雨色の少女[1/3]  投稿者:はぐ


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       ONE〜輝く季節へ〜[Tactics]/里村茜SS

                 雨色の少女

                                 write : Hagu
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 私の心もきっとこんな曇り空。


 空は人の心を映す鏡。
 そんな話を、昔どこかで聞いた事があります。

 ポツポツポツ……。

 今日の天気は雨です。
 黒く沈んだ厚い雲から、強く降り注いでくる雨。
 手を差し伸べたら、体まで冷えてしまいそうな程、それは冷たいです。

 けれど、そうしていることで……。
 喜びも、悲しみも、雨が洗い流してくれそうです。
 そして、思い出と想いの全てを、この大地の中へ染み込ませてくれるような。

 雨です。
 十一月を迎えたこの時期では、もう冬雨です。
 冷え込んだ朝の空気を、もっと冷やしていく雨。
 その雨の中で、この通りを歩いている人は、今……一人もいません。
 ここで、私が立っている以外には誰も。

「……あなたは今、どこにいますか?」

 目の前にそびえ立つマンション。
 心の奥では草の生い茂るあの風景を見つめながら、私はそっとひとりごと。
 聞こえるはずもない人に問いかけていました。

「あの人も……あの日、行ってしまったような世界なんですか?」
 あの人が『永遠』と呼んでいた世界。
 もし、あなたが今そこにいるのなら。
 そこで今、何をしているのか。
 そこで今、何を考えているのか。
 私は知りたいです。
 すごく……知りたいんです。

 だって、ずっと……ずっと、待ってましたから。

「……茜」

 マンションを見上げていた私にかけられた呼び声。
 お気に入りのピンクの傘が邪魔をして、その顔は見えないけれど。
 大好きな人の声だから、私にはすぐ解ります。

「おはようございます」

 朝の挨拶だと、素っ気ないくらいかもしれない。
 だけど彼がいたから、そして、帰ってきてくれたから取り戻せた笑顔で。
 私は彼を迎えてあげました。

「冷たい……雨ですね、浩平」


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 里村茜。

 それが私の名前です。
 今、二十一歳です。

 咋春、短大を卒業して、保母として近くの幼稚園に就職しました。
 今は、やんちゃ盛りの子供たちを相手に、悪戦苦闘の毎日です。
 だって、働いている間は一瞬も気を抜けないんですから。

 働きはじめてから七ヶ月になるところ。
 やっと園児たちにも、仕事にも慣れはじめています。
 仕事はとても大変ですけど、でも子供が好きだから、嫌じゃないですね。
 元気に遊んだ後、疲れてお昼寝してる子供たちを見る時が、私は一番好きです。
 すごく、みんな可愛い寝顔をしているから。

 そして、今、私の隣に立っている人。
 折原浩平。
 高校時代の同級生で、私の、恋人、です。
 最上級生になろうとしていた春。
 私は、彼と悲しい別れを経験しました。
 そう、とても悲しい別れを……。


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「仕事はどうしたんだ?」

 二人で並んで、目の前にそびえてるマンションを見上げ始めて。
 どれくらいの時間が過ぎたのか、解りませんけど。
 浩平がポツリと呟くように尋ねてきました。
 その声に横を向いたら、浩平は笑顔で私の顔を見つめてました。
 出会った頃と少しも変わらないその顔は、じっと私の顔に……。

「今日は創立記念日でお休みです」
 視線を戻して小声で答えました。
「あぁ、なるほどな」
 浩平は、そんなのもあったよなって、苦笑いしながら頷いている。

「浩平は……」
「ん?」
「浩平こそ、朝から講義と言っていたはずですけど?」
 返す刀で私も質問。
 浩平はまだ二回生だから講義は多いはずです。
 それに……。

「サボリ」
 悪びれることもしないで、ケロッと言っちゃう。
 そんな、相変わらずの人だから。
「サボれるほど、単位を取っていないはずですけど」

「ぐっ」
「ちゃんと講義は受けてくださいね」
 顔はマンションを向いたまま。
 でも、浩平の耳には、はっきりと届く声で呟いてあげました。
 しつこいくらいにきつく言わないと少しも聞いてくれないから。
 浩平は顔をしかめながら、
「わぁった、わぁった。でも、ま、ちょっとくらいならいいだろ?」

 私、そう注意しておきながら、本当はいけないのに、
「…次の講義に間にあうのなら」
 結局そう言ってしまうのは、やっぱりいつでも浩平の側にいたいからで。
「オッケー」
 声を弾ませて、また黙ってマンションとその向こうにある空を見上げ続けました。
 この空を。

「でも久しぶりだよな。茜がここにいるってのも」

 次に浩平が口を開いた時には、雨はすっかり小雨に変わっていました。
「そうですね。家を出たら足が自然にここへ向いてました」

 空地が潰されて、このマンションの建設が始まったのは、高校を卒業してすぐだった。
「あれから三年になるんだっけな」
「……はい。もう三年も……経ったんですね」
 あれから三年。
 早かった三年。
 消えてしまった浩平が戻ってきてくれたあの日から。
 ずっとずっと二人で一緒にいた三年。
 ずっと浩平が側にいてくれた、そんな三年

 再会の春に、私は短大へ。
 浩平は一年遅れの大学受験に向けて、一年間必死に勉強をしていたけれど。
 空いた時間は、必ず二人で過ごしてた。

 二人で、というよりも私が浩平の家に毎日のように通っていました。
 浩平の側にいたかったから。
 もう、一秒でも彼の側にいたかったから。

 浩平が必死に勉強をしている姿を横でじっと見ていたり。
 解らない所があったら教えてあげたり、一緒に考えたり。

 合間には、その日にあったことをお互いにずっと話続けてみたり。
 TVやビデオを見ながら静かに過ごしたり。
 夜の街に出て、食事や買い物をしてみたり。
 そのまま、ホテルへ向かう事も何度かありました。
 浩平の部屋で迎える朝だって、数えきれないほど。

 浩平の叔母、由起子さんは浩平と私のことを放任してくれていたし。
 私の両親も、信頼してくれているから。
 だから、二人で夜を過ごしても何も言われることはなかったから。

 そんな二人でいる時間は、浩平が大学に入ってからも。
 そして私が幼稚園で働き出してからも、少しも変わることはなかった。
 お互いに用事は増えて、毎日とはいかなくなっていったけれど。
 その分、時間が少しでも合えば必ず一緒にいます。
 昨日は、私が一人の園児を夜まで面倒を見ていたから、会えなかった。
 でも、今夜はずっと一緒にいることになっていました。

 けれど。
 偶然だったけど、ここで1日ぶりに会えたのはとても嬉しいです。


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「な、茜」
「……なんですか?」
 口を開いても視線は合さないで、私たちは二人ともずっと上を向いたまま。
「雨、好きか?」

 その言葉を聞いた瞬間、顔が強ばるのが自分でも解りました。
 声も詰まる。
 哀しい思い出が込み上げてくるから。

「……大嫌いです」
 ようやく出せた言葉が、私の中にある思い出の全て。

「だな」
「はい」
 どうして……そんな事を聞くんですか?
 そう言いたかったけど。
 それを遮るみたいに。
「俺は好きだぜ、雨」
 浩平が言いだしたから。
「どうしてですか?」
 私には辛い思い出しか映さない雨を、浩平は好きだって言った。
 浩平も、あの雨の日を覚えているはずなのに。
 あの悲しい日の。

 それなのになぜ、どうして?
 そんな言葉がクルクル回る。

 そんなことを考えていても、浩平はやっぱり浩平で。
 ……変な人ですから。
「ほら、この雨の中を傘ほっぽりだして、ダァーッて駆け回ったら
冷たくてさ、なんか気持ちよさそうだって思わないか?」
 突拍子もないことを言い出すところはいつまで経っても変わりません。
「思いません」
 冷たく突き放しても、浩平は相変わらずです。

「というわけで茜。俺といっしょに……」
「嫌です」

「まぁまぁ、冷たいシャワーみたいで……」
「風邪をひきます」

「そう言わないで、一度やったら病みつきに……」
「なりません」

「ものは試……」
「絶対に嫌です」

 ……はぁ……。

 思わずため息が出てしまう。
「そこまでいうなら、浩平がひとりでしてください」
 キッと見つめて、言ってみる。

「む、ぅ……」
 案の定、浩平は言葉を詰まらせてしまう。
「できないんですか?」
 そんな浩平が可笑しいから、もう少しいじめてあげようかな。
 昔の私では、想像もつかない悪戯心。
 ちょっと、浩平に感化されてる自分が嬉しいです。

 でも浩平は鈍感ですから、ちっともそんな事、気づくはずもないです。
「お、おぅ、やるぞ」
「はい」
「やるってったら、やるんだからな」
「どうぞ」
 強がりを言っても、やらないことは解っちゃいますから。
 気にしないで返事をしてあげたら……。
「……やるぞ」
「……」
「……」
「……」
「……な、なぁ」
「どうしたんですか?」
「……俺が悪かった」
 やっぱり浩平です。

「いいです。いつものことですから」
 やっと笑顔を見せてあげる。
「ちぇっ」
 浩平はソッポを向いていじけてしまいます。
 ホントに解りやすい人です。

「クスクスクス……」
「なんだよ」
 浩平の拗ねた表情でもっと可笑しくなって、思わず笑いが込み上げてきます。
「いえ、こういう会話をしていると、浩平の側にいるって思えます」
 だから……安心できるんですね。
 あなたの側にいることが、浩平。

「そうか?」
「そうです」
「そんなものか」
「そんなものです」
「ふーん…」
 それからまた、私たちは視線を前に戻して黙って眺めていた。


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 ザーッ!

 また雨が強くなってきました。
 傘を、地面を、雨が強く叩きつける音が辺りに轟いてる。

「まぁ、でもな、雨が好きなのはホントだぜ」
 そんな中で、浩平がポツリと呟いた。
 普段の浩平と比べればとても小さな声だから。
 最初は空耳かなって思ったけれど。
「……」
 横を向けば、浩平が優しい笑顔で見つめていたから。

 どうして?
 そう思ったけれど言葉にはしなかった。
 浩平のことだから、また変なことを言うかもしれない。
 そう思ったから。
 けれど浩平の口から出てきたのは、全然違っていました。

「この雨がさ、俺と茜を出会わせたんだからな」
「え?」
 思わずキョトンとしてしまう。

 浩平は卑怯です。
 私が予想していない時だけ、こんなことを平然で言うんですから。
 普段は馬鹿なことばかり言うのに。

「あの日が雨じゃなかったら。そう考えたらな……」
 浩平は、いつのまにか私のお下げを愛惜しそうに撫でていた。
 それが、抱かれている時のように気持ちよくて嬉しくて。
 ポーッと浩平を見つめることしかできなかった。

「こんなふうになってないよな、俺たち」
 あ……。
 その言葉で、あの雨の日のことを思い返しました。
 あの日、この人に出会わなかったら。
 そう思うと怖い……とても怖いです。

「ただのクラスメイトで、話もしないで終わってるような気がする」
「そう、ですね」
 やっと返事を返すことができた。
 あまりにも突然で、衝撃的で。
 言葉がうまく出せなかったから。

「茜が倒れた日も雨だったしな。な、雨が降る度にさ、
俺たちの距離が近づいていった気が俺はするんだよな。茜もそう思わねぇか?」
 そうなんだ……。
 浩平は覚えてくれてる。
 あの雨の日のことも全部。
 私と浩平の思い出を……全部。

「そうですね……私たちの思い出は雨の日が多いんですね」
 嬉しくて、思わず笑みがこぼれてしまいます。
 今まで少しも気づかなかったこと。
 それを教えてくれたから、とても嬉しい。
「だろ?」
 私が笑顔を見せたからか、浩平は子供のように一段と明るい声を出す。
「それも、大切な思い出ばかり……」
「な、雨がなきゃ今がないんだからさ」
 浩平のこういうところ、羨ましいです。
 強引にでも前を向こうとするところ。

 そう。
 私は羨ましく思うんです。

「でも…」
 だって……それでもダメなんです、私には。
「ん?」
「やっぱり雨は嫌いです」
 浩平の目をじっと見つめる。
「そっか……」
 浩平の目は哀し気だった。
 そして、その瞳に写った私の顔は冷たく見えた。
 あの頃のように。

「雨を見ていると」
 見ていると、嫌なんです。
 哀しくなる、切なくなる。
「あの日の悲しみを思い出してしまいます」
 涙があふれてきた。
 もう流すことはないと思っていた悲しみの涙。
「浩平がいなくなって、もう二度と人を愛することはないって……」
 涙に濡れた顔を、両の手で覆ってうつむいた。
 浩平に涙は見せたくないから。
 こんな涙は見せたくなかったから。

 なのに。
「…茜」
 不意に身体が引き寄せられました。
 頭を浩平の胸に押しつけられて。
 地面に落ちてしまった傘は拾えなくて。
「えっ?」
 驚きで、甲高い声をあげてしまった私を片手で抱きしめて。
 背中をポンポンって、優しく叩いてくれた。
 慰めてくれているんですね?
 そう思ったら、余計に涙があふれてきます。

 浩平らしい不器用なやりかただけど、優しさは一番伝わってきます。
「大丈夫だ。嫌がられたって、二度と離れないからな」
 嫌がるわけないです。
 心の中で囁きながら、その大きな背中に腕を回しました。
 私の方こそ、二度と放しません。
 浩平が逃げようとしたって離れませんから。

「浩平」
 涙がやっと止まって、その胸に顔を埋めたままで呼んだ、大好きな人の名前。
「なんだ?」
「私、聞いてほしいことがあるんです」
「……言ってみな」
 一瞬間があいて、そして了解の返事。
 その言葉を確かめて、私は浩平の側を離れた。

「私、浩平に嘘をついてます」
「はぁ!?」
 予想外のことだったからでしょうか。
 浩平は素っ頓狂な声をあげて、眉を潜めました。

 本当は言わないほうが良いと思います。
 言えばきっと、浩平はいい気がしないとも思います。
 でも、隠しておきたくないから。
 私は全部を、愛する人にさらけ出したいですから。
「私、今日。最初からここに来るつもりで家を出たんです」
 浩平の目をまっすぐ見つめながら話しはじめました。

「今日は、あの人が消えた日なんです」
「あの人って……幼馴染のことか?」
「はい」
「なるほど、な」
 そう言って、マンションの方を向いてしまった。

 怒ってしまった。
 浩平の事は、もう見るだけで解ります。
 声は普通でも、顔がすごく怒ってますから。
 解ったけれど、それでも全部聞いてほしかったから、静かに話を進めました。

「こうして浩平と一緒にいると、私がここで何をしているかを忘れそうで怖いんです」
 そう。
 忘れたくなかったんです。
 あの人のことを忘れたくは、決して。

「……もしかして、そいつの記憶薄れてきてるか?」
 向こうを向いたまま、ぶっきらぼうに聞いてくる。

「はい、少しづつ」
 正直に。
 まっすぐ見つめて答えた。
「もう、名前も忘れそうになってきているんです」

 浩平は黙ったまま。
「顔を忘れて、声を忘れて、そして名前まで……。
もうこの世界で私しか覚えていないのに。あの人のことを忘れてはいけないのに」
 そこまで聞いて、浩平は私の方へ向き返った。
「なぁ、茜」
「はい」
 浩平は人差指をビッと私に向けて、
「そいつのこと、ずっと覚えているつもりなのか?」
 質問してきました。
 今までに見せたことのないような厳しい表情で。
 やっぱり怒らせてしまった。
 でも、全部聞いてもらわないといけないから。
 一瞬、私はためらったけれど。
「……はい」
 どんなに不機嫌になる事が解っても、あくまでも正直に。

「いくつになっても、死ぬまでずっと覚えておくつもりか?」
「はい」
 まっすぐに浩平の目を見つめた。
 本気です。
 本気なんです、私は。

 曲げない私に、今度は辛そうな顔をする。
「そんな辛い思いしてまで、どうして…」
「辛くても、それがあの人がこの世界にいたことの、たったひとつの証ですから」
 そして私はあの人がいたから、今ここにいるんです。
 言葉には出さないで、心の中でそっと付け足して。

 浩平はまた私から視線を逸らせて、マンションの方へ向き直した。
「…なぁ、茜」
 静かに、さっきまでとは全然違う声色で。
「はい」
「前から一度は聞いておこうと思ってたんだけどな」
 優しい声で。
「はい」
「そいつの事、好きだったのか?」
 聞いてきました。

「……はい」
「……」
「ずっとずっと、好きでした」


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 あれは、小学四年生の頃でした。

「いたぁーっ! いたいーっ! うわぁーんっ!!」
 私は、小学校に入学した頃からずっと、男の子にいじめられてました。
 私、その頃から髪は腰あたりまで伸びてましたから。
 それをクラスの男子に物珍しがられて、よく引っ張られていじめられていたんです。
 毎日毎日、そんなことをくり返されて。

 クラスの女の子たちの何人かが助けてくれたけど。
 それでも学年が上がるたびに、男子のいじめはどんどんとエスカレートする一方で。
 私は何度も何度も泣きながら家に帰っていました。
 そしてそのうちに、朝になると学校へ行きたくないって、泣くようになりました。
 母は、登校拒否なんて許す人じゃありませんでしたし。
 私も家を出たら学校以外の場所へ行くなんて考えもしなかったから。
 また辛い目に遭いに学校に通っていたんです。

 そんな時でした。
 あの人が引っ越してきたのは。

「はじめまして。向かいに引っ越してきた、高村でございます」
 見知らぬ女性が、男の子を連れて引っ越しの挨拶に来たんです。
 それが高村母子。
 彼と彼の母親でした。

「あら、これは御丁寧にありがとうございます」
 母と高村のおばさんが挨拶を交わすのを、私は母の後にべったりとくっついて。
 顔を母の背から覗かせるように聞いていました。
 奥の部屋に逃げようかとも思ったんですけど。
 そこにいたのは、男の子なんですから。
 でも、そんなことをすれば母に怒られるから、我慢してそこにいました。

 その頃の私は、男の子を見るだけでも怖がるようにまでなっていたんです。
 彼がニコッて笑いかけてくれても、母の後ろにサッと隠れてしまう。
 そんな子供でした。

「お嬢さんは何年生かしら?」
 そんな私を、人見知りだと思ったんでしょうか。
 高村のおばさんは、私に向かっていろいろと笑顔で話しかけてきてくれたんです。
 すごく気さくな人でした。
「よ、四年生…です」
「あらぁ。うちの栄司も四年生なのよ。よかったわねぇ、栄司」
 そう言って、おばさんは彼の頭をバシバシッて叩いた。
 あ、痛そう。
 高村母子を見ながら冷静にそんなことを考えてました。

 けれど、彼は慣れていたんでしょうね。
 実際にその後何度もそんな光景を見るんですけど。
 痛がる素振りもなく、笑顔で手を差し出してきたんです。
「よろしくね。えと…名前は?」
「……あ…あか…ね」
「あかね…ちゃん?」
 コクン。
 返事の代わりに頷いて。

「あの、栄司くん。うちの茜と仲良くしてあげてね」
 母は彼に向かってそう頼んだから。
 私は嫌がって母の背中をポカポカと殴りました。
 やめてやめてって。
 男の子が側にいたらって思うとゾッとしたから。

「はいっ! 茜ちゃん、これからよろしくっ」
 男の子は嫌いでした、大嫌いでした。
 でもその笑顔を見た時。
 心臓がトクットクッて高鳴ったことは、今でもよく覚えています。

 それが、私の初恋の始まりだったんです。


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「へぇ……茜がいじめられっこだったとはな」
「はい。小学生で腰まで髪を伸ばしている子供はあまりいませんでしたから」
「まぁ、そりゃ珍しいよな。そんなもん、ガキにとっちゃ、
一番構いたくなる対象になりそうだもんなぁ……そのころの茜も可愛いしな」
「もぅ……小さい頃のお世辞を言ってもダメです」
「んっとに、可愛いって。写真だけか?昔の茜が可愛いのは?
ま、もちろん今の茜の方がもっと可愛いけどな」
「もぅ……馬鹿」
「いてっ!」

↓続く