――――――――――――――――――――――――――――――――――― ★これまでのあらすじ 折原浩平は、ニ連休を快適に過ごそうと思っていた矢先に一匹の猫を拾って しまった事で、一日目から出鼻を挫かれてしまった。 名前を『プー』というこの猫に、とにかく浩平は引っかき回されてしまう。 だが世話をして行く内に、この一人と一匹の間に奇妙な絆が生まれていたの だった。 連休二日目に入り、その絆は一緒に行動する度にどんどん深く強くなってい った。朝食、頼まれた猫の世話、買物、そして帰途……。 元々は以前の飼い主である『音子』という少女が、再び飼えるようになるま でプーを預かる――そういう約束なのだが、少なくとも浩平はその時が来るま でずっと一緒に居られるものと信じて疑わなかった。 しかし……別れは突然訪れた。 夢の中でプーに告げられた「さよなら」の言葉。 本当に夢だと思っていたそれは、浩平が夢から覚めた瞬間に現実のものとな り、プーは存在すべき場所へと去って行った。 ……存在すべき場所、それは一体何処の事なのだろうか? 浩平の家の周辺か、それともずっと遠く離れた所か……それはもう闇の中に 溶けて見えなくなってしまった。 そして浩平は、その暗闇から何も見つけ出す事が出来ず、ただ呆然とたたず むだけだった……。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 「ふう〜、本当に凄い雨……」 そう言いながら、由起子は自宅の玄関前に駆け込んで傘を畳んだ。 通勤は車なので、移動している間は雨でも濡れる心配は無く傘も必要無いの だが、これだけ激しく降り続いていると車から降りて少し歩くだけでもずぶ濡 れになってしまう。 そういった緊急事態を考慮していつも車内に傘を常備しておいたので、車庫 から玄関まで移動する僅かな間でも、それを防ぐ術が何も無ければ相当濡れて しまいそうなどしゃぶりを免れる事が出来た。 「今日は随分早く帰って来れたわね」 髪や肩口にかかった僅かな水滴を右手で払いつつ、左手の腕時計に目をやる。 早いとは言ってもそれは由起子の感覚での事であって、実際にはもう数時間 で日付けが替わるくらいの時間になっていた。 それでも、由起子が思っている普通一般の高校生が寝るには程遠い時間でも あり、その証拠にリビングや二階に灯っている明かりは、まだ自分の甥が起き ているという事を示している。 「浩平、買物してくれたかしら?」 玄関から見える家の中の柔らかな光を確認しながら、今朝は急な仕事の予定 が入ってしまい慌てて台所にお金と『プーちゃんを世話するのに必要なものを 買っておいて』と、走り書きのメモを用意して出掛けたのを思い返していた。 「何か夜食みたいのものでも作ってあげようかしらね。どうせ夜はカップラー メンとかロクなものしか食べてないだろうし……」 事実その通りなのだが――家でなかなか顔を会わせる機会が無いとはいえ、 さすがに長い事同じ屋根の下で過ごしているだけあって、浩平の事に関しては しっかり理解出来ているのだった。 それに昨夜の夕食後、今朝の食事も由起子が作って一緒に食べようと浩平に 約束していたのが、結局作ることは出来ても一緒に食べる事は果たせなかった ので、おそらくその埋め合わせという意味も含まれた言葉なのだろう。 「ただいま……あらっ!?」 玄関のドアを開けて、普段通り帰って来た事を伝える言葉を発し掛けた由起 子だったが、それが途中で途切れてしまった。 その代りに後押しされた一言は、何かを見付けた事で自然に出たものと、軽 い驚きと戸惑いで出たものと……それらが混ざり合ったような感じだった。 まず家の中に入ってすぐ、猫用のトイレが由起子の視界に飛び込んできた。 自然にというのは――つまり由起子がそれを見付けて、浩平はちゃんとプー の買物をしてくれたんだなという思いから出たもの。 そして軽い驚きと戸惑いというのは―― 「浩平の靴が、無いわ……」 そんな理由からだった。 いつも帰ってくればそこにあるものが見当たらない……そんな時はどこか違 う事にすぐ気付くものだ。 仕事から帰って来てドアを開けると、玄関でいつも最初に浩平の靴に出迎え られる。こんな些細な事が仕事で疲れている身体を癒してくれていた。 何故なら、それがこの家に家族――浩平がいるという事の証だからだ。 普段は深夜にまで及ぶ仕事で、家に帰っても当然の如く浩平は寝ているのだ が、その靴を見ると確かにこの家に居るのだという安堵感が生まれる。 同じ家に住んでいるのに、二人の活動時間のずれからあまり同じ時間を共有 するという事が無いので、余計にそう感じるのかもしれない。 その靴が、今日は由起子を出迎えてはくれなかった……。 由起子は靴を放り出すように脱いで家の中に上がると、浩平の所在を確認す る為、電気が点いていたリビングと二階の部屋へ足早に向かった。 しかし予想していた通りどちらの部屋にも浩平の姿は無く、ただ蛍光灯の明 かりが無人の部屋を寂しげに照らしていただけだった。 「やっぱり居ないわね……」 二階へ上がった由起子は浩平の部屋を見回して一言呟く。 ふと、部屋の窓が開きっぱなしになっていて、カーテンが外から流れる風に 吹かれてパタパタと舞っているのが目に付いた。 吹きっさらしの風は直に部屋の中へ飛び込んでいたので、窓の周りやカーテ ンが雨でかなり濡れている。 急いで窓際に駆け寄りぴしゃりと窓を閉めると、部屋に入り込んでしまった 雨水を拭く物が無いかと辺りを探してみた。 すると、足元に何か落ちているのが目に入った。 ゆっくりしゃがみ込んで落ちているものを拾い上げ、それを眺めてみる。 「これは……確かプーちゃんの……」 それには確かに見覚えがあるように思えた。 そして、思い出したように言い掛けた言葉を止める。 落ちていたものは……猫の首輪だった。 実際にプーと過ごしたのは昨夜夕食を一緒に食べた時ぐらいで、今日は早朝 出勤という事もあって一度も姿を見ていない。 だが昨日浩平が家に連れ帰った時に抱きかかえただけで、首輪の色や形など を記憶するには十分だった。 「そういえば、プーちゃんも見てないわ……」 しゃがんだまま、じっと何かを考えるような様子でそんな呟きを漏らした。 まるで、何もかも中途半端なまま慌しく過ぎ去って行ってしまった……今の 家の中はそんな感じがするのだ。 玄関に浩平の靴が無く、点けっぱなしの電気、そして開けたままの窓に落ち ていたプーの首輪――帰って来てから今まで遭遇した出来事を順序立てて思い 返してみて……そして、ある結論に達した。 それが正しいか間違ってるかは別にして……だが。 「…………」 由起子は雨で濡れた窓際の床やカーテンをほったらかしにして、再び玄関へ と向かった。 玄関に辿り着くと、下駄箱の脇にある傘立てをちらりと見やる。そこには先 程差していた自分の傘しかなかった。 それから普段あまり履く事の無いサンダルを足に引っ掛けて、そのままドア を開け、外の様子を確かめるように眺め始めていた。 夜闇に紛れて肉眼ではどれだけ雨が降っているのか確認できなかったが、そ の激しい雨音から、なお勢いは増すばかりで衰える様子は一向に感じられなか った。 半開きにしたドアから、上半身だけ乗り出すような格好でしばらく外の様子 を見ていた由起子は、一つ溜息をついた。 それはどんな意味だったのか――やがて何か納得したかのように一つ頷くと ドアを閉め玄関を離れ、次に向かった先は……、 「……お風呂、沸かしておかなくちゃね」 その呟きが由起子の辿り着いた結論だった。 ――そしてここから少し過去に遡る。 浩平が、プーとの決別を思い知らされたあの瞬間へと……。 ………………………… 激しく響く雨音が、浩平にはまるで自分の心を容赦無く叩き付けているよう に聞こえていた。 プーは消えたのではなかった。この開きっぱなしの窓から出て行ったのだ、 夢の中で浩平に別れを告げて……。 もし朝出掛ける時にこの窓を閉めていたなら……。 もし帰ってきて窓が開いているのを見付ける事が出来ていたなら……。 もし……ならば……。 そう考え出したらきりが無い。極端な事を言えば、もし浩平がプーを拾わな かったらこんな辛い思いをする事も無かったのだ。 もっともプーとの出会いが無かったなら、今までの出来事がそれこそ夢か幻 のように最初からこの現実に何も存在しなかった事になるが。 今の浩平の状態では、『もしプーと出会わなかったら』などという考えが及 び付くはずも無かった。たとえそう思ったとしても、次の瞬間には即座に否定 していた事だろう。 ただプーが居なくなってしまった今、そんな事をいくら考えても無意味でし かなかった。どんなに戻って来て欲しいと願っても、こちらから一方的に待っ ているだけではもう二度とプーと巡り合う事はないのだから。 「……まだだ」 そして、プーを失ったと知って半ば放心状態に陥っていた浩平は、ようやく その事に気付いた。今は自分から行動を起さなければならない時なのだと……。 「俺はまだ諦めないからな!」 果たして、プーの事を諦めないという気持ちを蘇らせたのも、心を打ち続け ていた豪雨の音だったのだろうか。 開け放たれた窓の先――吸い込まれそうな闇に向かって、挫けそうな自分を 奮い立たせるようにそう言うと、浩平は再びプーをこの腕に抱き寄せる為に走 り出した……体も、そして心も……。 「はあっ、はあっ、はあっ……」 心臓が弾け飛びそうなほど鼓動が脈打っていた。 一歩足を踏み出す度に体がばらばらになりそうな感じだった。 既に体力は限界を超えているというのに、それでも浩平は走る事を止めよう としなかった。 雨は思ってたよりも激しく降っており、疾走する浩平の行く手を阻むかのよ うに絶え間なく体を打ち続ける。 傘は……差していない。 音子に貸したあの傘が、家にある最後の一本だったのだ。 それでも浩平はそのまま躊躇する事なく外に飛び出していた。当然数分もし ない内に全身ずぶ濡れになってしまったのだが、走り続けて目の中に入ってし まった水滴さえ拭おうともせず……それは、まるで最初から雨など降っていな いかのような振る舞いだった。 だが、浩平は一体何処に向かって走っているのだろうか……。 (俺は……一体どこに行けばいいんだ……) それは無意識に浮かんだ疑問。 もう体力の限界で走り歩きの状態になってしまっていたが、何かを考えるだ けの余力は僅かながら残っていた。 (……存在すべき場所、か) 傾き掛けた心に、ポッとほのかな光が灯るように存在していたのは、プーが 言っていたその言葉だった。 『存在すべき場所』 浩平の元から離れて行った直接の原因――プーは夢の中で、それは自分の在 るべき場所と言っていた。 そしてその場所とは……これはプーが直接言った訳ではないのだが、浩平も 知っている場所なのだという事を、夢の中の会話で確信していた。 ならば、何処を指し示しているのか……。 プーと出会って印象に残っている場所といえば自ずと限られてくる。それに 加えて夢での風景――浩平の思考回路は、体の疲れで何か考える事すら拒否す るようになっていたが、意識の中に映ったその風景だけはくっきりと脳裏に焼 き付いていた。 思えば家を飛び出した時から無我夢中で、心はずっと答えのある出口を求め て迷走していた。 しかし、体の方は最初から進むべき道を知っていて、両足はまるでその場所 へ引き寄せられるように真っ直ぐ向かっていたのだ。 「はあっ、はあっ、はあっ……」 家から走り続けた浩平の足は、ようやくそこで止まった。 肩を落とし、両手を膝に乗せて屈み込むように呼吸を整えようとする。 「この場所は……」 ようやく苦しさが和らいで、顔を上げたその先にあったものは……夢で見た 場所と同じ、プーを拾ったあの公園。 しかも、夢の中で立っていた位置と全く同じ所から見える光景だったのだ。 「ここが……この場所が、プーの存在すべき場所なのか?」 自分に問い掛けるように、一歩、公園内に足を踏み入れた。 本当にこの場所なんだろうか……。 浩平は、さらに激しく降り注ぐ雨がそんな疑問を含ませて自分の身に伝えて いるかのように感じていた。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― どうも、こんにちは。 ……また間が開いてしまいました。終わりに近付くに連れてペースが落ちて 行くのはどういう事か(^^;)。 そして…予定は未定であり決定ではない、という言葉をよく聞きますが…… 残り話数が増えました(爆死)。 前話で残り3話と書きましたが、今回で残りあと3話になってしまいました。 また今回も1話分として書いていて、容量が多くなったので分割した……とい うのが増えた原因です。なので、次回は近い内に投稿出来ると思います。 ちなみに、今回は家に車庫かガレージが備わっていると想定して書きました が…浩平の家の背景CGってあったかな? 違っていたら済みません(^^;)。 最後に、ここまで読んで下さった方、感想を書いて下さった方、どうもあり がとうございましたm(_ _)m それでは……。