てが崩れてしまいそうだった。
 想いの全てを、詩子にぶつけてしまいそうだった。
 詩子がもう忘れてしまった、あのひとへの想い。
 だから何も言わない。
 ただ相槌をうつだけ。
 こうしてまた、わたしは嘘を重ねる。


「ね、茜」
 交差点のあたりで立ち止まって、詩子が訊く。
「なんですか?」
 顔を向けると、詩子は困ったように、うーんとうなった。
 そして意を決したように、
「困ってることがあったら、言ってよ」
 呟くように言った。
 真剣な表情。
 ふたつの瞳が、しっかりとわたしをとらえている。
「別に・・・」
 少し口ごもりながら、わたしは応えた。
「別に、困っているようなことは、ありません」
「本当?」
 ・・・嘘。
 それでもわたしは、自分を偽ることしかできない。
「・・・・・・」
 じいっと、詩子はわたしを見つめる。
 少し悲しそうに。
 その視線が、少し、胸に痛かった。
「・・・そっか」
 そう呟いて、詩子はくすっと笑った。
「それならいいんだ。最近、元気ないみたいだったからさ、
ちょっと心配だったんだ」
「・・・・・・」
「あ、うんうん。ごめんね茜、変なこと訊いて」
 詩子は手を後ろで組んで、一歩後ろへ下がった。
 夕焼けが交差点越しにわたしたちを照らす。
「それじゃ、わたしこっちだから」
「あ、はい」
 じゃあね、と言って詩子は交差点に向かって歩いていった。
 途中で立ち止まって、こっちを振り向く。
「本当になにかあるんだったら・・・わたしに言ってよ?」
「・・・・・・」
 少し黙ったあと、わたしは、はい、と応えた。
 うん、と詩子は嬉しそうにうなずく。
「あいつも心配してみたいだから、声かけてあげなよ」
「・・・あいつ?」
「浩平。・・・あいつ、いいやつじゃない? ちょっと変だけど」
 それじゃ、と詩子は雑踏の中に消えた。
 その姿を、わたしはぼんやりと見送る。
 浩平。
 なぜか、ちくっと心が痛んだ。
 ううん、錯覚だ。
 そう思いこもうとする。
 ・・・これも、嘘、だろうか。


 気がつくと、公園に足を向けていた。
 いつもの場所じゃないのが、なぜか自分でも不思議だった。
 ふと予感がしたのかもしれない。
 「あいつ」がいるんじゃないかって。
 「あのひと」じゃない「あいつ」が。
 いつも待ってばかりのわたしを、待っていてくれるような気がしたから。
 小学校の頃から聞き慣れたパンザマストの音。
 ちょうどわたしの名前のように、綺麗なオレンジに染まった公園。
 そのベンチに、「あいつ」はいた。
 浩平。
「おっ、茜。奇遇だな」
 本当。
 本当に今日は奇遇の多い日だ。
「・・・どうしたんですか?」
 こんなところで、という言葉をわたしは飲み込んだ。
 その代わり、黙ったまま浩平の隣に腰を下ろした。
「別に・・・何となくな」
 浩平は言った。
 そうですか、とわたしは返した。
 そして沈黙。
 よりそうでもなく、ただ、静かに。
 冬の冷たい風が、ゆるやかに髪を揺らす。
 そのまま2人で、ぼんやりと夕日を眺めていた。
 ふと、
「──なあ」
 浩平が呟いた。
「なんですか?」
 そう訊くと、浩平はんー、と少し困ったような顔をした。
 わたしは黙ったまま、浩平の次の言葉を待った。
「茜」
「はい」
「今から──俺は石だ」
「?」
 わたしはきょとんとして、思わず眉をひそめた。
 いきなり、何を言い出すんだろう。
「俺は石だから──茜が何を言っても聞こえないし、応えられない。
だから、いつも言葉にできないようなことでも話したって問題ない」
 俺は石だから、と浩平はもう一度言った。
「言葉にすれば──楽になれることだってあるだろう」
 そう言うと、そのまま浩平は貝のように押し黙った。
 いや──石か。
 石の演技をしてるんだ。
「・・・・・・」
 わたしが視線を向けても、浩平はぴくりとも眉を動かさない。
 それどころか、全身を硬直させている。
 心の中で、わたしはくすっと笑った。
 言葉。
 言葉にしてみれば──楽になれる?
 偽りにならない、本当の言葉。
「嘘を──ついているんです」
 誰に?
 浩平がそんな顔をしたような気がした。
「自分に嘘をついて──周りに嘘をついて、そうすることで『わたし自身』を
支えてきたんです」
 そう。
 そうやって、わたしはごまかしてきた。
 本当は泣きたかった。
 誰かに、すがりたかった。
 でも、そんな気持ちを嘘のペンキで塗り固めて、今の『わたし』を描いた。
「嘘は嫌いです。でも嘘をつかなければ生きていけない。嘘で自分をごまかさなければ、
『わたし』が崩れてしまう。・・・それが、怖いんです」
 認めてしまうのが怖かった。
 『あのひと』がもう帰ってこないということ。
 そしてそれを受け入れてしまう自分を。
 過去の自分を否定したくないから、そんな自分の不安を嘘の自分で抑えて、
今の自分を否定している。
「それが──今のわたしです」
 そして、わたしは唇をとじた。
 公園を染めていたオレンジが、ゆっくりと灰色に変わってゆく。
 それをただじっと眺めた。
「──茜」
 浩平が呟いた。
「石はしゃべりません」
 そう言ってわたしは少しだけ微笑んだ。
 浩平はあうっ、と言葉に詰まったようだった。
「いや、そんなことはないぞ。中国にはしゃべる石があってだな──その石が・・・」
「紅楼夢ですね」
 わたしは先手を打った。
 浩平はまたはうっ、という顔をした。
「でもそれは、屁理屈です」
 内心くすくすと──外見ではおくびも出さずに──笑ってわたしは言った。
 浩平は悔しそうにうなだれてしばらく黙った。
 でも、ふとぽつりと、
「嘘なんて、そんな大層に考えるもんじゃないだろ」
 そう呟いた。
「?」
「例えばもう絶対に助からないと分かっている病人がいて──それでも医者は
『大丈夫だ、きっと助かる』って言う。・・・これは、嘘だろ?」
「そうですね」
「でもこれは悪いことか?」
 いえ、とわたしは応えた。
 浩平の言いたいことは分かる。
 それは医者の優しい嘘だ。患者を安心させるための。
 でも現実に患者は死に──その嘘は結局宙に浮かぶ。
「いや、そうじゃないんだ」
 わたしの表情から察したのか、浩平は続けた。
「俺が言っているのは気持ちだ」
 ・・・気持ち?
 嘘を言う、気持ち?
「医者は本当に患者に助かってほしいと思ってるんだ。現実はどうあれ、その気持ちに
嘘はない。これは、嘘じゃない嘘だ」
 嘘じゃない・・・嘘?
「お前も同じだ、茜」
 いつもの子供っぽい表情とは別人のような顔で、浩平。
「たとえ嘘という形になっても、お前の想いは本物なんだろ? 本当の気持ちを
守りたいから、それを嘘で固める。それは──」
 悪いことじゃない、浩平は言った。
 わたしの気持ち。
 『あのひと』を待っていたいというわたしの気持ち。
「茜」
 浩平は言う。
「お前は、お前だ。嘘も本当も──ない」
 わたしはわたし。
 『あのひと』の帰りを待っていたいわたしも。
 本当は帰ってこないんだ、と不安に思うわたしも。
 その気持ちをごまかして──周囲に見せまいとして──、強がりの嘘を言うわたしも。
 少しずつ浩平に惹かれていくわたしも。
 そして、それを認めたくないわたしも・・・。
 みんな・・・わたしか。
「浩平・・・」
 囁くように、言う。
「無茶苦茶です」
「そうか?」
「でも──」
 でも。
「嘘なんて、そんなものなのかもしれません」
 ああ、と浩平は笑った。
 そんなもんだよ、って。
 その悪戯っぽい笑顔を見ていると、不思議にそう信じられる。
 そんなもの、ぐらいの嘘に振り回されてきた、そんなもの、なわたし。
 わたしの心さえたしかなら、嘘なんてそんなものなんだ、本当に。
 そして、その嘘を嘘と分かって、笑ってくれる人が側にいれば──。
「なあ」
 浩平が訊く。
「なんですか?」
「これから暇か?」
 じっ、とわたしは浩平を見返して、はいとは言わずに次の言葉を待つ。
「この前、中途半端に緒わっちまったからな・・・デートの続きなんての、どうだ?」
 わたしは。
 わたしは、少しだけ楽になれた気がする。
 肩の重さが、少しだけ軽くなったような気がする。
 これも、浩平のおかげ──なんだろうか。
 そんなことを思いながら、わたしは。
 わたしは、悪戯っぽく、嘘をついた。

「──嫌です」

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 ちょっと長くなってしまいました・・・。
 いちおうこれで六人全員のSSをアップしたことになります。
 でも、瑞佳、澪同様自分でもあまり納得のいかない内容になってしまったなあ・・・。
 機会があれば作り直したいです。
 結局嘘ってなんなんだ? みたいなラストになってしまったし。
 筆力不足です。あうう。(藤原さん期待に応えられなくてごめん)

 一応次回からはONEを離れて、まあMOON誰かがやってくださると思うので、
同棲SSに挑戦してみようかな。布教の意味も込めて。
 まあ、しばらくは充電期間です。今週は感想&レスに徹しよう・・・。

 では、本編が長くなってしまったので、感想は次の機会に!