想い、貴女だけに…… 第四話  投稿者:高砂蓬介


【前回までのあらすじ】
浩平が消えてしまってから少し経った新学期。
仕事の都合で一人中崎町にとどまることになった留美のため、両親は一人のお手伝いさんを雇ったのでした。
しかしそれが間違いの始まり、なんとやってきたメイドさんは学校の後輩でしかもレズビアンな感じの雛森香苗ちゃんだったのです。
果たして留美の貞操は守られるのでしょうか?
っていうか、浩平の立場は?

では、本編です。

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夕日が街の向こうにその身を沈めようという黄昏どき、香苗は買い物かごを片手にぱたぱたと道を走っていた。夕飯の買い物に思いのほか時間を食ってしまったのだ。
「ああ、留美様怒ってらっしゃるかも……」
時計を持ち歩かないので正確な時間はわからないが、もう結構な時間のはずだった。
息を切らして住宅街の一角にある七瀬邸に辿り着く。ドアを開けようとするが、鍵がかかっていた。出かけるときには留美が家にいたので掛けなかったのだが、あとから留美が掛けたのだろうか。
留美の父親から預かっていた合い鍵でドアを開け、帰宅を告げる。
「ただいま戻りました。すぐにお夕飯の用意をいたしますから……留美様?」
なぜか、家の中に人の気配がない。玄関を上がってリビングを覗き込むが、もぬけのからだ。とりあえず台所に買ってきたものを下ろし、二階の留美の部屋の前に立った。
ひかえめにノックをする。
「もしもし、留美様? お留守ですか?」
返事はなかった。どうやら出掛けてしまったらしい。玄関の鍵がかかっていた理由はこれだったのだ。
とりあえず戻ってくる前に夕飯の準備をすませてしまおうと、再び一階に降りる。ふと、制服のブラウスが洗濯機の前に出されているのが目に入った。出掛ける前に着替えたのだろう。
なんとなく、そのブラウスを胸元に抱く。
「留美様……どこに行かれたのかしら?」
抱き上げたブラウスに問いかけるように、自問する。買い物に出掛ける前に見た主の姿は、わざわざ夕方に出掛けなければいけないような用事がありそうには見えなかった。友人と出掛けるなら、香苗が教室まで迎えにいったときにそう言うはずだ。
何か、他の事情。
「そうだわ、公園!」
突然頭の中にひらめいた考えが口をついて出る。初春のまだ肌寒い空気の中で、寂しそうな横顔で立ちつくすドレス姿の留美を遠くから眺めていたのを見つかり、思わず逃げ出してしまったことを思い出す。
待ち合わせでもしているのだろうかとそのときは思ったが、今日また同じ行動をとっているのなら事情が違う。
少しだけ名残惜しげにブラウスを放し、玄関に駆け戻る。食事の準備はこの際後回しだ。
すぐに主のもとにいかなければならない。そんな気がした。
メイド服を着たまま、靴をはくのももどかしげに香苗は七瀬邸を飛び出した。

木の葉が緑の色を取り戻しはじめた公園。
留美は遠くに見える噴水が緩急をつけて水を吹き出し続けるのを見るともなしに見ながら、ドレス姿でその場に立っていた。
浩平が消えて以来、一度も欠かしたことのない日課だった。さすがに雨の日はドレスが汚れるので普段着だったが。
この世界の人間すべてが浩平を覚えていないことに、留美はもう気が付いていた。考えてみれば、いなくなる前の数日、浩平の行動は少しおかしかったような気がする。そして最後の日、いきなり学校をさぼったと思ったらドレスを送りつけてきたのだ。
幸せに影を差す要素はいくらでもあった。にもかかわらず、それに気付くことができなかった。
恋人だったのに、彼の苦しみを察してやることができなかった。
だから自分はこんな所でいつまでも立ちつくしているのだろう。遅刻した気まぐれな王子様が、彼女を迎えに来てくれるのを待つために。
だが、彼女を迎えに来たのは別のものだった。
「はあっ、はあっ、留美様……っ!」
切れ切れの吐息に混ざって、やっと口にすることができたような声が自分を呼ぶ。こんな珍妙な呼び方で自分を呼ぶのはただ一人だ。
「……どうしたのよ? そんなにあわてて」
「買い物から戻ったら留美様がいなくて、ここにいるんじゃないかって……っ、思ったんです」
荒い吐息を無理に飲み込んで、メイド服の少女が言う。ショートボブの亜麻色の髪が、走ったせいで随分乱れていた。
「なんで?」
「なんとなくですけど」
「そうじゃなくて。どうして、こんなとこにくる必要があるのよ?」
言い方がきつかったかも知れない……留美がそんな後悔をするくらいには長い時間、香苗は沈黙していた。まだ息が荒い。かすかにメイド服の肩がふるえていた。
「……それも、なんとなくです」
息を整えて顔を上げた香苗は、もういつもの笑顔に戻っていた。
「もう、お戻りになられてはいかがですか? すぐにお夕飯の用意をいたしますから」
「そうね……」
なんとなく後ろめたい気分で、曖昧な答えを返す。その手の趣味は全くないが、自分への好意を隠そうともしない少女の前で浩平のことを考えながら立っているのはなぜか居心地が悪かった。
「留美様。何かお困りな事がおありでしたら、遠慮なくわたしにおっしゃって下さいね? わたし、留美様のためならなんだってしますから」
身長差があるため、こちらの顔を下から覗き込むような体勢で香苗が言う。キスを迫られているようなその状態から逃れるため、留美は一歩香苗から離れた。
「怖いこと言わないでよ。ほら、帰るわよ」
「あ、はいっ!」
ドレスとメイド服の二人が夕暮れの公園で深刻に話し込んでいる状態は、いくら何でも怪しすぎる。今のところ通行人の影はないが、万が一知り合いにでも見られたら最後だ。
「もっとも、もう手遅れなのかしら」
「え?」
「なんでもない。乙女の独り言」
ドレスの裾を踏まないように気をつけながら、留美は香苗を伴って公園を出た。

大急ぎで夕飯の準備をすませ、留美と共に食事を終えてから香苗は台所で食器を洗っていた。洗剤の泡がはじけては消えていく。何とも単調な作業だが、愛する女性の唇が触れたものを手ずから洗うことができるのはメイドの特権だ。
蛇口のお湯を止め、まくっていたメイド服のそでを元通りになおしてリビングに座り込む。留美は食事を追えたあと早々に部屋に引き上げた。ときどき妙にアレなデスメタル調の音楽が漏れだしてくるのは気にしないことにした。
することもなくぼんやりしていると、突然電話が鳴った。
「はい、七瀬でございます」
『わたしだ。雛森君だね』
「旦那様。もうお着きになられたのですか?」
かけてきたのは留美の父親だった。一応自分の雇用主と言うことになっている。
『ああ。やっとこ落ち着いたから電話をかけたんだよ。それで、留美は?』
「留美様はお部屋にいらっしゃいますわ。お取り次ぎいたしましょうか」
『頼むよ』
「では少々お待ち下さい」
保留ボタンを押し、受話器をもって二階へと上がる。留美の部屋をノックした。
「留美様、お父上からお電話です」
「父さんから? ちょっと待って」
部屋から漏れだしてきていた音楽が止まる。ドアを開けて出てきた留美はもうパジャマ姿だった。香苗は自分の頬が熱くなるのを自覚した。
「それではどうぞ。保留にしてありますから」
受話器を受け取った留美が部屋に引っ込む。話し終わるのを待とうかとも思ったが、出歯亀のような真似をするのも気が引けた。
「わたしは下にいますから、お話が終わりましたらお呼び下さい」
言い残して、階下に降りる。
また、ぼんやりとカーペットの上に座り込んだ。
(留美様は、どうして……)
公園に立つ留美の寂しそうな横顔が脳裏に浮かんだ。長い髪によく似合う、ミントグリーンのドレス。
その明るい色調とはミスマッチな主の瞳を思い出すたびに、胸が締め付けられるように痛む。愛しい人の、自分ではないなにかを見つめている瞳が、こんなにも心に突き刺さるものだったとは思いもしなかった。
二階からはかすかに留美の声が聞こえていたが、それはかえってこの場の静けさを際だたせるだけだった。静寂に耐えかねてテレビのスイッチを入れようとしたとき、ドアの開く音がした。
取り上げたリモコンをテーブルの上に戻し、階段へ向かう。ちょうど留美が降りてくるところだった。
「呼んでくだされば取りに伺いましたのに」
「気にしないで。父さんがあんたにも話があるって言うから」
受話器を受け取る。留美はきびすを返し、また部屋へと戻っていった。
リビングに戻り、保留のスイッチを切る。
「もしもし、お電話かわりました。それで、お話というのは?」
『ああ。留美のことなんだが』
「留美様の?」
カーペットに腰を下ろし、聞き返す。
『留美がこのところいつもドレス姿で出掛けているのは……』
「存じ上げております。今日もでした」
『なら話が早い。それで、理由は聞いたかね?』
「いえ」
受話器の向こうで留美の父親がため息をつくのが聞こえた。
『人を、待ってるんだそうだ。相手の名前は折原浩平というらしいんだが』
「折原さん……ですか?」
『心当たりは?』
「存じ上げません」
当然だった。今日の今日まで、留美が人を待っていること自体知らなかったのだから。
『先月の末だったかな、あのドレスが留美に届いたのは。てっきり恋人でも出来たのかと思ったんだが、それ以来毎日出掛けていくんだ。留美の友達にそれとなく事情を聞いてみても要領を得ないし……雛森君?』
香苗は、呆然として受話器を取り落としそうになった。予想して然るべきだったとはいえ、ショックであることに変わりはない。
「済みません。それで、わたしにどうしろと?」
『やはり年頃の女の子だし、親の言うことだけでは素直になれないと言うこともあると思うんだ。それで、よかったら君の方から事情を聞き出すなり説得するなりして欲しいのだが』
願ってもない申し出だった。留美が誰を待っているのか、気にならないはずがない。それに、好きな人が自分以外の誰かを待ち続けてあんな寂しげな表情をするのは見たくなかった。
それなのに。
「それは……承諾できかねます」
『どうしてだね?』
「留美様が御自分の意志でなされていることでしたら、そこにわたしの口出しする余地はございませんもの。たとえ相手が誰も知らない人でも、留美様の想いをわたしは尊重します」
自分でも驚くほど、すらすらと唇から言葉が紡ぎ出された。本当の望みは、主が自分のことだけを見つめてくれることなのに。
「だから、わたしは留美様のことを見守っていたいと思います。それでは、いけませんか?」
『……わかった。よろしく頼む』
留美の父親は、少しの苦渋を含んだ口調で承諾した。お互いにお決まりの挨拶を交わして、回線を切る。
香苗は受話器を置くと、また階段を上って留美の部屋の前に立った。
今日三度目のノックは、消え入りそうに弱かった。
「留美様……まだ起きてらっしゃいますか?」
「起きてるけど」
ベッドから立ち上がる音がする。香苗はそれを制した。
「そのままでお聞き下さって結構です。……留美様」
すっと息を吸い込み、扉の向こうにいる留美を見据えるように顔を上げる。
「わたしは、留美様のことが好きです。世界中の誰よりも、わたしのすべてと引き替えにしてもいいくらい……貴女のことを愛しています。留美様が誰を想っていても、誰を待ち続けているのだとしても」
言葉に嗚咽が混じってくる。それでも、涙を流すわけにはいかなかった。ひとつの答えを、主の口から聞き出すまでは。
「……それでも、いいんです。だから……だからせめて、貴女のそばにいさせて下さい……」
たとえ愛されなくても。
振り向かれることがないとわかっていても。
「貴女を、愛しているから……」
長い長い沈黙のあと、ドア越しに帰ってきた言葉は、少しだけ不器用に優しかった。
「……好きにして」
「はいっ……!」

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ぐふっ(吐血)。
レズビアン・ラヴコメディ、今回はちょっとセンチメンタルに。
今回のキーワード「愛されなくても、愛してる」
ごめんなさい、これ以上多くは書けません。

【刑事版】
いつもの宣伝。
作家さんも読者さんも気軽にカキコ〜
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