茜色の姉妹 第六章 「欺瞞 〜deception〜」  投稿者:高砂蓬介


《これまでのあらすじ》
消えた浩平を待ち続ける茜。その前に現れた里村紅なる少女は茜の双子の妹を名乗った。
彼女の不可解な行動に振り回される茜。
その一方で、紅もまた自分の目的と感情との間で揺れ動いていた。
彼女の正体は何なのか。
では、本編です。

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「ねえ、紅さん?」
「何? 瑞佳」
いつも通りの、朝の通学路。
この世界に生まれてから最初に出来た友人である長森瑞佳が、紅に話しかけてきた。
「ちょっと、聞いていいかな」
「水くさいわね。あたしの答えられることだったらなんだって答えるわよ。で、何?」
少し言いにくそうに、瑞佳が話を切り出す。
「お姉さんの、ことなんだけど」
「姉さんの?」
「うん……茜さん、最近目に見えて元気がないし……前からちょっと人を遠ざけてるような雰囲気のある人だったけど、最近特に誰とも一緒にいるところ見ないし。あの柚木さんって言う幼なじみの人がきてても、あんまり話したりとかしてないでしょう? だから、気になっちゃって」
瑞佳のこの害意のなさが、すべてを知る紅にとっては複雑な感情を呼び起こす。しかしそれでも、紅は『ただの妹』を演じることをやめはしない。
「なるほどね。でも今年こっちに戻ってきたばっかりのあたしより、瑞佳の方がよく分かるんじゃないかしら?」
「それはそうかも知れないけど……でも、一緒に住んでる紅さんだったら、何か分かることがあるんじゃないかと思って」
「残念だけど私にも分からないわね。姉さんは何か言わないの?」
「人を、待ってるんだって……私が聞いたのはそれだけ」
瑞佳が本気で茜を心配していることがわかるだけ、自分の猿芝居に嫌気がさす。こんなはずじゃなかった――生まれる前は、こんな友人の感情など考えたことがなかった。
それでも、生きるためには――あるいは存在するためには――打算が顔を出す。自分の思いついたことが茜に及ぼす影響を計算して、紅は瑞佳への裏切りにも等しい言葉を口にした。
「やっぱり、直接話してみるのがいいんじゃないかしら。あたしって結構遠慮のない性格じゃない? どうもそのせいか、あたしと話すときも姉さんってあんまり本音になってくれないのよ」
「そうかなあ……。確かに紅さんと話すときの茜さんって、ちょっと警戒してるみたいな雰囲気があるよね」
「警戒……?」
「あ、ごめんね紅さん。別に悪い意味で言ったんじゃないんだけど」
紅の反応の意味をはき違えたか、あわてて瑞佳がフォローを入れる。
「いいの、気にしないで。それより、今日のお弁当なに? よかったら一緒に食べましょうよ」
これ以上この話題を続けるとぼろを出しかねない。少々ミスをしたところで瑞佳が気付くとは思えなかったが、万が一にも疑念をもたれる前に紅は話題を変えた。
「うん、いいよ。佐織達も一緒にね」
それから、二人はまた他愛のない雑談をかわしながら学校へと向かった。

(やっぱり、気付かれるわよねえ……)
茜が自分の正体に気付いていようといまいと、彼女が自分を警戒することに変わりはない。瑞佳の感想はまさに的を射ていた。
今のところ瑞佳の疑念は違和感以上のものではない。お茶を濁してごまかせる程度のレベルのものならばまだ心配はいらないだろう。
(あたしもワルだわ、しかし)
瑞佳と茜が直接話せば、当然浩平のことは話題に上る。瑞佳が浩平を覚えていない以上、その話題を続けるだけで茜が傷つくのは想像に難くない。それこそ紅の狙いだった。
だが、茜の態度もまた容易に瑞佳を傷つけるだろう。全く身に覚えのない人間の名前を出してなじられれば――まして自分がその人間を忘れているなどと指摘されれば――傷つかない人間の方が滅多にいまい。瑞佳を傷つけていることを今の状態の茜が自覚するかどうかは甚だ疑問だが、気付けばそれだけまた茜が傷つく。往々にして人間というのは自分が傷つくより他人を傷つけることを恐れる生き物なのだ。気付かないなら気付かないで自分が教えてやればいい。
シナリオは完璧だった。
この世界で最初に得た友人が少なからず傷つくのを黙認しなければならない、というのを除けばだが……

天は、思ったよりも早くその機会をもたらした。
瑞佳が茜と差し向かいで話すのならば必ず雨の日を選ぶ。しかも、場所にはあの空き地――今では工事現場だが――を選ぶだろう。雨の日、あの場所には茜にとって特別な意味があるのだろうということを感じ取れるほどには、瑞佳は感受性が高いはずだ。
瑞佳が茜に話しかけたのは、あれから二日後の雨の朝だった。
「茜さん……おはよう」
「おはようございます」
時報か電話番号の案内でもするかのように感情のこもらない声。
ためらいながら声をかけた瑞佳を出迎えたのは、そんな感じの声だった。
「なんだか、いやな天気だよね。早くお天気になればいいのに」
「何か用ですか?」
とりあえずフレンドリーに会話をはじめようとした瑞佳の意向は無駄に終わった。
「あ、別に用ってほどのことでもないんだけど。でもほら、こんな所にずっと居たら風邪を引くでしょ? それに、学校に遅刻するよ?」
「遅刻はしないように行きます。それに……馬鹿は風邪を引かないらしいから」
気まずい沈黙が流れる。ややあって、瑞佳が口を開いた。
「……ここで何をしてるの?」
「人を待っています」
「確か、前にもそんなことを言ってたよね。二年の時に、私に訊いてきた浩平って言う人と関係があるの?」
茜の表情が少しだけ動いた。
「覚えてたんですか」
「うん、なんとなくね。なんだかせっぱ詰まったような感じがしてたし」
「そうですか……」
茜が再び目をそらす。
「ねえ、浩平……って誰なの? ほら、私も結構そそっかしいとこあるし、もしかしたらど忘れしてるだけかも知れないし……よかったら、詳しく聞かせて欲しいんだけど」
「……人です」
「え?」
理不尽な悲しみと怒りがないまぜになった瞳で、茜が瑞佳を見た。
「たぶん、あなたの一番そばにいた人です」
「……そんな」
そんなことを言われても思い出せるはずがない。茜は瑞佳の言葉の続きを勝手にそう予測した。唇から震えた吐息とともに言葉が紡ぎ出されていくのを止められない。最初から意味のない言葉だと分かり切っているのに。
「あなたはどうして忘れてしまったんですか? 彼はずっとあなたのそばにいた人なのに。紅を……いきなり現れたあいつを、いとも簡単に受け入れることが出来たあなたが、紅があなたの名前を覚えるより早くあいつの名前を覚えることが出来たあなたが、どうして一番ずっとそばにいたはずのあの人を忘れてしまったんですか!?」
話しているうちに口調が険しいものになっていく。視界が涙で歪んだ。
「分からないよ……」
瑞佳が呆然とつぶやいた。傷つけている。その自覚がどうしようもなく痛かった。
「ごめんなさい。もういいです。先に行っていて下さい」
それだけ言うのがやっとだった。やるせない表情で去っていく瑞佳の姿が見えなくなってしばらくしてから、茜は後ろ髪引かれる思いで工事現場をあとにした。

「おはよう、瑞佳。その顔は……会ってきたのね、姉さんに」
「あはっ……やっぱり、分かっちゃう?」
「ばればれ。ほら、髪濡れてるわよ。どういう傘の差し方したんだか」
ハンカチを出して、瑞佳の髪を拭いてやる。これが偽りの優しさに過ぎないことなど先刻承知だ。本来なら自分は彼女に顔を見せる資格もないのだろうが……
それでも。
友に誠実でいられなくても、生きることには誠実でありたい。
たとえ自分が世界に望まれることなく生まれ出た存在であっても、生きるための努力だけは放棄したくない。
それだけを思って、紅は少しだけ涙に潤んだ瑞佳の顔を正視するという苦痛に耐えていた。

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きつかったです。
でも書きたかったんです。
苦情は甘んじて受けます。

紅はたぶん幼かったんです。だから残酷でいられた。
でも今の彼女は友を思うことを知ってしまった。だから苦しい。
それでも彼女は生きようとすることをやめないでしょう。
彼女がその努力を放棄するとき、それはその努力が無意味であることを思い知ったときだけでしょう。
彼女がその行く先に見るものは何なのか、もう少し里村紅という人間にお付き合い下さい。
高砂蓬介でした。