茜色の姉妹 第一章 「発生 ―occurrence―」 投稿者: 高砂蓬介
中崎町に雨が降る。
そしてそのたび、とある空き地で立ちつくすひとりの少女がいた。
里村茜である。
折原浩平が、彼女を置き去りにこの世界を去ってから一ヶ月が経とうとしていた。学年が変わるのに払う犠牲もなく――つまりはつつがなく進級し――、茜は高校三年生になった。当然のことだが。
ピンクの傘には、小さな雨粒がぽたぽた舞い降りている。そのノイズを聞きながら、茜はもう二回目となる悲しい想いに身をゆだね、自分の心情を表すかのような灰色の空から目を背け、じっと待ち続ける。「遅刻」という拍子抜けするほど現実的な事象が、彼女を阻むまで。
ふと、ため息をついた刹那。
「そんな顔するのね」
突然、その言葉は投げかけられた。それも、道路に背を向けている自分の正面・・・空き地の奥の方からだ。
自分以外にこんな所に来る物好きはいない。そのはずだった。大体、ここへ来たとき確かにここには誰もいなかったはずである。後ろから声をかけられるのならばともかく、空き地の奥から声などかかってくるはずがない。にもかかわらず、その声は確かに茜の耳に届いていた。怪訝に思いながら顔を上げる。
「・・・誰?」
言ってから、思わず息をのんだ。目の前に立っていたのは自分と同年代の少女である。しかし、そんなことは問題ではない。茜はその少女の顔に見覚えがあった。
それは、もう十八年近く見慣れた顔・・・しかし決して直接見ることは出来ないはずの、ほかならぬ自分自身のものだったのである。
「もう時間ないわよ?急がないと遅刻するわ」
茜の質問には答えず、茜の動揺にもお構いなしに、少女はさも親しげな口調で話しかけてくる。見れば見るほど、自分と同じ顔だった。蜂蜜色の長い髪に、深い緑色の瞳。服装や――これは制服なので当たり前だが――背格好も一緒なら、顔のラインから何から、とにかく茜と瓜二つだった。違うのは、腰まである髪を三つ編みではなく一本の長いポニーテールにしていることぐらいか。
「・・・貴方、誰なの」
「イヤな雨ね。早く止んでくれると嬉しいんだけど」
あくまで質問には答えない。茶化すような口調には、ただ雨をうっとうしがっているような感じしか見受けられなかった。そもそも茜ときちんとした会話をする気さえないように思える。
「質問に答えて」
「答える必要はないわ。どうせすぐまた会うことになるし・・・っと」
傘を動かしたせいでこぼれてきた水滴をよけ、あらためて少女は茜の方を見た。そのときはじめて、茜は自分と少女の決定的な相違点に気付いた。
表情だ。
自分の表情が深い悲しみを宿した冷たさを持っているのに対し、少女はまるで何かタネのわかっている手品を見るときのような、それでいてなにかを面白がるような笑顔で茜のことを見ている。
自分と同じ顔の少女が浮かべる笑顔が非常に魅力的であるということは、茜にとって皮肉だった。
「まあとにかく、急がないと遅れるわ。二回目だけど。私はもう行くけど貴方も遅れないようにね?」
「・・・」
結局自分の正体も明かさないまま、少女は行ってしまった。
その少し後、そろそろ本当に遅刻してしまいそうな時間になってから、胸中に疑問符を抱えたままの茜も空き地をあとにしたのだった。

茜の通う学校には、三年生に上がるときのクラス替えがない。したがって、クラスを埋めている顔ぶれは皆見覚えのある連中ばかりである。
浩平の幼なじみである長森瑞佳。
去年の冬に転校してきて、しょっちゅう浩平とどつき漫才を繰り広げていた七瀬留美。
四六時中浩平とつるんでは、くだらない悪戯に精を出していた住井護。
ついでに、自分のすぐ前の席に腰掛けている男子。名前は確か・・・沢口と言ったか(違う)。
彼らの共通点は一つ。
浩平のことを忘れていることだ。
(もう、慣れたはずだったけど・・・)
最愛の少年のことを覚えているのが世界中で自分だけだと言うこと。
その事実は、かつてと同じように茜に重くのしかかり、自分の心を蝕んでいる。
茜が陰鬱な気分で教室内の喧噪を聞いていると、ドアが開いて担任の髭が入ってきた。
「んあー。出席をとる前に一つニュースがある。実はこのクラスに転校生が来ることになった。・・・入りなさい」
唐突と言えば唐突な話題に、クラスの喧噪がいっそう増す。
がらりと扉が開き、その転校生はつかつかと教室に入ってきた。
長いポニーテールを揺らしながら黒板に向かい、さらさらと自分の名前を書き付け、ふりがなを振る。
そして振り返って、告げた。
「えっと、みなさん初めまして。『里村 紅(さとむら くれない)』っていいます」
今朝の空き地で出会った少女が、教卓の前でにっこりと微笑んでいた。

(・・・どういうこと?)
あまりの事態に絶句している茜を知ってか知らずか、里村紅と名乗った少女は自己紹介を続ける。
「名字でわかったと思いますけど、このクラスにいる里村茜の双子の妹です。家の事情でこれまで別々に暮らしてたんですけど、このたびまた一緒に住めることになったので転校してきました。姉共々、よろしくお願いしますね」
紅はぺこりと頭を下げた。その仕草の愛らしさに、男子生徒が色めき立つ。
「あー、じゃあ住井、机と椅子を持ってきてくれ。場所は・・・七瀬の後ろが空いてるか」
「はい」
住井が教室を出ていき、留美も少し机の位置を整えている。
「じゃあそういうわけだから、みんな仲良くしてやってくれ。これでホームルームを終わる」
髭が教室を出ていくと、途端に男子生徒の半数が紅を取り囲んで質問責めにする。残りの半数は、何故かメモ帳に何事かをせっせと書き込んでいた。
紅はその質問に笑いながら答えていた。不躾な質問は手慣れた様子で軽くあしらっている。
やがて人垣が引くと、紅は茜の方に向かって歩いてきた。
「また会ったでしょ?」
「・・・」
茜は答えられない。答えようがなかった。
初対面のはずの少女は自分の妹だった。そんなことがあり得るはずがない。しかも紅の方は、昔から茜のことを知っていたような口振りだ。
「久しぶりよね。こうして話すのも」
「はじめてです・・・」
周りの連中には聞こえないよう、小声で抗議する。
そんなことにはまるで構わず、紅は会話を続ける。
「そういえば詩子は元気?あの娘には帰ってきたことまだ言ってないんだけど、別の学校に入ってたんだったわね。どこだったかしら?」
「呼んだ?」
またもやいつの間にか、詩子が隣の席に座っている。
「・・・詩子。学校はどうしたんですか」
「実は創立記念年なのよ」
わけの分からない理屈がエスカレートしている。
「久しぶりだねえ、紅。戻ってきてたんだ」
「ほんとについ今さっきなの。というわけだから引っ越しの手伝いお願いね」
「えー・・・」
どうやら詩子は紅を知っているらしい。
自分のあずかり知らぬところで話が進んでいることに不安を感じながら、茜はその日の授業を上の空で終わらせた。

雨上がりの帰り道。
傘を片手に道を歩く茜の後ろを着いてくる、一つの影があった。
「どうして、後をつけるの」
かつて浩平に投げかけたときよりもきつい口調で、茜はその言葉を言った。
「後なんかつけてないわよ。姉妹が一緒に帰るのは普通でしょ?」
いまいちこの理屈がわからない。この妹(?)は、どうやら茜の家までくっついて来るつもりらしい。ちなみに詩子は引っ越しの手伝いと聞いて逃げた。
まるで、自分だけがこの少女のことを知らないかのようだった。まさか、本気で茜の家に住み着こうとでも言うのだろうか?
「うーん久しぶりの我が家。変わってないのねえ」
「・・・ここは私の家です」
「そして今日からは私の家でもあるわ」
相変わらず茜にはお構いなしで、紅は家に入っていってしまった。茜も後を追う。
「・・・!?」
家に入った瞬間、茜は今日何度目かの驚愕に打ちのめされた。玄関の中に、いくつもの引っ越し会社のロゴが入った段ボール箱が並んでいる。
「ただいま」
「お帰りなさい。荷物届いてるわよ。あ、茜も一緒でしょ?」
帰宅を告げた紅に、母が言葉を返す。それこそ、まるで本当の親子のようにだ。
「・・・ただいま」
「お帰りなさい、茜。そうだわ、紅を部屋に案内しておいてくれるかしら?二階の使ってない部屋を空けてあるから」
「お母さんは?」
「これからちょっと買い物に行って来なきゃいけないのよ。荷物運ぶのも手伝ってあげてね」
そう言い残し、母はあわただしく家を出ていった。
「さてっと・・・これでめでたく一つ屋根の下ね。あらためてよろしく、姉さん」
早速段ボール箱の一つを抱え上げ、紅はあの魅力的な表情でにっこりと微笑んだ。

「ありがと、姉さん。おかげで片づいたわ」
二階の、茜の隣の部屋。今まで空き部屋だったその部屋の新たな主となった少女は、昼間のうちに運び込まれていたらしいベッドに腰掛けて礼を言った。
段ボール箱は既に空になり、その分部屋は華やかになった。茜が手伝ったのは主に洋服の整理である。それ以外のものといっても、そもそもあまり重いものなどがあるわけでもないので、さほど疲れる作業ではなかった。
「お茶でも飲む?」
「私がいれます」
「そう?でもついでだから早めにキッチンの配置とか覚えときたいのよね・・・一緒に行かない?」
ぱっと立ち上がり、ドアノブに手をかけて紅が言ってきた。彼女の動きを追うようにポニーテールがゆっくりと舞う。
「分かりました。行きましょう」
二人して階段を下り、既に帰ってきていた母とすれ違いながらキッチンに出る。
「ティーポットはそこです。お茶の葉はそこの棚。・・・何がいいですか?」
「そーねえ・・・ジャスミン茶ある?」
「あります」
「それじゃ私がいれるわ」
茜からお茶の葉を受け取り、手際よくお茶を入れていく紅。
「で、どこで飲む?」
できあがったお茶を盆に乗せ、紅が訊いてきた。
「私の部屋がいいです。・・・いろいろと、訊きたいことがありますから」
「・・・そ。じゃ、行きましょうか」
そして二人は、またゆっくりと階段を上りはじめた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どーも。久しぶりの高砂です。
予想に反して「彼女の扉を叩く者」が遅れ気味なので、先にこちらをお届けします。
しかし・・・話が進んでないなあ。本格的に話が動き始めるのは次回からになるでしょう。
閑話休題。この里村紅というキャラは自分としてはかなり気に入っています。とりあえずこの調子で茜をおちょくり続けていってもらいましょう。幸いオリキャラ第一号萩野ちとせが好評なようなので、調子に乗った私はもう一本新キャラ登場SSを書いてしまうと思います。いや、二本かな?
ではでは。今度は澪ネタでお会いしましょう。