茜色の姉妹 第七章 「変遷 〜transition〜」
投稿者: 高砂蓬介  投稿日: 2月28日(月)23時25分
*前回までのあらすじ*
永遠の世界に消えた浩平を待ち続ける茜の前に現れた、茜の双子の妹を名乗る謎の少女、里村紅。
彼女の不可解な言動や行動に翻弄される茜は、次第に深く傷つくようになっていく。浩平によって正されたはずの過ちが、再び茜の中で膨らみはじめていた。
一方で、紅はなんの違和感もなく周囲の人間たちに受け入れられていく。
彼女は一体何を考えているのか?

では、本編です。

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たとえ一人の人間――個人と言い換えてもいい――がどんな悲しみや苦しみを抱えていても、恒例行事は滞りなく流れのままに行われるのが世の常というもので。
どれだけ真剣な、それこそ自分の命に関わるような問題が目の前にぶら下がっている人間に対してさえ、それを理解できない世界は馬鹿のひとつ覚えのように恒例行事を突きつけてくる。それをこなすことが実際どのような役に立つのか甚だ疑問であっても、とりあえずは『お約束』であるそれに取り組まねばならない。
理不尽である。
「だからこうやって途中でだれてくるのも無理からぬことなのよね、実際」
「それはちょっと違うと思うけど……」
図書室の机に突っ伏した紅の言葉に、瑞佳のツッコミが入った。
「だってえ……」
突っ伏したまま甘えた声を出す。最近ポニーテールから一本の長い三つ編みに変えた髪が、背中から滑り落ちた。
十二月も半ばに入り、期末試験の日程が下級生より早い三年生は既に試験一週間前。
茜と同様、得意教科と苦手教科の差が結構ある紅は、申し分なく平均的に得点をあげる瑞佳に助力を求めたのだった。ちなみに途中まで一緒に勉強をしていた詩子は奥の方で雑誌を読みふけっている。
とはいえ、人間の集中力なんぞ持続時間はたかが知れているものだ。
あっさり力尽きた紅をどうしたものかと瑞佳が思案していると、図書室の扉が開いて一人の少女が入ってきた。
蜂蜜色のお下げ髪に、緑色の瞳。ほかでもない、茜である。
茜は図書室の中に二人の姿を見つけると、いきなりきびすを返した。
「あ、待ってよ茜さん!」
「え? 茜?」
瑞佳と詩子が同時に立ち上がり、茜を引き留めようとした。机に突っ伏していた紅は顔を上げ、頬杖をついて面白そうになりゆきを見ている。
「……なんですか?」
「茜さんも期末の勉強に来たんでしょう? よかったら一緒にやろうよ」
「いえ、邪魔になりますから」
にべもない茜の返答にもめげず、二人は引き下がらない。
「そんなことないって。紅もそう思うでしょ?」
「ま、三人寄れば文殊の知恵っていうし。四人でもいいんじゃない?」
相変わらず頬杖をついたまま、三つ編みの先をくるくると指先でもてあそびながら答える紅。
「珍しいですね。あなたが私と一緒になにかをしたがるなんて」
「そお? どっちかって言うと姉さんの方が誘っても来ない方が多いと思うんだけどね」
お互いに牽制打を放ちつつ、目線を絡ませあう。火花を散らすような激しいものではなく、深く静かな精神戦の様相である。
「……わかりました。詩子、長森さん、よろしくお願いします」
「あたしにはお言葉なし?」
「言って欲しかったんですか?」
「別に。さ、お勉強お勉強っと」
四人は雑談に興じながら期末の勉強に取りかかった。途中から詩子と紅が使いものにならなくなったが、茜は久しぶりに友人たちと過ごす時間をそれなりに楽しんだ。
ただ胸の中に去来する寂しさは、如何ともし難かったが。


図書室での勉強を終わらせた紅と茜は、二人で家路についていた。詩子は帰る方向が違うし、瑞佳はまだ学校に用があったのである。
特に会話があるでもなく、二人はやや距離を置いて同じ道を歩いていく。
正直、茜はこれ以上歩みを進めるのが嫌だった。この先にはあの空き地――今や工事現場だが――がある。どうせ紅がまた意味の分からない因縁を付けてくるに決まっていた。
歩調を早め、紅との距離を引き離そうとする。が、後ろからついてくる足音も同時にペースをあげた。足早に工事現場の前を通り過ぎてしまおうとしたとき、背後の足音が早足から駆け足に変わった。
茜を追い越し、前に回り込んで振り返った紅が意地悪な笑みを浮かべる。
「ここって、なかなか工事はかどらないわよね。知ってた? 何かね、トラブルがあってこのまま工事の話が立ち消えになるかもしれないって話」
「……私には関係のないことです」
「嘘ね。ここであたしと話すのがそんなに嫌?」
「当たり前でしょう……!」
今さら何を言うのか。茜は思わず語気を強めた。
「そ。でもダメよ。これは姉さんの義務なんだから」
「わけの分からないことを……」
「わからないなら、なおさらね。義務はきちんと果たしてもらわなきゃ。なんなら贖罪って言い換えてもいいわよ」
「……どいて下さい」
茜は問答を諦め、紅を押しのけて先に進もうとした。紅はのらりくらりと茜をいなし、その歩みを進ませない。
「正直な話、ここじゃなくたっていいのよ。姉さんと話すのはね。でもここがいいの。わかる? ここがもっともふさわしいの。あたしたちがこのことについて話すのはね」
「やめて」
「嫌よ」
「もうやめて! 何が望みなの!? どこまで私を傷つければ気が済むんですか!?」
取り乱した茜がわめき散らす。その様を悠然と……しかしどこか狡猾さを含んだ瞳で見ながら、紅は言った。
「傷つけることが望みじゃないわ。でも必要なの。あんたのことなんかどうでもいいけど、厄介事は早めに片さないと瑞佳や詩子までとばっちりを食うからね」
「なにが……」
「わからないなら、それもあんたの罪。だから、償ってもらうの」
言い放ち、紅は茜に背を向けた。


茜は不機嫌だった。
期末試験の結果は悪くなかった。苦手の英語がそれなりに高得点をあげたのは、瑞佳のおかげもあるかも知れない。得意の現国も、納得のいく内容だった。
にもかかわらず茜の心を騒がせるのは、紅の言葉に他ならない。
(罪? 私が何をしたって言うの)
いきなり現れて、容赦なく茜の心に楔を打ちこんでくる自称妹。
罪という言葉は彼女にこそ向けられるべきではないのか。
そんなことを考えながら悶々として昼休みの廊下を歩いていると、不意にそでを引っ張られる感触に気が付いた。
「……上月さん?」
『久しぶりなの』
浩平を通じて知り合った下級生は、いつもと変わらない明るい笑顔で茜の腕にぶら下がっている。
「今日は演劇部はないんですか?」
『試験中だからこれで帰りなの』
三年生はほかの学年より期末試験の日程が早い。試験休みを終えて学校にでてくる頃には、下級生の方が試験に入っているのだ。
「大変ですね」
『でも、これが終わればクリスマスなの』
「クリスマス……ですか」
ふと、去年のクリスマスを思い出してみる。ケーキ作りに挑んで玉砕した澪と浩平の姿が脳裏に浮かんできた。あのころはまだ、自分は司の幻影にとらわれていたのだ。
そして一年が経った今、今度は浩平の面影にすがっている自分がいる。
『どうしたの?』
そんな自虐の笑みにめざとく気付いた澪が心配そうにスケッチブックを掲げる。
「いえ、何でもありません。テスト、頑張って下さい」
その言葉に納得したか、澪は手を振りながら去っていった。
澪の背中に、言葉にならない問いを投げかける。
 あなたは今幸せですか?
 あなたにとっても大切だったはずの人がいなくなっているのに、あなたは幸せなんですか?
 あなたがあれほど懐いていた人を忘れて、幸せになれるんですか?
そんなことを考える自分が、また少し悲しかった。


「姉さんってば、聞いてるの?」
「聞いてますよ」
終業式の日、瑞佳や詩子(自分の終業式はどうしたのだろう?)と話し込んでいた紅が茜に話しかけてきた。なんとなくその笑顔が疎ましくて、わざと間をおいて答える。
「じゃ、決まりってことでいいわね。あたしはこれから澪呼んでくるから」
「どうぞ」
紅が企画したのは、去年のメンバーに瑞佳も加えたクリスマスパーティだった。夏に詩子と3人で山葉堂に行ったとき、今年は自分がケーキを焼くと言っていたが、どうやら本気でやるつもりらしい。
正直、気が進むわけではない。だからといって断ることもできなかった。浩平の家が会場だった前回と違い、今回は紅が勝手に会場を自分の家に指定したのだから。
「しけた顔してないで。クリスマスでしょ?」
「私はキリスト教徒じゃありません」
「本物のキリスト教徒が見たら怒るわよ、日本のクリスマスなんか」
紅のもっともな指摘に溜息をつき、茜は立ち上がった。
どのみち避けられないのなら、過ぎ去るのを待つまでだ。それなりに楽しめばいい。
半ば投げやりな茜の胸中に関わりなく、パーティーは動きだしつつあった。


「あはは〜澪ちゃん変な顔〜」
『なのなの〜っ』
酒の瓶が転がるリビングで、阿鼻叫喚の宴が繰り広げられている。
「ひっく、ぐすっ……私はね、猫なんだよ。猫の気持ちは……猫にしか分かんないんだも〜ん!」
「ごめんね瑞佳! ごめんね〜!」
『ごめんなの〜!』
意味不明の泣き上戸と化した瑞佳に、詩子と澪がひしと抱きついて号泣する。
「誰よ、こいつらに酒飲ませたの……」
「あなたでしょう」
一方で、さっきから相当量……少なくとも乱れまくっている三人が飲んだそれより大量のアルコールを摂取しながらいまだに正気を保っている里村姉妹はソファーの陰に避難して二次会を行っていた。
普段は緊張状態にある二人だが、アルコールが潤滑剤となったのか、いつものように無味乾燥な舌戦を繰り広げることもない。まあ、お互いにその気がないだけで二人の関係が改善されたわけではなかろうが。
「両親留守でほんっとによかったわ」
パウンドケーキの残りを肴に、ビールを傾けながら紅がつぶやいた。
「いれば、そもそもこんな事にはなってません」
「それもそっか」
ソファーの向こうの狂宴は、そろそろ限界に近づいていた。耳をすまさなければ聞き取れないほどかすかな澪の寝息を、詩子の遠慮のない寝息が覆い隠したをの確認して二人はソファーの陰から出た。
「うにょ……あ、里村さんズ……」
一人になって正気を取り戻したものの、まだ言葉が怪しげな瑞佳を休ませ、二人で片づけを済ませる。証拠隠滅まですべて終わってから澪と詩子を起こして三人を帰らせる頃には、日付の変わってしまいそうな時刻になっていた。
「今日は楽しかった?」
瑞佳たちを見送って玄関から戻る途中、紅が言った。
「……ええ」
少なくともそれは事実だ。自分の中にある寂しさに気付いてしまいさえしなければ、浩平のことを忘れた人間たちとのパーティーも悪くない。
「それは何よりね。私もお膳立てした甲斐があったってもんだわ」
「本当に、何を考えてるんですか?」
ついこの間茜を責めた口調からは想像もできない明るさで告げる妹(?)に、心底からの疑念をこめて尋ねる。
「さあね。……ってちょっと、そんな目で見ないでよ。あたしも、特に理由がわかってやってるわけじゃないし。結局のところ、自分がどういう理由で何をしてるかなんて把握ないことの方が多いんじゃない?」
自分が何をしているのかわからなくなっている……その感覚は茜にも理解できた。それ以上は問いつめても無駄と判断し、紅に先立って自室に戻る。
茜の姿が階段の向こうに消え、ドアを閉める音を聞いてから紅はリビングに入った。
ソファーにぼすっと倒れ込み、スプリングの感触を背中に受けながら大きくのびをする。煙草か濃いブラックのコーヒーが似合いそうな、ニヒルな笑みを浮かべる。
「理由? 言えるわけないじゃない。最後の晩餐だから、なんてね……」

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はい、なにやら不穏なセリフで次回へ続くわけですが。そのへんどうなんでしょうゲストの紅さん?
「いや、あんたが考えなさいよ。あたしの生みの親なんだし」
ぬう。こういうときだけ娘ヅラ。ところでなんで髪型変わったんだ?
「なんとなくよ。それこそ理由なんかないわ」
まあ、ポニーだといろんなとことかぶるしな。
「そゆこと。で? 次回は?」
うむ。いい加減次回からは本格的に話を動かす予定。だって今まで七話分ほとんど伏線張りに費やしてきたし。
「ちゃんとまとめなさいよね。頼むから」
ちゃんとまとめる、か。フフフ、良いんだな? よし、本人の承諾も得たしあれをこうしてここをこうして……
「あ、ヤな予感」
手遅れだな。今さら変えるつもりはないぞ。連載開始当初からきちんと終わらせ方は考えてあったんだから。
「始まりと終わりだけ考えるのってあんたの悪い癖よね」
ほっとけ。

次回投稿は「彼女の扉を開く者」の予定です。ではでは。