目前の喜びとその先の… 投稿者: 千乃幸
うれしい?
そりゃあ嬉しいさ

こわい?
そう、恐かったんだ


『目前の喜びとその先の…』


おぎゃぁおぎゃぁ!!

「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
「ありがとうございます…」

オレの子供…
オレとあいつの子供だ

あいつが一枚の紙を見せた
それが診断書であることに気付いて驚いたけど
妊娠の報告であることに安堵し、喜んだ

でも…
本当は恐かった
とても恐かったんだ…

別に子供が恐いんじゃない
どちらかというと子供は好きだ
あいつも子供は好きだろう

世話をするのが面倒な訳じゃない
お金がかかるのが嫌なんじゃない
騒がしいのも嫌いじゃない

何が恐い?
オレ自身…
そう、オレ自身が恐かったんだ…

オレは母子家庭で育った
今はいないが妹がいた
妹に『父親』を見せてやろうと努力もした
そして妹と母を同時期に失った

叔母との新生活…
母の代わりに叔母が『母親像』を見せてくれた
でも、そこに『父親像』は無かったんだ…

オレは父を影絵の人形のようにしか覚えていない
『父親像』なんて知らない
知らないんだ!

そんなオレがどう『父親』を演じればいい!?
誰を手本にすればいい!!?

…できっこない

確かにTVを見ればいろんな『父親像』があるだろう
でも、それは『他人の父親』なんだ
『本当の父親』はTVや本の中にいないんだ
…いないんだ、そんなもの…

だから恐かったんだ…
知らないものの恐怖
見たことのないものへの恐怖だったんだ…

がちゃ…

大きな音を立てないようにドアを開ける
その先にはあいつとオレ達の子供…
オレの恐怖心を煽るものがいる

「おつかれさま…」

オレは起き上がろうとするあいつを制し、努めて穏やかに言った
心とは裏腹に…

しょりしょり…

「うまいもんだろ?」

ベッドの隣に腰掛け、りんごの皮をむく
最近は家事全般を自分でこなしていたから、これぐらい朝飯前だ
少し皮が厚いけどな…

「…」

少し怪訝な表情でオレを見てきた
オレはひきつり気味の笑顔を見せる
そして赤ん坊を見る

「…さる?」

第一印象
生まれたばかりの子供の顔がしわくちゃなのは聞いていた
…でも、ここまでとは思ってもいなかった

…あいつに睨まれた
さすがに今の一言はまずかったらしい
しかし、どう見てもさるだ…

「ははは…」

何となく笑えた
何悩んでるんだ、オレは…
オレらしくもない

『父親像』なんて要らなかった
要らなかったんだそんなもの…
だって…

「オレはオレ、血がつながっていても『父親』は所詮『他人』なんだ」

そう…
別に『父親』を演じる必要はなかったんだ
『オレ』のままで良かったんだ
『誰』ではなく『オレ』のままで接すれば良かったんだ
そうすれば、この子は『オレ』を『父親』として見てくれるだろう
そういうものだったんだ『父親像』なんて…

…?

瞳に?マークを浮かべてあいつがオレを眺めていた
苦笑いしながらぶつぶつ言っているオレを変に思ったんだろう
でも、口を挟まなかった
こいつらしいといえばこいつらしいな…

かちゃん…

コンパクトにカットされたりんごをテーブルの上に置いて
オレはあいつに向かい直した

「本当にお疲れ様」

やっと笑顔で言えた一言に満足して、オレは一口サイズのりんごを頬張った
そしてゆっくりと噛む

目の前にある喜びと
その先にある楽しみを噛み締めるように…

また新しい季節が始まる…


−了−