NEURO−ONE 15 投稿者: 天王寺澪
第十五話「クラスター・レディ」


崩れかけたビル。道路を埋める瓦礫。死体はある程度片づけられたがまだ少し転がっている。
煙を上げているのは砲撃を受けたか、あるいは装甲車に踏み潰された一般車輌、または抵抗した現地軍の車やポリスカー。
まだ一部で局地的な戦闘が行われている他は静かなものだった。セントラルが占領されるまでに長い時間はかからなかった。
各所に居座る装甲車、ビルの壁面にはカニのような多脚砲台が動き回る。軍の人間以外に道を歩くものはいない。
もちろん戒厳令が敷かれていたのだが、一般の人間たちは家の中に影を潜めて事態の成り行きを見守っていた。
その中をとことこと歩く小さな影。

「止まれ!どこへ行く?そこの子供!」
『…買い出しなの〜なの〜』
「外出は禁止だ…子供と言えど容赦はしない。家へ帰れ」
『…子供じゃないの』ぷんぷん
「…うるさいな…おい…早く連れて行け」
「…はっ」
『お腹がすいたの』
「…店はどこもやってない。あきらめろ」
『…』えぐえぐっ
「しょうがないな…ほれ…これでも持って帰れ…」
『ありがとうなの』にんまり
「もう外に出るんじゃないぞ」

パーツ屋の前まで戻って来た。騒ぎで崩れた商品の山を潜って中に入る。
店の奥は無事らしく、磁気ボルトが外れて隠しドアが開いた。部屋で待っている女。

「どうだった?澪ちゃん」
『どこもむちゃくちゃなの〜なの〜』
「う〜ん。困ったね」
『スノウさんもいなさそうなの』
「そっかぁ…やっぱり捕まっちゃったんだね。雪ちゃん」
『みさきさん連れて行かれないの〜』
「それは日頃の行いだよぉ」
『…変…なの』じいいいっ
「変じゃないよぉ」ぷんぷん

あるいはわかっていて放っておかれてるのかもね。私たち…。みさきがつぶやいた。
澪がうつむく。

『…心配なの』
「浩平…君?」
『なの』こくり
「いなくなっちゃったね」
『なの…』

寂しそうだ。

「澪ちゃんも店が壊れちゃって大変だね」
『あの連中にぶっこわされたの』ぷんすかっ
「とりあえずうちにいるといいよぉ。また時期を見て必要なモノ取りにいこうね」
『ありがとうなの〜』

澪は椅子に座って一息ついた。横でお腹がすいたとこぼすみさき。
これぐらいの食料では全然足りてないようだ。

いったいこれからどうなるんだろう。さっぱりわからない。
それでも澪はまだ最後にすがりつける何かが残っているような気がした。
ワイヤードでもないのに頭の中で繋がっている感じ。
あの人はきっと戻って来る…うん…そんな…何だろう…。
予感じゃなくて…そうだ。

約束。

『帰って来るって…言ったの』





「う…」

浩平は目がおかしくなったような気がした。
すぐ横の建物は普通だが、その後ろ…またその先へと見ていくと、地平線が徐々に上にせり上がっているのがわかる。
途中で空のホログラム映像に隠れてはいるが、あれが消えたら真上の空…の場所にも向こう側の町や湖が見えるはずだ。
見渡す限りの風景が頭の上までひっくり返るだろう。

紡錘形の軸に当る部分…そこに引かれたワイヤーが、外から取り込んだ太陽光を振りまいていた。細く眩しい線。
風は暖かかで、川も流れていた。宇宙にいるという感じはしない。

浩平たちは今、軸に沿った大通りを電気自動車で走っていた。新聞売りのスタンド。街路樹。道の両側に立ち並ぶ店。
シャネル、グッチ、エルメスなどの一流ブランド。少し行くとハンバーガーショップ。ドラッグストア。バー。レストラン。
反対側の区画はカジノになっているらしい。何でもありだ。こういう事態でもなければ覗いてみるのに、と浩平は思った。

予約してあったホテルに着く。チェックインに使ったのはもちろん偽の名だ。パスポートに書かれてあった名前。
もっとも『浩平』だって本当の名前じゃない。本当の名前…本当…の?
気がつくと茜が横で顔を覗き込んでいる。

「どうしたんですか?浩平」
「…いや…何でもない」

思い出せなかった。浩平はうろたえた。
俺はいったい誰だった?まるで普段かけない自宅の電話番号のように…ぽっかりと忘れてしまっている。
誰だ…俺は…?

「部屋へ行きましょう。デッキを繋がないと」
「…あ…そうだな」

指定された部屋に入ると、もう南が現地の仲間と打ち合わせをしていた。横では他の連中がセキュリティ作業。
ホテルの周囲の建物にも何人か仲間がいる。YAKUZAとスノウが事前に用意していた仲間だ。
向こうがどれだけの人数で来るかわからない、準備に越したことはない…が。

「これだけものものしいとかえって目立ちそうだな…」
「…そうですね」
「南。スミイかスノウの行方は掴めたかい?」
「兄貴はわからん。まあ心配ないとは思うが…。スノウはやはりどこかに捕らえられてるらしいな」
「そうか…」
「…まあ…拷問とか酷いことはしないだろう。VRフィードバックで記憶はあらかた吸い取れる」

それに…彼女は連中にとって今後も利用価値がある。プロパガンダって奴にね。だから心配はないさ。

「…ただし…スノウ以外は人質にされるとやっかいだな。心当たりあるかい?浩平」
「…」

澪。みさき大人。繭。ルミィ…。

「いいか?俺は例えスミイ兄の首が送られてきても…任務を果たすつもりだ」
「南…」
「おまえがもし…誰か他の女の指とか耳の映像を見せられて…止めたいとか言い出したら…俺は…」

俺は…おまえを…。

浩平は南を睨み返した。いつも陽気な変わり者の南。
だが今彼の顔はそれまで見たことがないほど冷たく険しかった。
これがいざという時のこいつの顔なんだな。そう浩平は思った。
不思議に恐くはなかった。ただ…南の覚悟が痛いほど胸の奥に突き刺さった。

茜は凍てついた表情でじっと二人を見ている。
南がまたいつもの顔に戻った。

「…まあ…可能性ってこと。あくまでバッドケースさ」
「ああ…」

まあ実際その時にどうするかはわからない。
こっちはこっちで今は頑張るしかなさそうだな。
浩平は引き出したばかりの回線にデッキを繋ぐ。暗い顔の茜を促して、二人で端末をつけた。

「いくぞ」
「…はい」

比較的狭い領域の中に、固まったデータ群が現れた。クラスターの中の一般の企業バンク。
明らかに猫が潜んでいるようなものとは違う。あらかた分担して見てまわったが何も見つからなかった。
茜が準備したウイルスで侵入できないデータ群は存在しない。1時間ほどで可能な場所は全て調べ尽くした。
ただ…一ヶ所を除いては。

「…だめだな」
「やはり…あれでしょうか…」
「たぶんそうだろう…あそこに見えているやつだ」

マトリックスのかなり先に大きな黒い立方体が見える。だがそこにどうしても入れない。
近くに寄っただけで表面が渦を巻き始める。いつかの軍用システムよりさらに防御が厳しい。
茜が何回かダミーで侵入を試みたが、全部あっさり殺られた。

「あれは…何か別の方法を考えないと…無理です」
「無敵のウィザードでも無理か…やっぱ一筋縄ではいかないな」

それはそうだ。事実上世界を支配する一族…そのメインデータなのだから。
しかしあまり時間をかけるわけにはいかない。こうしている間にもスノウたちが危険な目にあっているかもしれない。
そうだ…ikumiを持ってくれば良かった。どうしてスノウはROMを置いていけと言ったのだろう。
本当にただ昔話をしたかったからか?…だとしたらかなり間抜けなことになる。

「このデータバンクはどこにあるんだろう?」
「やっぱり…彼らの本拠地でしょう」
「…そうか…そういえば…あの連中はどこに住んでいるんだ?南」
「おいおい…それなら決まってる。山の上さ」
「山?」

クラスターの片側、紡錘形の先端に近い閉ざされた一角。
尖った先端に向かって全体に勾配ができているので、ちょうど山を登る感じになる。
距離的にはかなり登らないといけない…が中心に近づくにつれて擬似重力が弱くなる。実際にはたいした負荷ではないはずだ。
例の一族の占有場所ということ以外は何もわかっていない場所。
見取り図だと入り口があるようだが、もちろん開いてはいないだろう。

南にそれを言うと、首を振られた。

「あそこは誰も近づけない…外からならまだ望みがあるが」
「外?」
「クラスターの壁の外さ」
「…せっかく中に入ったのにまた外に出るのか…で?宇宙船はどうする?」
「修理業者の船がある…もっとも許可無しであの区画に近づけば…外壁に設置されたミサイルで狙い撃ちされるが」
「今から申請するのか?」
「いや。念のため事前に手配はしてある。ただ…かなりやばい仕掛けになるぞ」
「そうか…」

とりあえず…ここにいる限り軍もうかつには手が出せない。あの一族の息がかかったホテルだからな。

「出来る限りウイルスを練ってみてくれ…こっちは他の手がないか考えてみる」
「…わかった」

その時ドアを叩く音。緊張が走った。何人か影に隠れる。
短いやり取りの後、南が戻ってきた。

「大丈夫。本物のボーイだ」
「…これは…?」

預かってきた物…白い封筒だった。古式ゆかりの雰囲気。
電子走査しても不審なところはない。ただそれを見ている南の顔色が変わった。

「どうした?」
「…この封の…紋章…あの一族のものだ」
「何だって?」
「開けてみよう」
「!!」

中から出てきたもの…それは…今夜夕刻より開かれるパーティーへの招待状だった。

「あの連中…」
「どういうことだ?俺たちがいることがわかっているということか?」
「念のために確かめよう…おい」

一人がすぐホテルのマネージャーの所へ確認に行った…が、数分後に戻ってきた。
あの屋敷でのパーティーはちゃんと予定されているものらしい。

「…どうする?」
「どうするったって…罠かもしれん」
「…行きましょう」
「茜?」
「今日のところはどうせ他に手がありません…」
「まいったね…」
「…そうするか」



夕方になった。

空の映像は橙色から茜色…と間もなく星空になった。時々流れ星が見えたりする。ちょっとした趣向だろう。
指定された屋敷に着くまで警戒したが何も起こらなかった。
入り口で招待状を見せる。人数は特に指定されてないので、とりあえず浩平と茜、南の三人。
後のメンバーは外で隠れて待機。

浩平と南は借りてきたタキシードを着ている…が、浩平の方はどうもこういう場所に慣れていないようだった。

「窮屈だ」
「我慢です…浩平」
「…なかなか似合ってるぜ兄さん。でも…やはり姉さんのほうだな…」

茜は淡い桃色のシルクドレス。栗色の髪をあげて結っている。うなじと白い肩が眩しかった。

「うん…たいしたもんだ…」
「…ありがとうございます」
「…」
「浩平」
「…えっ?」
「こういう時は何か言うものです…」
「あっ…ああ…うん…」
「…知りませんっ」
「いや似合ってる…本当だ」
「…本当ですか?」
「うんうん」
「…尻に敷かれてるなぁ(笑)」

大きな屋敷は本物の木材をふんだんに使用した古い様式で、凝った造りだった。階段の手摺一つまでかなりの趣味物だ。
1階の奥、豪華なシャンデリアに照らされた広間は、既にたくさんの客で溢れかえっていた。
中に入ってしばらくうろうろしていると、南がいろいろ教えてくれる。
あれがこのクラスターの市長だ。ただの飾りだな。あと公安関係のトップがあの男。
銀行はもちろん財閥の系列。あれが支店長だが…まあ一族でも地位の比較的高い方だ。

「関係ないように見えても…このクラスターで使う金は全部あの一族に入るようになっている…うまくできているだろ?」
「なるほどね」
「おっ来たぞ。あれだ」
「…?」

広間が一瞬歓声に包まれた。
大勢の取り巻きに囲まれて一人の娘が入ってきたのだ。白いドレス。さっきの偉い連中がぺこぺこしている。
黒い髪…遠くて顔がよく見えない。

「あれがいまや飛ぶ鳥を落とす勢いの、レディ・C…だ。まあホントはもっと長い名前だが」
「…あの一族…白人だけじゃなかったのか?」
「長老の日系の隠し子…の孫らしい。本来ならここにいる人間じゃないさ。やつら黄色い猿は嫌いだからな」
「…じゃあどうして…」
「すごいのさ…彼女は」

とんでもない娘だ。数年前から急に頭角を現し始めた。恐らく着々と準備をしてきたのだろう。
あれよあれよとライバル…まあ直系の一族だな…を蹴落として、昨年ここにかなり広い領地を手に入れた。

「…いまではすっかり長老のお気に入りだ」
「へえ…」
「こっちに来ますっ」
「おっ!」

ぞろぞろとボディガードに守られて、主役の娘が歩いてきた。当然注目を浴びる。
はっきり言って目立ちたくなかった。だがもう目の前にそれがいた。逃げられない。
黒い髪。上品だがひとなつっこい顔。茜とそんなに変わらない年齢に見える。
これが世界の富の半分を占める一族だって?

「…はじめまして、みなさん。よくいらっしゃいましたね」
「おっお招きにあずかり…」
「お招きいただきありがとうございます」
「…はじめまして」
「日本語がお上手ですね」
「日本で育ちましたから」
「そっ…そうですか」

どうして俺たちを呼んだんだ?という質問が喉まで出掛かったが…浩平は押さえた。
南が目配せしたからだ。俺に任せておけというサイン。

「今日はどういった…パーティーなんですか?」
「…ええ。ここは何しろ観光と貿易が命…それで毎週場所を変えてこういったものを開いているのです」

その時クラスターに来ている観光客や業者を…通関データからランダムに招待している、そう彼女は語った。

「招待状をいただいた時は間違いかと思いました…何しろ我々は今朝着いたばかりですから」
「実は…どこにお泊りとか…全部データが…」
「そうですか。いやあ驚きました」

南がわざとらしく笑っている。
いやあこんな素晴らしいパーティーに呼んでいただけるなんて、ラッキーです光栄です一生の思い出です…。
とにかく調子がいい。

「ん?」

茜が彼女の顔を見て何か考えている。

(…どうした?茜)
(…えっ?あ…何でもないです)
(?)

だが令嬢の方も茜を見て…気のせいかもしれないが…複雑な表情を見せたように浩平には思えた。
待て…この感じは…茜と初めて会ったときと同じだ。

まさか…そうなのか?
彼女も…!?

だが浩平がそれを確認する前に、女は次の連中の相手に行ってしまった。たぶんもう戻ってこないだろう。
仕方がないので適当に切り上げて帰ることにした…が、出口のところでまた使いの者が来て手紙を渡される。

「…?」
「中に何か入っている…」
「気をつけろよ」
「いや…これは…」

浩平が封筒を開けて振ってみると、中から鍵が出てきた。プラチナの…合金。
一族の家紋が刻まれている。電子キー。

「まさか…あの入り口の?」
「どういうことでしょう」
「わからない…」

封筒の差出人は…さっきの娘だ。
不可解なまま屋敷を後にする三人。

それを遠くから見つめている影があった。


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15個目。

レディ・C…(^^;