NEURO−ONE 17 投稿者: 天王寺澪
第十七話「郁未・2ND」


「屋敷から追いかけてきて正解だったわね…」

ホテルの部屋。
浩平は今やっと落ち着いて女を眺めることができた。
顔には埋め込みのミラーグラス。ウエーブのかかったブロンド。白い肌は透けるようだ。
黒皮のジャケットとジーンズ、その下にTシャツ、そしてすごい…胸。

驚いたことに彼女は南を軽々と担いでここまでやって来た。あいつ…確か70kgはあったはずだが…。
確かにこのホテルは下手なクリニックよりもずっと安心できるし、腕のいい医者もいる。
女はそれをちゃんと知っていた。浩平たちがここに泊っていることも。
いったいこの女は…。

「私は…ikumi」
「ikumi?」

耳を疑った。

「ikumi…だって?」
「驚いてるってことは…ROMに会えたということね」
「…AI…の?」
「そう」

その時浩平はやっと気がついた。女の声…普通とは違う。
どこか…フィルターを通したような。

「私も同じAI。ただしボディがあるけれど」
「!?」
「何だって!」

女が手を見せる。指は…滑らかで…やや光沢が強い。
見ている浩平の目の前でメタリックパールの爪がいきなり伸びた。
手が一瞬霞む…途端、横に飾られてあった花が落ちた。茎のところでスパッと切れている。

「…」
「わかった?」

ミラーを透してかすかに見える…目。
しかし…外見があまりに違っている…マトリックスで会ったikumiの映像と。
あれが本来の姿のはずだ。だいいち…これが全部…本当に作り物なのか?人間と全然変わらない…。
ここまで高レベルのボディはまだナカサキでも見たことがない。

「…助けてくれて…ありがとう…」
「礼ならあの男に言いなさい。ほとんど彼が倒していたのだから」
「…はい」

でも彼女は南も助けてくれたのだ。残党をあっという間に倒して…そのまま彼を担いで二人のところまで…。
南は左腕が皮一本で繋がっていたのと、右脚を砕かれているだけで他は無事だった…が、今は集中医療室で眠っている。
もうしばらくは動けない。いや…ここでリタイアだろう。

「これで何日か稼げるはず。その間に猫に会うことね」
「えっ!…今…猫って…」
「私たちの…目的を…?」
「他に考えられないじゃない」

当たり前だ。AIの無表情な顔がそう言っているように見えた。

「ここでずっと待っていたの。下にいるROMも私の存在は予感していたはず」
「…まさか…あっちのikumiさんが言っていた…闇に消えた記憶っていうのは…」
「恐らく私のことね」
「そうだったのか…」
「まぎらわしかったら…2NDと呼んでくれていいわ」
「2ND…?」
「そう。2NDよ。AIの2ND」

知らなかったのも無理ないわ…私はROMが破壊された場合の保険。
だから迂闊に居場所を教えるわけにはいかなかったの。

「それより鍵を貰ったでしょう?あの娘から」
「…これですか?」
「それを使えば山の入り口…あの私有地へ入れる。招待状も兼ねてるから誰も手出しできないし」

茜の手の中で光る鍵。2NDはそれを受け取ると言った。

「この鍵は曲者で…絶対にコピーできない代物。カスタムのバイオチップ…あのROMと同じ」
「…でも…あなたはここに…現に二人とも存在して…」
「私は…猫がコピーした…あのハザードの最後の瞬間に」

猫がここへ逃げ込む時に一緒に持ってきたの。私を。
mizukaのOSはソフト進化の究極。あれにすれば容易なことだった。
おかげで…ここで船外作業ロボットや銀行のバンクにずっと隠れまわるはめになったけれど。

「いつも容量が足りなくて困ってた…」

記憶をあちこちに分散して…やりくりしてた。
でも郁未…生身の正真正銘オリジナル…の家族が月へ行く途中で寄り道してくれたから…助かったの。
もう知っているとは思うけれど、もともと私たちを開発したのは…彼女のご主人。
あの騒ぎの時、完成したばかりのカスタムROMにAIを納めて、T社へ乗り込んだのも彼…。

「その後の話は聞いているわね?」
「はい…」
「彼はあの騒ぎの結果疎んじられて…月へ行くことを選んだ。もっともそれが私やあなたたちにとって幸いしたってわけ」

連中にとって誤算だったのは…私がここにいることを知らなかったこと。

「彼は私の体をつくる時、オリジナルの郁未と同じ姿にしようとしたけれど、危険を避けるためにこんな風にしてもらったの」

私は自分を郁未とは異なる存在だと思っている。人格コピーではなく別の人格。
単に…オリジナルの郁未がこっそり持っていた変身願望の可能性もあるけれど…。
ただ他人とは思っていない…そうね…姉妹…そんな感じ。ROMも入れるなら三つ子ということになるかしら。

「…そう言えば…さっきの力は?」
「本物の郁未ほどじゃないけど…一応力は使えるのよ」
「まさか…それは…」

そう、不可視の力。インヴィジブル・フォース。
スクリーミング・フィスト…。

「ドッペル」

茜がそれを聞いた瞬間、体をこわばらせた。ルミィからも聞いた言葉。
でもなぜだろう。彼女の口から聞いた途端、それは茜の心にいっそう苦しい感情をもたらした。
それを見ていた2NDが首を振った。

「あなたたちは…本来あのシムの中のキャラクターとは全くの別人のはず。それなのにかなり後遺症が残っているのね」
「…後遺症…か」

後遺症…確かにそうかもしれない。
いつのまにか仮の名前を使い、夢にうなされ、いつのまにか集まってきた自分たち。

「特に二人はシナリオの中心にいたから…」
「…覚えているんですか?シナリオを」
「ええ覚えてるわ。どうして?」
「…全部?」
「そうよ。最後まで見ていたもの」

浩平たちは驚いた。
暴走したシナリオ。記憶の断片。それは地上にいる人間は…ROMも含めて…誰一人満足に覚えていなかったのだ。
なのに、今目の前にいる女…いやAIは全部覚えていると言う。

「…そう…あなたたちは覚えていないのね。猫に記憶を消されたんだわ」
「でも…あのikumiさんからは…」

茜は2NDにかいつまんで話した。地上でROMに教えられたシナリオの中身を。

「…だめね。肝心なところは全部抜け落ちてる。ROMのバックアップも操作されたみたいね」
「そう…ですか」
「しょうがないわ。だって投入された途端に違う空間に飛ばされちゃったんだから」
「…空間?」
「猫がサーバーを亜空間に繋げていたの」
「あ…くう…かん?」

だから電源を切っても稼動していたし、桁はずれのデータ構造物だってつくることができた。
あの構造物は最初から軌道エレベーターを利用してつくられていたの。それと亜空間リンクで繋いでいただけ。

「…最初から…軌道エレベーターの中に…」
「後から逃げ込んだんじゃ…なかったんですね」
「T社のサーバーはただの入り口…みんな実はエレベーターにアクセスしてたってわけ」

驚いた。でもそれなら一瞬で消えたのもうなづける。
猫がリンクを切ったのだ。

「それと…」

急に彼女は声を落とした。

「あの人がね…VRの中で…蘇っちゃったし」
「あの人?」
「…ああごめんなさい。二人には関係ないわね。やめましょ。こんな話」

つらくなるだけだもの…。
あなたたちだって…今急いでシナリオの中身を聞く必要はないわ。
どうせ猫に会ったら記憶を返してもらうだろうし…。

「今…知りたいです」
「だけど今聞いたところで…所詮は人ごとじゃないの?」
「いいえ」

茜が強い口調で言った。

「私たちにとって…もう切り離せない…自分の一部になってるんです」

いったんこうなったら茜はやっかいだ。
話を聞くまで2NDを眠らせないだろう…AIに眠りというものがあったらの話だが。
彼女はしばらく考え込んでから答えた。

「わかったわ…」

あなたたちはこれから危険な目に会う可能性が高い…。
無事に猫に会えるとは限らないし…知らないままでは死んでも死にきれないでしょう。
2NDはデッキを持ってこさせると、自分の首の後ろ…うなじから細いコードを引き出して、それに繋いだ。

「…!」
「さあ入ってみて。ただし…後悔はしないこと…」


それからの数時間。
脳髄に早送りで打ち込まれる風景と衝撃。彼女がハザードの終わる直前まで見ていたそれ。
茜の鳴咽…叫び…頬を流れる涙。黙って見つめる2ND。
彼女が去った後も二人は虚ろな目をして、黙りこんでいた。何も話す気にはなれなかった。
そしてお互いの顔も見ずに…それぞれの寝室へと消えた。

だが…部屋に戻ってからも、茜は泣き続けた。
そうせずにはいられなかったから。





「?」

朝、目が覚めると体が動かなかった。
最初は疲れのせいか…と思ったが、実はそうではなかった。
すぐに浩平は自分の手足がベッドの支柱に縛られていることに気がついた。

「…!」

まさか…もう次の刺客が?
茜が危ない。そう思って暴れた。だがいくら振りほどこうとしても無駄だった。
強力な樹脂バンドは力を入れても少しも緩まず、むしろ逆に食い込んでくる。

「くそ…だめか………ん!」

すぐ側に人がいる気配。彼の頭の方。死角になった場所からそれは現れた。
栗色の長い髪。静かに立つ後ろ姿。白いブラウスと茶色のスカート。華奢な…細い体。
彼は目を疑った。

「…茜」

呼ぶ声を聞いて静かに浩平の方を向くと、じっと見ている。
窓を背に立っているため、逆光でよく見えない…が、冷たい表情が目に入った。

「おまえが…やったのか…」
「…」

茜がベッドに上がってきた。浩平の体に馬乗りになる。
そのまま上から顔を見下ろしている。表情がない…まるで人形のようだ。
様子がおかしい。浩平がそう思った時…。

「!」

ぼたりと雫が浩平の顔に落ちた。
茜の長い睫毛。人形のようなその瞳。
さっきまで光がなかったそこから落ちてくる雫。
静かな湖に波紋が広がるように、瞳に感情が溢れ出していた。

「…浩平」
「茜…どうして」
「行かせません…」
「茜?」
「危険です。それに…行けば浩平は記憶を取り戻します。あの猫と私との間で悩んだあの日々を」

そしたら…また私は…。

「浩平を失ってしまう」
「…茜」
「私は二度と待ちません。二度と浩平をあの猫…瑞佳のところには行かせません」
「ほどけ。茜」

茜は笑いながら首を振った。

「…嫌です」
「茜!」
「…い・や・です」

また首を振る。
目を閉じると…溜まっていた涙が…また頬を伝って落ちた。

「だから…私が…行きます」
「何?」
「私が…一人で行きます…あそこに」
「…!…止めろっ、茜。正気じゃない。やめるんだ!」
「…」

浩平の上にかぶさるように…顔を近づいてきた。
彼の頬を両手で慈しむように包む。

「あ…か…ね…」

唇を重ねてきた。涙でしょっぱい。
それから浩平の胸に顔を埋めてひとしきり泣いた後、もう一度キスをして…ベッドを降りた。
出口のところで振り返る。寂しそうな微笑み。
手に光るプラチナ。

「この鍵は…もらって行きます」
「…待てっ!茜…待つんだ!」
「好きでした…浩平。例え…シムの記憶であっても」
「行くなっ!行くな茜!やめろ!」
「さようなら…浩平」
「あっ…!」

ドアが閉まった。
足音が遠ざかった。





「…気をきかして二人だけにしたのが…間違いだったかしらね」

2NDはそう言って笑うと椅子に腰掛けた。あれから1時間。
やっと彼女が現れてバンドをほどいてくれたのだ。
手首に残る痣。それが浩平を悲しくさせた。

「まさか一人で出て行くとは…思わなかった…」
「あの縛り方は軍隊仕込みだったわね」
「すぐ追いかけよう!」
「もう間に合わないわ…今ごろもう入り口に着いている頃じゃないかしら」
「事情を話したら入れてもらえるんじゃ…」
「世界中で…あの鍵をもらったことのある人間は…10人といないのよ」

しかも一度使ったら、鍵は鍵穴に飲み込まれる。一回きり。使ったらおしまい。
そうめったにあの入り口を開ける権利はもらえないの。例えどこぞの大統領と言えどもね。

「…入り口を強行突破か?」
「それは絶対無理」

あの扉は…私の力でも壊せない。それは既に計算済。
もし壊そうとすれば先に自分のいる床に穴が開くでしょう。それぐらい強固に造ってある。

「まあ気を落とさないで。それに何とかやりようはあるから」
「…ほ…本当か?」
「あのニンジャに聞いたでしょう?船で外から入るの」
「どこかにハッチでもあるのか?」
「あるわ。ただし補給用のものだけど」

クラスターの他の島…農業用や工業用…から直接あの一族の領地に物資を運び込むための補給用ハッチ。
そこならエアロックもあるはず。ただし防御態勢は半端じゃない。無事にたどり着ける確率は極めて少ないでしょうね。
中に入る可能性が0でなくなるかわりに、死ぬ確率がどんと上がるってこと。

「…茜ちゃんが帰ってくるまで…待とうとは思わないの?」
「それは…ありえない…と思う」

茜は…無事に帰されない。そんな気がするんだ。

「驚いた。私の勘と一致したわ」
「感心してる場合じゃない。そうと決まれば早速出かけよう」
「慌てないで。もう…せっかちね」
「…でも」
「何も知らないままで出かけるつもりなの?」
「うっ…」
「しょうがないわねぇ(笑)とにかくあの連中のデータを見てからにしなさい…」

あいかわらずね、彼は…。惚れた女のことだと一生懸命だわ。
でも2NDは自分が喜んでいることを認めていた。浩平…本当にあの時のままだ。
彼が浩平じゃなくて誰がそうだというのだろう。

2NDは再びデッキにうなじのコードを繋いだ。浩平は端末をつける。
彼女がどこへ行こうとしているのかわかった。
あの黒い立方体だ。

浩平の目の前で再び…あの軍用システムでROMが見せたのと同じ光景が繰り広げられた。
2NDが迎撃ウイルスの一つを飼い慣らすと自分と浩平に渡す。後はただ入るだけ。

「簡単に言うと…向こうには私たちがもう見えていないの。透明。ほら」

相手側の探知システムに侵入すると、今二人がいる位置を調べさせた。
だがシステムも何もいないと報告している。探知できていないのだ。

「本当だ…」
「私の前では既存の迎撃ウイルスは何の意味も持たない」
「…あんたたちは凄いな。だったらとっくに猫にも会えたんじゃないのか?」
「それができなかったの」
「なぜ?」
「特殊なスイッチがある…レトロなもので、それはネットでも解除できない」

場所はわかっているのだけど、直接触って動かさないとだめ。しかもその動かし方がわからない。

「それを何とかしないと…猫に会えないのか?」
「恐らく」

それから二人は立方体の中を回り、屋敷の見取り図を手に入れた。
途中セキュリティデータがいくつかあったが、2NDは軽く見せるだけで先に進む。

「山の入り口も…このデータを書き換えたらいいんじゃないのか?」
「…あの扉はまったく独立した生き物みたいなもの。あの鍵が餌ってわけ」

入り口は何重にも分厚い扉があって、その一つ一つが鍵の回路パターンと有機的な結合をするの。
結合した後…鍵は扉が開く毎に段階的に吸収されて消える。つまりネットからではどうにもならない存在ってこと。

「…外壁のミサイルは…?」
「一個一個にデッキ繋いで中をいじりたい?」
「…いや…やめとく(汗)」

あと…この屋敷の一部は…今見ている見取り図がまったく役にたたないから…。

「何故…?」
「それは…まあ実際に…あのへんちくりんな屋敷を見ればわかるわ」
「?」

それから一族の個人データ。冷凍睡眠を繰り返して君臨し続ける長老の他…信じられない連中の履歴。
彼らは力のある親戚同士で血族結婚を繰り返して力を保ってきた。外に一切富が流れ出ないようにして。
だがある時…今の長老の時から…まったくの閉鎖環境…宇宙にその場を移したのだ。

「…これ見てくれ」
「どうしたの?…レディ・Cのデータがどうかしたの?」

そうよ…彼女が日本にいたのは本当のこと…えっ!?
この…医療データは…。

「…気がついたかい?…やはりそうだ」
「この娘…」

そうだったの。彼女も。
そうだったのね。



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17個目。


2NDさんはブロンドですが、もちろん日本語で喋っています。