みゅーが帰ってくる日1&2 投稿者: ひろやん
「今日は大事な話があるんだ」
 会うなりいきなり彼はそう言った。
 彼の方からそんな事を言ってくるのは珍しい。たいてい彼が話すのは奥さんの愚痴ばかりだし、大事な話を相談するのはいつも私の方なのに。
 でも、正直言ってすごく嬉しい。私も愚痴を聞いてあげる以外で、ちゃんと彼の役に立てるのだから。
「大事な話って…?」
 なるべく普通を装って聞き返す。こんな小さなことで喜ぶ女だとは思われなくないから。

   もうひとつの繭の物語・7
    『みゅーが帰ってくる日』

「ミュウ!ミュウ!」
 自分の家に帰るとバッグを放り投げてすぐに同居人のところへ駆け寄る。
「ミュウ!ねぇ、聞いてよ…って、あれ」
 同居人、って言っても人じゃないけど、ミュウはケージの中でお眠り中だった。
 ミュウ。このワンルームの部屋の私のルームメイト。真っ白な体に長い尻尾が自慢の彼は、フェレットという動物だ。ミュウは寝るのが大好きで、1日の大半を寝て過ごす。起きたら起きたで、やたら動き回るから、大変だけど退屈させない。ミュウは私の大事なパートナーだ。
「ま、いいや…でも、ミュウ。もうすぐ、新しい家に行くことになるからね」
 顔のにやけを隠せないままミュウに語る私。でも、ミュウはずっと寝てたけど。
 とうの昔の家族を捨てたはずの私が、こんな形でまた家族を持てるなんて…。あ、家族は今もいるけどね。ミュウが。

「お…おじゃまします」
 初めてこの家の敷居をまたぐ。彼の家。
「おいおい、ここはもう君の家でもあるんだから。もっと堂々と、な」
 そしてこの日、私はこの家の家族になった。

  第一話「『椎名』華穂になった日」

とてとてとて
 家の奥からかわいらしい足音が近づいてくる。それは急に止まると近くの部屋の中に隠れた。
「………」
 女の子。初対面だから仕方ないけど、柱の陰に隠れるようにしてじっとこっちを見ている。彼女が繭ちゃんなんだろう。彼の娘さんだ。
「…こんにちは、繭ちゃん。華穂といいます。よろしくね」
 優しく挨拶したつもりだったけど、繭ちゃんはじっとこっちを見てるだけで表情ひとつ変えない。彼から愛想の無い子だとは聞いていたけど、ここまでとは。
 そのとき、がたがたと手に持っていたカゴが鳴った。
 もう目を覚ましたのね。もう少し寝てると思ったけど。
「出してあげていいかしら?」
「ああ、その子もうちの家族の一員なんだしな」
 確認済みのことだけど、彼の言葉を聞いてやはりホッとする。
 カゴの蓋を少し開けてあげただけで、退屈でたまらないといった感じのミュウが飛び出した。でも、いつもと違う風景にさすがにちょっと戸惑ってるみたい。 
「ミュウ、今日からこの家で暮らすのよ」
 ミュウは私の言葉を聞いているのかいないのか、キョロキョロ辺りを見まわしている。
とてとてとて
 またかわいらしい足音が近づいてくる。
 ミュウに興味を持ったのだろう、繭ちゃんは少しの距離をとってミュウをじっと見ている。
「フェレットっていう動物で、名前はミュウ。仲良くしてやってね」
 私が言い終わる前に、ミュウの方が繭ちゃんに擦り寄っていった。繭ちゃんもミュウが怖くないと分かったのかミュウの体を持ち上げたりして遊び始めた。
「繭は動物が好きだからな」
「ミュウも繭ちゃんを気に入ったみたい。よかった」
 やがてミュウがこの家を探検するかのように走り出し、繭ちゃんもそれを追って走っていった。
「私、あなたの奥さんになったんですよね」
「ああ、それに繭の母親にもな」
 彼の言葉を今更のように聞きとめる。
 ああ、そうか。私、母親になったんだ…。

つ・づ・く

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  第二話「雨のち『雨』の日」

 新しい家、新しい家族、新しい生活。しかし、それらは思っていたものとは全く違うものだった。
「登校拒否?」
「学校からも連絡があって…だいぶ前から行ってないみたいです」
 彼の帰りはいつも遅く、夜遅くにする会話もこんなこと。
「…繭ちゃん、私に何も話してくれないから」
「そうなのか。学校の先生ともよく相談して対処してくれ」
 彼はそれ以上何も言わず、布団に入ってしまった。
パラパラパラパラ…
 雨が屋根に当たる音。いつから降っていたのだろうか。
「私、自信ない…」
 でも、彼は布団の中で動きもせず、「疲れてるんだ」とだけ言った。
パラパラパラパラ…
 雨の音…、だんだん大きくなっているように感じた。

 違う違う。
 こんな生活、こんな思いをするために私はここに来たんじゃない!
 私と彼は好きあって一緒になったんだ。奥さんと娘がいたってそんなの関係無いことじゃない。彼は奥さんと別れた。今は私が彼の奥さんなの。なのに…。
―疲れてるんだ―
 違う。彼は、そんな事言う人じゃなかった。

ペロッ
「きゃっ・・・あ、ミュウ…」
 目覚めるとミュウが私の顔のすぐそばにいた。私の顔を舐めて起こしてくれたんだ。でも、どうして寝室に…。
「みゅー?」
 繭ちゃんが部屋の外から中をうかがっていた。
「みゅー」
 繭ちゃんの呼び声に応じてミュウが彼女の元へ駆けていく。あの子がミュウをケージから出したのだろう。
 となりの布団に目を向けると、彼の姿は無かった。時計を見る。9:00。
「はぁ〜、寝坊だ…サイアク」
 もそもそと布団から出て服を着替える。繭ちゃん、今日も学校に行かないんだ。どうすればいいんだろう…。
 彼が寝ていた布団に目をやる。
「本当の父親母親がしてくれないと、私じゃ…」
 子供部屋の方から繭ちゃんの楽しそうな声が聞こえてくる。「みゅーみゅー」と私の親友の名前を呼ぶ声が。
「ちぇっ…ミュウもミュウだよ」
 こんな嫉妬は大人げないか。

 彼の話だと、前の奥さん、つまり繭ちゃんの実のお母さんは結構なキャリアウーマンだったそうだ。でも、そういうタイプの女性によくある、家庭の仕事は全くしないし、出来ない人だったらしい。ま、私と彼が付き合えてたのは、ある意味彼女がそんな女性だったおかげでもあるんだけど。でも、これじゃ…
 これじゃ、彼も前の奥さんと同じじゃない。

 今日も帰りの遅い彼を抜きにしての夕食。ミュウはお眠り中だから、私と繭ちゃんだけの二人きりの食事。いつものことだけど、この時間はなんか気まずくて辛い。この子は自分からはほとんど話をしないし、私も話し掛けづらくて黙ってしまう。
「繭ちゃん…来週からは学校に行こうね」
「…うん…」
 適当な呼びかけに適当な返事。昨日も一昨日もその前の日も、こんな会話だけしておいては、同じ毎日を繰り返している。彼女の目を見て話せない私。私の顔すら見てくれない彼女。
 そして、こんな毎日が繰り返される。ホント、嫌だな。

「…また、雨か…」
 パラパラと音を立てて雨が降っていた。嫌な音だ。
 そろそろ秋も深まってきた季節。夕方に雨が降ると冷え込んでくる。
 相変わらず学校に行かない繭ちゃんと、行かせる方法も思いつかない私のいつもの生活。今日もいつものように夕食の後片付けをしていると、珍しく彼がこんな早い時間に帰ってきた。
「どうしたんですか、今日はこんな早く」
「急だけど、明日から出張になった」
「出張、ですか」
 とりあえず彼の出張の支度を急ぐ。いつもは繭ちゃんが起きてる時間にも帰ってこないのに、たまに早く帰ってきたら、これ。でも、正直な話、彼がどこに行ってようと今の生活が変わることはないと思う。
 支度をしていると、急に肩が重くなった。ミュウが肩に乗ってきたのだ。作業の邪魔だけど、この重みが懐かしくてそのままにしてしまう。最近ミュウはずっと繭ちゃんと一緒にいるから。

「繭、お父さんは明日から出かけるけど、いい子にしてるんだぞ」
「うん」
 私が知る限りでも、彼と繭ちゃんが顔を合わせたのは数日ぶりだ。けど、繭ちゃんもやっぱりお父さんとはきちんと話が出来るようだ。当たり前のことなのに、なぜか悔しい。
「大丈夫だよな。繭は強いから」
「うん…ねぇ、おとうさん」
 繭ちゃんが彼の服の袖をきゅっと掴む。
「なんだ?繭」
「おかあさんはいつ帰ってくるの?」

 ああ、なんだ。そういうことなんだ。
 彼が私の方を見る。私は、ただ視線の先にいる女の子を見つめたまま、動けずにいた。
バラバラバラバラ…
 沈黙の時間のせいか、雨の音が強くなったように感じた。そして、その不快な音に共鳴するかのように私の頭がぐるぐる回り出した。
 そんな私の心を知ってか知らずか、まだ流れてはいない涙を拭うように、私の頬をミュウがペロッと舐めた。

つ・づ・く

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5ヶ月ぶりにSS書きました。
全3話ですが、最終話がちょっと長いので2回に分けることにします。
ギャグっぽいところは意図的に排除したので読みにくいかもしれません。
それと、この数ヶ月この掲示板を見ることが無かったので、もし前に同じようなSSがあったとしたらごめんなさい。