雨色の少女[3/3]  投稿者:はぐ


↓続き

「茜。栄司君よ」
 三日後、日曜の夜でした。
 母が、ドアごしに彼がきたことを知らせたんです。
「いや……寝てるって言って」
「馬鹿、もう来てるよ」
 そう言って彼は部屋の中に入ってきた。
「いや! 出ていって! 見たくない、あなたの顔見たくないっ!」

 そんな私の取り乱す様子を、母はオロオロと、彼はジッと見つめていた。
「見たくないなら、むこう向いてていいから」
「……」
 彼の真剣なまなざしに、私は何も言えなくなって。
 窓の方を向いて布団の中に潜りこみました。

「おばさん。ちょっと二人にさせてもらえますか?」
「え、ええ……」
「すみません」
 母が、階下に降りていくのを確認して、彼は話をはじめました。

「茜。俺、ふられたから」
 そう……。
 興奮が収まった私は、自分でも驚くくらい冷静でした。
 彼がふられたと言われても、何も思わなかった。
 もしかしたら、心が凍っていたのかもしれない。

「柚木に、これからはずっと一緒にいたいって伝えた」
 わたしじゃないんだ、詩子なんだ。
 その時、その事実を改めて思い知らされました。

「でも、あいつは…」
 詩子は?
「あいつは、おまえと三人一緒でないと嫌だって、そう言った」
 詩子らしいな。
 ずれてるけど、本質は思いやりの深い子だから。
 二人が付き合って、私がどうなるのか、よく解っていたんでしょうね。

「だから、俺。柚木に俺のこと好きかどうか聞いてみたんだ」
 詩子なら、たぶん…。
 彼の口から出てきた言葉は予想通りでした。

「あいつは、好きだって言った。けど、それは友達の好きだった。
俺にも茜にも、あいつにとっては同じ好きなんだよな」
 彼女の中に、たぶん特別なんて言葉はないから。
 そう答えると思います。

「でも、俺はそれでよかったと思う」
 その言葉から、予想外の話がはじまりました。
「ごめんな、茜。お前の気持ち、解ってやれなくて」
「……」
「俺の後ろをついてくる茜見て、俺、妹持ったみたいな気分になってた」
「……い、もう、と?」
 ベッドに潜ったまま、始めて言葉を出したんです。
 私はそう見られていたんだ。
 その事実を噛みしめるように。

「俺、兄弟いないからな。だから、嬉しかったんだ。俺を頼ってくれたこと」
 私も嬉しかったの。
 大好きな人とずっと一緒にいられること。
「だから、女の子として見たことなかった。茜に告白された時は、マジで驚いた。
どうしていいか解らなかった。妹から告白されるなんて思わなかったから」
 私は、幼馴染で、妹。
 でも、恋人にはなれなかった。

「だから、おまえの気持ちに応えられなかった。
俺にとっては妹だから。誰よりも大切な妹だったから」
 幼馴染じゃない。妹じゃない。
 私は恋人になりたかった。
「でも、茜との妹の関係も、あの時で終わったよな」
 恋人になれなかった。
 でも、幼馴染では我慢できなかった。
 だから、彼から離れたんです。

「あの時から、なんかぽっかり穴が空いちまった。いつも、物足りなかった。
不思議だよな。自分でふっておいて、おまえの穴が重たかった」
 複雑です。
 彼にとっての、私の存在は。
 私には嬉しいわけでも、哀しいわけでもない。
 複雑な気持ちでした。

「だから、その穴を埋めたかった。
柚木に告白したのは柚木にその穴を埋めてほしかったからだ」
「……」
「告白して、ふられて、一晩経って。考えたのが柚木のことじゃなかった。
柚木のことを、全然考えなかった」
「……」
「なんでだろうな。ずっと茜のことを考えてる俺がいるんだ」
「……ど、う、して?」
 また、無意識にポツリとつぶやいた。
「さぁな……解んねぇ。ただ、ずっと考えたから解ったこと、あるんだ。
柚木にどこか茜を求めていたんだなってこと。
俺にとって、重要なのは好きとか恋人とか、そんなことじゃなかったんだってな」
「……どういうこと?」
 いつのまにか、私は起きあがってベッドに座りこんでいました。
 彼の顔を見つめて。
「だから、よく解んねぇんだって、俺自身だって。茜を恋人とは見れない。
それは変わりないと思う。けど、ずっと今までみたいに側で守っていたいって思う」

 ベッドから降りて、彼の目の前まで進みました。
 そして、彼のすぐ前にペタッと座って。
「……わがままです」
 小さい声だけど、ハッキリと伝えました。
「わがままだよな、ホントさ」
「私、妹じゃ我慢できないです」
 ポトリ、ポトリと、床に落ちていく。
「うん」
「幼馴染も嫌です」
 想いが、叶わないと思った想いが。
「あぁ」
「好きだから……」
 また込み上げてきて。
「……いくらなんでも、ムシが良すぎるだろ」
「構いません」
「俺が構うんだ」
「気にしないで」
「気にするんだ」
「私、叶えばいいから」
「なぁ……茜」
「……はい」
「俺のこと、好きでいてくれ。俺、そしたらさ、いつか……」

 想いは、雫になってこぼれていったんです。


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「……複雑だぞ。俺は」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ」
「でも、嫌なんでしょ?」
「嫌っていうより、悔しい」
「……」
「あぁ〜ぁ。なんで、ずっと昔に出会えなかったんだぁ!」
「そんなことを言ってもしかたないです」
「そうだけどなぁ」
「でも、昔だったら、浩平とこういうふうにはなってません」
「……きっぱり言うなよ」
「だって……彼がいたから、今があるんだから」


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 結局、元のサヤに収まったんです。
 でも私は想い続けました。
 彼の側でいる時も、家で一人でいる時だって。
 そして彼もそんな私を見ていてくれた。
 それだけで、以前とは比べものにならないくらい幸せでした。

 けれど、そんな幸せもある日、突然に崩れたんです。
 それは高校一年の秋でした。
 彼と詩子と三人で、栄司のバースデイパーティーを開いたんです。
 昔に戻ったみたいで、すごく楽しかった。

 でも、その次の夜のことでした。
「茜、ちょっといい?」
「何? お母さん」
「高村さんの家に誰もいないんだけど、どこへ行ったのか聞いてない?」
「栄司に?」
「回覧板回さなけりゃいけないのに、いないのよねぇ」
 手に持った回覧板を困った顔で見つめていました。

「ごめんなさい。聞いてない」
「そう、まぁ、夜には帰ってくるかしら」
 でも、その時はすでに事態は深刻だったんです。
 誰も知らない場所で、彼の人生を変えた事件が起こったんです。

「帰ってこないわねぇ。高村さんのお宅」
「うん……」
 それから一週間経っても帰ってくる様子はなかった」
「もうすぐお正月だし、田舎にでも帰ったのかしら」
「それでも、何かいいそうだけど。高村のおばさまなら」
「そうよねぇ」

 母も、私も、その異常な状況に心配はしたけれど。
 だけど、どうすることもできないでいました。
 結局、一ヶ月が経っても帰ってはきませんでした。
 そして、十一月を迎えた日でした。
 朝からどんよりと曇っていて、そう、今日みたいな天気です。

「茜ぇ、最近元気ないねぇ? どしたの?」
「うん。心配だから」
「ふぅん? また、パァッと楽しもうよ。前みたいに…あれ?」
 不意に、詩子が何かを思い出そうとし始めたんです。
「あれぇ? ちょっと前のパーティー、二人だったっけ?」
「え? そうだけど?」
「あ、そうだよね。あぁ〜よかった」
 この時、私と詩子で、『二人』の差すことが違ったんです。

「よっ、お二人さん。お久しぶり」
 懐かしい声と共に、肩をポンっと叩かれた。
「きゃっ!」
「わっ!」
 二人で声をあげて振り返ると、そこに。
「え、栄司……どこ行ってたの? 今まで」
「んー、まぁ……田舎ってとこかな」
「そう。でも心配させないでくださいね」
「あぁ、悪かったな」
 そう言って、久しぶりの会話をしていた私たちを、不思議に見つめる詩子がいた。

「ね、ねぇ。茜ぇ?」
 私の袖をつんつん引っ張りながら、聞いてきたんです。
 想像もしなかった言葉を。
「茜? この人知り合い?」
「……え?」
 私、詩子が変になったと思ったんです。
 それぐらい信じられませんでした。
「ははっ、俺は茜のちょっとした知り合いさ」
「へぇ〜、そうなんだぁ」
 目の前で交わされる会話を、呆然と眺めるだけでした。

「詩子っ! じょ、冗談言ってるんだよね?」
「え? なにがぁ?」
 怖かった。
 何が起こったのかが解らないから、すごく。

「なぁ、茜をちょっと借りていいか?」
「え? うん、いいよ。でも、遅刻するよ?」
「……」
「ま、間に合うように手早くすますさ」
「ふぅん。じゃぁ、先に行くね」
「ありがとな。じゃ、いくか。茜」
「ま、待って……どうなってるの? これ、どうなってるの? ねぇ?」
 そう言って引っ張る私を振り返って。
 振り返って。
 振り返って……。

「栄……司?」
 泣きそうな顔をしてた。
 見たことがなかった。
 悲しそうな顔。

 そして、連れられたのは、小さい頃に遊んだ空き地。
 ここだったんです。

「……茜。まだ、俺のこと……好きか?」
 しばらくは、何も言わずにいました。
 そして、最初に彼の口から出たのは、その言葉だったんです。
「……はい。大好きです。今でも。前よりも」

 彼が哀しそうな顔をする。
 どうしたの?
 何があったの?
 さっきのことが何か関係あるの?
 何も解らないから、不安で。
 縋るような目で、見つめていたと思います。

「何が……あったの?」
 堪え切れなかったんです。
 私には、堪えられなかった。
「おふくろ、死んだんだ」
 それが、彼の口から出てきた時、彼の心が弾けたんだと思う。

「親父と、もう一度一緒に暮らそうって、話し合いに行ったら、昔みたいに
暴力三昧さ」
 その時はわけが解りませんでした。
 今の私なら解るんですけど。
 彼の家庭がどうだったのかが。

「毎晩毎晩殴られて蹴られて、おふくろずっと耐えるんだ。
俺も何度もぶん殴られたけど、おふくろの比じゃなかった。
止めようとしても、ぶっ飛ばされて、またおふくろ殴って。
何日が経ったかな。おふくろが急に吐き気を出して、倒れちまって。
でも、親父そんなおふくろを蹴りまくって。
おふくろがみるみる青ざめていってさ、俺、親父を押しのけて
急いで病院まで連れていった。でも…」

 続きを聞かなくてもよかった。
 あの明るいおばさまが?
 信じたくはないけど、それが事実だってこと。

「おふくろが、亡くなっちまっても、顔色ひとつ変えねぇ。それどころか、親父は…」
 彼の瞳から零れ落ちる光の筋。
 涙……。

「おふくろの遺骨を、崖からぶん投げやがったんだっ!」
 空き地に絶叫が轟きました。
 私、何も言えずに、ただ聞くだけしかできなかった。

「悔しくて、哀しくてさ。思わず、後ろからぶん殴っちまった。
前のめりに落ちていくんだ。自分の父親が。ろくでもない奴だけど。自分の父親を…」
 震えが止まらない。
 怖いとか、恐ろしいとか、哀しいとか。
 そんな感情も出てこないほどで。

「それからさ、俺はずっと親父の家にいたんだ。
ずっと、あの家にあった二人の思い出を見てた。
アルバムとか、本とか、日記とかさ。誰一人来なかった。ただひとりでずっと」
「……」
「そして、見つけたんだ。親父の秘密を。おふくろが耐えていたわけを」

「親父は、強度の精神障害にかかってたんだ。
怒りも哀しみも、何もかもをコントロールし切れないって。その時初めて知らされた」
 彼はそう言いながら、握り締めた拳を自分の膝に叩きつけた。
 ゴスッ!
 鈍い音が聞こえたけれど、それでもそんな彼を見つめることしかできなかったんです。

「おふくろは、そんな親父でも、一緒にいたかったんだって。書いてた。
三人で仲良く生活したかったって。
それが、おふくろと、病にかかったばかりの頃の親父の夢だったんだ……。
ちくしょぅっ! なんで、なんで俺に言ってくれないんだよ!
おふくろ死んで、親父も殺して! 俺に、俺にどうしろって言うんだよ!
俺だって、家族だ。子供でも家族なんだ。
ホントのことをホントのこと、教えてくれれば…俺だって…」
「栄司…」
 やっと、やっと声を絞り出せたんです。
 そして彼の瞳に私が映った。

「茜……俺な……」
「は……い」
「俺、もうすぐこの世界から消えるんだ」
 空を見あげて呟いた。
 その空から雨が舞い降りてきたのは、ちょうどその頃。
「え?」
「俺、向こうで親父とおふくろに誓ってきたんだ。そこに行くってな」
「し、死ぬって……ことですか?」
 声が上ずっている。
 なくしたくない人が、消えてしまう。

「さぁな。死ぬんじゃなくて、存在がなくなるってとこだ。
この世界から。この世界の人の記憶から、記録から、全部な」
 さっと過ったシーン。
 少し前のシーン。
「それ……て、さっきの詩子みたいな、こと?」

「そういうことだ……この世界の誰からも、茜。お前からも消える」
 それが、あなたの行った永遠の世界だなんて想像もつかなかったけど。
「……い……や、で……す、嫌……」
 いなくなってしまうのは、変わりないから。

「ごめん、茜。今日お前たちに会って別れを言いたかったんだ。覚えてくれ
てないと思ってな。覚えてたら、哀しくなるから」
「嫌、嫌ぁ……」
 彼に、彼の体に思いっきり飛びついて、思いっきり抱きついて。
 離したくなかった。
 消えるなんて信じたくなかった。
 けれど、その体は現実感がなかったんです。
「ごめん、茜。辛い思いさせちまうな」
 抱きしめている感触はあるのに、現実感がないんです。

「茜が覚えててくれて、正直嬉しかった。ホントに嬉しかった。
茜が俺を想い続けてくれたってこと。それ、解ったから。
最後に幸せだったかなって思える」
「嫌、最後なんて言わないで! ずっと、側にいて……側に、いて」

 空から零れ落ちる雨に私の涙は隠されて。
「ありがとうな、茜。俺も、好きだ。大好きだ。妹じゃなくて、女の子として。
だから……俺のこと忘れてくれ。忘れて、し……わせに……て……くれ……」

 抱きしめてたはずの腕から、感触までも消えていく。

「いや……いやぁ! 待って! 私も、私も連れて行って! 栄司っ!」


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「ふぅ、俺もそうなってたんだよな。不思議なかんじだぜ」
 頭を抱えて、浩平はその場に座りこんだ。
 多分、浩平はあの時のことを思い出してるんだと思います。

「あんなに悲しいことは、もう嫌です」
 そして、私も。

「悪かった」
 謝る浩平の顔をちょっと不機嫌な顔で見つめて。
「でも、あなたは帰って来てくれましたから」
 途端に、パッと明るい顔をする。
 でも、それだけじゃないです。
 私の言いたいことは。

「私をあれだけ悲しい目に合わせて、笑顔で帰ってきましたから」
 今度は、苦虫を噛みつぶした顔。
「……茜、もしかして……あの時のこと、怒ってるのか?」

「当然です」
 キッパリと言ってあげます。
「暗い顔するよりはましだろうが」
「笑っていたら、からかわれた気がします」
 でも、だから……。
「あれだけ大掛かりなからかい方するかよ」
 だから……。

「……だから」
「ん?」
「だから、またあなたに会えた……こと。信じ……れた……んです」
 泣いちゃダメって、思うほど、涙が溢れて止まらなくなる。
「茜」
「いつもの……いつものあなた、いたから。だから……夢じゃないって……」
 泣き続ける私を、浩平はそっと胸に抱きしめてくれた。
 昔の彼なら、こんな優しさはなかった。
 ぶっきらぼうに、乱暴だった彼が、今こうして優しさをくれる。

「……このバカ」
 抱きかかえた私に向かってやさしい声で、そう言いました。
「バカは……バカは、浩平です」
 私も、胸に顔を埋めたまま、言い返して。

「あぁ、俺はバカだ。そんな馬鹿を待ちつづけた茜はもっとバカだ」
「そんなバカがいると信じて公園に来たあなたの方がずっとバカです」

 私を抱きしめる腕を解いて、私たちは体を離した。
「…はぁ、俺達そろってバカなんだよな」
 呆れるように、肩をすくめる浩平と。
「はい」
 静かに答える私。

「でも……こんな幸せでいられるなら、私はバカだっていいです」
「まぁ、バカどうし、仲良くカップルで丁度いいじゃねぇか」

 溢れる涙はそのままだけど、きっと私は一番素敵な笑顔を見せられたと思います。
 大好きな浩平に。そして、彼に……。




 ありがとう。栄司。私の幼馴染さん。

 ありがとう。私の大事な初恋の人。

 ありがとう。そして、さよなら。


 今でも、今でもずっと大好きな……あなたへ……。


                                  Fin





〜あとがき〜

98年12月20日、新大阪はセンイシティで開かれた、
BrightSeason2にて発行したコピー本。
数日後の、茜シナリオ解読本(笑)<小説版の2巻の事
が発売されたために、それ以後お蔵入りになっていた作品です。

この度、手直ししてINET発表することと相なり、
自分でもONESSで一番気に入ってる作品なので、
そりゃぁもう盛大に発表したくて(笑)

というわけで、この場に発表させて頂きます。
で、改めて挨拶。

初めまして。
『永遠』http://multi.suki.net/tacss/
というWebPageで、細々とSS書いている「はぐ」と申します。
ONEGet後から、これまででONESSは50くらい書いてきたかな?
 #まぁ、超短編中心ですが(笑)
今後も、機会があればこちらで発表させて頂きますね〜。

http://multi.suki.net/tacss/