【93】 嘘の代償
 投稿者: ひさ <dayomon@30.club.or.jp> ( 謎 ) 2000/4/3(月)22:03
 それを実行するという事は、浩平にとって一種の賭けのようなものだった。
 いつものように笑って冗談と受け取ってくれるか、それとも……。


 トゥルルルル……トゥルルルル……

『はい、川名です』
「もしもし、みさき先輩?」
『あ、浩平君。どうしたの?』
「あのさ……えっと、きょ、今日限定で500円で時間無制限食べ放題って
いう店があるんだけど、良かったらこれから待ち合わせして一緒に行かない
か?」
 浩平は計画を実行に移す為、ターゲットであるみさきの家に電話を掛けて
いた。
 しかし直感力が強いみさきに些細なミスも許されないという思いから、浩
平はいきなり緊張で声をどもらせてしまう。
 これで怪しまれたか? と危惧したが、返って来た声はいたって能天気な
ものだった。
『本当っ? 行きたいよぉ〜』
 心の底から喜びに満ち溢れた言葉を電話越しに聴いて、浩平はホッと胸を
撫で下ろす。
 浩平は、食事をする事が趣味のようなみさきがこんなオイシイ話を無視す
るはずは無い――そう確信していた。
 そして思惑通り、撒いた餌に魚が食らい付いて来たと言うわけだ。
「ああ。俺も見つけてちょっと驚いたんだけど、これは先輩に報告しなきゃ
なって思ってさ」
『ありがと〜浩平君』
 案の定みさきが嬉々として誘いに乗って来たので、浩平はそっと心の中で
ほくそ笑んでいた。
「なら俺が先輩の家まで迎えに行くから待っててくれよ」
『えっ、でもそれじゃ浩平君に悪いよ。どこか分かり易い所で待ち合わせす
るとかでも私は全然構わないから』
「でも慣れてるとはいえ遠くまで一人で出歩くのは危ないだろ? 俺に迎え
に行かせてくれよ」
 浩平が気に掛けている一番の原因は、みさきの視力が完全に失われている
事だった。
 しかし今回に限って言うなら、それだけが原因ではない。
 視力の事に触れるとみさきが負い目を感じてしまうのは知っていたが、そ
れでも浩平は迎えに行かなければならなかったのだ。
 今日という日に、水面下で練り上げた計画を成功させる為に……。
『ゴメンね浩平君……』
「あ、謝る必要なんて無いって。俺が誘ってんだからさ、こっちから迎えに
行くのは当然だろ?」
『……うん、じゃあ待ってるね』
「それじゃ俺今すぐ家出るよ」
『また後でね』
「ああ」
 浩平はそう言って、いつのまにか汗ばんでいた手から受話器を離した。
 心底楽しみにしているみさきの声を聴いて、これから実行する事に少なか
らず罪悪感を抱いてしまう。
(いや、今日だったら大丈夫だ。なぜなら"あの"日だからな)
 しかしそう思う事で、ためらう気持ちを無理矢理心の底に押し込めた。

 

 ――そして数時間後。
 浩平とみさきは商店街を足早に進んでいた。
 ただし足早になっている理由はそれぞれ違っており、みさきは食欲の為、
そして浩平はおそらく焦燥の為だろう。
「ねえ浩平君。随分歩いてるみたいだけどまだなのかな?」
「ああ、もう少しだぞ」
 みさきはとても目が見えていないとは思えない程の早さで、行き交う人々
を避けながら早歩きで進む浩平に正確に付いて行く。
「ねえ浩平君。だんだん商店街から離れて行ってる感じがするのは、私の気
のせいかな?」
「いいや、気のせいじゃないぞ」
 そう言って浩平が立ち止まると、みさきもそれに習う様に立ち止まった。
 握る手に汗が滲む。
 鼓動がどんどん高まって行く。
 みさきは果たして受け入れてくれるだろうか?
 それとも怒って破局の一途を辿ってしまうのだろうか?
 浩平はそんな風に心の中で葛藤しながら、遂に意を決してみさきに言い放
った。
「みさき先輩、実はな……」
「うん」
「……冗談だよ」
「…………え?」
 その瞬間、二人の間に流れる時間が一瞬止まったような気がした。
 みさきは訳が解からない、といった困惑顔を浮かべている。
 浩平は不穏に渦巻く空気を敏感に感じ取り、さすがにまずかったかなと思
うと、慌てて弁解を始めていた。
「ご、ごめんな先輩。今日って4月1日だろ? だからさ、ちょっとした嘘
だったんだ。いつも先輩が使ってる言葉を言ってみたかったんだよ。ホント
にごめんっ!」
 パンッと両手を叩き合わせて平謝りする浩平。
 それからさぞや怒っているだろうと思い恐る恐る顔を上げてみたが、意外
な事にみさきはいつものニコニコ顔に戻っていた。
「なんだ、そうだったんだ。ううん、別に気にしてないからいいよ」
「良かったぁ。先輩が怒ったらどうしようかって思ってたんだ」
 多少は怒られるだろうと覚悟していた浩平は、予想外の展開に驚きつつも、
二人の関係が破局へまっしぐらなどという事態に陥らなくて安堵していた。
「でも、500円で時間無制限食べ放題っていうのはちょっと残念だったけ
どね」
「お詫びと言っちゃ何だけど、俺んちで何かご馳走するよ。といっても作れ
るのはチャーハンくらいだけどな」
「それじゃあ、遠慮無くご馳走になるね」
 その『遠慮無く』という言葉が少し怖い浩平だったが、嘘吐いたこっちが
悪いんだから多少の犠牲(?)は仕方ないなと思った。

 
 だが……浩平はまだ知るよしも無かった。
 後日、恐るべき報復が待ち構えている事に。
 もしも今、みさきが笑いながらもその額に青筋を立てている事に気付いて
いたなら、あるいは回避できたかもしれない。
 そもそも、『冗談だよ』という言葉をただ言ってみたかっただけという下
らない理由で、しかも食べ物ネタでみさきに嘘を吐くなどあまりに愚かな行
為だったのだ。
 人知れず報復に燃えるみさきの恐怖が、何も知らぬ浩平の身にひたひたと
近付きつつあった。



 ……………………



「みさき先輩、昨日はホントにごめんな」
 翌日、浩平はやはりみさきに嘘を吐いて落胆させてしまった事を悪く思い、
お詫びの電話を掛けていた。
『ううん、いいよ。ご飯ご馳走になったしね』
 そんなみさきの声から、特に昨日の事を気にしている様子は窺えない。
 実は昨日みさきが来たせいで、浩平の家は食料不足に悩まされる事になっ
てしまったのだが、自分の嘘で迷惑をかけたのだからそんな事を言えるはず
もなかった。
『ね、浩平君』
「ん?」
『じゃあさ、そんなに気にしてるなら罪滅ぼしでもしてもらおうかな』
「あ、ああ、まあいいけど……出来れば食事関係は遠慮したいな」
『食事関係だけど、浩平君に奢ってもらうとかそういうのじゃないから』
「いや、そういう意味で言ってるんじゃなくて……」
 しかし嘘を吐いたと言う罪悪感が今だ心に残っている浩平に、みさきの申
し出を断るという行為は不可能だった。
『今日また商店街に一緒に行って欲しいんだけど、いいかな?』
「それくらいだったら別に構わないけど、行ってどうすんだ?」
『それは着いてからのお楽しみ』
 そう言ってふふっと笑うみさきの声を聴いて、浩平はやれやれと心の中で
嘆息しながらも奢らされるんじゃなければいいか、とふたつ返事で頷いてい
た。
 その微笑が悪魔の笑みとも知らずに……。



「み、みさきせんぷぁ〜い、も、もう勘弁して……うっぷ」
「まだまだこれくらいじゃあ全然足りないよ」
 数時間後――浩平は文字通り地獄の苦しみを味わっていた。
 ただ浩平は、みさきに言われるまま商店街の食べ物屋を案内してきただけ
なのだ。
 しかしその場所に問題があった。
 行く所行く所全て「何分以内に食べたらタダ」だとか「何分以内で食べた
賞金いくら」など、そんな店ばかりだったのだ。
 そういうメニューは言うまでも無く超大盛りというのが普通だろう。
「さあ次の店に行くよ、浩平君」
 浩平の手をしっかり握り、意気揚々とそのラーメン屋を出て行くみさき。
 その後には普通の3倍くらいのでかいどんぶりが、スープの一滴も残らず
デンと置かれていた。
「あ、ありがとうございました〜」
 その二人――正確にはみさき一人の背中――を、店員は呆然と見送るしか
なかった。
 こんな光景が、もう何時間も前から店に行く度に繰り返されていた。
 ラーメン屋に始まり、カレー屋、牛丼屋、回転寿司、そんな感じの店を何
軒も回っていた。
 達成してタダとなったのが13軒、更に賞金がついたのが5軒で合わせて
18軒の店を制覇し、獲得賞金占めて四万円となった。
「もうこの辺りは全部行っちゃったから、どうしようかな〜」
 これだけ食べてまだ足りないとは、恐るべきはその無限の「ブラックホー
ル胃袋」か……。
「お、俺が悪かったから……も、もうホントに許してくれ〜」
 そうなのだ。まさにこれこそが、みさきにしか実行できぬ荒業――つまり
自分の脅威の胃袋を、浩平に余すことなく見せ付ける事が報復だったのだ。
 ちなみにみさきに付き合って商店街に来てから、浩平は全く食べ物を口に
していない。
 最初は一緒に食べようとしたのだが、みさきのあまりの凄まじい食べっぷ
りに毒気を抜かれ、見てるだけでお腹一杯なってしまったのだ。
 1軒目からそんな調子だったので、気持ち悪くなるのは時間の問題だった。
「そうだ! 浩平君、次は隣街に行こうよ」
「も、もうやだー! み、みさき先輩、頼むからいつもみたく『冗談だよ』
って言ってくれぇーー!!」
 そう絶叫する浩平を、みさきは深い藍色の双眸で見据えながら一言呟いた。

「……私、本気だよ」

 その瞬間、浩平の体はがっくりと両膝から崩れ落ちた。
 かくしてみさきの報復は、浩平の体内を完膚なきまでに気持ち悪くさせ終
わりを告げた。
 いや、この二人の今日はまだまだこの後も続く……みさきは喜びを、浩平
は絶望を引き連れて……。


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 どうも、こんばんは。
 ちなみに中崎町商店街にこんなに大食いチャレンジの店があるのか? と
いうツッコミは無しです(笑)。

 またしても以前投稿した感想おまけSSの加筆バージョンで、元は一年前
の「感想だけでもいいですか?(8)&(9)」のおまけSSになります。
 この頃投稿されてた常連さんはきっと覚えているはずです(^^;)。
 一応季節ネタなので、この時期を逃すと投稿できなくなると思ったので。
 それにおまけSSとして一年前投稿した時、私自身手直しして来年投稿し
たいなぁって言ってたんですよね。
 元のSSが見てみたいと言う奇特な方(^^;)は、例の如くWTTSさんが
管理されている「TacticsSSコーナー第2図書館」に保管されてる
ので行ってみてください。
 ただおまけSS版の方は、ストーリー上で致命的欠陥があって読めたもん
じゃないのでご注意を(笑)。

 最後に感想を書いて下さった怪しい人さん、ベイルさん、どうもありがと
うございましたm(_ _)m

・ちょい宣伝
 ↓うちのサイトです。過去にここで投稿したSSとか載っけてます。お暇
な方は、お気軽に遊びに来てみて下さい。

 http://www.people.or.jp/~SIDE-ONE/


 それではこの辺で……。