終わらない休日 第6話 投稿者: ひさ
浩平は家の中に入って玄関のドアを閉めると、真っ先にずっと抱いていたプーを
自由の身にさせる為、ゆっくりと床に下ろした。プー自身が結構成長している猫
なので、帰りに長時間抱きっぱなしだった浩平の両腕は、実はいいかげんだるく
なってきていたのだった。
疲れを和らげる為、軽くなった両腕をぶらぶらさせながら、浩平は久々に四足が
地に付いたプーの行動をしばらく眺めていた。物珍しそうに、ゆっくり進んで
また立ち止まり廊下の回りをきょろきょろ見てはまた再び歩を進める――そんな
感じで少しずつ家の中へと入って行く。
やがて浩平もようやく靴を脱いで家の中に上がると、プーの後についてゆっくりと
部屋を目指す。歩を進める度、自分の部屋が近付く度に身体の力が抜けてリラッ
クスしてゆくのを感じる。おまけに一日中の疲れまで和らいでくる――本当は
そんな気がするだけで、今も倒れそうな程疲労しているのだが――というのも
不思議のものだ。やはり帰るべき場所が存在するのは、それだけで幸せな事なのかも
かもしれない。
プーはあの公園にやむなく捨てられ、帰るべき場所を失ったその時、一体どんな思い
だったのだろう……。浩平は、プーの後ろ姿を見てふとそんな事を考えていたが、
その答えは多分プーにしか分からないだろう。でもきっと泣いていたんだ、誰かの
温もりが欲しかった……そうとしか浩平には思えなかった。だからこそ見付けた時
まるで引き寄せられるかのように拾ってしまった――こいつに呼ばれているかのように。
最初はその気は全くなかったのだが、結果として自宅に連れて来る事になったプーに、
束の間だけでも帰るべき場所を与える事が出来たのだろうか?
「せめてこの家に居る間だけでも……」
微かな声は、最後の方がかすれ気味でたちまち掻き消えたしまったが、浩平は、
せめてここに住む間はプーに温もりを与えてやりたかった。
「にゃあ?」
いつのまにか立ち止って首だけこちらを向けたプーは、『どうしたの?』といった
風に一声鳴いていた。浩平は苦笑しながら近付いて行ったが、
「ああっ、プーおまえっ……」
浩平が突然大声を上げたのは、その時プーが通った後の廊下の様子に気付いたから
だった。その声にプーは全身をびくっと震わせ、奥の部屋に駆けて行ってしまった。
「あっ、ちょっと待て!」
プーを追う為、慌てて奥へと駆け込んだ浩平の後には、廊下に付いたプーの汚れた足跡
だけがくっきりと残っていた。


「にゃあ〜ん」
「あら?どうしたの、プーちゃん。お腹空いたのかな?」
いきなり台所に紛れ込んできたプーの鳴き声を聞いて、その存在を確認した由起子は
そんな風に問い掛けていた。自然にそんな対応をしている自分が何だか奇妙な感じが
して、由起子は口元に思わず笑みを浮かべてしまった。
「ふふっ、ご飯ならもうちょっと待っててね。でもその前に……」
「ったく、あんなに廊下汚して……っと、由起子さん、プーは……あ、こんな所に」
由起子が言い終わる前に、浩平が台所に入ってきたので途中で言葉が途切れてしまった。
プーはテーブルの下で自分を探しに来た浩平をじーっと見つめていたが、やがてそれに
気付いた浩平の前に渋々顔を出した。
「……その前に、体をきれいにした方が良さそうね」
由起子は独り言のように続きの言葉を呟いた。それを聞いた浩平はようやくプーを抱き
留めると、やがて何か思い付いたように話し掛けた。
「そうだ。由起子さん、さっきプー抱いた時に服汚れなかった?」
そう言いながら、浩平は自分の服の両端を持って由起子に汚れをはっきり見せていた。
「う〜ん、すぐに着替えちゃったから分からないけど……プーちゃん大分汚れてるみたいねぇ」
「そうなんだよ。それで廊下もこいつの足跡で汚れちゃってさ」
「だったら、廊下は私が拭いとくから浩平はご飯の前にお風呂に入ったら?プーちゃんとね」
「え?」
浩平がそんな驚きの声を出したのは、猫と風呂に入る事に抵抗を感じたのもそうだが、
いつもほとんどシャワーで済ませる由起子が、既に風呂を焚いていたという事がなにより
の理由だった。浩平も普段はシャワーなのであまり風呂に入るという事が無かったから、
何となく帰ってすぐ風呂に入れるという事に実感が湧かなかった。
「珍しいね、家の風呂が沸いてるのってさ」
「まあ、たまに早く帰れた日くらいのんびりと湯船に浸かりたいからね。浩平も面倒臭がって
シャワーだけで済ませないで、ちゃんとお風呂に入った方がいいわよ」
「うん、わかってるって。とにかく俺、プーと風呂に入ってくる」
何だか説教じみてきたので、浩平はプーを抱えてさっさと風呂場に向かう事にした。
本当は別に毎日シャワーだろうと一向に構わないのだが、たまにはのんびりしたいという
由起子のそういう気持ちも浩平にはよく分かっていた。裏を返せばそれだけ叔母の仕事が
とても忙しい、という事なのだから。
「大変だよなぁ、由起子さん……」
風呂場に行く途中、浩平はちらりと台所の方に目を向けてポツリとそんな言葉を漏らした。


「……で、どうやってこいつを洗えばいいんだ?」
「ふにゃぁ〜〜ん」
湯船を前に全裸になってプーを抱えながらその言葉を発した浩平の姿は、はっきり言って
かなり間抜けたものだった。プーはといえば、全身で『嫌だ』と表現しているかのように、
浩平の抱える両手から逃れようとじたばたもがいていた。
「こ、こらっ!おとなしくしろって」
「うにゃぁ〜〜〜ん」
風呂場の戸は閉めたので、また逃げられる心配はなくなったが、浩平は両手でしっかり
持ち直そうと必死になっている。しかし、更にもがくプーを放してしまうのは、もはや
時間の問題だった。
「お、おいっ。あんまり暴れると……痛っ、あっ!」

どっぼーーーーーーん!

最後の抵抗として、遂に自らの武器である爪を浩平に立てたプーだったが、その行為は
見事なまでに裏目に出る羽目になってしまった。手を引っ掛かれた浩平は、少しの痛み
と驚きとでプーを浴槽の方へ半ば放り投げるように手放してしまったのだった。
「あ……お、おいプー!だ、大丈夫か!?」
まさかダイレクトで浴槽に落ちてしまうとは思わなかった浩平は、慌てて浴槽からプーを
引き上げていた。全身の毛に水分を含んだプーは、全体的に少し縮んだような感じがした。
「ふにゃあ〜〜」
浩平の手でようやく難を逃れたプーは、力の抜けた情けない声を上げた。だが、どうすれば
いいのか悩んでいた浩平にとっては、幸いにもプーの体は洗うのに丁度よい濡れ具合
になっていた。
「丁度いいや、このまま洗っちまおう」
浩平はすぐさまボディソープを手にとって両手で泡立てる。そしてそのままプーの体に
直接掌で撫でるように擦り付けながら全体を洗ってゆく。プーはもう観念したのか、
さっきまで暴れてたのが嘘のようにじっとおとなしく、されるがままになっていた。
「でも、人間の使うものを猫に使って大丈夫なもんかな……ま、いっか」
洗ってる最中にそんな事を考えた浩平だったが、それは結局些細な問題だったらしい。
浩平は、全身泡だらけで真っ白な奇妙な姿になっているプーに勢いよくシャワーを浴びせ
かけてやった。
「にゃぁぁぁ〜」
そのいきなりの水圧にはさすがに堪えたのか、おとなしくしていたプーは再びそれから
逃げる様にあたふたと右往左往しながら、そんな間延びした声を上げていた。
やがて全身の泡が取れて、元の白地に黒の染み――牛を連想させるその模様が浮かび
上がってきた。そして浩平はシャワーを止めると、予め用意していた乾いたタオルで
丁寧に全身の水分をふき取ってやる。
「はぁ〜、やっときれいになったな。さてと……」
今度は自分の番だ、とばかりにごしごしと手早く全身を洗った浩平は、最後に頭を洗って
勢いよく湯船の中に潜り込んだ。
「ふーーーーっ、生き返るな〜」
まるで今日一日の疲れを全て吐き出すかのように、浩平は大きく息を吐いていた。しかし、
どうして湯船に浸かった時って余計な言葉が出てしまうんだろう……などと思ったりもした
が、体がお湯の中に溶けてしまいそうな心地よさに、もう何か考える事さえ億劫になっていた。

「………………」

「………………………」

「…………………………………」

「……にゃん」
「……ん……あ!やべっ、寝ちまうとこだった……」
夢の中へ入り掛けていた浩平は、プーのそのひと鳴きで現実に引き戻されていた。
「よしっ、そろそろ上がるか」
心身共に十分温まる事がが出来た浩平は、入った時と同じく勢いよく湯船から出ると、
これもまた同じく、プーを両手で抱えて脱衣場に上がった。違うのは、プーがおとなしく
している事と、一人と一匹の体が綺麗になった事くらいか。
「こんなに風呂入って気持ち良かったのって……随分久しぶりかもな」
実際いつもほとんどシャワーなのだから、それはごく当たり前の感覚なのだが、やはりプー
と一緒だったという事が浩平をそういう思いにさせたのかもしれない。

ぐぅぅぅぅぅ〜

「……ナイスなタイミングだな、俺の腹」
着替えを済ませ、プーの体を念入りに拭いていると急に大きな腹の虫が聞こえてきた。
どうやら、浩平のお腹も丁度いい具合に空いてきていたようだ。
「にゃ〜ん」
「なんだ、おまえも腹減ったのか。今日は由起子さんが作ってるからな、期待していいぞ」
そう言いながらも腹の虫が鳴り止もうとしない浩平は、さっさとプーの体を拭き終えて、
足早に台所に直行した。もちろん、プーも足早にその後に続いた。



「食べるかしらねぇ」
「さあ、どうだろ」
「でも前の主食がキャットフードだったら食べないかも知れないわね」
「う〜ん、こいつ腹空かしてるみたいだから何でも食うと思うけど」
浩平と由起子の二人にまじまじと見つめられ、プーはたじろいでいた。目の前には、魚を
細かくほぐしてご飯に混ぜたものに味噌汁をぶっかけた、簡単に言えば『猫まんま』なる
ものが置かれていた。本当は由起子もキャットフードを上げたかったのだが、元々猫の
居ないこの家にそんな物があるはずもなく――そんなわけで、猫の和食(?)とも言うべき
ものを用意したのだが、ちゃんと食べてくれるかどうか不安だった。
「……にゃん」
すると、しばらくクンクンと匂いを嗅いでいたプーは、その鳴き声が『いただきます』と
いう合図の様に、どんぶり一杯に盛られた食事に手を付け出した。
「あ、食べたわ浩平」
「うん、美味そうに食ってる」
その後は食事がお気に召したのか、それとも腹と背中がくっつきそうなくらい空腹だったのか、
もう二人の視線など全く眼中にないと思わせるほど見事な食べっぷりだった。
「さ、私達も冷めないうちに食べましょ」
「それじゃ、いっただきまーす」
今日のメニューは、サンマの塩焼きに肉じゃが、そしてほうれん草のおひたしにきゅうりの
浅漬けと、浩平にとってはこれぞ和食の決定番とも言うべきものがずらりと食卓に並んでいた。
「はぁ〜、なんか久々に家庭の味ってやつを感じるなぁ」
「もう、なにしみじみ言ってんのよ」
真っ先にサンマを口に運んだ浩平は、思わず感嘆の呟きを漏らしてしまった。それを聞いた
由起子は照れたように苦笑している。
しかし料理の味もさることながら、以前はたしか洋食っぽいものばかりだったような気が
していたので、由起子が和食を作ったという事が浩平には意外だった。それに、最近は
コンビニ弁当や出前ばかりだったので、特にこういう家庭的な料理に飢えていたのだ。
まるで浩平の気持ちを見抜いたかのような今日の食事には、感動すら覚えたと言っても
言い過ぎではなかった。
「なぁに浩平。私がこんな料理を作るなんて意外だ、っていう風な顔して」
「へっ?い、いや、別に俺はそんな……」
どうやら由起子には見透かされていたらしい。図星を突かれた浩平は、あたふたするだけで
みっともない程取り乱してしまった。
「ふふっ、最近外食ばかりだったから私自身こういうのを食べたかったのよ。それに浩平も
似たような食生活してると思ったから、喜んでくれるかなって思ってね」
「由起子さん……」
「仕事忙しくって全然こういう事してあげらんないから、せめて時間に余裕のある時くらい
叔母らしい事してあげなくちゃ。私と浩平は家族なんだからね」
「…………」
そんなに気を使わなくてもいいのに……そう言いかけた言葉を、浩平は喉の奥に押し込んでいた。
なにも言う必要はない――由起子が与えてくれた家族の温もりに、わざわざ水を差すような
事はしたくないという思いからだった。それからしばらく、お互い沈黙したままだった――
プーは由起子からおかわりを貰って黙々と食べていた――が、そんな雰囲気は決して重苦しいもの
ではなく、むしろ浩平も由起子も静かな時の中で十分に『家族』の温もりを感じる事が出来ていた。
「なんだかしんみりしちゃったわね〜。あ、そうだ!プーちゃんと出会った時の話とか聞かせてよ」
「そうだなぁ、最初に見付けたのが近所の公園で……」
やがて由起子の方から話し掛けると、浩平はプーとの出会いやその後起こった出来事などを
いつのまにか熱心に話していた。それを好奇心と優しい眼差しで聞き入る由紀子……。
こうして、久しぶりに感じる事の出来た家族の団欒の時はあっという間に過ぎ去って行った。

「由起子さん、明日も仕事なのか?」
食事の後片付けを手伝って、満腹になって眠くなったのか、幸せそうな顔をしているプーを
抱き上げ台所を後にしようとした浩平は、思いついたように由起子に問い掛けていた。
「ええ。でも朝食くらい作って行ける余裕はあるわよ」
「それじゃ、明日の朝食も楽しみだな」
「朝はそんなたいしたもんじゃないわよ」
「いいんだよそれで。由起子さんが作ってくれるのが楽しみなんだから」
「浩平……」
「ごちそうさま、すっごく美味しかったよ」
「ふふ、ありがと」
「それじゃ、おやすみ」
「おやすみ、浩平。プーちゃんもね」
「にゃ〜ん」
浩平とプーは、由起子にそう言うと台所のドアを閉めて静かに二階へと上がって行った。
その階段を上る微かな足音を聞きながら、
「本当に、ありがとね……浩平」
由起子は浩平とプーが去って行ったドアの向こうを見据えるように、そんな呟きを漏らした。



ばふっ!

浩平は二階に上がって自分の部屋に入るなり、速攻でベッドの上に転がり込んだ。
もちろんプーを抱いたままだったので、思いっきり浩平の下敷きになってしまったプーは、
抗議の鳴き声を上げていた。
「うにゃ〜」
「あっ、悪い悪い」
そう言いながらも、浩平はしばらく心地よいベッドから起き上がれず、そのままの態勢に
なっていた。やがてプーから二回目の抗議の声が上がると、ようやく体を起こして開放
してやる事にした。ベッドからカーペットに降り立ったプーは、全身をブルブルッと震わせ、
やがて毛繕いなどを始めていた。
「あとは寝るだけか……ホントに長い一日だったな……」
そう呟きながら、いつもあまり役に立ってない目覚し時計を見ると、針は九時半丁度を
示していた。普段ならゲームをやったり、テレビを見たり、音楽を聴いたり、本を読んだり……
とにかく寝るにはまだ早すぎる時間だった。ましてや次の日が休みの今日などは、なおさら
こんな早くから眠るのでは、時間が勿体無い事以外のなにものでもなかったが、今日の浩平は、
とにかくすぐにでもぐっすり眠りたい気分だった。
「ほらプー、こいよ」
先にベッドに潜り込んだ浩平は、プーが入り易いように布団をめくり上げたが、一向に来ようと
しなかった。業を煮やして無理やり布団の中に引き摺り込もうとしても、すぐに逃げてしまう。
「ったく、来ないんだったら俺はもう寝るからな」
そう言って、プーに構わず部屋の電気を消した浩平は、さっさと眠りに着こうとしていた。

……………………………、

「んにゃ〜ん」
浩平が眠りに落ちかけた時になって、ようやくプーがごそごそと布団の中へ潜り込んできた。
腿の辺りにぴったりと寄り添い、まるまっているのが手探りで分かった。プーの温かな体温が
直に伝わってきて、布団の中は本当に心地よい雰囲気に包まれたように浩平は感じていた。
「おやすみ、プー……」
その呟きを最後に、浩平の意識は心地よい安らぎの中へ、深く静かに、そしてゆっくりと
沈んで行った。そしてそれは、長い一日がようやく終わりを告げた事を意味していた……。

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「すみません、長いです(^^;)」
つっこみ瑞佳:第1話の2倍以上あるよね。
「今回は今まで書いてきた中で最長かも。でも、これでやっと一日目が終わりました〜。
う〜ん、こんなに長くなるとはちと予想外だったなぁ」
つっこみ瑞佳:それは、いっつも行き当たりバッタリで書いてるからだよ。
「それは、まあ……確かに。ただ二日目は少し短くなるかもね」
つっこみ瑞佳:どうして?
「続きの展開がなかなか思い付かないから(爆)」
つっこみ瑞佳:……はぁ〜。
「それと、最近色々忙しくってしばらく感想書けなさそうです。ログ取ってあるので、
空いた時間に感想書いてますが今の状況だとおっつきそうにないです(^^;)」
つっこみ瑞佳:その分SSを頑張って書くんだよ。
「そだね」
つっこみ瑞佳:でも第7話は全然書けてないんだよね?
「はい、おっしゃる通りでございます」
つっこみ瑞佳:……さっさと書き始めるんだもーーーーーーん!!
「くっ、前回つっこみが不完全燃焼だったからってここぞとばかりに……」
つっこみ瑞佳:(満足顔で)それじゃあ、まただもんっ♪
「それでは、またなるべく近いうちに……」