終わらない休日 第20話  投稿者:ひさ


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★これまでのあらすじ
 二日間の休日――折原浩平は、まるで引き寄せられるように拾ってしまった
猫の『プー』と共に過ごしてきた。
 最初は飼う事すら面倒で、一時は幼馴染みの長森瑞佳に押し付けようと考え
ていたほどだったのだ
 しかし、二日目になってからはプーと行動するうちにどんどん一緒に居たい
という気持ちが強まって、それはプーも同じ思いだったのかもしれない。
 こうして一人と一匹の奇妙な絆は、強く結び付いたかに見えた。
 だが、それはあっさり緩み解かれてしまった。
 夢の中でプーが放った別れの言葉は、そのまま現実に持ち越され、浩平の前
から消え去ってしまっていた。
 浩平は、すぐさま雨の中を傘も差さず飛び出して全力疾走する。プーを追い
求めて……。

 その頃、家に帰って浩平の靴が無い事に気が付いた由起子は、浩平を探して
いる内に二階の部屋でプーのものと思われれる首輪を見付ける。
 それを見て大体の事情を察すると、浩平が帰って来た時の姿を思い浮かべな
がら、静かに風呂場へと向うのだった。 

 そして無我夢中で、自分でも何処へ向かっているのか、よく分からないまま
走り続けたその先に浩平を待っていた光景は……プーに夢で別れを告げられた、
あの公園だった。
 この場所であって欲しい――浩平は、微かに残る最後の希望を信じて公園内
に一歩、足を踏み入れた。
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 たかが猫一匹の為にどうしてそこまで……。
 
 浩平が、いくら雨に打たれても立ち止まる事なく必死で走り続けた理由を知
ったら、その姿を見た誰もが皆そう思うだろう。
 いや、いつも何かと世話を焼いてくる猫好きの幼馴染みと、もう何年も同じ
屋根の下で暮らしていて事情を知っている叔母だけは、あるいは理解してくれ
るかもしれないが……。
「プーーーーーーーーー!!」
 体力の限界を超えてまで走り続けて辿り付いた、その終着点――プーと初め
て出会った公園で、浩平は求むべき名を精一杯叫んだ。
 しかし、その声は僅かに前進してから、まるで激しい雨音に吸い込まれるよ
うにあっさり掻き消されてしまった。
 全身にたっぷり吸い込んだ雨と、ノンストップで家からここまで全力疾走し
て来たせいで、一歩進む度に体が沈んで行くような感覚に襲われてしまう。
 それでも全身を引きずるようにして公園内を探し回る浩平だったが、結局プ
ーの姿を捉えるには至らなかった。
「くそっ」 
 苛立ちを隠せぬまま舌打ちし、多少雨を凌げる公園内に植えられた樹木の下
までゆっくりと体を移動させる。
「ここじゃ……ないのか……」
 浩平は、木の幹に寄り掛かりながら力無く呟く。
 改めて視界を公園へ向けると、そこからは周りの様子がよく見渡せた。
 しかし浩平の瞳に映ったその光景は、プーと別離した夢の中の公園とあまり
にも懸け離れていた。
 夢で見た光景に暖かさを感じたのは……そう、それがプーの夢だったからだ。
 他人に――同じ種族でもない人間の浩平を、何故あんな風に自分の夢の世界
に引っ張って行くことが出来たのか……今となっては分からない。
 ただ、プーがすぐ近くに感じられたのもまた事実だった。
 それが……この公園には寂しさだけしか感じられない。
 外灯の光があるとはいえ辺りは薄闇に包まれていて、おまけに衰える気配を
見せない雨の音が、そんな雰囲気を一層掻き立てていた。
 周りの雰囲気というものは、やがてその場に居合わせる人の心にも浸透して
行くものなのだろうか……。
 浩平の心に寂しさはなく……あるのはどうしようもない虚しさだけ。
 だが寂しいという周りの雰囲気は、やがて虚しい気持ちに拍車をかけるとい
う別の形で心の変化を誘った。
 そして、浩平にはもう何故プーをここまで追い求めるのか分からなくなって
いた。
「もういいだろ……何で雨に濡れてまでこんな必死にあいつを探し続けてるん
だよ。あいつは……プーは自ら望んで離れて行ったんだ。それなのに戻って来
いと追い掛けたって追い付けるわけ無いじゃないか……。永遠に終わらない追
い掛けっこが続くだけだ。……はは、こんなのちょっと考えればすぐ分かるは
ずなのに……こんな状況になってやっと気付くなんてさ。……馬鹿だよな、俺
って……」
 果たして独白したその言葉は誰に向けたものだったのか……。
 浩平自身? それともプーに?
 おそらく浩平はそんな事を意識してはいないだろう。 
 比重はプーの方に傾いていたような気もするが、その両方だったのかもしれ
ない。 
 自分に分からせる為、そしてもう届かないというのにそれでもプーに伝えた
かった……もうここまでだという事を。
「ここに……いや、もう何処にもプーは居ないんだ……」
 浩平は寄り掛かっていた樹木から離れると、再び雨中に体をさらす。
 冷たい雨が、多少乾き始めた服に激しく降り注ぎ、あっという間にずぶ濡れ
になってしまった。 
 顔に掛かる雨が流れ落ちるのを感じると、まるで自分の瞳から涙が流れてい
るような錯覚に陥ってしまう。
 実際には、浩平は泣いてなどいなかった。
 しかし……なんなのだろう、この気持ちは……。
 諦めた途端、胸の奥からとめどなく溢れ出してくるこの思いは……。
 
 心にも……雨が降っていた。

 もう何処にも行くべき場所は無い。
 あるとすれば、それは帰るべき自分の家だけだった。
 後ろは振り返らない。そんな事をしても、ただ自分の無力さを再認識させら
れるだけだから……その向こうにはもう何もないのだから。

 浩平は、やがてゆっくりと歩き出し公園を後にした。
 休日である二日間という時間が、その時既に過ぎ去っていた事をまだ知らず
に……。



 …………………………



「……遅いわね」
 由起子は玄関の上り口に腰掛けていた。
 風呂を沸かした後、いい加減ラフな服装に着替えて、それからずっとその場
所で玄関のドアが開くのを待っているのだ。
 そうして、もう一時間以上経過しただろうか。
 浩平がプーを探しに行ったのだという事は、部屋に落ちていた首輪を見付け
た時に何となく感じていた。そうでなければ、こんな夜更けに家に居ない理由
が思い当たらない。
 必ずしもそうだとは言えないが、探しに出たという何の痕跡――例えば書き
置きのメモなど――も残ってないのは突然プーが逃げ出したか、もしくはそれ
に近い事態が突発的に起こった為、浩平は急に外へ飛び出したのだとしか考え
られないのだ。
 しかもこの雨の中で自分の甥がそんな状況かもしれないというのに、のんび
りくつろいだり、ましてや先に寝てしまうなど出来るはずもない。
 浩平も小さな子供じゃないので大丈夫だろうというのは分かっているのだが、
そういう気持ちをあまり表に出さない由起子でも、心の中では気掛かりでなら
なかった。
「浩平……どこまで行ってるのよ……」
 そんな呟きが、溜息と共に由起子の口から漏れていた。 
 もう時刻はとっくに深夜零時を過ぎていたのだから、そう思うのは無理もな
い。
 由起子自身は普段この位の時間でも、まだ仕事で家に帰らないという事がざ
らなので早く寝ないと翌日に差し支える――という心配はしていなかった。
 浩平の事にしてみても、毎朝起こしに来てくれる頼もしい幼馴染みの存在を
知っているので、寝るのがいくら遅くなろうと、それは別段気にする事でも無
かった。
 ただ、いつもこの家に存在する『家族』を感じられないのが不安なだけかも
しれない。
 今まで座っているだけだった由起子は、もう待ち切れずといった感じで腰を
上げると、ドアを開けて外の様子を確かめてみる事にした。

 ――果たして、その行動は何か予感があったからなのだろうか?
「……浩平」
 玄関のドアを開けたその先に、浩平が立ち尽くしていた。全身に雨を吸い込
んだまま……。
「…………」
「……おかえり、浩平」
 無言でうつむく浩平に、由起子はただそれだけを伝えた。
 聞きたい事は色々あったが、どんな状態でいくら遅く帰って来ようとも、ま
ず『おかえり』と声を掛けてあげる……待っている間ずっとそんな風に思って
いたのだ。
 浩平は、その一言でようやく今自分が何処に立っているのか思い出したよう
に、ハッと顔を上げると消え入りそうな呟きをそっと漏らした。
「由起子さん……ただいま……」
「ええ、おかえり」
 笑顔でもう一度言葉を返すと、なかなかその場から動かない浩平を半ば強引
に玄関の中に招き入れて、由起子はこれまで自分の脇に待機させておいたバス
タオルで濡れた体を頭から拭きに掛かった。と――
「いいよ。自分でやる……」
 そう言いながら浩平は、自分の頭をくしゃくしゃに掻き始めた由起子の手を
止めるようにバスタオルを抑え付けた。
「それじゃ、体拭いたらすぐお風呂に入るのよ」
 由起子は頭に乗せたバスタオルから手を離して浩平にそう言うと、玄関を上
がってそのまま台所に向かおうとして、もう一度玄関の方へ振り返った。
「ほらっ、早く体拭いてお風呂に入る! 風邪引いちゃうでしょ」
 自分で拭くと言って結局そのまま突っ立っている浩平を見て、由起子は多少
きつめに言い放った。
 こう言っては浩平に悪いかもしれないが、実は風邪の事などそれほど気にし
ている訳ではない。何があったかはよく分かっていないが、由起子はただ活を
入れたかったのだ。
「…………」
 効果はイマイチだったようだが、それでも浩平は無言で体を拭き始めていた。
「お風呂から上がるまでに何か軽い食事でも作っておくからね」
 その姿を見届けてから、由起子は今度こそ台所の奥へと消えて行った。
「……うん」
 少し遅れて浩平は小さく頷く。
 それは一体、どの由起子の言葉に対して向けたものだったのか……。
 
 浩平は、とりあえず家に上がっても水滴が垂れ落ちないくらいまで服に吸い
込んだ雨水を拭き取ると、由起子に言われた通りにまっすぐ風呂場へと向かっ
た。



 台所で夜食を作る準備に取り掛かっていた由起子は、風呂場に行ったであろ
う浩平の足音を微かに聴いていた。
「プーちゃん、見付からなかったのね……」
 帰ってきたら浩平に渡そうと、後ろ手に隠し持っていたプーの首輪をじっと
眺めながらそう呟く。
 かつて真っ白な色であっただろうその首輪は、傷が目立ち、落ちない汚れも
染み付いている。
 だが、それはずっと長い事プーが愛用していたという表れでもあった。
 由起子には、プーがその首輪を思い出として浩平に渡して去って行ったよう
に思えていた。
「どこ行っちゃったのかしらね、本当に」
 まだ、プーが居なくなってしまった経緯というのが良く分かってないので、
浩平が風呂から出たら首輪を渡して事情を聞こうと思っていた。
 帰って来た時は意気消沈していたが、風呂に入れば心身共にリラックス出来
るだろう。それに、浩平の方から由起子に話すつもりでいるのではないか……
そんな気がするのだ。
「あんな表情、滅多に見た事無かったわね。大丈夫だとは思うけど……」
 由起子はちらりと風呂場のある方を見やって、そんな言葉を溜息と一緒に漏
らすと、止まっていた手を動かして夜食の支度を再開した。


 
「はぁーーーーー……」
 その声は、大きな溜息に似たものだった。
 浩平はびしょびしょに濡れた服を洗濯機の中に放りこむと、体も洗わずいき
なり湯船に潜り込んでいた。由起子はもう入った後だと思ったので、お湯が汚
れる心配をしなくていいし――元々そんな心配をする質でもなかったが――雨
に打たれ続けて体が冷え切っていたので早く温まりたかったのだ。
「…………」
 首までどっぷり浸かりながら天井をぼんやり眺めてみた。
 そうしてお湯の中に身を任せていると、体内にわだかまっている思いや気持
ちが、綺麗さっぱり流されて行くような気持ちになる。
「そういや、プーと一緒にこうして風呂に入ったんだっけ……」
 それでも、どうやらプーに関しての事だけはそう簡単に流れてくれないよう
だ。
 それはつい昨日――時間的には一昨日になるが――の出来事だった。
 だが、浩平には随分前の事のように思えてならない。連休中、それだけ様々
な出来事が起こっていたのだという事を改めて感じさせられた。
「……音子は今頃どうしてんだろうな」 
 今度は、夕方別れた少女の事が脳裏に思い浮かぶ。
 こんな時間だったら、今頃は布団の中で何か夢でも見ているのだろうか……。
「夢か……」
 そんな呟きは、夢の中でプーに別れの言葉を突き付けられたあの瞬間を思い
出させていた。
 どうもプーに関係するキーワードみたいなものが頭に浮かぶと、別の事を考
えていても、強制的にそちらに切り替わってしまうようだ。
「ゴメンな音子。俺、約束守れなかったよ……」
 見上げる天井に少女の笑顔が浮かぶ。
 次に音子が尋ねてきたら、同じ言葉で素直に謝ろう……浩平はそう思った。
 しかしプーが居なくなったという事実を知ったら、あの元気な少女はどんな
気持ちになるだろうか?
 きちんと事情を話しても理解してもらえるかどうかは分からない。何せ、浩
平自身にとっても夢か幻のような出来事だったのだから。
 決して浩平を恨んだりはしないだろうが、また泣きじゃくるかもしれない。
 そうしたら、別れ際の時と同じようにこの胸を貸してやろう……。
「プーのやつ、案外音子の所に戻ったのかもしれないな。それならそれで……」

 その時、浩平の脳裏に一瞬だが鋭い閃きが走った。
 しかしそれはとても鮮明で――僅かに垣間見ただけでも、意識に留めるには
十分だった。
「プー……音子……家族……」
 まだ天井を見詰めたまま、浩平は自分の考えをまとめるかのように浮かんだ
単語を次々と呟き始める。
「捨てる……公園……拾う……」
 そこまで言ってピタリと言葉を止めた。  
「存在すべき場所……か」 
 まるで推理小説に登場する名探偵の様に、絡み合った謎の全てが頭の中で一
本に繋がった瞬間――それが今の浩平の心境だった。
「良く考えれば簡単な事なのに、俺は焦りで答えを見失ってたんだな……」
 浩平は、リラックス出来る時間を与えてくれた湯船に感謝したい程だった。
 そして、遅くまで自分の帰りをずっと待っていて、風呂に入る事を勧めてく
れた由起子にも……。
「待っていてくれよ……」
 その言葉を最後に、浩平は勢いよく湯船を出た。



「由起子さん!」
 風呂から上がった浩平に声を掛けられた由起子は、その表情が帰って来た時
とは明らかに違っている事に気付いた。
「どうしたの、浩平?」
「ごめん。折角作ってくれた夜食だけど、食べるのもうちょっと後になりそう
なんだ」
 浩平の言う通り、短時間で大した物は出来なかったにしろ、一応夜食は出来
上がっていた。本音を言えば温かい内に食べて欲しかったが、これから浩平が
何をしようとしているのか大体の見当は付いていたので、あえて理由を問いた
だそうとはしなかった。
「そんなに時間は掛からないの?」
「夜明け前には帰って来れると思う」
 冗談とも本気とも取れる言葉に、由起子は思わず吹き出してしまった。
「ふふっ。それじゃあ浩平が帰って来るまで待ってるからね」
「先に寝ててもいいのに……」
「そういう訳には行かないわ。戻ってきたら浩平には色々と聞きたい事がある
んだからね。……プーちゃんをまた探しに行くんでしょ?」
「うん……あれっ!? 由起子さん、俺がプーを探しに行ってたって事知って
たの?」
「まあ、何となく……ね。大体普通に考えればそれ以外に思い付かないわよ」
「ああ……それもそっか」
 由起子の言葉にあっさり納得した浩平は、そのまま玄関へと向かう。
 どうやら、もう完全に気持ちは立ち直っていたようだ。 
「何処か当てはあるの?」
 見送りに玄関まで付いて来た由起子は、そんな事を浩平に聞いていた。
 先程は当てのある場所を全て探し尽くして、それでも見付からなかったから
あんなに気持ちが沈んでいたのではないか……。
「プーの……存在すべき場所だよ」
 しかし由起子の予想に反して、浩平は冷静に答えていた。
 言っている事の意味は何となくしか分からないが、その場所にプーが居るの
だという確信みたいなものが含まれているのを感じて、由起子も確信した。
 浩平はもう大丈夫だと……。
「浩平、これ」
「これはプーの……」
 由起子が浩平の前に差し出したのは、あの白い首輪だった。
「帰って来た時ね、家の中で浩平を探してたら二階の部屋にこれが落ちてるの
を見付けたのよ。プーちゃんに返してきてあげて」
「わかった」
 浩平は力強く頷くと、由起子の手から首輪を受け取った。
「気を付けていってらっしゃいね」
 一体何に気を付ろというのか……そう言った由起子自身にも気休めでしかな
い事は分かっていたが、それでも何か見送りの言葉を掛けたかったのだ。
 そんな由起子の言葉に、ドアを開きかけた浩平は振り返るとたった一言、
「行ってきます!」
 そう答えてドアを閉めた。
 瞳には確固たる自信を宿して……。
 そして……久しく見せる事の無かった笑顔を浮かべながら……。



 ニ連休という日は、既にその時過ぎ去ってしまっていた。
 しかし、それでもプーの存在すべき場所を求めて再び歩き出す。
 浩平の休日は、まだ終わっていない……。
 

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 どうも、こんにちは。
 3日連続投稿……ストックはこれで尽きました(^^;)。

 しかし、3月頃から書き始めた連載もとうとう20話まで来ました。10話の時
に大台に乗ったと書いたのは3ヶ月くらい前でしたが、もっとずっと前だった
ように感じます。
 残りあと2話になって、ようやく本当に終わりというものが見えてきました
が……もし、ずっと通して読んで下さっている方がおられましたら、最後まで
この話にお付き合い頂けると嬉しいです。


 最後に、ここまで読んで下さった方、前話までと「心の切片」に感想を書い
て下さった方、どうもありがとうございましたm(_ _)m

 それでは……。