もうひとつの繭の物語9 「君の声が聞こえなくなるまで」 1「ペットショップ」 ひとりだった。 ヒトが食事や身の回りの世話をしてくれるとはいえ、与えられている自由はあまりにも僅かで、ボクは格子のスリットの向こうに見える世界によく思いをはせていた。 そこにはボクやヒト以外の生き物もたくさんいた。 おいしそうな匂いも危険な匂いもたくさん。 ボクとは違いよく鳴く生き物もいたけど、ボクにはそいつらが何て言ってるのかも分からなかった。 ヒトの声もその他の声も、ボクには異世界の騒音にしか聞こえない。 ヒトにしろ他の生き物達にしろ、彼らに唯一共通する、そしてボクにとって意味のある事実は、彼らがボクの仲間ではないというその一点だけだった。 孤独であるというのは、それ自体特別辛いことではない。 ただ、孤独に慣れてしまうことによる言いようのない寂寥感が怖かった。 どこかにいるだろうボクの仲間も、僕と同じような思いを、抱いているのだろうか... それまでの日々はそれはそれで幸せだったのかもしれない。 安全と健康を約束された場所。 でも、ボクはその外の世界を望んだ。 願った。 そしてそれは思ったよりもあっけなく実現した。 2「君の視線」 君もひとりだった。 はじめ、ボクにはそれが不思議でならなかったけど。 ボクの身柄はヒトからヒトへ譲渡されたようだった。 そこにどんな付加条件や価値があるのかは知らない。 ただボクはボク自身がヒトの前では単なる"モノ"に過ぎないと再認識しただけだった。 しかし、それでも良かったと思っていた。 新しいボクの"所有者"がどんなヒトかは知らないけど、もしかしたらそこにはボクの望んだ世界があるかもしれない。 可能性が少しでもあればいい。 行けるチャンスさえあればどんな世界でも行ってやる。 そこは前とは打って変わって静かなところだった。 ヒトが二人。 他にはどんな鳴き声や匂いも感じられなかった。 ボクの新しい世界それ自体はあまりにもつまらなさそうな世界だった。 ヒトに見られることには慣れていた。 どんな状態でもそれが普通だと思えれば何の支障にもならない。 しかし、ここで感じる視線は以前のそれとは少し違っているように感じた。 それがどうしてかは分からなかった。 その視線の持ち主は二人いるヒトの小さい方だった。 そいつは毎日ボクの食事を持ってきては、じぃっとボクを見つめていた。 他のヒトのような長ったらしい声はほとんど出さなかったけど、たまに短い単語だけ発する。 なんて言ってるのかなんて分からない。 ボクが食事をしている時、排泄をしている時、体を舐めている時、狭いスペースの中を走り回っている時。 何が面白いのか分からないけど、ボクの身動き一つでそいつはこっちが笑ってしまうくらいにいろいろな表情を見せた。 睡眠から目を覚ますとそいつの顔がボクのすぐ目の前にあって、お互いひどく驚いたこともあった。 それまでのボクが知っていたヒトの像に沿わないそいつのおかげで、ボクのつまらなく孤独な生活も少しは救われたような気がしていた。 でも、そいつもそのうち飽きるだろうし、もしくはボクの方が慣れてしまうだろう。 所詮ヒトにとってボクは"モノ"でしかないし、ボクにとってヒトは"所有者"でしかないのだから。 3「手を伸ばせば届く距離」 ひとりはどこまで行ってもひとり。 ボクにとっても、君にとっても。 その日、ボクは格子の外に出ることを許された。 ボクを外に出したのは例の小さい方のヒトだった。 しかし、直にボクと対面しても、そいつはいつものようにただボクの行動を見ているだけだった。 そこにある空気は今までと変わるはずもないのに、少し外に出ただけで今までより多くの風を感じられるような気がした。 まさかボクがどこかへ行ってしまうなど考えてもいなかったのだろうか。 ボクがそこからなるべく離れようと走っても、そいつは間隔を空けて追いかけてくるだけでボクを捕まえようとはしなかった。 いつもそうだ。 そいつはボクに近づいてきてもボクに触れることはない。 ボクを怖がっている様子はなく、まるでどうやって触れたらいいかを全く知らないかのようだった。 なら、それはボクにとって好都合ではないか。 捕まらないのなら、それはすなわち自由だ。 走り回っているうちに、そこがまだ大きな建物の中に過ぎないことが分かった。 さらにそこから外に出ようとした時そいつが少し大きな声を出したようだけど、ボクは振り向くこともなかった。 どうせボクを捕まえられないんだから。 全く不自由だったわけでもないが、決して今に満足していたわけでもない。 手に届く自由があれば手を伸ばしてそれをつかみたいだけ。 4「探し物」 ボクは太陽のように君を照らすことも出来ない。 ボクは風のように君を包むことも出来ない。 眩しい光が体中を照らし、いつもと違う風を感じた時、ボクはどこか全く別の世界に入ってしまったような気がした。 頭の上には壁もなく青く突き抜けていて、そこに浮かぶ光を本能的に太陽だと感じた。 ボクを取り巻く空気は変わっていないように見えて、それでもどこか懐かしく優しい匂いがした。 光は眩しくも温かく、風は留まることなく遥か彼方から来てまた彼方へと流れていく。 ボクは無意識のうちに駆け出していた。 捕まるわけにはいかない。 ボクはボクの仲間を探し出してボクの世界に戻らなくちゃいけない。 いつまでもヒトの監視の元で生活しているわけにはいかない。 いつまでもヒトの視線を浴びながら生きていくのは御免だ。 逃げようはいくらでもあった。 黒い道はどこまでも続き、壁の隙間を抜ければまた新しい世界が広がる。 この道がいつかはボクの本当の世界につながるんじゃないかって本気で思った。 走れば走るほど広がる世界にボクは疲れも忘れてはしゃいでいた。 太陽が低くなればこの世界でも夜が訪れるらしい。 辺りが暗くなってきた頃、ボクの頭も落ち着いてきた。 この広い世界も前の世界も何も変わりはしないのではないか。 ボクはそろそろ気づき始めていた。 結局は同じ世界なんだと。 どこに行っても、どの風景の中にいても、それはヒトの世界だった。 ボクの仲間は誰もどこにもいない。 声が聞こえた。 頭より体が先に反応する。 短い単語を叫び続けているヒト。 どうしてそいつはいつもいつも同じ単語しか発さないんだろう。 他のヒトはもっといろんな言葉を長く続けて話すというのに。 でも、どんな言葉だろうとヒトの言葉なんてボクには分からない。 分かるはずがない。 声が近づいてきて、そいつの姿が見えた。 ずっとボクを探していたのだろうか。 どうして。 ボクと違って、探さなくても仲間に囲まれたヒトの世界にいるはずなのに。 どうしてヒトが仲間でもなんでもないこのボクをそんなに追いかけるんだろう。 どうしてボクも、今君に見つけてもらって良かったと思っているんだろう。 ボクの体は勝手に君の前に出ていっていた。 君がボクを見つけ、今までにないほどの笑顔を作った。 そしてまたいつもの単語をボクに向かって放つ。 ボクは初めてヒトの言葉を知りたいと思った。 ボクは君に向かって駆け出していた。 そのとき、急に横からの強烈な光がボクを照らす。 同時にけたたましい音。 君が悲痛な顔でボクに向かって叫ぶ。 突然襲ってきたあらゆる刺激にボクの体はすくんで動かなかった。 次の瞬間、ボクの体は巨大な鉄の固まりに跳ね飛ばされ宙を飛んでいた。 5「今ボクが思うたったひとつの世界」 ふたりはずっと平行線。 それは寂しいから少し傾きを変えてやる。 でも、一度交わった直線は離れていくだけで、もう二度と交わることはない。 今になってようやく君の言葉の意味が分かる。 もうただの抜け殻となったボクの体を抱いて泣く君。 その言葉はボクの名前。 君が呼んでいるのはボク。 ボクと君は同じだ。 同じようにひとりで仲間を探していただけだ。 でも、ボクは君の、君はボクの仲間にはなれない。 ボクが君を理解できても、そのとき君の目の前にいるのはボクの死骸でしかないだろう? そう、ボクの世界と君の世界は違う。 ヒトの世界にはボクの仲間は結局いなかったけど、ヒトの世界には君の仲間がたくさんいる。 ほら、少し顔を上げれば見えるはず、君の仲間そして君の世界が。 君が呼ぶボクの名前。 それはとても嬉しいんだけど、なんだかとても悲しいんだ。 その言葉が、涙と一緒でも、笑顔と一緒でも。 君が嬉しそうにボクの名前を呼んでも、ボクは君と一緒に笑えない。 君が泣きながらボクの名前を呼んでも、ボクは君を慰めてあげられない。 だからボクは望む。 君の世界を。 ボクでは不可能だった君の仲間がいる君の世界を。 その世界で君が生きていくことを。 ボクを呼ぶ君の声。 もしボクの声が君に届くのなら、 ありがとう、そしてさようなら。 そしてボクは願う。 いつまでも君がボクを仲間だと思い続けないように。 ボクは願う。 ボクの名前を呼ぶ君の声が聞こえなくなる、その時まで。 おわり 『君の声が聞こえなくなるまで』〜もうひとつの繭の物語9〜 (by 光夜じんB&ひろやん) あとがき 一応みゅー視点の繭SSです。 ただ文中に「繭」とか「みゅー」とかいう言葉は一つも出してないんで、かなり分かりづらいです。 会話文も一つも無いのでSSとしても本当に読みづらいと思います。 みゅーみゅー言ってるうちは大人にはなれんぞって言いたかっただけです。 読んでくださった方、お疲れさまでした。 そして読んでくださり、ありがとうございました。