第二十四話「リアル・シトラス」 「どうして…」 浩平は立ち尽くした。目の前の老人はもう動いていない。鉄錆び色の血は絨毯を染めて…既に固まりかけている。 レディが椅子の側に駆け寄ったが…うなだれた。もう手後れだった。 「…瑞佳が…瑞佳の世界が…消えてしまう」 「ikumiさん…」 2NDは何も言わずに死体を見つめたままだ。ミラーグラスの下の表情はまったくわからない。 「…何とか言ってくれっ」 掴みかかった浩平の腕を2NDが振り払う。拍子にミラーグラスが跳ね飛んだ。 「あっ…!」 彼らが目にしたもの…グラスの下から現れた…濃いルビー色の…深海。 赤い宝石は光を吸い込んで深い影をたたえている。あきらかに人のものではない…瞳。 2NDは何も気にしない風にミラーグラスを拾うと…元どおりにそれをはめる。 「あなたたちは一生かかっても…答えを出せなかったでしょう…」 「ikumi…さん…」 「私は人間ではないから…感情のない機械…だから…」 今どうあるべきか、為すべきことは何か。それを判断して…実行しただけ。 「冷たい…計算機だから…」 「…嘘…です」 茜の声が震えた。首を振る。 「ikumiさんに感情がないなんて…嘘です。あなたは私たちと同じ…同じじゃないですか」 「茜…」 「私たちの代りに…私たちの…代わりに…」 「人間であるあなたたちが悩むのは当然のこと。これが機械の役割…」 「2ND…」 浩平は…言葉が続かなかった。彼もあの時老人を殺したいと…確かに思っていたから。 ただ…。 「瑞佳…瑞佳が…」 「…そう…ね…」 寂しそうに笑う。 結局いつも私が…彼女を追いやることに…なるのね。 「戦ってるわけでも憎みあってもいないのに…相手の居場所を奪ってしまう。そういうことが確かに…あるよ」 「…?…今の声…」 「レディ…」 声のした方に目を向ける…と、彼女が老人の側にひざまづいて彼の顔の血をずっと拭っていた。 小さなハンカチも、それを持つ手も…血で真っ赤に染まっている。彼女の細い背中には悲しみが溢れていた。 「大事な人が、好きな人が、みんな消えていった。私が長老に気に入られた。ただそれだけのために」 「詩子…」 「誰が悪いとういうわけではない。でも同じ場所に…一緒にいることができない」 どんなに仲良しでも幼なじみでも…どちらか一方しか残れない、許されない…。 「厳しい世界だった。でも…それでも感謝してたし頑張った。あの小さな島にいた私を拾い上げてくれた…から」 「…!」 立ち上がってゆっくりと振り向いたレディ。その手にいつのまにか銃が握られていた。老人の銃だ。 そしてそれは…真っ直ぐ2NDに向けられている。 「…詩子…やめてっ!」 「もうその名前で私を…」 「詩子!」 「呼ばないでっ!」 パアーーーンッ! 前に出た2ND。胸に弾が食い込む。そのままレディの方へと歩いてゆく。 銃声。銃声。銃声…続けざまに鳴り響く。耳を塞ぐ茜。 驚いたことに弾は一つも防がれることなく…全て2NDの体に撃ち込まれていった。彼女は力を使おうとしない。 弾を受ける度に体ががくっと軋む。飛び散る体の破片。ミラーグラスは粉々になり、片目が失われた。 それでも彼女はレディの方へと近づいていく。 カシッカシッ 気がつくとカートリッジは全弾撃ち尽くされていた。 カシッカシッカシッ 弾が切れてもまだ…取りつかれたように彼女は引金を引き続ける。 そのすぐ目の前で微笑みかける2ND。眼窩から溶液が流れだし…体は白煙を上げながら。 銃に手を置いて…ゆっくりと降ろさせる。 そのままレディを抱きしめた。 「…あっ…」 「ごめん…ね…」 「…」 「ごめん…」 ガタッ…2NDが床に膝をつく。ずり落ちる時にレディの服に赤い液がついた。 倒れそうになるのを茜が慌てて支える。 「ikumiさん!ikumiさん!」 「…大丈夫、私は…」 痛み…感じない…から…。 「………」 だらりと下がったレディの手。 銃が離れて床に落ちた。 「みゅ…」 「どうした?」 繭は時々彼女の髪を触りに来る。長く艶のある綺麗な髪。 そしてもう今は青色に戻ったそれを見て首をかしげている。あの時光っていたのが余程気になるらしい。 ただそれほど驚いているわけでもないようだ。まるで以前それを見たことがあるみたいだった。 「みゅ♪」 彼女も繭といると不思議に楽しかった。なぜかはわからない。 世話に手を焼けば焼くほど何か懐かしい気持ちになった。繭も彼女が気に入っているようだった。 「この力と…関係があるのだろうか…?」 「みゅ?」 ここ何日か夢で戦っている自分がいた。刀ではなくマシンガン。そして不思議な力。 そして昨日ついにその力を使うことができるようになった。まるで嘘のようだった。 これが何なのか正直なところよくわからない。ただドッペルという言葉だけが耳に残っている。 「おまえは…知っているのか?これを…」 「…みゅ」 繭はただ非常食のパンを食べている。はぐはぐ…てりやき欲しい…はぐはぐはぐ。 頭の上には充電をしてもらったミュー。繭は大好きなみゅーが動き回ってご機嫌らしい。 ノックの音。部屋に男が入ってきた。 「おう。ちびちゃん元気みたいだな」 「みゅ〜♪」 「スミイ…」 「明後日の場所がわかったぜ」 …アリーナらしい。場所的にはちょうどいいからな。 「そうか…」 「行くのかい?」 「もちろんだ。あの男を倒すにはいい機会だし、それに…地位が確立してからではまずい」 「ふむ…だが俺だったらもう少し様子を見るね。自分から喧嘩売りに行くなんて正気じゃない」 危ない橋は渡らない。これがこの世界で生き残る秘訣だ。 「奴等だって万全の備えをしているはずだ…」 「…そうだな。でもその日じゃないといけない気がするんだ」 「予感ってやつかい?俺はそんなものに自分を委ねる気にはなれないね」 「世話になった」 「ああ…よしてくれ」 俺はオヤジの命令で動いているだけだ。昨日の敵は今日の友。そして…。 「明日はまた敵になるかもしれないからな」 「…そうだったな」 「正直…まだこの右手が疼く…」 俺じゃない…この右手がおまえと…勝負したいって言うのさ。時々な。 「…この件が終わったら相手をしてやってもいい」 「冗談じゃねえ。今のおまえに喧嘩売るやつなんかいねえよ」 スミイは窓の側に行くと夜の海を眺めた。ここは港に停泊した船の中。ベンテン・ブリッジが見えている。 貨物船とは表向きの話。違法入国者をかくまう隠れ家だった。 時々遠くで汽笛が鳴る。その度に繭が海の方を向いてじっと耳を澄ませている。 「あいつらが戻って来るまで…待っていちゃあ駄目なのか?」 「浩平…か」 中継ぎをしている連中ともまったく連絡がとれなくなった。もう生きているか死んでいるかもわからない。 でも今のところ…嫌な感じはしていなかった。自分のその感じだけを信じていた。 「とにかく私でできることは…しておきたいんだ」 「ふう…おまえならきっとそう言うと思ったが…とりあえず銃の類が入用なら言ってくれ」 「刀があるから…いらない」 「…信じられねえな。まあいい、好きにやんな。どうせ誰にも止められないんだ」 今のおまえは…まるで…核弾頭だからな。 「ふ…」 「笑ったな。こええこええ。じゃあな。ちびちゃんも早く寝ろよ」 繭の頭を撫でて出て行こうとする。それをルミィが呼び止めた。 「スミイ」 「なんだ?」 「おまえは夢を見なかったか?」 「夢…?いったい何の話だ」 夢なんてここ何年も見たことはないぜ。 「…そう…か」 「そうだな…いかした姉ちゃんに囲まれて酒でも飲みたい…ああこれは夢違いだな…」 そう言って笑うと部屋を出ていった。ルミィはそれを見送りながらつぶやいた。 「気のせいだったのか…」 「夢…ね」 廊下を歩きながら首を振る。あんなもの人に話せるかい。 スミイの脳裏に浮かんできたそれ。ここ最近やたら見る不思議な夢だった。 それは変な女に仕えている夢だった。あれはいったい何だったのか。 あの女ときたら…可愛い顔をしてるくせにおかしな格好で。周りには…。 「…まあいいや」 「ここは…」 茜は思い出した。ここは…プロジェクターで見た部屋だ。 そこはかなり広い居間で、奥にもいくつか部屋があるようだった。寝室やキッチン。 廊下の向こうに小さな中庭が見える。日光は光ファイバーで取り込んでいるようだ。 すぐ前の壁にはたくさんのディスプレイと端末。恐らくその中の一つで茜と交信していたのだろう。 目の前にはレディ。隣には浩平。そして…別のソファに寝かされている2ND。 メイドロボ用の修理キットで応急処置をしたが…あまり良くない。やはり純正の部品が必要だ。 今はデッキからコードを繋いで…不良モードの洗い出し。瞼を閉じて眠っているように見える。 右目は…幸い眼球が破壊されただけで済んだが、ここには替りの目もない。ぽっかりと穴が開いたままになりそうだ。 レディは少しの間黙っていたが…そのうち…ぽつりぽつりと話しはじめた。昔の…言葉で…。 「あの部屋まで入られた時に…もうわかってたんだ。私たちの負けだって」 「…詩…レディ…」 「彼は駆け引きで勝てると思ってたみたいだけど…でも…カードを出し過ぎてたね」 普段の爺さんなら、あれだけの材料を並べて、自分を天秤にかけたりはしなかったはずだから。 「久しぶりに人に会えて、想像を越えた力を目の当たりにして…饒舌になってしまったんだ」 「そうかもしれない…な」 「早く…私を殺して」 「おまえ…」 「今殺さなければ、いずれあなたたちを殺すかもしれないよ。私も一族の一人だからね」 「詩子…」 茜がぼろぼろと泣きはじめた。 「…ごめんなさい。レディって呼ばないと…いけないんでしたね」 「茜…」 「でも…お願いです…あなたが私に…殺してくれだなんて…」 そんな悲しいこと…言わないでください。 また涙が零れ落ちる。レディは黙り込んだ。彼女もとても辛そうだった。 「だってどのみち私も…だったらあなたたちに殺された方が…」 「なぜ?」 「一族は私を許さない。責任の一部は私にあるし、そうでなくっても全部押しつけてくるに決まってる」 「そんな…」 「それにここで私たちを根絶やしにしておかないと…後であなたたちも無事では済まない」 あの爺さん殺しただけでは何も解決しない。いつか誰かの雇ったニンジャに殺られるよ。 茜の顔が青ざめた。残りの一族をみんな…? 今襲われているならともかく、いつか狙われるかもしれない…そんな理由で…そんなこと…だめだ…。 「俺たちには無理だ。茜」 「浩平…」 「とにかく…地上へ降りて考えよう。とりあえずデータ群から俺たちの履歴を消して…」 「はい…」 「いいの?本当にそれで…」 「ああ。申し訳ないが後始末だけ頼む。爺さん死んじゃったのは気の毒だが…これ以上ここにいても気がめいるだけなんでね」 「そう…あなたたちがそう決めたのなら何も言わないよ。連中もしばらくはあなたたちに構っている暇はないだろうし…」 これから私有地の中で…誰も想像できないレベルでの…相続争いが起こるから…。 国家予算など問題にならない。なにしろ天文学的な資産があちこちに隠されてる。この私有地もその一つ。 彼女の表情に…青い炎のような冷たい意志が現れた。 「私も用意したシナリオで闘うだけ。一族のものなら誰でも…繰り返しシミュレートしていること」 「そのシナリオには…あの一角のことは…?」 「ごめん。そこまで余裕はない。だって私は…もともとよそ者だから」 爺さんが後ろ盾してくれたから今まで何とかやってこれたけど…もうそれもない。殺されないようにするのが精一杯かも。 「私も正直ここにこれ以上いたくないんだ。五体満足で地上に降りられたら…それでいいと思ってる」 「そう…か…」 浩平は気持ちがずっしりと落ち込んだ。茜がうつむく。 「待ちなさい」 「…2ND?」 いつのまにか目を開けていた彼女…横になったまま、左の赤い瞳で天井を睨んでいる。 「レディ…本当にそれでいいの?」 「…」 「あの鍵はどうしたの?」 レディの顔色が変わった。静かな…だが底知れない顔。2NDの方を黙って見つめている。 それから…あきらめたように肩をすくめると、ブラウスのポケットを探る。中から現れた…金色の鍵。 「忘れてくれてると思ってたのに…」 「その鍵はいったい…」 「老人は途中で自分の失敗に気がついていたはず…でしょ?」 「どうしても…これを…私に使わせたいんですね?お姉さん」 2NDが体を起こした。 「ごめんなさい。私は諦めが…悪いのよ」 「レディ?…2ND?」 「あの…それは…」 レディは鍵を握り締めた。手が震えている。 「もし戦うなら…使える物は…全て利用しろ…か」 「レディ?」 「ひどい爺様だよね。こんなもの押しつけて…残された者のことも考えてよって」 曲がるかと思うほど力を入れた…が、古い鍵は軸が丸くてびくともしない。 彼女はそれを浩平に渡した。手の中で鈍い金色に輝くそれ…何か古い箱に使われていたもののようだ。 「…これは…旧式な鍵だ。何の細工もないようだが」 「何の鍵ですか?」 「これは…一族の古い時代に金庫に使われていた鍵。今これで開くものは…何もないよ」 「どういうことだ?」 「極めて象徴的な…例えて言うなら古代中国の…印のようなもの」 「…印?」 「これについて聞く前に…先に教えて。猫の世界で何があったか…あの力はいったい何なのか…」 「どうして?」 「あなたたちが味方になるべき存在か…まだ私が勝負できる可能性があるかどうか…判断したいから」 「?」 浩平たちは怪訝に思いながらもレディに説明した。瑞佳に会ってからのこと。そして手に入れた力のこと…。 レディの目が輝いた。 「…凄い力。一族が予想していた以上ね」 「ああ…さっきまでは俺もそう思ってた…だけど…」 だめだな。どんな力を持っていても…所詮一人の人間。限界がある。瑞佳のことだってどうしていいかわからなかった。 だが話を聞いたレディが…考え込んでいる。その様子は少し変だった。半眼になったまま身動きしなくなったのだ。 「レディ?」 「しっ…黙って。彼女の邪魔をしてはだめ」 「えっ?でも…」 「見てなさい…彼女の本当の…力を」 それは…十分か十五分ぐらいだろうか。ほんの短い時間の中で、全ての持ち駒から戦略を練り上げていく。 彼女の特殊な力…機械に頼らない高度な策謀、計算能力。レディ・『C』の本当の意味。 戦略…実行…予測…分析…戦略…実行…予測…その繰り返し。力を磨くにはうってつけの世界だった。 そして次に目を開けた時…彼女にはもう自分のするべきことがわかっていた。 「ビジネスの話を…しましょう」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 24個目。 もう誰も覚えていない続き(^^;