NEURO−ONE 20 投稿者: 天王寺澪
第二十話「瑞佳・REV2」



彼女のワンピースは半袖。浅葱色に白い柄が少し。
薄い布地で腰から上は体の線がそのまま、裾のところはふわっとして。

「瑞佳…なのか?」
「…浩平!…」
「え?」

瑞佳はいきなり駆け寄ってくると、首に腕を回して抱きついてきた。
おまけに頬ずりまで…。

「みっ…瑞佳!」
「浩平…やっぱり浩平だ…」
「…お…おい…人が見てる…」
「ホントに…ホントに来てくれたんだね…」

嬉しいよ…会えるなんて思ってなかったから。

瑞佳は…湯上がりだろうか。ほんのりとシャンプーの匂いがした。
それに体…柔らかくって…うまく言えないが大人の女…って感じの…。

「うっ!」

浩平はすぐ後ろから…とてつもない冷気を感じた。まずい…まずいぞこれは。
ギギギギギッと音をたてながら…ゆっくりと首を後ろに向ける。

「うわっ」

茜の周囲の温度が下がっていた。霜がおりそうなぐらい。

「…あっ…茜…」
「よかった…ですね…」
「いや…こっこれはっ…不可抗力ってやつだぞっ」
「それにしては…嬉しそう…ですけど…?」

じと目で睨む茜はミサイルよりも恐かった。
やっと離れた瑞佳が、にこにこしながら二人を見ている。

「浩平。茜ちゃん。来たんだね。やっと」

ごめんね。大変だったでしょう?

猫…という呼び名が…まったくふさわしくない…普通の大人の女性。
懐かしくて…暖かい微笑み。その笑顔を見ていると不思議に満ち足りた気持ちになった。
そうか、夢で会ったんだ。彼女には夢に出てきた少女の面影が間違いなくある。それで…。
でもいい女だな…。浩平が性懲りもなく見惚れて…また茜に睨まれていた…その時。

「お母さん!」
「!?」

後ろから走ってきた小さい影。男の子。

「お母さん…お客さんだね」
「うん。たっちゃんの言ったとおりだよ」
「…お…かあ…さん?」

浩平が口を開けている間に…小さい影がもう一つ…。
こっちは女の子だ。

「お母さん!」
「はいはい…ほら二人ともご挨拶しないと…」

こっちを見る。でも女の子は恥ずかしがっている。

「…こ…ども?」
「ほら達也、恵」
「こん…ばんは」
「こんばんは〜」

浩平と茜は固まっていたが、すぐに気を取り直した。

「こ…こんばんは」
「こんばんは…」

茜はにこにこしながら女の子の方にかがむ。

「恵ちゃんって言うんですか。可愛い…です」
「ありがとう。この子はメグでいいよ」
「メグちゃん…ですか」
「こっちはたっちゃん」
「よろしくね…たっちゃん」

浩平は瑞佳に尋ねた。

「その…ええっと」
「うん」

そうだよ浩平。私の子だよ。

「ぐ…あ…」
「二人とも家に来て。あの人が会いたがってるよ」
「あの…人」
「それって…まさか」

瑞佳はうなづいた。

「『浩平』だよ」





軍に所属する建物の一室。窓際に置かれた大きな机。周りには警護の兵士たち。
深い椅子に座った制服の男が、目の前に立っている白衣の男と机の上の黒いカセットを見比べている。

「それで?例のAIは交渉に応じたのか?」
「それが…いつもすぐ姿を消してしまいます…ので」
「ふん…しょうがない。おい」

横にいる兵士にデッキを持ってこさせる。

「わしが会ってやろう」
「危険です。止めた方が…」
「うるさい」

何が危険だ。おまえら…研究所の連中ときたら結局役にたたん。まあ交渉だったらわしに任せておけ。
それに本当はこんなカセットどうだっていい。これで駄目だったら焼却してしまえばいいんだ。

だがそう言いながらも男の本心はあせっていた。
クラスターからの報告では放った刺客は全滅…しかもあの力の痕跡があったと言う。
馬鹿な…あの女は月にいるはずだ。例の力の持ち主は所在を全て把握していたはず…いったい誰が…?
おかげで連中は既に私有地に入り込んだらしい。猫に会っている可能性は極めて高いのだ。
おまけに他のエリア、欧州や北米からの軍事行動が今にも始まりそうな気配だった。
『doppel』を使うときが迫っている。しかしばらまく時期は少しでも後にこしたことはない。
もしこのAIを説得できれば…そう思っていた。

だがそのあせりが誤った行動をとらせる結果になったのだろう。
デッキの電源を入れてカセットを差し込むと、端末を頭につける。

「本当に止めた方が…」
「わしに任せろ。それにAIは若い女だそうじゃないか…たいした事はない」

マトリックスに入った。だがデータの格子以外は何も見えない。

「おい。いるんだろ。出てこい」
「…何?」
「おお。やはりいるじゃないか。姿を現せ」
「あなたは誰?」
「わしは…将軍でいい」
「将軍?…ってことはクーデターの張本人ってわけ?」
「まあそういうことだ。だがそんなことはどうだっていい」
「その将軍様がいったい私に何の用なの?」
「いいか。わしに協力しろ。でなければおまえなんか焼却処分だ」
「ふうん。しょうがないわね」

マトリックスに姿を現したikumi。

「おお。おまえがそうか。なんだ…やっぱりただの女ではないか」
「女で悪かったわね」
「どうだ。わしの言うことを聞け。悪いようにはしない」
「悪いように…ねえ」

AIに対してまるで人間の女を口説くような物の言い方だった。
姿を見ただけで混乱しているのだろう。あるいはこういった人間の性か。

「あなたは…本当に将軍なの?」
「ああそうだ」
「ふうん」

ikumiは少し考えると言った。

「いいわ。協力してあげる。その代わり…スノウに会わせてちょうだい」
「それはできん」
「ネットでもいいの。お願い」
「…しょうがない。ただし話は横で聞かせてもらうぞ」

…おい…あの女に…そうだ…繋いでやれ…。

やがてネットにスノウが接続してきた。前に会ってからもう何年も経ったような気がする。

「スノウ?私が見える?」
「ikumiね。ええ見えるわ。驚いた。いきなりそっちに繋げって言われたから」
「大丈夫?なんか疲れてるみたいだけど」
「ええ…大丈夫よ。ここんとこずっと監禁されてたから…ちょっとね…」
「尋問されたの?手荒なことされなかった?」
「ええ。とっても紳士的だったわ。お気に入りの服がちょっと破れたぐらい」
「さっさと話を終わらせろっ!」
「…わかってるわよ。ねえスノウ。ここに将軍様がおられるのよ」
「あら…」

そう…だから私に…。

「そういうわけ」
「ikumi…世話になったわね」
「さようならスノウ。元気でね」
「さようならikumi。ありがとう」
「忘れないわ」
「私も…よ…」
「何だ?別れの挨拶か?」

ゴフッ

一瞬目の前が真っ赤になった。頭が破裂しそうだった。
慌てて端末を外す。だが痛みは治まらなかった。周りの兵士もみな頭を押さえてもがき苦しんでいる。

「で…電源を…」

デッキに手を伸ばした…だが間に合わなかった。

「うがああああっ」
「ぐ…ぐふ…」
「があっ」

ドガァッ
グシャッ

壁に、あるいは天井に叩き付けられる。そして…次々に頭から血を吹き出した。

ペシャッ
グシュッ
プシューーーッ

血で部屋は真っ赤に染まった。
コンクリートの壁が大きくたわみ、ひびが入る。

ベキベキベキッ…ドグァァアッ!

ROMから煙が上がり始めた。
デッキの中でikumiの映像が揺れて乱れる。カセットは自身と引き換えに…たった一度しか使えない力。
回路は焼け…やがて炎をあげた。鳴り響く警報。外から人が駆け込む…が、次々と同じように苦しみ出す。

「ぐああああっ」
「ぎゃああああっ」

部屋はもう炎に包まれていた。ファオンファオンファオン…。

「さよう…なら…スノウ」
「さようなら…iku…mi」
「さよ…う…」

…プツ…。





瑞佳は両手に子供たちの手を引いて、二人をアパートまで案内した。

「…やっぱり…アパートなんですね」
「どうして豪邸に住まないんだろう…」

そんなもの望むだけで建つんじゃないのか?やりたい放題だと思うのだが。

「瑞佳…」
「…こっちだよ」

狭い路地を入っていく。舗装されていない細い土の道…雨が降ったら…ぬかるみそうな感じ。
道の両側に勝手に植えられた庭木や花…咲いているが暗くて見えない。もちろん名前もわからない。
ただ花の匂いが…夜の空気の中を漂ってくる。

さらに路地を曲がった所でその○×荘が現れた。鉄の階段を登る。カンカンカン…。
子供たちが先に走っていく。ここだよ。ここここ…。
一番端の部屋。ドアの上には表札。『折原浩平 瑞佳 達也 恵』

「どうぞ。狭くて散らかってるけど…」
「お邪魔します」
「…お邪魔…します」
「あの人お風呂に行ってるから…もうすぐ帰って来ると思うけど」

浩平は驚いた。外に風呂だって?
銭湯…ってやつか?そうなのか。まだ残っていたんだ。いや待て。ここはVRだ。
混乱してきた。

「でも…そこにあるのは…お風呂じゃ…」
「うん。今ちょっと壊れてるんだよ。修理頼んでるんだけど…」
「修理だって?自分でデータを直せばいいじゃないか」
「ええ?お風呂なんか直せないよ〜っ何言ってるの浩平」

ますます混乱してきた。いったいどういうことだ?…わからない。

部屋は一応3つあるようだった。ベランダに面した部屋と真ん中の部屋。そして手前のDK。
男の子がベランダ側の部屋でちゃぶ台を運ぶ。瑞佳が冷蔵庫からお茶の入ったポットを出してきた。
それと透明なグラスが3つと可愛い絵の書かれた小さなコップが2つ。
瑞佳がポットを傾けると、茶色の澄んだ液体がとくとくとコップに注がれていく。
蛍光燈の光でお茶が輝いて見えた。

「どうぞ」
「あ…どうも」
「…いただきます」

VRの中で飲む…烏龍茶。これっていくら飲んでも関係なかったような。
冷たいお茶が喉に流れ込んでいく。子供たちも飲んでいる。

「…おいしいな」
「そう?おかわりする?」
「あ…うん」

瑞佳がまたお茶を注いでくれる。
気がつくと茜が子供たちに見つめられて顔を赤くしている。照れているようだ。
子供たちは明らかに茜が気にいったようだった。

「ごめんなさいね。茜ちゃんぐらいの女の子が珍しいの」
「…そうですか」

女の子の方は髪の色が瑞佳と同じ。目もとがよく似ている。
男の子は…やんちゃそうに見えて結構大人びている…頭がよさそうな感じだ。うまく言えないが。

「瑞佳…その」
「うん」

浩平は悩んだ。何から…尋ねたら…。たくさん聞きたいことはあったはずなのに、いざとなると言葉が出てこない。
そうだ。この部屋の雰囲気。開けた窓から吹き込む夜風。騒いでいる子供たち。
本当にこれが…親戚の家に遊びに来たのであればどんなにいいだろう。そう思っている自分がいる。

「わかってるよ…浩平」

瑞佳は男の子に何か持って来るように言った。
彼はすぐ隣の部屋に行くと、押し入れから小さな箱を取り出してきた。黒い艶消しの箱。材質は…金属?…いや違う。
瑞佳が箱を開けると、中にはオリーブほどの紅い宝石が入っていた。とても鮮やかな…炎のような…。
明らかに外の世界では見られない不思議な光の揺らめき。それ自体が光を放っているようだ。

「これが記憶…なのか」
「…記憶はみんなの頭の中にちゃんとあるんだよ…これは封印を解除するキー」

あれこれ質問するより…先に記憶を取り戻したほうがいいよね。
それに二人は…もう大体聞いてるみたいだから…たぶんショックは少ないと思うし。

「そうですね…」
「触れるだけでいいんだよ」
「茜…一緒に」
「はい…」

二人は手を伸ばした。宝石に触れる瞬間、軽い静電気のようなぴりぴりとしたものを感じたが、構わずに手を置く。
すぐに大きなうねりが二人を包んだ。頭の中で巨大な何かがゆっくりと場所を占めていく。
それはOSの再インストールのようにまどろっこしく…しかし確実な処理だった。
ほんの数秒で完了…思ったよりあっけない。だが浩平の中で何かが変わった。瑞佳がにこにこ笑っている。

「どう?気分は」
「…ええと」

思い出した。全部。もう物語ではなく実際の体験として。
まるで酒に酔っぱらった醜態を人に聞いて半信半疑だったものが、急に思い出されたような…そんな感じ。
2NDに聞いていたからまだましだった。いきなりこれが実体験だと知ったらどうなっていたか。
それでも…まだ知らない…AIが投入される前の記憶がたくさんあった。驚いた。

「…とんでもないな」

浩平の脳裏にVRの中の日々が…次々に蘇ってきた。大学生活まで延びたシナリオ…その後の戦いの数々…。
とても一日で体験したとは思えない世界。間違いなく何年もあの中で過ごした。それが実感として思い出された。
そして彼の記憶は…あのタワーに入ったところで終わっていた。2NDの話だと…その頃茜たちは…。

「!」

浩平はまたぞくっとするような冷気を感じた。しかもさっきとは桁違い。

「あっ…茜…?」
「…はい」
「大丈夫…か?」

茜は笑っている。だが恐かった。その笑顔。
あの朝と同じ。

やばい。

いきなりすくっと立ち上がったかと思うと、瑞佳の方へと近づく。
そしてたぶん彼女もそれを待っていたような気がする。

パシィッ

瑞佳が頬を押さえた。浩平が止める暇も無かった。



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20個目。

最終話までストックしたかったのですが途中で止めました。
このままでは話を忘れられてしまう…ドッペルがほしいよお(T_T)