茜色の姉妹 第三章  「共存 〜coexistence〜」 投稿者: 高砂蓬介
「ねえ。まだ行かないの?」
「紅、いたんですか」
「うわ、ひっどい」
その日は、朝から雨が降っていた。雨の日には決まって、茜は遅刻ぎりぎりの時間まで空き地に立っている。もちろん、浩平のことを待つためだ。
「……今日は長森さんと一緒じゃないんですね」
「雨だからね。また姉さんがここにいるんじゃないかと思ったから、先に行ってもらったのよ」
紅は転校二日目の朝に声をかけられて以来、長森瑞佳と仲がいいようだった。瑞佳は友人の多い少女なので、紅は彼女を通じてクラスメートたちと交友関係を作っているようである。
「何か用?」
「別に。姉さんの方こそ、まさかラジオ体操ってわけでもないでしょ。心配だったのよ」
当然とでも言いたげな口調。姉の心配をする妹。実際普通なら当然の光景と言っていい。
「別に心配するようなことではないです」
「あ、そ……」
だが何故か茜は違和感をぬぐい去れなかった。いや、むしろ周囲の違和感がなさすぎるといった方が正しいだろうか。
ついこの間までいなかった人間が茜の妹を名乗っているという事実を、周囲全体が受け入れている。
いたはずの人間がいなくなってもなんの違和感も感じない世界。いないはずの人間がいつの間にか存在していることを受け入れる世界。
「もう時間ないわよ?」
「遅刻はしないように行きます……先に行っていて下さい」
紅がはじめて現れたときにも、こんな会話が交わされたような気がした。もっとも、紅の反応は少しばかりあのときとは違っていたが。
「いいわよ、待っててあげる。どうせあたしが何言っても無駄だしね」
「……そうですか」
「ありがたみのない言い方ね」
憮然とした調子で、紅は感想を漏らした。そのわりには顔が笑っていたが。
結局、この日は姉妹揃って遅刻寸前に駆け込む羽目になった。

彼女は現状に満足していた。
何よりも、この肉体はすばらしい。笑いたいときに笑い、怒りたいときにはきちんと表情を厳しくできる。口を開けば言葉を紡ぐことが出来る。
彼女は極力笑うことにしていた。それは、かつての宿主への当てつけの意味もあったかも知れない。自分と同じ顔をした少女に、自分の笑顔を見せつけてやることで優越感を覚えていたのかも知れない。笑うことを忘れた自分の姉に。
けれども、彼女はまだ自分が甘かったことを思い知る。

ある日、茜は学校を休んだ。
梅雨時に入ってからは雨が多いので、あの空き地にいる時間も長くなる。毎回紅がつきあってくれるわけではないし、おりからの流行の風邪にかかってしまったのである。
家のベッドでゆっくりしていると、階下から母が上ってくる足音がした。
「茜、起きてる?」
「はい。電話ですか?」
電話のベルの音がしていたので、茜はそう質問した。母は受話器を持ってきていないので、自分にかかってきたわけではなさそうだが。
「ええ。今学校でね、紅が倒れたそうなのよ。今から迎えに行って来るから」
「紅が?」
全くいつも通りに見えた今朝の妹(?)の顔を思い出して、茜は言った。
「よく分からないけど、特に病気とかそういうことではないらしいわ。疲れてたみたいね」
「そうですか……行ってらっしゃい」
母は茜に寝ているように言い残すと、車を出して学校に向かっていった。
(それにしても……)
あらためて、今朝の紅の様子を思い出してみる。家を出るときの様子は全くいつも通りだったのだが、やはり環境が変わって、一段落したところで疲れがどっと出てきたのだろうか。
そんなことを漠然と考えているうちに、車庫の開く音がした。
「ただいま」
「ただいま〜」
二つの声が、玄関から聞こえてくる。母と紅が帰ってきたようだ。
幾分身体の具合も良くなってきていたので、茜はパジャマの上に上着を羽織って階下に下りた。
「お帰りなさい」
見ると、紅が母の手を借りて階段を上ろうとしていた。確かにだいぶ疲れたように見える。
「姉さん。寝てなくて良かったの?」
「寝ていた方がいいのはあなたです」
母を手伝って紅を部屋まで運んだ。ベッドに横になった紅は、帰ってきたときよりも少し良くなった顔色で言った。
「悪いわね、わざわざ。姉さんも寝てた方がいいんじゃない?」
「はい。そうします」
動いたせいでまた少しだるくなってきた。茜は自室に戻り、夕飯までの間睡眠をとることにした。

「……まずったわ」
茜が部屋を出ていくと、紅は一人ごちた。
違和感なくこの世界に入り込むところまではうまくいっていたのだが、どうやらまだこの存在は不安定なものだったらしい。本体の影響が及ばないところでの長時間の活動は、少々酷だったようだ。
「ま、いいけどね」
どのみち時間はまだある。今はまだ不安定でも、時間と共に情報が蓄積すれば情報の存在力によってこの存在を強固なものに出来るはずだった。
(とはいえ、しゃくなものはしゃくよね……ったく。あれから離れるのがここまで致命的だなんて思わなかったもの。当面はおとなしくしてる必要がありそうね……)
今度は言葉に出さず、心の中でぶつくさとつぶやく。
まあいい。今のうちだけでも共存しておくというのも悪くない。
(寄生者ってのは、気付かないうちに成長するものなのよ……)

梅雨が過ぎた七月。晴れ晴れとした空の下、姉妹で学校へと向かう。
「そういえばあの空き地さ、なくなるって知ってた?」
「え……?」
ふと紅が口にした言葉に、茜は言葉を失った。
「住井くんから聞いたんだけどね。あそこに新しく家が出来るそうなのよ」
「……そう、ですか」
紅は少し気まずそうな表情になった。
「あたしも姉さんの気持ちは分かるけどさ。これって一種の転換点だと思わない? いつまでもあそこで待ってても、もう得られるものはないと思うのよ」
諭すような調子で紅が言った言葉に、茜は腑に落ちない点を感じた。
「どうして、待ってるって思うんですか?」
「あ……」
「わたしがあそこで何をしているかを聞かれたとき、それを教えたのはたったの一人だけです。その人はもういません。どうしてあなたはそう思うんですか?」
紅の表情が変わった。気まずそうな表情がなくなり、一瞬の驚愕が訪れたあとに残ったのは、出会ったときの不敵な笑みだった。
「さて、どうしてかしらね?」
「……」
あからさまに不機嫌な顔を作った茜を尻目に、紅は足早に学校に向かった。

もしかしたら、紅は浩平のことを知っているのではないだろうか?
茜の中でそんな疑問が芽生えたのは、夏休みに入ったあたりのことだった。
そして茜は、その疑念を紅にぶつけてみることにした。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「なに?」
リビングでアイスコーヒーを飲んでいた紅の前に座り、真剣な表情で問いかける。
「折原浩平という少年を、知っていますか?」
「誰? それ」
「……いえ。何でもないです」
あからさまに落胆の様子を見せた茜を見て、紅はくつくつと笑った。
「冗談よ。ちょっと悪質だったかしら?」
「知って、いるんですね」
紅の冗談は頭に来たが、それは無視して茜は問いつめた。
「姉さんにとっては辛い冗談だったわね。もちろん知ってるわよ。消えた姉さんの彼氏でしょ」
「そうです。何故あなたが知っているんですか? 彼はあなたが現れる前に消えたはずです」
「どうしてだと思う?」
勢い込んで尋ねる茜をあしらって、紅は笑みを浮かべた。
「最初からおかしいとは思っていましたが……あなたは、何なんですか?」
「それは核心だ。言えないよ……パクリはまずいかしら」
「答えて下さい。あなたはどこから来て、何をしようというんですか?」
「人をエイリアンみたいにいってくれるわね」
グラスに残ったコーヒーを飲み干してから、紅は立ち上がった。
「一つだけヒントよ。メモの用意はいい?」
「馬鹿にしてますか?」
その言葉に肩をすくめ、紅は言った。
「私は、貴方よ。でも、貴方は私じゃない。ヒント終了」
さらりと言い残し、紅はリビングを出ていった。

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何故、昨日のうちにアップするはずのこの作品が今日になってお目見えしたのか。
いや、昨日友人が遊びに来たんですよ。「どうしても謎ジャムを見たい」と言い張ってカノンをやってたもんだから執筆不可能に。夜は親の目があって書けなかったし。
というわけで、一日遅れでお届けいたします。高砂でした。