『……助かったのは娘だけ……遺産……』
『……しかし……足が……では……』
聞こえないとでも思っているのだろうか。病室の薄っぺらなドア越しに、彼女はいやがおうにも聞こえてくる会話を虚ろな瞳で聞いていた。
(どうして? どうして一緒に死なせてくれなかったの? わからないよ……わたしはどうやって生きていけばいいの? いやだよ……ひとりぼっちは……)
でも、もういい。
死ぬから。
「……夢……?」
涙に濡れた枕の感触に、萩野ちとせは目を覚ました。寝乱れたプラチナブロンドの髪をなでつけ、身を起こす。夢を見ながら泣いていたのだと気付くのに、少しの時間を要した。
スタンドをつけて、壁に掛かった時計を見る。寝起きがいい方なので、枕元には目覚まし時計をおいていない。こういうときにはそれが少し不便だった。
午前三時。
最悪の夢で目を覚ますには、ある意味ふさわしい時間といえるかも知れない。
(もう、あのころの夢を見ることはないと思っていたけど……)
少なくともここ数年は見た記憶がなかった、痛みと絶望をともなった思い出。今頃になって思い出すとは思っても見なかったが。
ふと、左の手首を指でなぞってみる。
まだかすかに、回りの皮膚とは感触の違うところが残っていた。足の傷は皮膚の自家移植で完全になくなっており、この傷も消そうと思えばいくらでも消せたのだが、彼女は消す気はなかった。
(彼女は昔のわたしによく似ているから……いえ、違う)
彼女はまだ自分の殻を破ろうとする力を持っている。そう思えた。あのとき彼女が自分の誘いに乗ったのは、きっとそのせいだろう。
(彼女の笑顔は、わたしに故郷を思い出させる……)
遠く空の向こうにある、自分の故郷を。
自分が彼女に執着するのはそんな理由があるのかも知れない……そんなことを考えながら、ちとせの意識は再び闇に飲まれていった。
「みさき、電話よ」
ちとせの誘いでカレーを食べにいってから数日後。自室でお気に入りのラジオ番組を聞いていたみさきのところに、母が受話器を持ってやってきた。
「電話? 誰から?」
「萩野さんていう女の子。ちょっとお嬢様みたいな言葉づかいのひとよ」
「ああ、ちとせちゃんだね」
さすがに手探りで押すわけにもいかないので、母が保留ボタンを切ってからみさきに電話機を渡してきた。
「もしもし、代わったよ」
「みさきちゃん? お久しぶりです。お変わりありませんか?」
確かにお嬢様風の口調ではある。というか、物腰が穏やかで丁寧な上にしゃべり方に余裕があるのだ。案外本当にどこぞのお嬢様だったりするかも知れない。
「うん、その節はどうも。今日は何のご用かな?」
「ええ、そのことなんですけど……みさきちゃんは今度の火曜お暇ですか?」
「火曜って……あさって? 特に予定はないけど、なんで?」
「実はあさって、本屋さんに注文しておいた本が届くんです。それで明日は一日出かけることにしたんですけど、良かったら一緒にどうかと思って」
本屋に行くのに一日費やす人間も珍しい。おそらく他にも目的があるのだろう。
「一日? 本屋さんだけで?」
「いえいえ。そんなに遠くないですから。せっかく出かけるから、ついでに買い物や散歩もしようと思ってるんです」
聞くものの気分まで明るくさせるような声。今の自分にはまず出せない声だと思った。
「……そう、なんだ」
そう答えることしかできなかった。自分でも情けないことだとは思うが、浩平という支えを失った今のみさきにとって、外の世界は恐怖の対象以外の何者でもなかった。それでもこの前は雪見も一緒だったから誘いに乗ったが、明日雪見は部活でまた高校のほうに出向いているはずだった。
「みさきちゃん、本屋さんは嫌いですか?」
「本は好き……だけど」
ちとせとてそのことには気が付いているだろう。それでも彼女が口に出さないのは、みさきを気遣ってのことか。
「本屋さんにいったあと、商店街でお買い物をして、喫茶店でお茶を飲んで、散歩をするっていうなんの変哲もないコースなんですけど。それで雪見ちゃんの様子を見に高校にもよろうと」
なかなかに豪華なコースだ。車椅子の彼女が一日で回れる距離とは思えなかった。
みさきが答えに詰まっていると、少しいたずらっぽそうな声でちとせがいった。
「私のことでしたら心配には及びませんよ。これでもスタミナはありますから」
「うん……」
結局、みさきは答えを出すことが出来なかった。
「ちょっと、考えさせてもらえるかな? あさってだよね、出かけるの」
「もちろん構いませんよ。それじゃ、また明日電話すればいいですか?」
「ううん、こっちから電話するよ。電話番号教えてくれる?」
ちとせの電話番号をメモして(もちろん点字で)、みさきは電話を切った。
受話器を机に置いておいてもう一度ラジオをつける。運の悪いことにCMの最中だった。
「はあ……」
ベッドに身を横たえ、考えを巡らす。何故ちとせが、自分に関わろうとしてくるのか。
今までに中途半端な同情や興味本位でみさきに関わろうとする人間がいなかったわけではない。だがちとせは、そういった人間たちとは一線を画す存在のように思えた。
それは彼女もまた障害を抱えている人間だからだろうか? みさきはその考えも否定した。ちとせとはまだ知り合ったばかりだが、彼女の行動や言動からはそんな同病相憐れむといった感じも見受けられない。
やがてラジオから再びDJの声が聞こえはじめたが、みさきはそれ以上聞く気になれなかったのでスイッチを切った。
みさきは、今持っている情報で判断できる範囲で萩野ちとせがどんな人間なのかを考えてみた。
一言でいうなら、とても明るく優しい少女だといえるだろう。
足の障害はどういった経緯によるものなのかは分からないが、おそらく悲しい出来事があったはずだ。そういった点では、彼女は自分に似た種類の人間なのかも知れなかった。
(やっぱり、直接会って話すしかないんだよね……)
いくら考えてみても、分かるのはそれだけだった。
いや、正確にはもう一つ。
自分が萩野ちとせという人間をもっと知りたいと思っていること。
だから、みさきはまだ部屋に置きっぱなしだった受話器を手にした。
「もしもし、私川名というものなんですけど……ちとせちゃん? さっきのお話なんだけどね……」
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どうも、リボルバー連載(命名)SS作家の高砂です。
複数の連載を交互にやるということからなんとなく命名したんですがどうでしょう。いっそのことSS雀バル雀さんとこに申請してSS拳法にしてもらおうかなあ? しかしリボルバーというにはまだ本数が足りない。ニューナンブでも5発だもんなあ・・・どうせやるならコルトパイソンが・・・
やめやめ、連載六本は無謀すぎる。でもいつかは挑戦したいなあ。
さて、今回はあまり話が進んでません。みさきとちとせが一緒に出かける話は長くなりそうなので次回に回しました。
感想下さった皆様、誠にありがとうございます。
僕からの感想は・・・済みません、感想って苦手なんです。ううう。何とか次回からは書けるようにしていきますので。
ではまた今度、おそらく「姉妹」か「歌姫」で。