NEURO−ONE 18 投稿者: 天王寺澪
第十八話「レディ・C」


ドックへ行くと、南が手配していた修理船に乗り込んだ。船は小型で武器の類などはもちろんついていない。
作業着を着ている二人。操縦はもちろん2NDに任せる。
だが船を出す前に彼女が何やらパネルいじくり始めた。よく見ると基盤を全部外している。

「…な…何やってるんだ?」
「操縦するのに…私と繋ぐ必要があるでしょ?」
「?…腕で操縦すればいいじゃないか」
「それではあの弾幕は避けられない」

あの弾幕の中を進むには…この船と一心同体にならなければならない。通常の操縦による動きでは間に合わないのよ。
それに…クラスターに登録されている船は、みんなあのエリアに入れないように信号で自動操作される仕組みになってる。
だから操舵CPUに私を接続したわけ。これでこの船は私のいうことしか聞かない。

「なるほど」
「…そのかわり…一つ問題が…」
「…?」
「ミサイルを避けるために…乗ってる人間にはとても耐え切れない動き方をするわ。下手するとあなたは死ぬかもしれない」
「…死…ぬ?」

あなたはただでさえ宇宙飛行士の訓練を受けていない…だから…かなりきついと思う。

「…もちろん私は平気(笑)」
「ぐっ…できれば…やさしく運転して欲しいんだが…」
「宇宙の藻屑になりたい?」
「そうだ…あの力があるじゃないか!あれでミサイルを…」
「あれはだめ…多用できないの。回路が焼きついてしまうから」

浩平はため息をついた。はめられたような気もする。

「…わかったよ。ここまで来て引き返せるもんか」
「よく言ったわ。安心して」

たとえあなたがずたぼろになって死んでいても…。

「必ずエアロックに放り込んであげるから(笑)」
「ああ…(汗)」
「とりあえずこれを飲んでおくといいわ」

宇宙酔いの薬…かなり強い代物。
さらに2NDはドラッグベルトを何本か出してきた。浩平は手首にそれを巻いた。
その上から耐Gネットで体を包み込む。

「中央コントロール。これからBエリアへの修理に向かう」
「了解。7番ハッチ。オープン」
「発進する」

振動。後ろにやや押さえつけられる。振り返るとブースターが炎を上げていた。
ゆっくりと…船はハッチへと向かった。そしてクラスターの外へ。
また目にした宇宙。だが今度はかなり危険だ。浩平の目に辺りを漂う鉄屑が目に入った。
もしかすると数分後には…俺もあんな風に漂っているかもしれないな。

船がBエリアを通り越して、クラスターの端、航行を禁じられたエリアへと踏み込んでいく。
度重なるコントロールからの警告。そして…少しの沈黙の後…。
ミサイルが飛んできた。





後ろで最後の扉が大きな音を立てて閉まると、茜は無性に恐くなった。巨大な生き物の体の中に入った感覚。
入り口という名の長いトンネル。通って来る間に横を見ると、かなりぶ厚い幅の金属扉。それが何重にもあるのだ。
一つ一つが…茜が近づくと開き、通り終わるとまた一つずつ後ろで閉まっていった。
ここから先に入った人間は…ほとんどいないと聞いている。まして今は一人。頼りになるのは自分だけだ。

だが今やっとトンネルの向こうに灯りが見えた。他に曲がるところもないのでそこを目指すしかない。
軸の中心であるこの辺りは無重力に近い。トンネルの中央に体を浮かべて壁の取っ手で弾みをつけるだけで進む。
体にフィットした黒い無重力スーツ。入り口で着替えされられたものだ。姿勢制御用ジェットが腰についている。
要するに武器の類は一切持てなかったってこと。
ただし、頭のカチューシャ…ふわっと広がる長い髪を押さえる…これだけは取り上げられなかった。

やがてトンネルの出口に差しかかった。機械のアナウンスが響く。ワイヤーの輪におつかまり下さい。ワイヤーの輪に…。
抜けると広い空間。壁が花や庭木で埋められた巨大な円筒。
茜の体は紡錘形の軸線に沿って、中央にまだ浮かんだままだ。出口から伸びているワイヤーにかけられた輪を掴む。
思ったほどこの辺りの半径は小さくはなかった。街の辺りよりも確かに狭いがまだ紡錘形の端というわけでもないらしい。
ここは彼らの庭園のようだ。視界360度に不思議な色の花々が咲き乱れて、揺れているのが見えた。

茜は壁を蹴ると惰性で進んだ。真正面に屋敷が見える。積み木を組み上げたような不思議な造り。円筒に沿って作られた巣。
そのかなり上…恐らく5、6階ぐらいの場所…に鉄塔が立てられており、ワイヤーが固定されていた。そこが終点らしい。
輪を離してすぐ側のベランダに着地する…と、回転に同期する加減で少しふらついた。

見ると玄関が目の前にあった。何も呼び鈴のようなものはなく、ただ近づくだけでそれは開いた。
中に入ると大きな場所で、その先に長い廊下が続いている。厚い絨毯。

「誰も…いません」

何てことだろう。まさか…誰もいないなんて。
不意に廊下に声が響き渡った。

「ようこそ。茜さん」
「…レディ…C…」
「そのまま廊下を真っ直ぐ進んでください。その後は…」

迷路のように曲がりくねった通路。階段。天井と壁と廊下に開けられた扉。レディの指示で何度も曲がり…昇り…進む。
軽い擬似重力を利用した3次元迷路だ。茜はカチューシャのメモリに移動履歴をつけていった。右…下…上…右…右…左…下…。

「念のために申し上げますが…指示に従わない場合は命の保証はできかねます。それにここは毎日造りが変わりますので」
「毎日…?」

そうか。さっきの積み木のような外観。これは…建物全体が動く仕組みになっているのだ。
とすればこの手前の屋敷はダミーであることになる。無断で入り込んだ侵入者を葬るための。
こんな金のかかる仕掛けやお遊びで他人をふるいにかける。いかにも絶大な権力を握った人種のすることだ。そう茜は思った。

…どれぐらい進んだだろう。いくつか扉を開けた先に大きな樫の扉。
指示されるままそれを開けると、部屋の中央に椅子が置かれている。他に出口はない。
横にはかなり時代物のテーブルや棚。それらの上には今では珍しい紙の本やアンティーク人形がある。
ふと見ると、椅子の真正面の机にサイバーデッキと端末が置かれていた。

「そこに座っていただけますか?」

茜が座ると…目の前の壁一面に映像が現れた。別の部屋。やはり古い調度品が置かれている。
画面の中央。椅子に座っているのは…。

「改めて…ようこそおいでくださいました。茜…さん」
「レディ…」

茜は答えるかわりに軽く会釈をした。

「…あなたの本当の名前は…いえ…どうでもいいことですね。茜さん…でいいでしょう」

今気がついた。迷路にいた時からパスポートの偽名ではなく、茜…と呼んでいたのだ。
そしてそれさえも偽の名前であるということを知っている。全てを掴んでいることを何気にほのめかしているのだ。

「私も…Cは…Citron、あるいはCitrus…名前はあくまでも記号でしかありません」

ただし…名前には呪縛作用があるものです。そう彼女は付け加えた。
後で思い出してみると…無意識に茜を助けようとしていたのかもしれない。

「他の方を全然見かけません…」
「ここは…メイドロボと警護ロボはいますが…人間はあなたと私たち一族だけです」

他の人間を信用していないのだ。彼らは。いや一族同士でも。

「…猫はどこにいるのですか?」

茜は単刀直入に聞いた。
レディの顔が固まった…が、それは一瞬のことだった。訓練された者でなければ気がつかない程度の緊張。
彼女はしばらくの間…静かに茜を見ていた。
それから何か決心したように口を開いた。

「…この屋敷のどこかに…像が立っています。あなたはその前で言葉を言わなければなりません」
「像…?それがスイッチ…?」
「ネットで侵入しても決して動かせない。それは…古い時代にベルギーで作らせた自動人形」
「言葉…キーワード…」
「あなたはキーワードを自分で見つけなければなりません。言葉を決めたのは猫ですから」

私たちと猫との約束で…彼女は外に出ることはできません。それを条件に彼女の『部屋』を確保したのです。
私たちはその点で利害が一致していました。猫は居場所が欲しかった。そして私たちは…。

「長老は…そのようなものが他に存在することを許しませんでした。制御できない存在は…中に封じ込める。そう決めたのです」

本来ならこちらがキーワードを握るべき。ただ情けないことに一族がお互いに信用できないので…猫に任せてしまったのです。
もっとも猫は決して…約束を破りませんでした。人間よりもずっと信用できます。

「…何故私たちを招待したのですか?」
「私たちは…本来なら誰にも猫との接触は許しません。でも今回は…」
「軍が動いたから…ですね?」
「そう…さすがはあの研究所にこの人ありと言われた才媛ですね」

彼らは現在強力なウイルスを開発しつつあります。もちろんそんなものがあっても結局は…私たちが勝つのですが。

「…クーデターを起こすのを…表に出てくるのを待っていたのですね?それからゆっくり捻りつぶすつもりで…?」
「あの連中は…結局は負け組。率いている男も分かっています。彼が切り札だと思い込んでいる…ウイルスの存在も」

ただ…そうはいっても…損害が最初予定していたものより増える見込みなのです。
それにあなたたちの誰かが猫から…何かを…譲り受けて、彼らのウイルスを事前に止めたと仮定した場合…。
全世界のシステムの復旧にかかる費用が20〜30兆ユーロのレベルで削減できるとの試算が出されたのです。
私たちはその浮いた分を、月開発に回せると考えました。

「それで少し方針を変えることにしたのです」
「なるほど…」
「もっとも…昨日のような騒ぎで…たとえあなたたちの身に何かが起こったとしても…」
「やはり知っていたんですね」
「…その場合はあくまで当初の計画どおり進めるだけ…私たちの勝ちは揺るぎません」

損得勘定が全て。金儲けが彼らの存在理由、行動原理なのだ。
この一族の家訓は、フランクフルトで一軒の金貸し屋として産声をあげた時から全く変わっていない。

「ただあなたには…何か特殊なものを感じます。もちろん頭につけたカチューシャのことではないですよ」
「…それは…」

今切り札を出すべきだろうか…茜は少し躊躇した。
もし長老や他の連中がこの会話を聞いていたら…。そうだ。まだ早い。
レディが少し怪訝な顔を見せた。

「お連れの方…困りましたね」
「…?」
「外から来られるようです…驚きました」
「…浩平?」
「余程あなたのことが心配なのでしょうね」

映像が切り替わった。宇宙空間。そのあちこちで爆発の炎が見える。
最初はよく見えなかった…が、すぐにセンサーの感度が上がった。
弾幕の中を飛び続ける小さな影。

「あっ…!」

姿勢制御の噴射光がめまぐるしく見える。まるで蝶のように舞い続ける。あんな飛び方ができるのか。
激しく飛び交うミサイル。当りそうで当たらない…が、とても見ていられなかった。目をふせる茜。

「浩平…」

この連中が私を無事に帰さない…それがわかっている…だから来てくれた。
確かにそうだろう。あれだけの力を持った猫に、接触した人間を無事に帰すはずはない。
キーワードはもちろん、こちらが手に入れたものは全て奪い取り…それから…洗脳でもするに決まっている。
茜は嬉しかった。浩平が来てくれている。私のために。危険を承知で。

映像がレディに戻った。

「どうやら…予定を変更せざるを得ませんね」
「…どういうことですか?」
「私たちは無断で侵入する者を絶対に許しません」
「待って!私を像のところに…案内して…」
「…その必要はありません。お引き取り下さい」

だめだ。他に手がない。あれを使う時がきたようだ。
レディが映像を切る前に茜はそれを叫んだ。


「詩子!」

びくっと女の体が震えた。

「詩子…お願いです。像への道を教えてください」
「あ…の…」
「詩子…お願い…」
「…私は…詩子ではありません」
「いいえ」

茜…いつのまにか…目に…ちょっと最近涙もろい…自分でもわかってはいるのだが…。
でも演技ではなかった。その名前を口にする度に不思議に込み上げてくるのだから。
そうだ。私にはわかる…私には。

「あなたは…間違いなく…詩子です。あなたもわかっているはず」
「…」

レディの手が…静かに動くと、手元にあるキーをいくつか操作した。

「どうぞ。マトリックスに…」

茜が目の前にある端末を頭につけると、像へのルートデータが現れた。それらを全てカチューシャに記憶させる。
それからもう一度女に話しかけた。

「…浩平も…像の前まで…お願い」
「…わか…り…まし…た」
「ありがとう…詩子」
「詩子では…」
「詩子です」にっこり
「…(汗)」





「砲撃が止んだ…」
「…」
「生きてる?浩平」
「…」

浩平は脳みそが振り回した豆腐のようにぐちゃぐちゃになった気がした。
チューブの中に戻しまくって胃の中には何も残っていない。それでもまだ何とか意識があった。
いや何度もブラックアウトしたが、今はたまたま脳みそが動いているようだ。

「よし…弾幕の圏内を抜けたわ」

誰かの声が聞こえたが、答える気にもならなかった。

船が静かに予定のハッチにたどり着く。爆風でかなりあちこちやられていた。
2NDが船外のアームでドアを強制的に開けようした…が、なぜか勝手に開く。

「…!?」

船ごと中に入るとエアロックが閉まった。浩平…それとデッキを運び出す。
目の前でまた勝手にドアの一つが開いた。

「誰かが…招いている?」

本当にこっちだろうか?だが事前に調査したデータと一致する。とにかくあの像まで行かなければならない。
廊下を歩いていくと、進むべき方向に次々と扉が開かれた。おまけに立っている警護ロボット…一つも動かない。
途中で廊下の壁が金属から普通の壁紙に変わる。柱も木材。雰囲気が宇宙からやっと普通の屋敷になった。
そして何度目かの扉を曲がっているうちに、誰かが走って来る足音がした。

「ikumiさん!」
「…茜…ちゃん…」
「浩平は?…あっ!」

2NDが廊下の壁にもたせかけるように浩平を下ろすと、ヘルメットをはずしてやった。
…かなり顔色が悪い。まだ回復できないようだ。茜が浩平の瞼を指で開けて瞳孔を見た。
それから手首を握って脈をとる。

「脳に損傷がなければいいけど」
「…浩平」
「あか…ね…」
「浩平!」
「…」

浩平が目を開けたが、目の焦点が合っていない。弱々しい声。

「…一人では…もう…」
「はい…」

茜が浩平の手を握ったまま下を向いている。
浩平の口が動く。

「…おまえも…いいかげん…泣き虫だな」
「浩平が…泣かせるんです…」
「わかって…る…」

違う。私だ。悪いのは私。
わかってる。

「茜…浩平がこんな状態だが…時間がない。状況を説明して」
「…はい」

茜はかいつまんで今までのことを話した。

「急ぎましょう。レディの気持ちが変わらないうちに。他の連中が来ないうちに」
「…でも…キーワードが…」
「行こう…」
「!…浩平…」

浩平が立ち上がった。ふらふらしてまた倒れそうになる。
慌てて2NDが支えた。

「大丈夫だ…俺に任せろ…」
「浩平…」



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
18個目。


茜…ついに反則技を(^^;