終わらない休日 第18話 投稿者: ひさ
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★これまでのあらすじ
 折原浩平は、その日一匹の猫と出会った。猫の名前は『プー』という。
 ニ連休の間に、この一人と一匹は確実に絆を深め合って行った。
 一緒に食事を取り、風呂に入り、同じ夢を見て二日目の朝を迎え、そしてず
っと行動を共にする事となった。
 出掛ける時も、幼馴染みの長森瑞佳に頼まれた猫の世話をしている時も、商
店街で買物をした時も……思えばいつもお互い近い所にいたのだ。
 しかし、そんな生活が突然の終わりを告げようとしていた。
 プーの夢の中で、プー自らが浩平との絆を断ち切ろうとしていた。それは何
故なのか? 納得の行かない浩平は、自分が不可思議な状況に置かれていると
いう事も忘れてプーに詰め寄る。
 そしてプーが放った言葉は……、

「わたしが存在すべき場所」 

 これが何を意味するのか理解できぬまま、浩平は闇を剥がすほどの強烈な光
に飲まれてしまう。
 ようやく光に眩んだ目が慣れて、開いた視界に入り込んできたものは……プ
ーと初めて出会った、あの公園の風景だった。
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 それは現実とは違う、何となくぼやけた――色鉛筆で限りなくリアルに描か
れたような……そんな感じの風景だった。
 それが浩平に、ここは夢なんだという事を改めて認識させていた。
 いつのまにか公園の入り口に立っていた浩平は、しばらくぼけっと辺りの様
子を眺めていたが、プーの姿が見えない事に気付くと慌てて公園内に入って探
し始めた。
(プーは……何処だ?)
 それでも、さほど広くないこの公園でプーを見付けるのはそれ程大変な事で
はなく、浩平は探し始めて数分も経たないうちに、脇に並んでいるベンチの一
つにちょこんと乗っかっているプーを発見していた。
 すたすたとプーの側まで近付いて、そしてじっと瞳の中の想いを覗こうと試
みる。
 しかし、ここがプーの夢であり浩平には何も自由にする事が出来ないせいも
あってか、その吸い込まれそうな瞳を直視し続けられなくなり、結局浩平の方
が先に目をそらしてしまった。
(どうして急にこんな景色に変わったんだ?)
 浩平はプーから目をそらした事の照れ隠しに、公園の周りをぐるりと見渡し
ながら独り言のように、だが声はしっかりプーに向けて呟く。
(昨日の家の前と同じで、わたしの心に中にこの公園風景が強く残されていた
からかもしれないわ。やむなく捨てられ、そして浩平と初めて出会う事になっ
た場所だから。……でも、詳しい事はわたしにも分からない)
(分からない? 自分の夢なのにか?)
(自分の夢だからって、何でも自由に支配出来るものではないわ。大体、今の
この状況だって相当変なのよ?)
(まあ、確かにそうだな……)
 夢というのは、本来ひどく曖昧であやふやなものだと浩平は思っている。
 その考えからすると、こうして意識がはっきりしている事だけでも夢とはお
よそ掛け離れたものだった。
 しかし、この靄のかかったような景色、そして何より意識の中で猫のプーと
話せるという事こそ、これが夢での出来事だという事を物語っていた。
 その時浩平は、ふと忘れていたある事を思い返してプーに話し掛けた。
(もしかして、おまえがさっき言った「存在すべき場所」というのと関係ある
のか?)
(…………)
(……なあプー。その事、詳しく説明してくんないか)
 今度は真っ直ぐに問い掛けた浩平の瞳から、プーが目をそらして首を前屈み
に傾けてしまった。
 無言のプーに追い討ちを掛けるようで浩平は少し心が痛んだが、事実を知る
為にはここで引くわけにいかなかった。
 今日の夢では浩平にしてもプーにしても、とにかく沈黙する事が多い。
 お互いそれだけ、今回はいい加減な言葉で済ます事が出来ないと思っている
のかもしれない。
 今のプーのように――浩平はプーを引き止めようと、そしてプーは浩平に納
得してもらいたいと、相手に送る言葉を慎重に選んでいるのだ。
 やがて、伝えるべき言葉が見つかったのか、顔を上げたプーの表情は何かを
決意したかのように見えた。どうやら全てを語るつもりらしい。
 浩平は、それを迎え撃つ感じで一字一句聞き漏らすまいと神経を集中させる。
 お互いの視線が絡み合った時、プーは浩平の意識に向けて静かに言葉を解き
放った。 
 (ねえ浩平……猫ってね、誰もが生まれた時から自分の居場所を求めている
って事、知ってる?)
(……いいや)
 おそらく人間に猫の事情など、そうそう理解できるものではないだろう。
 よっぽど長く共に暮らしているか、あるいは今の浩平のように夢で猫と語り
合えるような奇跡でも起こらない限りは……。
 その浩平でさえ、プーと話したといっても猫の事についてはほんの一端しか
垣間見ていないのに、いきなり居場所がどうのこうのと問われても解かるはず
がなかった。
 しかし、プーが浩平のもとから去ろうとしている理由とその事がどう関連し
ているのだろうか――そんな事を考えていると、またプーの声が頭の中に響い
てきた。
(その居場所――自分の存在すべき場所というのはね、生まれた時から決まっ
ているの。そしてわたし達猫というのは、一生かけてその在り処を捜し求めて
生きているのよ)
(プーは、もう見付けたのか? 自分の居場所を……)
 浩平の言葉を聞いたプーは無言でコクリと頷いた。
 そして、その問い掛けが愚問だったという事は、浩平自身が一番よく分かっ
ていた。
 プーは自分の存在すべき場所があるからこそ、浩平のもとから離れて行こう
としてるのではないか。
(その居場所って、何処なんだ?)
(それは……言えない。言えばきっと浩平はわたしを探そうとするもの)
(ってことは、俺の知ってる場所なんだな?)
(…………)
 プーの沈黙は、浩平の言葉を肯定しているという事だった。
 昨日初めてプーと出会ってから、浩平が知っていて印象に残っている場所と
いえば、おのずと限られてくる。
 しかしプーの様子を見ていると、うっかり口を滑らせたようにはとても思え
なかった。それよりも、むしろ浩平に知ってもらいたいという感情が込められ
ていたような気さえする。
 浩平の前から消え去ろうとしているのに、自分の居場所を教えるような素振
りを見せてみたり――事実を聞かされているはずが、いよいよ浩平にはプーの
気持ちが解からなくなってきていた。
 その心の揺らぎは、居場所へ行きたいが浩平と別れる踏ん切りもつかないと
いう、プーの葛藤を示しているというのに……。
(俺は納得できないぞ……。どうして出て行かなきゃならないんだ。この家を
新しい居場所にすればいいだろ?)
 そんな懇願にも似た言葉も、ただプーの首を左右に振らせるだけだった。
 ここまで頑なに浩平の引止めを拒絶するいう事は、既にプーの心は決まって
いるのかもしれない。
 ……どうして生まれた時から定められてしまった自分の居場所を、運命に従
い探し求めなければらないというのだろうか……そんな風に考えてしまうと、
どうしても浩平にはプーの気持ちが受け入れられないのだ。
 ベンチの前で立ち尽くしたまま俯き、唇をぐっと噛み締めた浩平は、もうど
んな言葉を掛けてもプーを引き止める事は叶わないのか? と自問しつつ、ど
うしようもない絶望感を感じていた。
 そんな浩平の様子をプーはじっと見続けていた。その間、一体どんな思いを
巡らせていたのか……。
 やがてプーは、一時途切れさせていた言葉を再び浩平に向けた。
(……野良猫ってね、人間の目には捨てられたりした成れの果てに見えて可哀
相に映るかもしれないけど……それが彼、彼女達の居場所だという場合もある
の。一生で居場所を見つけられた猫は、野良猫だろうと飼い猫だろうとそれだ
けで幸せなのよ)
(……俺には、とてもそんな風には思えない。野良猫が幸せだなんて……。捨
てられたんだぞ、俺達人間にだ。そいつらが人間を憎む事はあっても幸せを感
じられる訳がないだろ) 
 いきなり何を言い出すのだろうと浩平は思ったが、それは猫の居場所の意味
を伝えるための言葉だという事にすぐ気付いていた。
 だが、やはりそれを受け入れる事はどうしても出来なかった。
 これが人間の猫の、見解の相違というものなのだろうか……。
(わたしはね、ずっと居場所というものを考えていた。それは自分で探すもの
ではなく、巡り合わせによって見付ける事ができるものだというのを最近にな
って知ったわ。そして……ようやくその居場所を見付ける事ができた。いいえ、
正確にはそこがわたしの居場所だという事が解かるようになった)
 その言葉からは、ようやく自分の居場所を見つけることが出来たという苦労
と、一生かけて捜し求めるという目的を達成した安堵というものが溢れんばか
りに感じられた。  
 プーは、浩平がその事を認められず首を振って反論するのを目の当たりにし
ても、それでも構わず話を続ける。
(理解してもらおうとは思わない……でも、浩平にはわかってほしいの。わた
しが自分の居場所を見つけられた時の嬉しさを。たとえこれまでより生きる事
が困難になったとしても……わたしはわたしの居場所で生きて行きたい)
 何があっても揺らぐ事のない信念――浩平は、もうプーに向かって何の言葉
を吐いても無意味だという事を思い知らされた。
(……行くなよ)
 それでも引き止める事をやめなかった。
 浩平には音子との大きな約束があるからだ。
 しかし……かろうじて言葉となったのは、力無いその一言だけだった。
(もうすぐ夢が覚めてしまうわ。今度こそ、本当に……)
 プーのその言葉を聞いた瞬間、浩平の意識が急速に沈み始めた。
 今までハッキリしていたものが、夢の中なのにどんどん眠気が増すように、
全てぼやけて認識が出来なくなってゆく……夢の終わりが来たのだ。
(くそっ! 待てよっ、プー! 行くな!!)
 それは、昨日と全く同じだった。
 離れて行くプーを必死に追いかけようとしても、見えない壁に阻まれてどう
してもそこから先に進む事が出来ない。
 あの時、本当は夢から覚めたら居なくなってるはずだったプーが現実に戻っ
ても浩平の側に留まったのは、音子と――本当の飼い主である少女と出会える
予感があったからだった。
 しかし二度目はない。プーはそう浩平にはっきりと告げたのだ。
 次に目覚めた時……それはプーとの決別を意味していた。 
(待ってくれよ……俺は、まだ、何にもプーの事を知らないんだ。もっと教え
てくれよ、おまえの事……もっともっと聞かせてくれよっ!!)
 遠ざかって行くプーを、ただ目で追う事しか出来ない浩平は、見えない壁に
両手の拳を叩き付けながら激昂した。
 夢の中にあって、拳を叩き付けた所で痛くも何とも無いのだが、何故か叩け
ば叩くほど心がズキズキと痛んでしまう。
(くそっ、どうしてこれ以上行けないんだ! 何でもいい……一言でも、何か
答えてくれ……)
 どんどん開くプーとの距離をどうする事も出来ないまま、浩平はその場でが
っくりと膝を落として、小さくなって行くプーを虚ろな眼差しで追い掛けるだ
けだった。
 結局、どんなに必死になって叫んでみても浩平の言葉が届く事は無く、プー
も一度としてこちらに目を向ける事は無かった。

 やがて……夢の中での浩平の意識は、完全に閉ざされようとしていた。

 ふと、その刹那。
 意識から消えかける風景の中で。
 ほんの一瞬プーがこちらを振り向いたのが視界に入る。
 そして浩平の頭の中に、おそらく最後であろうプーの言葉が響いた。
 たった一言……、



(さよなら……)



 と……。


 …………………………

 
「プーーーーーーーーーーーーっ!!」
 現実に舞い戻った浩平は、その事がまだ分からず夢の中での出来事を引きず
ったまま、プーの名前を叫んでいた。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
 荒い息を吐きつつ、それでも徐々に意識が浮上してくるのを感じる。
 気が付くと、寝る前は夕暮れ時でまだ明るかった部屋がもう日が落ちてしま
ったらしく、真っ暗で何も見えなくなっていた。
 全身が汗でびっしょり濡れているのを何となく気持ち悪いと思いつつ、浩平
は眠気を払えずしばし呆然となりながら、ベッドから上半身だけ起した格好の
まま固まってしまった。
「俺は……」
 ゆっくりと、噛み締めるように状況を理解しようとしていた浩平の頭から、
暗闇に目が慣れるのと同じくらいのスピードで、霧のようなもやもやが取り除
かれて行く。
 そして……薄闇の中でも部屋の様子が完全に見渡せるようになった時、不意
に意識は覚醒した。
「……っ!! プーはっ!?」
 慌ててベッドから跳ね起きた浩平は部屋の電気を点けてプーの姿を確認しよ
うとしたが、眠る前は確かにベッドの脇で横になっていたのに、今見渡せる範
囲内では何処にも見当たらない。
 それから机の下も、ベッドの下の隙間も、クローゼットの中も……部屋に猫
一匹が隠れられ得るありとあらゆる場所を調べ尽くしたが、遂にプーの姿を見
付ける事は出来なかった。
「……嘘だろ」
 浩平の頭に夢での出来事の全てが一瞬にして駆け巡り、プーが放った最後の
一言が大きく、重く響き渡っていた。
「くそっ!」
 吐き捨てる様に舌打ちして、今度は一階を探すべく転げ落ちるように階段を
駆け下りた。
 もし朝家を出た時と変わらぬ状況なら、外出前に家中の全ての鍵を浩平自身
が掛けたはずなので、どの窓や扉からも外に出れる訳がないのだ。
 その事実だけが、ともすれば夢の衝撃があまりにも大きすぎて探す事を挫折
しそうになってしまう浩平の気持ちの支えでもあった。
 しかし、台所にリビング、その他の各部屋、果ては浴室にトイレと、おおよ
そ居そうにない場所も含めて家中隅から隅までプーの姿を求め探し回ったが、
やはり見付ける事は叶わなかった。
「消えた!? いや、そんな馬鹿な事……」
 ……あるわけない。
 浩平はそう心の中で続けたが、声にならなかったのは完全に否定し切れない
証拠でもあった。
 そんな風に思ってしまうのは、夢の中での出来事が尾を引いているのからな
のか……。
 どんなに不可思議な体験だったとしても、それが夢なら夢だと思えば、受け
入れられない事も簡単に逃げに走る事が出来る。
 だが今の浩平は、現実に戻ってきても夢から逃げる事が出来ないでいた。そ
れは、プーとの別れがあまりに突然で衝撃的だったからなのかもしれない。
 冷静に考えれば――この世界において人間、あるいは動物や植物……生を受
けた全てのものが、何の前触れもなくその場から消失してしまうなんてあり得
ない事だとすぐにでも分かりそうなものだが。
 これだけ探して、戸締りの完璧なこの家の中で見付からないとなると、そん
な風に考えてしまう浩平の気持ちも頷けるが、それこそ現実から目を逸らした
『逃げ』だと言う事に果たして気付いているだろうか……。


 これ以上一階でやることが無くなった浩平は、重い足を引きずりながら階段
を昇り、再び自分の部屋に戻った。
 プーは一体どこに居るのだろうか……。
 浩平は為す術が無く途方に暮れてしまい、ベッドに腰掛けたまま動く事が出
来なくなってしまっていた。
「どこ行っちまったんだよ……」
 組んだ両手に額を乗せて、まるで祈るような格好になりながら、声として認
識出来ないほど微かな呟きを漏らす。
 そして、どうすればプーを探し当てる事が出来るのか、再び巡り会う事が出
来るのか……目を閉じてじっと考え始めようとしたその瞬間、

 部屋の中に……風が舞った。

「…………!!」
 その風――注意してなければ分からないような、ほんの僅かな風を頬に感じ
た浩平は、急にベッドから身を起すと素早く窓に近寄り乱暴に閉まっていたカ
ーテンを開け放った。
「なっ……!?」
 その目の前に存在する光景が信じられないといった面持ちで、半ば茫然自失
となってカーテンの端を握ったままその場に立ち尽くしてしまった。
 窓が……開いていたのだ。
 この事実が全てを物語っていた。プーが消失してしまったように感じられた
のも、そしてどれだけこの家を探しても見付ける事が出来なかった理由も……。
「くそっ! プー……何で、何でだよっ!!」
 浩平は思いっきり拳を壁に叩きつけた。同じ行動をとって何も感じなかった
夢の時とは違い、拳にジンジンと鈍い痛みが走り、そこから衝撃が全身を駆け
巡った。
 しかし、その痛みを全く気にしていない――あるいは無理矢理痛みを無視し
ようとしているような様子で、まず間違い無くここからプーが去って行ったで
あろう窓の外を見据えた。
 ずっと見ていると吸い込まれそうになるような、深淵の闇……。
 その先は近所の家々に灯る光だけが確認出来るだけで、あとは目を凝らして
も何も見えない本当の闇が広がっているだけだった。

 そして、気が付くと外の雨は一層激しさを増して強く降り続いていた。

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 どうも、こんばんは。

 浩平君は本編だけで手一杯なので、今回からあらすじ降板です(^^;)。

 話の内容はどんどん重く、暗くなってきていますが、それに比例してキーボ
ードを叩く指も重く、話が全然進まない……と暗くなりがちな今日この頃(^^;)。
 私は自分で猫を飼ってるわけではないのですが、仕事場で猫が飼われてるん
です……7匹も(爆)。 なので観察には事欠かかなくて、この物語の猫の仕種な
どはそこから参考にさせてもらったりしてます。
 今回は、猫の気持ちがこんな風に分かる事が出来たら…という思いで書いて
みました。実際にはこんな事なんてあり得ないでしょうけどね(^^;;)。

 どうやら目標にしていた座談会までに終わらせる、というのは達成できなさ
そうですが……残りあと3話、頑張って書いて完結に向かわせたいです。

 ここまで読んで下さった方、感想書いて下さった方、どうもありがとうござ
いましたm(_ _)m

 それでは…。