第十九話「VR・シム」 「ここか…」 敷き詰めらた赤い絨毯。中央に天然石で造られた台。 その上に置かれた女性の人形。大きさは50cmぐらい。体は何かの合金のようだ。黄銅色に輝いている。 青い瞳はサファイヤ。手や胴体にも赤、緑、黄…と色とりどりの宝石が埋め込まれている。 着ているドレスは東欧辺りの民族調の彩り。 「これにキーワードを言えば…いいんだな」 「そうです…」 浩平は…ぼんやりした頭で…考えた。任せろとは言ったものの…本当は自信があるわけでもない。 あれこれ考えようとはしたが、とてもそんな元気もなかった。 とりあえず何か言ってみることにする。最初はやはり…これからだろう。 「えいえんはあるよ」 何も反応はない。 「…だめです」 「ま…そうだろうな」 …キャラメルのおまけ、ちびみずか、パタポ屋、みゅ〜、牛乳、猫…。 普通のシナリオに出て来る言葉を思いつくまま言ってみた。 だめだ。何も反応しない。 その時、部屋中に声が響いた。 「それではだめですよ」 「!…誰だ?」 「…詩子」 「詩子だって?」 「…レディ・Cです」 「あのシムに出てきた言葉は…既に非公式に…私たちによって試されています」 「やれやれ…」 恋愛シムに出てこないけれど、瑞佳に関係のある言葉か。難しいな。やはり暴走シナリオか。 でも細かい部分は覚えていない。あいつが望みそうな言葉…何だろう。ああわからん。 その時、半濁の脳裏に浮かんだ…それ。口をついて出た言葉。 「オリハラ…ミズカ」 恐い顔でにらむ茜。 「…そんなに怒らなくたって」 「信じられません…」 「見て!」 2NDが人形を指差した。 人形が動き出したのだ。 首がうなづく。そして次に手足、胴。人形が踊っている。 ギ…ギッ…カチカチカチ…ギ…。 古い録音の、少しひび割れた声で歌が流れてきた。 『…8cats…run……after…』 かろうじて聞き取れた言葉はそれだけだった。 「マトリックスで確認できました…猫への道は開かれています」 「詩子…」 「人形の背中にもコネクターがあったはずです。こちらまで戻る時間はありません。そこから…急いで」 教えられたとおりに背中を開くとボードが現れた。光ファイバーを差し込みデッキと接続する。 「電源はもつかしら」 「足りなくなったら私の体につなぐ」 「ikumiさんも…一緒に…」 「誰がここであなたたちを守るの?」 「…!」 それに私は…招待されてないのよ。 また猫に…逃げられちゃうかもしれないし…ね。 「ikumiさん…」 「…行ってきます」 「お願いね。二人とも」 二人は端末をつけた。浩平は茜にさっきの迎撃ウイルス改を渡す。 それから黒い立方体の中に潜った…すると…。 「あれは!!」 遥かに巨大なデータ群がその奥に…折り紙を開くように持ち上がった。 上へ上へと伸び続ける。いくら近づいてもまだ上が見えない。 その中のある一点に強い光が瞬いている。 二人がそれに近づいた時…その光がこちらに向かって飛んできた。 「!!」 マトリックスに現れた…幼い少女。白いドレス。見覚えがある。 頭上には…青く輝きながら回転する立体的なロゴ。 『misao−e』 ロゴはすぐに変化。 『mizuka』 「おまえは…」 「お兄ちゃん、お姉ちゃん」 「みず…か…ちゃん?」 「瑞佳お姉ちゃんはあの中。二人を待ってるよ。でも広いから場所がわかんないと思って」 迎えに来たの。でも一緒には行けない。私はあくまで番人だから。 「これをあげる」 渡されたデータ。これは…XX市XX町XX…。住所か? 「ここにお姉ちゃんはいるの」 「…あの中には…いったい…」 「こっちだよ。はやく!」 データ群に向かって走っていく。慌ててついていく二人。 近づくにつれて、その巨大さが感じられた。もうどこまで高くなっているかわからない。 「ここから入ると近いよ」 「…ありがとう」 「うん」 お兄ちゃん。お姉ちゃん。会えて嬉しかったよ。それじゃあね。 少女の姿が収束すると、また光の点になって飛んでいった。 「行こう」 「はい」 二人は目の前の格子、白く輝くそれへと飛び込んでいった。 「さてと」 一人残された2ND。端末を頭につけて横たわる二人を見守っている。 「レディ・C…聞こえてる?」 「はい」 「他の連中はどうなっているのかしら?」 「マトリックスの中で遠巻きに見守っています…普通にあの塔に近づくと危険ですから」 「そりゃそうだ。それと…この子達の安全は?」 「長老にお願いしています。ただ…それでも時間はあまり稼げないでしょう。一族はこの件でかなり分裂しています」 とりあえず部屋への通路は私の方で閉鎖しておきました。 「ありがとう」 「…いえ」 「でもこんなことをして…あなたもただではすまないでしょう?」 「周りはそれを待っていたのかもしれません。所詮私はよそ者ですから」 「…いやな一族だね」 「そうですね(笑)」 「あなた…自分が詩子って呼ばれて自覚あるの?」 「…いえ…ただ…」 「ただ…?」 「茜さんは…他人のような気がしません。何度も夢に出てきましたから」 「なるほど」 「その中で詩子と呼ばれていたような…気がします」 「…そう」 でも大丈夫よ。2NDはつぶやいた。 私にはこうなるって…わかってたんだから。 「それはAIによる…計算ですか?」 「『計算』ですって!?」 そんな他のAIみたいなこと…私がするわけないでしょう? 「ただの勘よ」 夕暮れ。 黄昏が辺りを包む。 背中の空は濃い藍色に包まれ、星が瞬いている。見上げると真上の空は赤紫。 そして真正面は…西の方角だろうか…山の上の空が赤く染まっていた。 既に日は沈んで見えなくなっていたが、流れる雲はまだ片側を輝かせている。 暗い田舎の一本道。アスファルトの両側は田畑。 あちこちで家の灯りが点りはじめていた。 「ここは…」 「…浩平…ですか?」 「えっ…あっ…茜か?」 お互いの姿を見て驚く。顔…年齢…。あのゲームの中の浩平と茜。 服装も…制服だ。しかも半袖。 「まさか…恋愛シム…か?」 「わかりません…」 しかし…いきなり道の真ん中に放り出された。まるで初期のアドベンチャーゲームだ。昔聞いたことがある。 使えるコマンドはLOOK、TAKE、GO WEST/EAST…。どれか打ち込めっていうのか? 「やれやれ…」 「…あ…浩平…あそこに…」 道の向こうにバス停が立っている。 行ってみると、ここの名前とルート、時刻表が貼ってあった。 「…やはりこれは…バス停…ですね」 「待てよ。さっきの住所は…」 名前を見るとバスのルートに町の名は入っているようだ。 と言ってもバス停に書かれているルートはおおざっぱで、乗ってみないとわからない。 「時間は…?」 「時計…浩平の腕に…」 何と腕時計をはめている。見るともうバスが来てもいい時間だった。 でも道の向こうにはまだ何も見えない。 「もう行ってしまったのかな?」 「バスは…遅れるものですから」 「そこまでリアルなのか…?」 夕暮れの風が二人を包む。だが寒くはない。季節は初夏のようだ。 何台か車がヘッドライトを点けて通り過ぎる。 しばらくしてやっとバスが来た。車内は灯で照らされて明るい。 後ろから乗り込む。整理券を取った。11と書いてある。 浩平たちは一番後ろの席にとりあえず座った。他にも何人か客が乗っている。 「あっ…お金は…」 「…ありますよ…ほら」 乗る前にポケットを見たらこれが入ってました。 可愛らしいお財布です。茜はそう言って笑っている。 「何だ…そうならそうと言ってくれ…」 でも俺には…あれ…。 ポケットを探るが浩平には財布がない。 代わりに出てきたのは1枚の紙。さっきの住所が書いてある。 「どうして俺には財布がないんだ?」 「浩平は信用されてないんです(笑)」 「ちぇっ」 「それより…どこで降りるか聞かないと…」 「ああそうだ」 浩平は立ち上がると路線図を見に前の方に歩いていった。茜もついてくる。 今乗ったのがここで…それで…。 それを見て、すぐ横に座っていたお婆さんが話しかけてきた。 「どこまで行きなさる?」 「…え?…ああ…ええと…」 浩平はポケットの中の紙を見せた。 「ああ…これなら…この先…商店街のところで降りられたらよろしい…あ…運転手さん…そうじゃろ」 「…はい?…どこまで…ああ…ここならそれでいいですよ。3…4つ先です」 「ありがとうございました」 二人は礼を言うと、近くの空いている席に座った。 「初めてかね」 さっきのお婆さんだ。 「はい…」 「どっから来られなすった」 「…いや…それが」 「隣町なんです。親戚の家に行くつもりで違う方へ行ってしまって」 「…ああそうですか。そりゃ大変でしたな」 窓の外はすっかり暗くなっていた。暮れてゆく風景。知らない場所。 まるで旅に来たようだ。フロントガラスに町の灯が近づいてくるのが見える。 バスが停まる度に何人か乗り降りをする。あのお婆さんもお辞儀をして降りていった。 「そろそろですね…浩平」 茜に硬貨を渡される。 「これ…」 「200円です」 「新円じゃない。古い貨幣だ」 「そのようです」 「驚いた」 触ってみると光沢も質感も確かにある。光の具合。物の感じ。全部本物だ。 椅子のパイプの塗装が剥がれて錆びているところ。揺れる吊革。車内の広告。 本当にここは作り物の世界なんだろうか。 「驚いた…」 「さっきからそればっかりです…浩平」 「茜だってキョロキョロしてるじゃないか」 「…です…ね(笑)」 バスが左に寄った。運転手がこちらをちらっと見る。どうやら着いたらしい。 硬貨を料金箱に入れてバスを降りる。そのままバスは走り去った。 「着きました」 「うん」 バス停のすぐ側。道路に交差する形でその商店街が伸びていた。 アーケードはない。入り口の看板には「中崎商店街」と書かれている。 「なか…さき?」 偶然だろうか。 「とりあえずここを歩いてみるか。どこかで尋ねていけば早そうだし」 「そうですね」 二人は商店街に足を踏み入れた。 本屋、BOSバーガー、喫茶店、オモチャ屋、電気屋、レコード屋、カラオケ、ゲームセンター、大衆食堂、ラーメン屋。 どこかで見覚えがある…と言っても実際の世界ではない。本物のナカサキの風景とは違う。 やはりあのシムか…でも記憶がほとんど残ってないから比べようがない。新たに作られた世界かもしれない。 「浩平…」 「ん?」 「懐かしいですね」 「…ん…そうだな」 薄闇の中、両側に並ぶ店の灯りだけが、遠くまでぽつぽつと続いている。 通りを歩く人たち。買い物帰りのおばさん、走り回る近所の子供、サラリーマン、学生…。 おしゃべりしたり、買い物をしたり、みんな思い思いに暮れてゆく時間を楽しんでいる。 浩平は驚いた。こんな時間に普通の人たちが何も警戒しないでうろうろしているなんて…。 「ナカサキじゃ考えられないな」 「…そう…かもしれませんね」 「あの町じゃ…すぐさらわれて…金は奪われ、体は…」 「…嫌です。浩平」 「あっ…悪い…」 すぐ前を子供たちが歓声をあげながら走っていく…と、そのまま横の店に飛び込んだ。 その店は入り口が開けっ放しで、客が何人かお好み焼きや焼きそばを食べているのが通りからでも見える。 中のTV…野球の中継だろうか。さっきの子供たちは席に座ると口々に注文を頼んでいた。 店の男が半袖シャツ一枚でジュウジュウ音をたてながらそばを焼いている。ちょうど上に卵を乗せたところだ。 「腹減ったな」 「…浩平…元気になったみたいですね」 「ホントだ…不思議だな」 入ってから結構時間が過ぎたからな…。 待てよ…ここでの時間の流れも実際の時間と違うんだろうか。 VRの中では反応速度も思考もルーチンによってある程度加速される。 だからマトリックスでは人間がプログラムを相手にできるのだ。サイバードラッグ、純粋なソフトウエア・ハイ。 ただあの時は桁外れだった。確かあの暴走シナリオでは…1日が実世界での1分だった…はずだ。 「そうだ…」 腕の時計。かなり古い感じのデジタル…だが確実に数字は変わっていく。 カレンダー…は………!? 「どうしました?浩平」 「これ…」 09.05.14. 「あのシムは…1998から1999が舞台でした。ここはそれから10年経った…時代のようです」 「10…年か」 あの暴走シナリオで既に数年過ぎていたことを考えると…今の時間の進みかたは外とあまり変わらないのかも知れない。 だったらあまりぐずぐずはしていられない。茜もそう思ったのか…。 「浩平…誰かに住所を見せて聞きませんか?」 「そうだな」 近くに酒屋があった。この辺りの地理を聞くならこれ以上の店はない…ってどうして自分は知ってるんだろう? 驚いたことに、この時間でもう店は閉まりかけている…。慌てて浩平がシャッターの横の店員に話しかけた。 「はい…何でしょう?」 「この家に行きたいんですが…どう行けば…」 「…?…ああ…これなら○×荘でしょう。この先の路地を曲がって行ったところですよ」 酒屋は親切に地図を出して教えてくれた。近所の家の名前が載っているやつだ。 二人の世界ではもうこんな紙の地図なんか見られない。あっても高い骨董品の類。 「アパート…か」 「確かにこの住所の…これはアパートの名前だったんですね」 「まあこっちの方向で合ってたわけだ」 またとぼとぼと歩きだす二人。とにかくこの商店街を抜ければいいようだ。 夜の通りのずっと先まで続く灯り。寂しくて…でもいつか帰りたい…そう思っていたような風景。 そこを今二人で歩いている。外の世界では絶対にありえないこと。 「…不思議です」 「ホントだ」 よくわからない会話だが、なぜか通じ合っているのが可笑しかった。 そして…商店街のほとんど端…もうそこから先は街灯しか見えない辺り…まで来た時。 「!?」 曇空で白く明るい夜空。家々の黒い軒先。 真正面にそれらを背景に立っている人影。 暗いところで顔はよく見えなかった。ただ長い髪が風に揺れている。 「…」 「浩平…!あの人…」 人影はゆっくりと二人に近づいてきた。 そして。 「…浩…平…?」 聞き覚えのある声。 「…だよね」 ほのかな灯りに照らされて、現れた。 やさしい瞳。鳶色の。 「…瑞佳」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 19個目。 やっとここまで。長かったです。