紅の言った「ヒント」は、実際のところ茜にとってなんの役にも立たなかった。抽象的すぎて何のことだかさっぱり分からない。 だから、紅の何気ない言葉一つ一つにも意味を求めてしまう。それを知ってか知らずか――ほぼ確実に感づいてはいるだろうが――紅の不可解な言動や行動はそれっきりなりを潜めていた。 「これから詩子と山葉堂行くんだけど、一緒にどう?」 それに変わって、ときどきこのような誘いをかけてくる。 「嫌です。外は暑いから」 「あはは、そりゃその髪じゃ暑いでしょ」 「長さはあなたと変わりません」 憮然としながら、自分と同じ蜂蜜色のロングヘアをした少女をにらむ。この少女が自分の目の前に現れてからというもの、茜は調子が狂いっぱなしだった。 「髪型が問題なのよ。いっそのこと短くしちゃったら?」 「そのほうが嫌です」 伸ばした髪には別に特別な思い入れがあるわけではない。いや、あったわけではないと言うべきか。 今の茜にとっては、斬新な編み方を考案してみせると言って茜の髪をさわりたがった浩平の無邪気な冗談さえもが何物にも代え難い思い出なのだ。 「まあ、冗談だから気にしないで。で、結局どうするの?」 「……行きます」 ため息をついて茜は立ち上がった。この猛暑の中で歩くのは億劫だが、久々にあのワッフルを食べるというのも悪くない。詩子の顔も見ておきたかった。 茜と紅は連れ立って家を出た。 「……暑いわねえ……」 「言い出しっぺが情けないですよ」 端から見れば姉妹の他愛ないやりとり。それに馴染んできている自分が不思議でならなかったが、こういう関係自体は茜にとって不快ではなかった。相手が自称妹の謎の少女であるということをのぞけば、だが。 山葉堂に向かう途中で詩子と合流した。茜の家族と詩子は、今年の春に突如姿を現した紅のことを「最初からいた茜の妹」として認識している。 「二人とも元気だった?」 「はい。詩子も元気そうで」 もっとも、元気ではない詩子というのは珍しい。付き合いの長い茜ですら、数えられるほどしか見たことがなかった。 「今日は何にしよっかなー……また新メニューとかでてないのかな」 「ま、行ってから決めればいいでしょ」 「……練乳蜂蜜」 茜の一言に、詩子が凍り付く。紅は意地悪そうな笑みを浮かべ、傍観者に徹するようだ。 「また……アレ?」 「おいしいです」 紅が必死に笑いをこらえるのを、詩子が恨めしそうに眺めていた。 山葉堂の前には、いつものように行列が出来ていた。夏休みの午後と言うこともあるのか、女子高生風の客が大半だ。 暑いのを我慢して待つこと十分ほど。やっと順番が回ってきた。 「練乳蜂蜜一つ」 「私も」 「……ストロベリーで……」 嬉々として――といっても常人の目にはかすかな笑みにしか映らないだろうが――練乳蜂蜜を注文する茜と、それに習う紅。そんな二人をげんなりとした目で眺め、詩子も自分の注文を告げた。 購入したワッフルを手に、店内のテーブル席へと向かう。この陽気に外でほかほかのワッフルなど食べていられない。 「お二人様ですか?」 「三人よ」 「あ、失礼いたしました……」 この混雑で参っているのか、人数を間違えてばつの悪そうな表情をしたウェイトレスが三人を一つだけ空いていたテーブルに案内した。去り際に不審そうな視線を三人に向けていたような気もしたが。 「ふふ〜ん♪ やっぱこれよね」 「……はい」 「あんたら絶対人間じゃないわよ……」 壮絶な甘みが口いっぱいに広がる。ごく一部の甘党にしか理解できない味である。 「でもさ、こうしてると昔を思い出すよねえ」 詩子の言葉に紅がうなずく。茜はどういっていいものか分からなかったので黙っていた。 「よく三人でこういう風に遊んだわよね。あたしが引っ越してからは二人で遊んでたわけ?」 「うん、クリスマスなんか毎年二人で騒いだよねえ、茜?」 「……はい」 本当は三人だったのだが、今さらそんなことをいって詩子を戸惑わせる気もしない。茜は沈んだ声で答えた。 「でね、去年は澪ちゃんって娘と三人だったの。茜んちから帰る途中に雨が降って来ちゃってさ……あれ、去年のパーティーって茜の家だったっけ?」 「……はい」 涙が出そうだった。詩子には悪気はない。そんなことは分かり切っているはずなのに。 「なんだかあたしがいない間に楽しいことしてたのね。ま、今年のクリスマスは久々に一緒に出来るわけだし、たまにはあたしがケーキ作ってあげるわよ」 「紅もケーキ作れたっけ?」 「まあね」 茜は紅の誘いに乗ったことを心底後悔した。詩子と一緒といった時点で予想すべきだったのだ。 「用事を思い出しました。お先に失礼します」 「あ、ちょっと茜?」 茜は席を立った。詩子が戸惑ったように声をかけてくる。 自分の分だけの勘定を済ませて店を出るとき、茜は一瞬だけ振り返った。 そこに茜が見たのは、出会ったときのように不思議な笑みを浮かべて茜を見送る紅の姿。 嘲弄と優越、そして愉悦の混じった魅惑的な笑みだった。 (どうして……どうして、みんな忘れてしまうのですか……) ずっと昔から幾度となく繰り返してきた問い。いまだかつて答えの出ることのなかった問い。 ベッドにうつぶせになりながら無味乾燥な自問自答を繰り返していた茜に、不意に声がかかった。 「ああいう態度は感心しないわよ、姉さん」 「あなたは……」 部屋のドアを開けてたっていたのは、案の定紅だった。茜はかつてない厳しいまなざしで紅を睨め付け、言った。 「知っているくせに。覚えているくせに、どうしてあなたはそうなんですか?」 「どうして……と言われてもね」 おどけた調子で言い、紅はわざとらしく肩をすくめた。 「仕方ないじゃない。もう浩平はいないんだから」 遠慮のない言葉。 「それに、姉さんだって変わらないでしょ? 浩平のことを思いだしてもらおうって努力、今でもしてる? そんな事しても意味がないって知ってるから、もうあきらめてるんでしょ?」 「それは……」 「別に責めてるわけじゃないわよ。あたしはね、意味のないことはしたくないの。ただそれだけ」 実にあっさりとした口調に、茜は憤りすら忘れてしまった。 「詩子がね、心配してたわよ」 紅が声を穏やかにして言った。 「謝っといたら? あたしからもフォローはしとくけど」 「最近、あなたは変わりました」 「……いきなりね。まあ、人間って結構簡単に変わるものじゃない? きっと、こっちの生活になれて余裕が生まれてるのよ」 じゃね、と言い残して紅は部屋を出た。 自室に戻り、後ろ手にドアを閉じながら――髪の毛を挟みそうになってあわて閉め直し、紅はそっとつぶやいた。 「余裕、ね。確かにそうだわ……もう、焦る必要はないみたいだしね……」 *************************** ぐふう。久々のシリアスでっす。 なんだか見え見えの伏線を張っているような気もしますが問題なしとしておきましょう。日曜は好き好きだし(またそれか?)。 会場では再びゾウガメのTシャツを着てうろちょろしていることでしょう。見かけた方はどうぞ遠慮なくお声をおかけ下さい。別に声をかけたからなにかが起きるということもないと思いますが。 さて、次回は・・・なるべく近いうちに(汗)