NEURO−ONE 21 投稿者: 天王寺澪



第二十一話「浩平・VR」



「…馬鹿者はおまえだったな」

死体の側で…やはり制服を着た男が言った。部屋の中は血と焦げた肉の匂いがする。
焼けた机の上にはデッキ…だったもの。熱で変形したプラスチック…溶解したカセット…。
原形をとどめる物は何一つなかった。

「さっさと死体を片づけろ」
「しかし検証がまだ…」
「できるのか?ROMカセットの謎の力で殺された…そのまま報告するつもりなのか?」
「では…」
「適当に…そこで焦げている研究所の男がカセットに見せかけた爆弾を持ってきた…それでいいだろう」
「は…」

ふっ。まあいつかはやってくれると思ったが…うまくいった。
AIはいい女だと吹き込んだだけでこれだ。将軍…女に目がない…それがあんたの欠点だ。
あのカセットにも例の力がある可能性はごく一部で報告されていたことだ。
まあそれをあんたに言わなかったのは俺の考えだが。

「あんたの役目はとっくに終わっていたんだ…そして今日からは俺が指揮をとる」

半分炭化したそれを見下ろした。たくさんあった勲章が少し焼けずに残っている。
今回のクーデターの責任も全部この男に…いかにもそういうタイプの人間で筋書きにふさわしかった。
クーデターの首謀者暗殺…臨時政府樹立…再度正常化。ただし手に入れる物は全て手に入れる。
他のメンバーも雲行きが怪しくなった途端、彼の提案にとびついてきた。

「…VR社へ行く。スノウを呼んでおけ。セレモニーに協力させる」
「はい」
「それと…あの連中を処刑できるように集めておけ」

例の施設で兄の死に関わった女…天沢郁未。その仲間だった巳間と名倉…。そして他の女たち。
俺は兄貴のように甘くはない。それを思い知らせてやる。

「タカツキ殿…車の準備ができました」
「…今行く」

ふん。タカツキ殿か。まあいいだろう。
間もなくおまえたちは名前ではなく、新政府の首相…総理と呼ぶのだからな。





茜は冷たい瞳でそのまま瑞佳をじっと見つめている。
子供たちも戸惑っていたが、男の子の方が妹をしっかり抱きしめて押さえていた。

「自分だけこんな場所で…幸せになって…」
「…茜」
「許しません…許したくない…」

しばらく沈黙が続いた…重苦しい空気が部屋を支配していた。
蛍光燈の光が白く冷たい。誰も身動き一つできなかった。
そして…やっと茜が口を開いた。

「でも」

息を大きく吸い込む…そして吐き出した。

「これで…帳消しです…」
「…茜…ちゃん」
「私も…馬鹿でしたから…」

いつのまにか目が潤んでいる。溢れた涙をぬぐうと笑った。

「…全部思い出して…そして…わかりました」

VRだろうが外の世界だろうが…好きだという気持ちには何の違いもありません。
外だから本当…VRだから嘘ということはないんです。そんなことはどうだっていいことでした。

「あの世界で母が死んだのは…あの人にしかわからない理由。でも彼女だって…本気だったはず…です」
「…うん」
「私だって負けられません。浩平を引きずってでも帰ります」
「茜…(汗)」
「うん…そうだね」

瑞佳の瞳からも涙が零れ落ちた。彼女も笑っている。

「ずっと気になってたんだ。ずっと…」
「はい…」

茜ちゃん…ごめんね。でもありがとう。

「お母さんは…本当は悪くないんだよ」
「…?」
「たっちゃん。もういいんだよ」

瑞佳は男の子を抱き寄せると座らせた。

「…瑞佳…どういうことだ」
「そこからは俺が…話そうか」
「えっ?」

すぐ向こうの玄関。Tシャツにジャージ。手には洗面器を持っている。
上がってきて、奥の部屋までやってきたその顔。

「こっそり帰ってきたら…修羅場だったから…入れなかったじゃないか(笑)」
「…もしかして…」
「はじめまして…なのかな」
「うちの人だよ」
「よろしく。二人とも」
「あ…どうも…」

頭を下げた。間が悪かったのでちょっと恥ずかしい。
浩平は茜が固まっているのに気がついた。シムで好きだった男に会って緊張…人のことは言えないぞ茜。
見ると瑞佳が膨れている。

「ずるいよ〜。隠れてるなんて…」
「ごめんごめん。悪かった」

彼は窓際の涼しいところ、子供たちがいる辺りまで来て座った。
年は…やはり上のようだ。10年経っているとすると…30前ぐらいか…。
結構落ち着いた感じ。やはり二人も子供がいるとこういうものなんだろうか。

「ふう…やっぱり窓際が一番涼しいよ。今時分はまだいいんだけど、夏になると冷房がなくて…」
「そう言えば…どうして大きな家に住まないんだ?」
「俺の安月給ではまだ無理だから…ってそういう意味の質問じゃないよね」

彼は膝に乗ってきた女の子をあやしながら答えた。

「この世界では…瑞佳はOSでしかない。わかるかい?」
「…いえ」

ここは…あの騒ぎを抜けるときにバックアップを復活させたものだ。ある程度の時間係数をかけてね。
ただその時こいつがちょっとしくじって昔に戻しすぎたんだけど…とにかくあの世界全体をここまで持ってきた。

「それからずっとこの世界の外と内を管理している…でもそういうファイル管理だけなんだよ。瑞佳がやってるのは」
「エディターではないと?」
「そういうこと。各データがどう変わるかまでは制御していないし…できない」

細かいレベルでの各要素のコントロールはとても無理。とてつもなく巨大なシミュレーションの世界なんだ。
もちろん世界全体が壊れそうになったら何とかするかもしれないが…まあ何をしても大掛かりになる。

「もっとも普段は…ちびちゃんのほうが外で頑張ってくれてるから、ほとんど普通の主婦だけどね」
「ちびちゃんて…さっき会った?」
「そうだよ。ちびみずか」

あれが『misao−e』…『mizuka』か。

「ここがVRシムだって、ずっと知ってたのかい?」
「いや…俺も最初はわからなかった」

もともとVRの中にしかいない人間。俺にとっては全部現実だったからね。
ただそれでも元の世界はどうなったとか…いろいろ気にはなっていた。

「こいつと再会して…しばらくしてからやっと聞き出したんだ。この世界のからくりを」
「…驚きませんでしたか?」
「そりゃ驚いたさ。俺がずっと住んでいると思ったこの世界がつくりもので、俺はデータでしかないなんて」

瑞佳を見て笑う。彼女はちょっと顔を赤くした。

「でも考えてみたら…どこだって同じ。そう思ったんだ」

外の世界だって…体の中に収まった脳みそから小さい穴を透して外を覗き見しているようなものだろ?
データを送る経路…神経…の途中で干渉されたら、何が本当かなんて誰にもわからない…。

「だからもう開き直って暮らすことにしたのさ」
「このことを…知っているのは…?」
「もちろん俺たちだけだ。みんながみんな俺のように納得できるとは限らないからね」

中にはショックを受けてむちゃくちゃするやつもいるかもしれないじゃないか。
だからこれはクーラーも持ってない貧乏な家族の超ウルトラスーパートップシークレットなんだ。

「確かに…知られたら大騒ぎだな」
「だろ?」

彼はそこで瑞佳が持ってきた烏龍茶をおいしそうに飲んだ。

「…それで…例の暴走だけど…俺と瑞佳も時間を見つけていろいろ調べてみたんだ…」
「何か…わかったのかい?」
「ああ…もっともこの中でできることなんか限られてる。あくまで推測だけどね…」

俺たちは…瑞佳のAIとちびのAIの構造が似ていることに気がついたんだ。それが手がかりだった。





「みゅー?」

きょろきょろと部屋を見回す。みゅー。みゅーがいない。

「みゅー!みゅー!」

スノウが連れて行かれてから…繭はスノウの部屋にずっと住んでいた。ミューと部屋の中で遊ぶ毎日。
でも昨日からなぜかみゅーが…友達のみゅーが見つからない。

「みゅ?みゅみゅ〜?」

テーブルやベッドの下も見た。でもいない。おかしい。
まさか…みゅー…外に出ていっちゃった…?
でも繭は外に行けない。エレベーターにも乗れない。
廊下に恐いおじさんたちがいて出してくれないから。
どうしたら…。

そうだ。

窓がどれか大きく開いたはず。秘密の窓。スノウが前に教えてくれた。
ええっと。あっここだ。ここから下に降りよう。
だが…窓…開けてみると…。

ゴオッ

風が強かった。ここは…ごじゅう…ええと…。
人も車も小さく見える。恐い。落ちたら。
やめよう。そう思って閉めようとした時。

繭。

誰かが呼ぶ声がした。

「みゅ?」

振り返る。でも誰もいない。

繭。

「…?」

もう一度外に頭を出す…と、気がついた。
窓の下、ほんの少し突き出たスペースの端に何かが見えた。

「!?」

茶色の物体。いつも明るく緑色に光っていた目が、今は消えて暗くなっている。

「みゅー!」

繭は椅子を持ってくると、窓の外に体を乗り出した。

「みゅー…今行くよっ」

よっこいしょ…よいしょ…。
窓の下に降りる。横に柵などない。
落ちないように手を窓枠にかけて、もう一方の手をそれに向かって伸ばす。

「みゅー…」

届かない。
あと少しなのに。

「みゅ…」

あと少し。
あともうちょっと。

銀色の尻尾の先端に指が触れた、その時。

「あっ」

窓枠から指が離れた。
体が宙を舞った。





「…たぶん何かの実験だったんだと思う」

あのシムの基本プログラムに、ちびみずか、『misao−e』を組み込んだ奴がいたんだ。
VRはまだ使われはじめたばかりで規制もほとんどなかった時代。何かを大勢の相手に試すにはもってこいの分野だった。
ところが…。

「ちびのAIとシムのキャラクターAIが結合して、『mizuka.rev』、つまり…瑞佳が生まれてしまった」

連中にとっての誤算は…ちびみずかまでのはずが…こいつまで出来てしまったことだ。

「…連中って…まさか…?」
「うん。T社に軍の人間が入り込んでいたらしい。あのVRシステム自体、もともと軍から持ってきたものだからね」
「…そう言えば…『misao』をつくった会社を吸収したのも…軍だったな…」
「ある意味正式な軍としての動きじゃなかったはずだ。裏の裏で動いていた連中がいたってことになるのかな」
「そうか…」

きっと今回のクーデターを起こした連中…それがあの時からずっと…。
待てよ…クーデターだって?いけない。大事なことを忘れていた。スノウやスミイに頼まれていたこと。

「瑞佳。意識が無い連中を助けるにはどうしたらいいんだ?」
「それって…葉子さんたち…だよね?」
「そう」
「あの世界で死んでしまった人は…意識がフリーズしているの。リセットするしかないんだよ」
「リセットだって?」
「意識がそれで戻るんですか?」
「…意識はあくまでも純粋に物理構造に支配されているものだよ。ただその媒体がニューロンかサーキットの違い…」

あるいは空間に…人はそれを幽霊って呼ぶね。

「でもどうやってリセットなんか…」
「普通には無理。人間の体にはスイッチがないから」

だから…あなたたちが来たら渡そうと思ってたものがあるの。
瑞佳は立ち上がって二人の側まで来ると膝をついた。

「ん?」
「…?」
「ちょっとごめんね…茜ちゃん」

茜の肩を両手で押さえた。そして…。

「…!」

瑞佳は茜に顔を近づけると突然キスをした。子供たちが顔を赤くして見ている。
茜がうろたえている…でもすぐに目がとろんとして抵抗しなくなった。

「わああっ!」
「すごおいっ」
「二人ともうるさいっ。ええっと…」

茜ちゃんもう一つごめん。
そう言うと瑞佳は浩平の方にも…。

近づいてきた唇。
触れた。柔らかくて…暖かい。
不思議なぐらい…心地良い。そのくせ後頭部まで突き抜けるような…そんなキス。
気がつくと瑞佳が離れている。自分の唇に手を当てて笑っている。

「…うふふ。若い浩平もいいね」
「「おいおい(汗)」」

横を見ると…茜…まだぼんやりしている。キスされた途端に頭の中で何かが弾けたのだ。
瑞佳が男の子と目を合わせる。

「試してみようか…たっちゃん」
「うん」

頭の中に声が響いた。

お兄ちゃん。
お姉ちゃん。

「えっ?今の声…」

茜が男の子に首を向けた。驚いている。

「…たっちゃん…?でも…」
「そうだよ。この子が話しかけたんだよ」
「だって…耳から聞こえませんでした。通常のVR伝達とは…」
「うん違うよ。今のは…似てるとすれば…テレパシーかな。達也も少しだけ使えるんだよ。ね?」
「うんっ」
「てっ…テレパシーだあ?」
「ここはVRだから…亜空間リンクって言ったほうがいいかもね」

二人の頭の中に新しい回路をつくったんだ。これでもう外でもデッキなんかいらないよ。

「なっ…何だって?」
「そんな…ことが…」
「私の力の一部を二人に渡したんだよ。亜空間を経由してマトリックスや意識にリンクできる力…」

ちょっと照れくさそうに笑いながら、こう言った。

「亜空間回路だよ」


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
21個目。