NEURO−ONE 28 投稿者: 天王寺澪
第二十八話「AI・ウイルス」



パニックはセントラル中に広がっていた。
各所に駐屯していた装甲車や多脚砲台が勝手に動き出し、ミサイルやレーザーで周囲に無差別攻撃を始めたのだ。

ガシャガシャガシャンッ…キュキュキュキュッ
ヒュンヒュンヒュンヒュンッ
シュババババッ…シュバババババッ

「きゃあああーっ」
「逃げろっ…うわああああっ」

ズゴォォォオオッ
ドグァアアアッ

新御堂からルート1を経由して谷町へ…さらに南下してアリーナへと続く一帯。
もっとも多く車輌が配置されていた区画…百台近い数の多脚砲台が暴走していた。
飛び交う熱線と砲撃。あらゆるものが焼き尽くされ吹き飛ばされた。いたるところで煙と炎が上がる。
破壊されたビルから落下したコンクリートの固まりが人間を押し潰しす。悲鳴。爆発と轟音。
兵士たちもどうすることもできず、ただ一緒に逃げるしかなかった。
応戦しようと他の車輌に乗り込んで起動した途端、みんなおかしくなる。火に油を注ぐだけだった。

ガシャンガシャンガシャンッ

蜘蛛のような多脚砲台はどこからでも不意に現れた。壁を平気で攀じ登る機動性は都市の中では無敵と言って良い。
しかも今は操縦者の事など考える必要がない。例え人間が乗っていたとしても既に中で廃人になっているだろう。
彼らはその運動性能を存分に発揮すると、動くものも動かないものも見境なく攻撃して回った。

ズドォオォオオオンッ!!

1台がビルの上から飛び降りた。一般の車輌が踏み潰されて爆発。そのまま蜘蛛は次の目標を探して移動する。
まるでそれ自体が意志を持っているかのように。



「…まずいな」

ホテルの窓から外を伺う浩平と茜。二人ともさっきまでVR放送の実況を見ていたから知っていた。
あの直後、セントラル中のシステムがみなフリーズしたかと思うと、急に予測不可能な動きを始めたのだ。
今はまだ周辺だけが制御不能になっているが…徐々にその範囲は広がりつつある。
マトリックスに入ると、ウイルス対抗防壁があちこちで破られていくのがわかった。どのウォールも長くもたない。
ネットの中のデータと現実の都市…その両面からセントラルの破壊が進んでいた。
あと半日もすれば世界中のネットが完全に汚染されるだろう。混乱は世界規模になる。
汚染を防ぐにはシステムの電源を落とすしかない…被る被害や影響に結局たいした違いはないのだが。

ズドォ…ドゴォォォオ…。

再び砲撃の音。見る間にツインタワーの一つが崩れ落ちていった。

「シングルタワーになってしまった…」
「…あ…残った方も」
「だけど…どうして…軍の車輌にまで…」
「私もそれがわかりません…」

普通に考えればワクチンを入れておくはずだ。それが真っ先に汚染されている。
さっき画面に映っていたあの男…タカツキ…何を考えていたのか。もう尋ねることもできない。
浩平たちはさらに手分けしてマトリックスを回ってみた。あちこちで暴走しているシステム。
ただその動きには何か不思議な連携が見られた。うまく言えないが…協調性のような。

「茜。これ…ただのAIウイルスじゃないぞ」
「はい。私もそう思います」
「いったいこれは…あっ!」

窓の外…正面のビルの壁にへばりつく多脚砲台。
目がこちらを向く。

「危ない!」

茜に飛びついて床に臥せる。すぐ後を走る赤い熱線。壁も窓も一直線に切れ間が入った。床が傾く。

ズゴゴゴゴ…

「茜。こっちだ!」

彼女の手を引っ張ると一瞬早くドアの外に飛び出る…すぐ後ろで床が崩れ落ちた。そのまま廊下を走る二人。
熱線がバターのように建物を切り裂き、並んだ部屋が次々と崩壊していった。

ズシャアアアアッ…グアラガラガラガラガラ…
ズドドドォオォォオッ!

必死で階段を駆け下りた二人がロビーに出てみると…。

「こっちに来たぞっ!」
「たっ…助けてくれーっ」
「何だ!?」

ガシャンガシャンガシャン…グワシャァアンッ!

さっきの多脚砲台…入り口を壊してホテルの中に入り込んできた。
砕けたガラスの破片が飛び散る。逃げ遅れた客が何人か…踏み潰された。目をそむける茜。

「調子に乗りやがって…」

浩平は回路を作動させると砲台のシステムに…接続した。動力系統のシステムを遮断。蜘蛛の動きが止まった。

ガシャン…

電源を強制的に落としてやる。赤い目の光が徐々に消えると暗くなった。バランサーが停止し体がガクッと沈む。

プシューッ

「ふぅ…止まった」
「はい」
「1個1個電源を切って回るか…でもきりがないな」
「ワクチンプログラムが必要です…」
「ワクチンか…でもどこに?」
「恐らく軍の…研究所でしょう」
「おまえがいた?」
「いえ…研究所はいくつかあります。その全部を探さないと」
「全部か…どちらにせよ今それが出来るのは…」
「はい。私たちだけです」

用心しながらホテルの外に出てみると…街路の先のあちこちで炎が見えた。車や建物が燃えている。
見ていると突然…ずっと先の交差点…蜘蛛が大挙して横切って行くのが見えた。思わず隠れる二人。
浩平はそれを見て身震いがした。いったい何だってあんなにたくさん造ったんだ。
いや気味が悪いのはそんなことじゃない。

「茜。本当にワクチンがあると思うか?」
「え?…でもそれがなければ…イニシアチブをとれません」
「そうか…そうだな…」

確かにそれはまともな考えだ。しかし浩平には何か引っかかるものがあった。
今の多脚砲台の動き。群れをなすなんて本当に生き物のようだ。おまけに彼らはお互いを攻撃しない。
協調性を持った集団…何か一つの目的のために…そんな感じ。
それにさっきからの疑問。なぜ軍の車輌に…ウイルスが?

「!」

すべてが仕組まれたことだとしたら。
最初からこれが目的だったとしたら。
軍ではない。彼らは蜘蛛にまでウイルスを仕込んだりはしない。もちろんクーデターの一味でもない。

「…浩平?」
「行くぞ。茜」
「えっ?…どこへですか?」

辺りに放置してある車から、動きそうなのを探して乗り込む。キーを殴って壊すとエンジンをかけた。
茜が助手席に座ってきょとんとしている。

「セントラルだ」





車の乗っている間、茜は点在する軍の研究施設にかたっぱしから侵入してみた。
だがそのどれもが既に汚染されていた。ワクチンがあれば…こんなことにはならない。
しかもセントラルからかなり離れた茜の研究施設でさえ、飛び地の形で汚染されている。
まるでそこからもウイルスが発生したかのように。

茜の言葉を聞いても浩平は驚かなかった。予想通りだという顔。

「T社だ。それしか考えられない」
「…えっ?」
「前に聞いただろ?ハザードの前後から軍の下請け機関として力を伸ばしてきたって」
「その仕事の中に…このウイルスが…」
「恐らくワクチンもそこにあるはずだ」
「でも…それなら車で行かなくても」

浩平は首を振った。

「マトリックスに入って…T社が見えるかい?」
「あっ!…データ群が…ありません」

臨時政府が発足した後で、強制封鎖を解かれた各社のデータ群。どこも汚染をもろに受けていた。
ところがT社のデータ群だけ…軒並み消失している。マトリックスに存在さえしない。

「あそこのマシンは全て動いていない。強制起動しても反応しない。このままではアクセス不可能だ」

周辺のビルはまだ動いているから…破壊されたわけでも電力供給がストップしたわけでもない。
恐らく誰かがビルの主電源を切ったんだ。

「T社のビルに行って…直接主電源を入れるしか…ない」
「…浩平!右からきます!」

慌てて違う道に入る。ここまで連中に遭遇しないよう、うまく道を選びながら進んでいた。
マトリックスで多脚砲台や装甲車の動きをチェックしている。正確には軍専用の衛星ナビゲーターシステム。
他の車輌の位置まで教えてくれる便利なものだった。

「不思議ですね。システムは汚染されているのに…機能はそのまま利用できます」
「ウイルスの性格が仇になったな」
「どういうことですか?」
「ナビゲーターというより…生き物が仲間を認識している。そういう状態に近いんだろう」

頭の中でマップの大きさを変えて敵の光点を見つける。だが思ったより連中の動きは早い。しかもこの辺りは数が多かった。
北東に抜ける広い通りに入ると…向こうの方に遠く離れた装甲車…いきなりミサイルを発射してきた。

「つかまってろ!」
「…!」

キキキキキ…。
ズドドドドドォッ!!

急ハンドルで横道に飛び込んだ。一瞬遅れて後ろから轟音と風。さっきまでいた通りを爆風が吹き抜けた。
浩平はこの辺りは道を知り尽くしている。裏道を抜けてやっと何とか目的地、T社にたどり着いた。
見覚えのあるビル…かつてルミィが忍び込んだ…辺りはすっかり様変わりしてしまったがこの建物だけはそのままだ。
しかも浩平たちがビルに近づくと連中は攻撃してこなくなった。やはりそうだ。彼らはこの建物は攻撃できない。
間違いなくここに何かがある。

正面玄関の自動ドアを手でこじ開けると、ビルの中に足を踏み入れた。浩平は前の仕掛けの時の記憶を呼び起こした。
確か主電源は…1階にあったはずだ。普段ならガードマンがいるはずだが、今はまったく人の気配がない。
ロビーを抜けエレベーター横の狭い通路に入ると用心しながら進む。一番奥の突き当たり。鉄の扉を押して…中に入った。
見上げると開いたままの配電盤の蓋…キーが差さったままになっている。やはり誰かが切ったのだ。

「どれだ…」

手当たり次第にレバーを入れる。何個目かでランプが点灯した。

「エレベーターも…動き出したようだな」
「上層階に研究開発の部門が固まっていますが…マシンはどれも動いていません」
「ネットサーバーを除いて…全部起ち上げよう」

浩平と茜は回路で各マシンに侵入…手分けして起動してまわった。
しかしそのどれにもワクチンらしいファイルは見つからない。あるいはわからないように巧妙に隠されているだけか。
『doppel』で検索しても何も出てこない。何よりファイルが多すぎた。

「保管庫でしょうか?」
「まさか…まだあそこに入れるには早いだろう」

浩平が考え込む。不安そうに見守る茜。このままでは時間がいくらあっても足りない。
そこであることに気がついた。

「茜…わざとビルの中を汚染したらどうだ?」
「…それで汚染されないで残ったものが…ワクチンのあるマシンだと」
「そうだ」
「少し乱暴な気もしますが…試してみてもいいかもしれませんね」

茜がネットサーバーを起動した。たちまちウイルスが外部から侵入。T社の中に広がっていく。
しばらくして動きを監視していると、コントロールが効かなくなったマシンがほとんどの場所を占めていった。
汚染されたマシンはわかりやすい。データの動きがみな不思議に同調している。
さっきの多脚砲台と同じだ。まるで動物の群れを見るような…だがその中に…。

「見つけた」
「はい」

最上階に置かれた何台かのローカルマシン。
その中でたった1台だけ…ネットに繋がっているのに汚染されないものがあったのだ。
喜んだ二人がそのファイルにアクセスしようとした途端…。

「あっ!」

マシンが落ちた。再起動を試みたが反応がない。

「浩平…」
「コードを抜かれた…のか?」

やはり誰かがいる。間違いない。しかも自分たちをそこまで招いているように見えた。
警備システムに入ってみたが…だめだ…最上階だけ監視カメラが全て壊されている。
どうしても上がってこいということか。

二人は決心してエレベーターに乗り込んだ。管理システムは隔離しておいたので動きに支障は無い。
途中で上層階用に乗り換え。ここは…いつかルミィの目を通して見た風景だ。まさかこんな形で来ることになるとは。
上層階用のエレベーターには窓があり、破壊されている街の風景が見えた。高速道路やビルの上にうごめく多脚砲台。

「ひどい…な」
「はい」

澪は…みさきさんは大丈夫だろうか。浩平は不安になった。

そしてやっとたどり着いた最上階。扉が開く瞬間…緊張する二人。茜をかばって浩平が前に出る。
人影がないフロア。

「おい。誰かいるのか?」

返事がない。

「浩平…」
「茜…はやくマシンを」
「はい…あっ!」

並んでいるマシン。その中の1台。
驚いたことにそれは…小さなノート型マシンだった。持ち運べる大きさの。
この場所には不釣り合いな…まるで誰かがさっきそこに持ってきて置いたばかりのような。
やはり外してあった電源コード。差し直してスイッチを入れてみる。起動するマシン。
起ち上げ途中のディスプレイ。その黒い表面に反射した影。振り返った二人。

「!」

目の前には彼が立っていた。





「あなた…は」
「やっと来たね。待ってたよ。二人とも」

彼は笑っている。軍服の上着を脱ぎ、手には銃を持っていた。

「僕が来た時にはそうでもなかった…でも今はひどいね。来るのに苦労しただろう?」
「どうして…おまえがここにいる?」
「まあ座りなよ。昔話をするだけさ。そんなに時間はとらせないから」
「…」

時間はとらせない。いやな言葉だ。だが二人は手近な席に座るしかなかった。

「疲れたよ。自分の足でここまで上がるのは。こんなに汗をかいたのは久しぶりだ」
「ビルの電源を落としたのは…」
「僕だよ」
「おまえの冗談に付き合ってる時間はないんだが」
「冗談ではないさ。僕は本気だ。それに二人にはぜひ聞いてもらわないといけない話だからね」
「…いったい何の話だ?」
「『mizuka−e』を恋愛シムに組み込んだのは…僕だよ」
「…おまえが?…何のために?」
「知りたかったんだ…彼女がどうなるか。どう変るかを」

意識とはなんだろう。心とは…。あの頃の僕はそればかり考えていた。物理構造さえ同じなら…心が宿るはずだと。
メモリーに残る経験データの蓄積。回路選択のパターン化と強調化。それらが進むことで、意識が生まれ性格ができる。
そう考えていたんだ。

「恋愛シムに組み込んだAIも…自分では結構頑張ってつくったつもりだった。でも駄目だった…」

評判は良かったけれど…とても心というものではなかった。所詮ただのプログラムでしかなかった。

「自己成長するハードウエアが必要だ。本気でそう思った」
「バイオチップの発展系か。今でもまだ量産できる目処はたっていない」
「ところがそこで…あのAIを目にした。あれは衝撃だった」

名倉の…あの頃はまだラボだったね…何回目かのオープンハウスに行った時だ。
当時名倉は既に注目を浴びていた。上り調子だった。強力なコネでもない限り招待券も手に入らなかったぐらいだ。
それこそいろんな連中が見に来ていた。
国内の大手メーカーはもちろん、海外の…一般には馴染みのないとんでもない技術ハウスとかね。
そして…協力会社の招待発表の形で行われていた問題の展示。いや最初は僕もそれがブースだとは思わなかった。
何しろ展示されてる『もの』が気まぐれで、なかなか表に出てこなかったから…誰も気がつかないんだ。
休憩しようと何気なくそのWSの前に座った僕に、『彼女』はいきなり話しかけてきた。

「それがCRTの中の…ikumiだった」
「2ND…いや…ROMカセット…1STか」

驚いたね。彼女はまったく自然だった。
僕はしばらく彼女と話し込んだ。まるで普通の女と話しているようだった。
そして僕が行こうとすると…笑ってこう言ったよ。

『あなたはいつか…私ともう一度会うでしょうね』
『それって…新手のセールスかい?』
『いいえ。あなたは私を買ったりはしない。むしろ忌み嫌うはず』
『…』

僕にはその意味がすぐにわかった。確かに僕はikumiの存在に…それをつくった男に嫉妬していたんだ。
でもそんなことまでなぜAIに分かるんだろう。不思議だった。恐ろしかった。

「あれは偶然の産物だったと聞いている」
「知ってるよ。だけどこの世界に生まれた最初の生物だって…偶然からできたんじゃないのかい?」
「…そうか。そうかも知れない」
「だから僕も偶然に…賭けることにしたんだよ」

軍が市場での実験のためにT社へ持ってきたVRシステム。それを基幹システムにして生まれた恋愛シムと初期のVRデッキ。
その概念を他のデータ構造物へ応用がきくように改造した…侵入プログラム『misao』とサイバーデッキ。
『misao』をつくった連中を軍が吸収してさらに『misao−e』へ…。

「プログラムの名前の由来…開発した連中が恋愛シムのフリークでね」
「『VR−ONE』だな」
「もともとT社のキャラデータをハッキングする目的で…つくったらしい。連中の熱意には本当に頭が下がるよ」
「…で…最後の仕上げをおまえがやったと」
「そうさ。『misao−e』から瑞佳へ」

僕は失敗した…いや成功したんだ。誰も知らないけれどね。『mizuka−e』から猫が…瑞佳が生まれた。
でもそのためにT社を追われることになった。事情が事情だけに二度と表に出ることはできない。
しかもスノウをを巻き込んでしまった。だから…僕はずっと彼女と一緒に生きてきたんだ。

「愛してたんじゃなかったのか?」
「もちろん愛していたさ…」

愛していた。今でも愛している。でも…だめだった。

「瑞佳がどこに消えてしまったのか。どうなったのか。ずっと忘れることはできなかった」
「それであいつを探すために…俺たちを集めた」
「違うね」

男は首を振った。

「消滅させるために…呼んだんだ」





静まりかえったオフィス。
防音を施された窓の外から微かに聞こえてくる砲撃の音。

「…何…だと?」
「あれはあってはいけない存在だ。冷静に考えればわかるだろう?」

猫はいつ暴走するかしれない。外に出ればもちろん危険だが…ごく一部の人間が利用する可能性だってある。

「現に君たちだって…あの一族に懐柔されているじゃないか?」
「…!」

驚いた。いったい彼はどこまで知っているのか。この男の情報網…。

「二人は瑞佳に会ってくれさえすれば良かった。こちらには『doppel』があるからね」
「やはり軍ではなかった…仕掛けたのはおまえたちだな」
「T社の開発部門にも「王」の仲間は大勢いる。彼らが新しい攻撃ウイルス…『doppel』を連中に提案したのさ」
「それが瑞佳と何の関係がある?」
「ただのウイルスじゃないよ。『misao−e』のソースファイルを元につくった…瑞佳専用のワクチンさ」
「ワクチン?」
「ウイルスに接触しただけで…瑞佳は崩壊する」
「!」
「いつかこのウイルスは彼女のもとにたどり着くだろう。君たちが道を開けてくれたはずだから…ね」
「おまえ…最初からそれが目的で…」
「窓の外をごらん。あの蠢いているものたちを」

AIとはいえ人格もへったくれもない。集合無意識。自我がない。感情もない。無機的にただ破壊と殺戮を繰り返すだけ。
しかも集団で行動する。蜘蛛とスズメバチの行動形態をMIXしたものだ。

「軍の施設や車輌にはワクチンを装ってばらまいておいた。連中も散々だろう。これでクーデターは本当に終わったわけだ」
「…他の人間まで…巻き込まれているんだぞ」
「確かにおぞましい存在だ。でも瑞佳が消滅すれば連携して自己崩壊するようになっている」

あんなものになってしまったけれど…負の瑞佳とも言える存在だ。彼女とお互いに相殺する。

「だから…心配いらないよ」
「心配いらないだって?こんな…酷い状況にしておいて」
「まだマシじゃないか。あの日に比べれば」
「…あの日?」
「知らないとは言わせないよ」

思い出した。ハザードだ。スノウから聞いた惨状。崩壊した街の風景。

「まさか…スノウも…」
「彼女は関係ない。全部僕が勝手にやったことだよ」
「…本当か?」
「嘘はつかないよ。だから…苦しかった。早く終わって欲しかったんだ」
「それなら…もっと早くウイルスを使えたはずだ。なぜそうしなかった?」
「君たちが葉子さんの意識を取り戻すまで…待っただけさ」

あの騒ぎで意識を失った人間を回復させる…それが僕にとってのけじめの一つだった。

「でもスイッチは…あの男に委ねた」
「当然だ。これで誰がどんな手を使おうと…彼らについての評価は決定的になったはずだ」

タカツキがウイルスを使うまでにそれほど時間はかからないと思っていた。
ただ僕のシナリオではもう少し後だった。葉子さんがあそこに現れたのは…予想外だ。
本当はその間に…スノウやみさきさんたちをもっと遠くに逃がすつもりだったから。

「今となっては…もう何もかも手後れだよ」
「…」

茜は起動したマシンを自分の体で見えないように隠していた。
こっそり回路を使って侵入…ずっとワクチンを探しているのだが…どこにもデータがない。
しかも汚染されている。そんな馬鹿な。さっきは大丈夫だったのに。

「探しているのは…これかい?」
「あっ…」

男の手に輝く小さなディスク。金色の光沢。S−DVD。

「さっきはこれをドライブに入れておいたんだ。中にワクチンが入っている」
「それを…渡せ」
「いいとも…受けとりなよ」

彼はディスクを片手で持つと…銃で撃った。粉々になって床に落ちる。

「!」

さらに落ちた破片を撃つ。散らばった細かい欠けら。もうどう考えても修復のしようがなかった。

「くっ…」
「もう用済みさ。あくまでも君たちをおびき寄せるための…餌だからね」
「別の場所にあるはずだ。教えてくれ」
「他のファイルは昨日までに全て消去しておいた。もう世界中のどこにもワクチンは…存在しないよ」
「ふざけるなっ!」

飛びかかる浩平…だが踏んだ場数が違う。
男は落ち着いて引金を引いた。

銃声。

「浩平っ!」

駆け寄った茜。助け起こした。口から血を吐き出す浩平。
弾は胸を貫通していた。肺に血が溜まっているのか苦しそうだった。

「浩平!浩平!」
「…ゲホッ…」
「ごめんよ。でもここまでわざわざ誘ったのは…君たちにも死んでもらうためなんだ」
「そんな…」
「瑞佳の力は全て消さなければならない。それに二人の力…人間が持つべきものではないからね」
「やめて…下さい」
「君たちだけに責任を負わせるつもりはない。僕もすぐ後からいくよ…」

銃を茜に向ける。引金に指をかけた。
茜は目をつぶった。駄目だ。撃たれる。
彼は本気だ。

銃声。

「…」

何も起こらない。静かに目を開けた。

「…あ」

茜の目の前…20cmぐらいだろうか…弾が空中で止まっていた…回転しながら…。
やがて下にポトリと落ちる。

「これは…」

再び引金を引く。銃声。銃声。
だが弾は全て途中で落ちていく。まるで見えないクッションに当ったかのように。
いつのまにか黒いコートを着た影が…二人のすぐ横、壁際に立っていた。

「ルミィ…」
「遅れてしまったな」

もう一つの気配に振り返ると、浩平の側にしゃがんで傷口に手を当てている女。
白いスーツ。そして…ショートカットに変わった金髪。
その姿に思わず茜の口から出た言葉。

「『母…さん』」
「遅くなって…ごめんなさいね」

ルミィが男の前に立つと尋ねた。

「まだ…やるつもりか?」
「いや。もう君たちのことは…諦めるしかなさそうだな」

猫を消すことができただけで…それで良しとしようか。

「あの日落ちたエアに…家族が乗っていた。両親と妹が」
「…」

後悔しつづけた。でもそんな日々も…やっと終わりだ。

「スノウ…ごめんよ」

彼は銃口を自分の頭に当てた。

「待て!」

銃声。

力で銃を弾き飛ばした…が…遅かった。
ディスプレイやマシンを巻き込みながら崩れ落ちる男。床に広がる血。
ルミィが側に近づいて様子を見る。首を振った。

「伯爵…馬鹿だ。おまえは」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
28個目。


長くてすいません。
事実上これがクライマックスなので載せてしまいました。
ごめんなさい。

読んでくださった方ありがとうございます。