歌姫のティータイム 第四話  投稿者:高砂蓬介


はじめて読まれる方へ。
このSSは基本的にオリジナルキャラ「高科深錫」君の視点より話が進みます。
舞台は浩平がこの世界から消えてからの新学期。
深錫は演劇部の新入生であり、高校入学前に観劇した演劇部の舞台で浩平と出会い、澪の名前を知ることになります。
彼はその舞台に感銘を受け、演劇部への入部を決めるのですが、何故か彼は浩平のことを覚えています。
それには彼自身のもつ悲しい思い出が大きく関係しているのですが……
と言ったところで、本編です。

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油を張った鍋の中で景気のいい音を立てながら、コロッケが浮き沈みしている。
父と当番制での、朝の日課であるお弁当兼朝ご飯作り。昔、まだ目が完全に覚めないうちに唐揚げを作っていてひどい火傷をした経験から、朝の揚げ物作りには気を使うようにしていた。とはいえきちんと気をつけてさえいれば、この油の音もちょうどいい朝のBGMだ。
きつね色に揚がったコロッケをキッチンペーパーの上に移し、火を止める。片付けに移ろうとしたところで、背後のドアが開いた。芝居がかった台詞が、深錫に投げかけられる。
「今日の朝ご飯はなんだい、ハニー?」
こんな冗談を言うのは決まっている。姉の由華だ。
「コロッケとチキンライスよ、ダーリン……とでも答えて欲しいの? 姉さん」
「そんなとこね。相変わらずの若奥様っぷりじゃない。いい傾向よ、深錫」
「何がいい傾向だか……」
油を処理して鍋を片付け、朝ご飯とは別の分につくったコロッケを弁当箱に詰めていく。自分と姉の分、ふたつの弁当箱をハンカチでくるみ、片方を姉に差し出した。
「はいこれ。姉さんの分」
「いらないわよ」
「え?」
「言ってなかった? 今日は雪見と駅前の食べ放題に行くからお弁当いらないって」
「初耳だけど」
ため息をつき、自分の弁当箱を鞄に詰める。
「そうだったっけ。でも勿体ないわね、それ。彼女にでも持ってってあげたら?」
「いないのを知ってて言ってるね。ちょっと傷ついたよ」
姉は笑った。確かに深錫に特定の恋人がいないのは周知の事実だが、その理由を知る者はいない。
容姿は少なくとも美形の部類に入り、押しの弱いところはあるが家庭的で面倒見がいい少年に彼女が出来ない理由。不思議と誰も疑問に思わなかったし、それは深錫の望むところでもあった。
「まあしょうがないか。せいぜい弟が心を込めて作ったお弁当のかわりに食べ放題を満喫してきてよ」
「うわ、そゆこと言う?」
不満げな姉を無視してエプロンを外し、時計を仰ぐ。まだ朝ご飯までには時間があった。
(彼女に持ってってあげたら、か……)
自嘲の笑みと共に、姉の言葉を反芻する。
異性を愛することをやめた理由。深い悲しみに彩られた思い出。
なぜかふと、あの学食で知り合った言葉を話さない先輩のことが脳裏に浮かんだ。
誰かに自分の料理を食べてもらうことがあんなに嬉しかったのは、いつ以来のことだろう?
(まあ、無駄にするよりはいいかな)
そう自分を納得させて、深錫は姉の分の弁当も自分の鞄に詰めた。弁当ひとつ分いつもより重い鞄が、何故か妙に軽く感じられた。

その日の、昼休み。
澪は走っていた。ひとつの約束を果たすために。
先日学食で知り合った下級生。部活も一緒で、鮮やかな裁縫の腕前が記憶に新しい。
そして何故か、浩平のことを忘れた周囲の人間達といるよりもずっと安らげる雰囲気を持った後輩。
その彼と昼食の約束をしたはいいものの、四時間目の授業が体育であるのをすっかり失念していたのだ。もしかしたらもう学食に着いていて、自分のことを待っているかも知れない。
飢えた生徒達の群れで混雑している廊下をへろへろになりながら走り抜け、やっと学食の入り口が視界に入る。
(あとちょっと……なの!)
スパートをかけようとしたところで、目の前の廊下から男子生徒がでてきた。避けきれるタイミングではない。
結果。
(きゃあっ!)
澪の方からぶつかっていったわけだが、かなり長身なその生徒と澪では体重差がありすぎる。当然のように吹き飛ばされ、澪は抱えていたスケッチブックを取り落としてしまった。
あわてて周囲をきょろきょろ見回す澪の目前に、落としたスケッチブックが差し出される。
スケッチブックを差し出した手を辿って視線を上に向けていく。すらりと長い腕から、肩へ。そして、見覚えのある顔。
深錫だった。
「大丈夫ですか? 先輩」
うなずいて肯定の意を示す。スケッチブックを受け取り、差し出された手を頼りに立ち上がる。幸いポケットのサインペンは落としていなかった。
『たびたびごめんなの』
昨日も危うくうどんを引っかけてしまうところだっただけに気恥ずかしい。だが、その後輩は相変わらず優しい笑みを浮かべたままで答えてくれた。
「気にしなくていいですよ。僕も不注意でしたから」
見れば、深錫はふたつの弁当箱を抱えていた。視線で問いかける。
「ああ、これですか? 姉の分のお弁当を作ったんですけどね。今日は友達と外で食べるそうで、とりあえず持ってきてみたんですけど。よかったらいかがですか?」
『由華先輩?』
「ええ、高科由華は僕の姉ですよ。演劇部で一緒だったんですよね」
『お世話になったの』
深錫は苦笑した。女子校系か宝塚系のノリに偏っていて、可愛い年下がいると構わずにはいられない姉にとって、澪は格好の獲物だったに違いない。ずっと姉に遊ばれながら育ってきた深錫には容易に想像できた。
「立ち話もなんですし、約束通りお昼にしませんか?」
深錫の言葉にうなずき、澪が学食に向かおうとする。しかし、二人がぶつかったり謝ったりしている間に学食の混雑は最高潮に達しようとしていた。これでは席を探すのも至難の業だろう。
『混んでるの』
「どこか、他の場所にしましょうか? ……といっても僕は、あんまりお弁当の食べられそうな場所って知りませんけど」
深錫の提案に、澪は再びうなずいた。スケッチブックにペンを走らせる。
『いい場所があるの。ついてきて』
彼のそでを引き、澪は走りはじめた。途中でまたぶつかったらどうしようなどと思い立ち、歩調をゆるめる。どのみち目的地はそう離れていないのだ。ゆっくり行っても弁当を食べる時間くらいは十分とれるはずだった。

「部室……ですか?」
うなずいてから、澪は演劇部のドアを開ける。いくら文化系の中では活動が盛んであるとはいえ、いくつかの運動部のように昼休みにまで練習のあるような部活ではない。昼間の演劇部は無人だった。
ちょうどこの時間帯は部室に陽光が射し込むため、窓際はガラス越しの日光特有のやわらかな輝きに包まれていた。
『ときどき、友達と来るの』
「確かに、お弁当を食べるにはいいかも知れませんね。結構穴場じゃないですか」
窓を開けて新鮮な空気を取り込む。わざわざ机を出すのも面倒だったので、澪は直接床に腰を下ろしてしまった。深錫もそれにならい、少し離れた隣に座り込む。
「それじゃあこれ、どうぞ。今日はコロッケなんですよ」
『もしかして、また自分で作ったの?』
「ええ、まあ」
澪が羨望のまなざしで深錫を見た。その視線に何とも落ち着かないものを感じつつ、深錫は箸を添えた弁当箱を澪に手渡した。
『お料理上手な人ってうらやましいの』
「先輩はあんまり料理とかしないんですか?」
少し恥ずかしげに澪がうなずく。
「別に、できるからどうっていうことでもないですよ、料理なんて。僕は、先輩の演技の方がすごいと思いますよ」
今度は、少しどころではなく頬を染めて、澪がふるふるとかぶりを振った。相当な照れ屋らしい。
弁当箱を包んでいたハンカチを床に広げ、二人分の弁当の蓋を開ける。朝ご飯のメニューと同じコロッケと、朝のチキンライスとは別に用意したエビピラフ。二日連続で洋風メニューということに、別に意味はないが。
『いただきます』
「はい、どうぞ」
箸は弁当箱に備え付けのものだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、やはりこういったメニューの時はスプーンを用意するべきかも知れない。自分一人で食べていると案外気の付かないことだが、こうして誰かに渡してみると結構違和感を感じた。
そんな深錫の思考を知ってか知らずか、澪は嬉しそうに箸でエビピラフを食べている。感想は、もはや聞かなくても一目瞭然だった。
自分もコロッケに口を付ける。ジャガイモだけの、奇をてらわないプレーンなコロッケは得意料理のひとつだけに満足のいく出来だ。そのせいか、聞かなくてもわかる感想を求めてしまった。
「どうですか?」
澪が顔を上げてしきりにうなずいた。箸とスケッチブックを行き来しながらの食事は行儀も効率も悪いので、筆談はなし。とはいえ、豊かな表情と身振りだけでしっかり意思は伝わってきた。
ほどなくして、ふたつの弁当箱は空っぽになった。
『おなかいっぱい』
「お粗末様でした。あ、おべんとついてますよ、先輩」
……何故だろう。
自分自身でさえ意外なほど自然に、深錫は澪の頬に手を伸ばしていた。
「……!!」
数秒ほど呆けた表情を見せたあと、今度こそ掛け値なしに真っ赤になる澪。
「あ……えっと、他意はないんですけど。ご飯粒が、その」
『ありがとう、なの』
そう書いたスケッチブックの陰に隠れるように、おずおずとこちらをうかがい見ている。
「いえ……ええと、お茶があるんですよ。ハーブティー、嫌いじゃなかったら」
指先にのっかったご飯粒をどうするわけにもいかず、とりあえずポケットから出したティッシュに包んでしまってから深錫は取り繕うように話題を変えた。
『いただくの』
取り出した水筒から、ハーブティーをカップに注ぐ。ほのかな芳香を放つ湯気がふんわりとただよった。
「お茶うけもあるとよかったんですけどね。さすがに朝から用意するのは忙しいですし、滅多にやらないんですよ」
『たまにはやるの?』
「ときどきですよ。弟使いの荒い姉が、たまにリクエストしてくるもので」
お茶を飲みながら談笑しているうちに、さっきの気まずい雰囲気は薄らいでいった。言葉を話せないハンデがありながら、感情豊かな澪はむしろ積極的に話を振ってくれる。ただ単に、妙に所帯じみた下級生が珍しいのかも知れないが、それだけではないような気がするのは深錫の自意識過剰というものだろうか?

お茶を飲み終わる頃にはそろそろ予鈴の鳴る時間だった。
「じゃ、僕はこれで」
『ごちそうさまなの』
部室を出て挨拶を交わし、それぞれの教室に向かう廊下へと分かれる。
お互いに背を向けて歩き始めながら、ふと深錫は振り返って澪を呼び止めた。
「あの、先輩?」
顔に疑問符を浮かべて振り返った澪に、深錫は言葉に詰まる。何故か喉に渇きを覚えながら、深錫は唇を開いた。
「よかったら、明日もお弁当作ってきますけど。何かご希望のメニューはありますか?」
その申し出に、澪は表情を輝かせた。
『お寿司!』
「生ものは無理ですってば……」
『残念なの』
どうやら本気だったらしい。苦笑しながら、深錫はそのやりとりだけでいつになく心が弾むのを感じていた。
「お寿司は無理ですけど、明日は和風にします。それでいいですか?」
澪はうなずいた。
「わかりました。じゃあ、また明日の昼休みに」
再び二人は背を向けて歩き始める。教室への道を辿りながら、深錫は自分が澪に興味を引かれる理由を考えてみた。
(多分、似ているんだ……彼女は、あのひとに)
悲しみに彩られた思い出。その中心となった人物に。
そうなのだとしたら、この気持ちの正体はひとつだろう。
ただ、今はまだこの感情に名前を付けてしまうのが嫌なだけなのだ。

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「皆様、本気でお久しぶり。高科深錫です。多分はじめましての人がたくさんいらっしゃるのでしょうが、その辺はどうなんでしょう高砂さん?」
うむ。実はお前って結構冒険なんだよな。何しろ浩平のこと覚えてるし。
「要するに、難しい設定のキャラを出したおかげでなかなか書けなかったと」
そゆこと。
「きっぱりと馬鹿だね」
はっきり言うな! でも大丈夫だ。時間をかけたおかげで今後の展望はきちんと決まってるから。
「だといいけどね。他の連載もちゃんとやんないと」
任せろ。とりあえずばらえてぃたくちくすをプレイしてから……

 じゅうっ

あちちちちっ! こら、熱したフライパンを押しつけるな!
「いや、一度ヤキを入れといた方が世のため人のためなんじゃないかなって」
おのれ。

と言うわけで、次回は順番からいって「想い、貴女だけに……」になると思います。もしかしたら「茜色の姉妹」が先に来るかも知れませんが。


【刑事版】
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