彼女の扉を叩く者 第二話 投稿者: 高砂蓬介
これまでのあらすじ(りーふ図書館掲載時削除希望)
浩平が消えた日、みさきはいつまでもあの公園で立ちつくしていた。
そんな彼女の前に現れた車椅子の少女、萩野ちとせ。
彼女との出会いはみさきに何をもたらすのか。
彼女に手を引かれて家路を辿るみさき。
二人を夕日が照らし出していた。
では、本編です
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「そういえば、まだお名前を伺ってませんでしたね」
夕日に赤く照らし出された商店街。その中をゆっくりと車椅子を転がしながら、萩野ちとせは後ろからついてくるみさきに声をかけた。
「良かったら教えてもらえます?」
「あ、私は川名みさき」
「川名みさきさん。それじゃ、みさきちゃんって呼んでもいいですか? 私のこともちとせで構いませんから」
「いいよ。じゃあ、ちとせちゃんだね」
そこでいったん会話がとぎれる。そのおかげで、ちとせが自分の考えをまとめるだけの間が出来た。
さっきから歩いていて、みさきの歩き方は実に頼りない。公園からみさきの言った自宅までの道のりはそうたいして長い距離でもないが、目の見えない人間が補助もなしにそうそう歩いていける距離ではない。明らかに、今自分がしている役目をつとめていた人間がいるはずなのだ。だとしたら、その人物はどこへ行ったのだろう?
とはいえ、それは今聞くべきことではなかった。
「明日はいい天気かな。ここはよく来ますけど、今日みたいな日は珍しいですよ」
「……そっか、今日は夕焼けなんだ」
みさきが少し驚いたような口調になる。しかしちとせは、その驚きが「夕焼け」ではなく「よく来る」という単語に向けられたものだと言うことに気が付いていた。
「何点ぐらいかな?」
「……78点といったところですね」
「難しいね。ところで、よく来る……って?」
「私、散歩は好きなんですよ。おかげでこの街の中なら、ほとんどどこへでも迷わないでいけるようになったんです」
「うらやましいな。私は、今日までほとんどどこへも行ったことがなかったから」
また、若干の間が空く。その沈黙を破ったのは、今度はみさきだった。
「……どうして、私の目が見えないってわかったの?」
「一言で説明するのは難しいですね。まあ簡単に言えば……そういった知り合いは多いんですよ。私の周りにはね。叔父が病院を経営してて、私もしょっちゅう顔を出してますし。私自身足がこれですからね。つきあう機会が多いと、自然とわかるようになって来るんです」
「そうなのかな」
「そういうものですよ」
苦笑して、曲がりますよ、と付け加える。商店街を抜け、高校へと続く住宅街に入って行く。ほどなくして、ちとせは「川名」と表札のかかった家を見つけた。
「つきましたよ」
ほとんど高校の目の前である。下校中の制服姿の生徒たちの姿もちらほら見受けられる。もう三年生は卒業しているはずだから、二年と一年生たちだろう。
「みさきちゃんは、もしかしてこの学校の生徒さんですか?」
「昨日卒業したんだよ。だから、卒業生だね」
ここに来る途中で気が付いていたことだが、ここに近づくにつれ心なしかみさきの振る舞いや言動から不安が薄れている。後天的な視覚障害者にはよく見られる心理だった。自分が視力を失う前に知っていたところを己の聖域と定めてしまい、それ以外の場所を極端に恐れるようになるのだ。ちとせはこういった人間のことも、何人も見てきていた。みさきにとっての聖域は、この学校なのだろう。詳しいことを聞いてみたかったが、それはまだ許されることではない。
「良かったら、今度一緒にお茶でも飲みに行きませんか? いいお店を知ってるんですよ」
「え……」
やはり。
予想通りの反応に、ちとせは心の中で嘆息した。自分がかつてはまりかけた心の迷宮の中に、この少女はいるのだ。
だとしたら、それは歓迎すべき事態ではない。
「まあ、都合のいいときで構いませんよ。近くまで来たときは、立ち寄ってもいいですか?」
「……うん。楽しみにしてるよ」
「それじゃ私はこれで。また会いましょうね」
「うん。さようなら」
手を振るみさきに会釈を返し、ちとせは川名邸をあとにした。
「……ところで今何時かしら?」
おそるおそる振り返り、高校の時計を見る。
……見てしまったものをを見なかったことにするには、かなりの苦労を要する。見なかったことにしたと思いこんだところで、6時14分という文字は容赦なく脳裏に浮かんでくる。それを読み上げる自分を自制するのは、結局無理なのだ。
「なんてことを考えてる場合じゃないし〜」
自宅までの絶望的に長い道のりを、ちとせは脱力した肩で車椅子を転がし始めた。


「はあ……」
ちとせは自室のベッドに横たわって大きく息を吐いた。
彼女の自宅は、隣の市で総合病院を経営する叔父のものである。が、彼女のために用意してくれたと言っても過言ではないだろう。叔父自身は病院に私室を持っており、この家にやってくることはほとんどない。それでも、交通事故で命を落とした両親の代わりに彼女の保護者をつとめてくれている叔父に、彼女は感謝していた。自分がこれと言った不自由もなくこれまで人生を送ってこられたのも、叔父の力によるところが大きい。
そろそろ友人に頼まれた洋書翻訳の作業を再開しようとしたところで、机の上の電話が鳴る。
「はい、萩野ですけど?」
「ちとせ? 私。雪見だけど」
「雪見ちゃん? どうしたんですか、こんな時間に?」
電話の相手は彼女に翻訳を依頼した当の本人、深山雪見だった。昼間の高校で演劇部の部長を務めていた彼女との出会いは、雪見率いる演劇部がちとせの出入りしている福祉施設でボランティア公演を行ったことである。それがきっかけで意気投合し、ちとせは今回のように台本の英訳・和訳などの作業、雪見は雪見でボランティア公演の実施など、良き友人であり互いに対する利害を超えた敬意が成立していた。
「この前お願いしたやつなんだけどさ、もう出来てる?」
「今晩中には上がりますよ」
「本当? じゃあ急で悪いんだけど、明日私の学校まで来てくれない?」
雪見の演劇部は、三年生が卒業しても三月にある最後の公演が終了するまでは卒業した部長が責任を負う。当然、その他の三年生も役者なり裏方なりで最後まで参加するのだ。
「構いませんよ。とりあえず四月までは暇ですから」
「悪いわね。それじゃあ先生には話をつけておくから、直接部室まで来ちゃって。お礼に学食でなんかおごるわ」
「それはどうも。で、何時くらいに?」
「そうね、九時半くらいでお願いできるかしら」
登校ラッシュの時間をあえてはずしているのは、雪見なりの気遣いなのだろう。
「分かりました。じゃあ、また明日。おやすみなさい」
「ええ、おやすみ」
ちとせは電話をおいた。そしてそのまま、机に向かって最後に残したページを埋めるべく作業に取りかかる。それができあがったのは、十一時をわずかに過ぎるくらいのことであった。

翌日。
昨日も来たばかりの高校の前にちとせはいた。昇降口の段差に辟易しつつも校舎に上がり、来賓用のエレベーターに乗り込む。雪見が「話をつけておく」と言ったのはこのことだった。さすがに階段は無理がある。
「演劇部は……あそこね」
多分にうろ覚えではあったが、どうやら記憶は正しかったらしい。「演劇部」とプレートのかかったドアの前に立ち、ノックをする。ほどなくして、中からウェーブのかかった淡い色の長髪の少女がでてきた。言わずと知れた雪見である。
「はーい……ああ、ちとせ? 待ってたわ」
「お久しぶり。はい、これ」
ファイルケースに収めた翻訳済みの原稿用紙と原本を雪見に手渡す。
「とりあえず入って。まだ担当の人間が一人来てないけど」
「はい、おじゃまします」
部員たちはまだ授業中なので、部室には雪見とちとせだけになる。
「今回の公演では使わないんだけどね、これは。本当は私が現役のうちにやってみたかったんだけど……上月さんがもう半年早くものになってればね」
最近になって実力を表しはじめた後輩の名前を挙げ、雪見が残念そうにつぶやく。
「まあ、シナリオだけは私がやりたかったのよ。この学校にいるうちに」
そうこうしているうちに、部室の外からぱたぱたと足音が聞こえてきた。がらりとドアが開く。
「遅くなってごめんね、雪ちゃん」
「どうせまた朝御飯死ぬほど食べてきたんでしょ、あんたは」
「そんなことないよ。八分目だよ。それに辞書とか要るんじゃないかと思ったから、図書室にも寄ってきたんだよ、ほら」
美しい黒髪と吸い込まれそうな黒い瞳の少女は、抱えていた辞書の束を差し出す。
「今日は人間辞書がいるから平気よ……あれ、ちとせ? どうしたの?」
「……みさきちゃん?」
さすがに驚いた表情を見せるちとせ。
「うん、そうだけど……ひょっとしてちとせちゃん?」
「何だ、二人とも知り合いだったの?」
「うん、昨日ちょっとね……」
みさきが荷物を机に下ろし、少しだけ笑う。
「そっか、雪ちゃんのいってた語学の姫君ってちとせちゃんのことだったんだ」
「姫君?」
一体自分のことをどういう風に話していたのやら。確かに十ヶ国語以上を操る十八歳の少女も珍しいだろうが……
「言葉のあやよ。さ、仕事仕事。みさきも手伝いなさいよ」
「雪ちゃんひどいよ……いつもこうやって私のことを下僕扱いするんだよ」
「くすくす……今さらながら面白い人たちなんですね、二人とも」
そして三人の少女は、談笑しながらシナリオ作りの作業に取りかかった。ちとせの翻訳した内容を雪見がシナリオ形式にまとめていき、みさきはもっぱら雑用。細かな台詞回しは、みさきのアイディアも取り入れられた。
そうしているうちに、時刻は正午にさしかかった。
「もうこんな時間? じゃあ、食事にでも行きましょうか」
雪見の提案に、みさきがさっと立ち上がる。
「学食だねっ」
「みさきちゃん、嬉しそうですね」
その様子を見て、雪見がさっと目を厳しくする。
「貸さないわよ、今月はもう」
「うう……」
そのまま雪見の案内で学食に向かう。驚くべきことに、みさきは全く迷わずに一人で歩いていた。
ちとせが雪見に耳打ちした。
「彼女の目が見えなくなったのはいつぐらいからなんですか?」
「小学生の時よ。ここはそのころからみさきの遊び場だったから、目が見えなくても歩き回れるの」
大した方向感覚と記憶力である。
「そうですか……」
少し考え込むような素振りを見せたちとせは、やおら前を行くみさきに話しかけた。
「みさきちゃんのお薦めは?」
「カレーだよ」
「というか学食にあるものなら何でもでしょ、あんたは」
「……カレーなら、私の行きつけのお店があるんですけど。今日はそちらにしません?」
別にカレーである必要はなかった。仮に牛丼なら、おいしい丼物の店を紹介していたろうし、鰻なら鰻屋を紹介していたまでのことだ。これは一種の賭けなのだ。
何故自分がみさきをこの学校から連れ出そうとしていたのか……それはちとせ自身にも分からなかった。だが彼女をこのままにしておいてはいけない、そんな感情にとらわれていたのは言うまでもない。
「私はかまわないけど、みさきは?」
少し遠慮がちに、雪見がみさきに意見を求めた。
彼女がその答えを導き出すまでに、たっぷり十秒はかかったろうか。
「私も……そこがいい、かな」

そのカレー屋は、商店街のメインストリートから少し脇道に入ったところにあった。
広くもないが狭くもない店内は、いかにもエスニックな装飾が施され、明らかに日本人ではなさそうな店主がカウンターで柔和な笑みを浮かべていた。
「いらっしゃ……ああ、ちとせサンか」
「こんにちは。今日は友達も一緒なんですよ」
ちとせが後ろの二人を紹介する。
席に着いた三人は、店主の運んできたお冷やに口を付けた。氷の浮かんだお冷やは、ほのかにレモングラスの香りがした。
それぞれにメニューを注文して待つことしばし。ほかほかと湯気を立てる三皿のカレーが運ばれてきた。
「なんだか本格的なお店ね……」
雪見が感想を漏らした。と言うよりは、隣に座るみさきに話しかけたのだろうか。
「おいしいよ〜」
聞いちゃいなかった。みさきは自分の注文した馬肉のカレーをむさぼるのに夢中なようだ。
「このお店は、五年前にあちらのデリさんがインドから渡ってきて開いたんですよ。ちなみに独身だそうです」
「ナニを話してるんですか、ちとせサン……」
余計なことを口にしたちとせに、店主のデリ氏がツッコミを入れた。
「まあいいじゃないですか……あら、なんですかみさきちゃん?」
みさきの物問いたげな視線に気付いたちとせが、みさきに話しかけた。
「あの……おかわり、いいかな?」
「ええ、どうぞ」
その少し後、彼女はこの台詞を後悔することになる。

「おいしかったよ〜」
「ええ……喜んでもらえて良かったです」
「ごめんねちとせ、こういう娘なのよ」
結局みさきは「ひかえめに」七皿のカレーを平らげた。ちとせは知らないが、この程度は彼女にとって序の口である。
「これから、どうしますか?」
「私たちはこれからまた作業だけど、ちとせのやることは終わってるものね……ここで解散にする?」
「分かりました。それじゃあ、また今度。またお店を案内しますよ」
「すっごくおいしかったよ〜」
ちとせは二人と別れて車椅子を転がしはじめた。今度はどんな店に二人を案内しようか、などと考えながら。

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お久しぶりです。というかはじめましての人の方が多いかもしれん。
約三ヶ月ぶりにここへ姿を現した男、高砂蓬介です。
いろいろとあって一時活動できずにいましたが、これからはなるべく頑張って投稿し続けたいと思っております。
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