NEURO−ONE 14 投稿者: 天王寺澪
第十四話「ステーション・ロビー」


VRの作用で目が覚める。
浩平は頭を起こして辺りを見回した。暗い部屋の中。何も見えない。
窓…はあるはずがない。ここは貨物室。彼らは貨物なのだから。

手元に用意されたスイッチで室内灯をつけてみると、すぐ目の前を横切るものがある。
部屋の中に何かが浮いていた。細かいネジとか。そういった類。
どうやら…間違いなく宇宙に来てしまったらしい。

「茜…起きてるか?」
「…はい」
「気分はどうだ?」
「…大丈夫…です」

でも正直ちょっと気分が悪い。茜も無理しているのだろう。これが昨日教えてもらった宇宙病ってやつか。
アドレナリンが…代謝系がどうとか…いやもう覚えてはいないが。
腕時計を見る…もうそろそろ予定時刻だ…と考えていると、軽い衝撃とともに部屋が揺れた。
接舷したようだ。空気の漏れ出す音がする…エアロックだろうか。

しばらくして、扉が開いた。南ともう一人の男が入ってきた。
二人ともふわふわと浮いている…が、近くまで来たところで床に着地した。
浩平たちをクッションごと隣にある大きな箱に放り込む。貨物として一旦外に運び出すらしい。

「あんたたちは保存食ということになっている…この箱には細工がしてあって通過検査もパスできるのさ」
「…保存食ね」
「二人だと少し狭いが我慢してくれ。なんだったらHしててもいいぞ。無重力だとこれがまた新鮮なんだ」
「!!」

笑いながら蓋を閉める南…言い返す隙も与えない。すぐに箱が持ち上がる。
どうやら何か別の車輌のようなものに積み替えられたようだ。
暗くて見えないが、茜の頬が赤くなっているのが浩平にはわかった。
しかしクッションが詰まっているとはいえ、揺れるたびに箱の中で体が動く。何回か頭を打った。
二人の体も接触する。変に意識してしまう。

ガタッ

「!」

揺れ動いた拍子に体を支えようと浩平が手を伸ばした…が。
手に柔らかい…膨らみの感触。

「あっ…茜…」
「…はい」
「わざとじゃないぞ…」
「…わかってます」
「声が怒っているようだが…」
「…浩平がにやついているのがわかりますから」
「そ…そんなことは…」

もちろんにやついていた。
だが浩平はさらに…無理を承知で…冗談で言ってみた。

「その…大変言いにくいんだが」
「…何ですか?」
「俺が茜を抱きしめている方が…安定…」
「…嫌です」
「…」
「でも…ちょっとだけなら…いいです」
「そうか…やっぱり………え?」

茜が自分から体を寄せてきた。本当は心細かったのかもしれない。
浩平は茜の体を抱きしめると片足を反対側の壁に乗せて体を固定した。
体に密着したボディスーツ。二人ともその下には何も着ていない。直に体の感触が伝わってきた。
細くてしなやかな体。見かけよりも豊かな膨らみ。ほのかな花のような香りがする。
顔は浩平の胸のあたりだろうか。思わずぎゅっと抱きしめてしまう。

「あ…」
「ごめん…苦しかったか?」
「…いえ…いいです」
「茜」
「…はい?」
「すまん」
「…え?」
「いや…わからなければいい」
「?…!!」

茜もやっと下半身のことに気がついたようだった。
一瞬体を離そうともがいたが、またタイミング悪く箱が揺れて抱きしめられる。
浩平はもう茜を離す気はさらさらなかった。もちろん茜の顔が真っ赤になっているのは間違いない。
ただ暗闇の中でも睨まれているのがわかる。

「…信じ…られません…」
「あいつが…あんなこと言うからだ」
「嫌いです」
「俺は…茜…好きだぞ…」
「…嫌いです」
「好・き・だ」
「…き・ら…い…」

浩平は笑いながら茜の体を少しだけ持ち上げた。
吐息をすぐ目の前に感じる。

「茜…」
「…」

茜は何も言わずに首に腕を回してきた。
浩平は…見当をつけた辺りにゆっくり顔を近づける。
熱い吐息がかかる。
そして…唇。

「ん…」

茜の…ぷにゃっとして…最初は少しひんやりしたけれど…すぐに熱くなって…。
舌を入れるとうろたえているのがわかる。可愛い。そう思った。
浩平はそのまま茜の体を抱きしめ続けた。

ガコンッ

突然箱の蓋が開いて、光が差し込む。覗き込む南。
慌てて離れる二人。

「…ええと…お楽しみのところ申し訳ないんだが…出てくれないか」
「…」

トマトみたいに真っ赤な茜が、浩平の胸をどんっと叩いた。せき込む浩平。

「ゲホゲホ…」
「ほら。お嬢さんから」

南が茜に手を伸ばした。箱から引っ張り出す。次に浩平。体が浮きあがってそのまま天井まで行きそうになる。
それを南が止めてくれた。出てみると倉庫区のようだ。二人が入っていた箱は移動用の艀に乗せられていた。
やや大型の艀で、同じような箱をあと10個ぐらい積んでいたが、どの箱も動かないように固定されている。
艀自身も床から少し浮き上がった状態で、チェーンで床に繋がれていた。
辺りを見ると、他にも荷を積んだ艀やボートが数隻繋がれている。かなり広い場所のようだ。

南がついてこいと言うので艀を蹴って壁に向かう。だが強く蹴りすぎて跳ね返りそうになった。
壁のロープを掴んで何とか持ちこたえる。後はそのままロープを握ってついていった。
二人は廊下を移動するにつれて、徐々に無重力に慣れてきた。

「次の定期連絡船でクラスターへ向かう。ただ少し時間が空いているので、休憩がてらにステーションの見学といこう」
「見つかったらやばいんじゃないのか?」
「いや大丈夫さ。ここに来るまでが厳しかったんだ。下と上と。大きなチェックは二回だけだ」

定期便での危険物チェックはもちろんある。ただ人に関してはこことクラスターの間はほとんどフリーパスなんだ。
なにしろしょっちゅう行き来が必要だからな。いちいちチェックなんかしてられないのさ。

「もちろん細かいことは山ほどある。さっきの倉庫だって監視カメラがちゃんとあるんだぜ。そこはもう袖の下だ」
「?」

茜は袖の下という言葉がわからなかったようだ。
浩平は思った。それじゃあここから先は…無法地帯じゃないか。ナカサキより危険かもしれないぞ。

三人は正面の壁が横に流れているところまで来た。それは壁ではなく回転する通路の一部のようだった。
ここから先のエリアは遠心力で擬似重力を作り出している。そう南が説明してくれた。
流れている壁…通路に足から着地する。急に遠心力の負荷が来たのとスピードに乗り切れずに浩平は尻餅をついた。

「気をつけて…最初は無理しないで取っ手に捉まって、寝た状態で入るようにすればいい」
「…入る前に言って欲しい」

船の発着場や倉庫は中心の軸の無重力地帯にあり、三人は今ちょうど周辺の回転部…その一番内側に入ったらしかった。
シャフトの中に設けられたエレベータに乗ってさらに外周部に移動。車のスポークに当る部分を外側に向かっているのだ。
思ったより長かった。途中で何回か乗り換え。まるで100階建てのビルの屋上から1Fまで降りるようだ。
途中エレベーターの窓から巨大な吹き抜けが現れた。外に出ると、そこはロビー…いやとてつもなく広い廊下。

「ここがステーションの最外周。居住区だ」

廊下の幅だけで100mぐらいあるだろうか。さらに両側に部屋がある。
おまけにエレベータの前は丁度さっきの吹き抜け。かなりの高さが確保されている。
多くの人がいた。ビジネスマン。若いカップルや親子…たぶん裕福なクラスの旅行者だ。それに警備員。サービスマン。
とにかく様々な地域の雑多な人種が集まっていた。地上のターミナルの比ではない。
クラスターにいくつか存在している港。ステーションはそれらと地上との中継基地だ。恐らく数万人の人がいるのだろう。

浩平は廊下の先を見た。遥か向こうの端で、天井に向かって反りあがっている。やはり全体が円になっているのだ。
廊下に沿って並ぶ部屋、その片側は屋根の上が展望エリアになっていて、登ってみると壁全面が窓になっていた。
見渡す限り無数の星が輝いている。地上では決して見ることができない眺め。

「…すごいです」
「うん。本当だ」

居住区の回転につれて徐々に風景が移動している。やがて青い天体が窓いっぱいに広がった。
決して見間違えるはずのないそれ。
地球だ。

「…綺麗です」
「うん…」
「…あ…あそこ…あの島の形…」
「うん…本当だな…」

少女のように目を輝かしている茜と、ただ同じ返事を繰り返す浩平。
二人は口を開けたまま、自分たちがさっきまでそこにいた星をずっと眺めていた。窓にへばりついて離れない。
南が横で笑っている。回転して地球が見えなくなったところでやっと歩き出した。

途中でサイレント・スクエアと言われる一角に来た。ここでは話し声が離れた場所に聞こえないようになっている。
南が立ち止まって話しはじめる。

「ただ…軍が来ているかもしれない」
「…そうか。まだそれがあった」
「もっともここでドンパチしようなんてことは…考えないと思う。たぶんな」

ステーションが損傷すれば重大な国際問題だからな。だから撃ち合いにはならないと思う。
毒薬とか…とにかく気をつけるのはそういったことだ。

「だが可能性としては…先にクラスターに行っている…か」
「恐らくな。上陸してからの方が連中も自由がきく」
「…何が狙いなのでしょうか?」

南は茜を驚いた顔で見た。

「…あんたたちを猫に会わせたくない。それが目的に決まってるさ」
「会うとまずいことでもあるんですか?」
「それは…俺にはわからないよ」

あんたたちに思いつかないのに俺にわかるはずがないさ。そう言うと南は時計を見た。
腕に埋め込まれたバイオチップ。手首に光るデジタル数字が浮き出る。

「そろそろいい時間だ。搭乗口へ行こう。あんたたちの荷物は先に載せてある。ああ…あとこれ」

パスポートカードとチケットを受け取る。

「スノウにもらった方は使わないほうがいい。もうマークされているはずだからな………ん?」

南が驚いた顔で見上げている。ロビーの上。大きなスクリーン。
そこに緊急度を示す赤色の枠でニュースが表示されていた。

『グリニッジ標準地球時間X日X時X分…極東エリア…軍によるクーデターが発生…』

「えっ?」
「嘘…」
「…とうとうやりやがったか…」

周囲が急に騒がしくなった。あちこちで人が走り回っている。地上との通信回線にはどれも列ができはじめた。
ニュースによると、政府の施設や要人、交通機関の他、重要な企業施設などの制圧が行われているようだった。

「スノウたち…無事でしょうか」
「…わからない」
「デッキを繋いでみろ。こっちだ」

浩平たちが驚くのも構わず、南がすぐ側の休憩室へと入っていった。
彼はそこからその裏の小部屋、従業員専用と書かれた部屋に向かう。中にいる男に目配せをした。
そこの壁の電源パネルを外すと中からデッキが現れた。

「この部屋の近くで良かった」
「…これは」
「俺たちの中にもいるのさ。デッキを使えるやつがな。だから結構重宝してるんだ」

浩平がマトリックスに入る。だが通信はかなりトラフィックが厳しくなっていた。みんな一斉にアクセスをしているようだ。
やっと地上局を通って極東方面に飛ぶ。
見慣れたデータ群。VR社を見つけた…が、入ることができない。マトリックスの中に表示されるデータは全て強制封鎖されている。
一切のデータの出入りができなくなっていることになる。これでは侵入は無理だ。
でもこれで十分だった。もうここは制圧されている。

「だめだ。この辺りはもう…」
「…浩平」

VR社、劇場、T社。A社。L社。セントラル付近の大きいデータ群はどこも同じだった。
どうやらこの辺りが集中的にやられたようだ。茜に交替してみたが結果は変わらなかった。
二人の顔が暗くなった。

「スノウ…繭…」
「とりあえず行こう。どちらにせよ…もうここにいてもしょうがない」

うながされて搭乗口へと向かう。だが足取りは重かった。

南はつぶやいた。
クラスターとの行き来は変わらないとは思うが…地上に降りるのは困難になりそうだな。
戻るときは北米とかになるかもしれないぞ。

「船は通常通り出るそうだ」

改札が始まり、三人は定期連絡船へと乗り込んだ。上等なソファ。運ばれて来る車内サービス。
そのどれもが関心の外にあった。周りに人がいるため下手な相談もできない。各々が自分の考えにふけっていた。

やがて…窓からそれが見えてきた。巨大な白い紡錘形。
近づいているようでなかなか近づかないことが、その巨大さを物語っている。

「あれが…」
「そう…あれが…」

茜が真上に来たそれを、天窓から見上げる。
側に近づくにつれて、それは紡錘形の長い方を軸にして回転しているのがわかる。
地球上のいかなる国家にも属さない、いかなる法律にも縛られない場所。

「…クラスター…」





「…以上、ハザード発生時より順序立ててご説明させていただきました」

灯りを消した暗い部屋。大きな会議机、もう手に入らない天然マホガニーだ。その一方の端に立つ女。
壁のプロジェクターに表示される人物相関図。彼女が望む場所にポインターが移動する。

「彼らはみな…あのVRシムに参加していたメンバーです。もっとも全員がお互いに認識できているわけではないようですが…」

並んで座っている面々。勲章をたくさん胸に着けた制服。背広を着た者も何人かいる。
彼らの背後には護衛のサムライが控えているが見ることはできない。

「彼らの目的は、猫を入手…もしくは猫から何かを受け取ること…と結論できます」
「その…浩平とかいう若造は…その影響度を知っているのかね?」
「会うつもりではいるようですが、その結果どういうことになるかまでは…理解していない可能性が高いでしょう」
「馬鹿者だな」

制服組の一人が吐き捨てるように言った。

「猫の価値を知らずにひょこひょこ宇宙まで出かけるとは…何を考えとるんだ」
「もうクラスターに入ったそうじゃないか?」
「あの場所にいる可能性は過去にも論じられていたはずだ…どうして早く処理しておかなかったのだ?」
「…困るねえ…君はあの島がどういう場所かわかっとらんのかね?あの一族の私有地だぞ…」

背広組の一人が眼鏡を指で直しながら言った。眼鏡はもちろん伊達であり、何らかの細工がしてあるのだ。
恐らくこの一部始終を記録しているのだろう。

「あの島でミサイル一発撃ってみたまえ…破滅だよ。欧州連合、および北米からの軍事、経済制裁はまず免れまい」
「想像の範囲だけで確証もなしに騒げる場所ではないということだよ」
「いったい猫と…例の一族は何を取り引きしたのかね?」
「まだそれはわかっとらん…だがいることは間違いない」
「地上のウイルスは全て回収できた。後はあの場所だけだというのに…」
「あれはもう『mizuka』でさえないのだろう?放っておけばいいではないか」
「そうだ。どうせ外には出てこない。我々とは関係ない」
「…そういうわけにはいかんのだ」

立っている女の横、議長席。今まで黙っていた太った男が口を開いた。
彼は制服を着ている…が胸の勲章の数は飛びぬけている。指には指輪が数個光っていた。

「あの猫が…自ら連中を集めた形跡がある」
「何?」
「…それは本当かね?将軍…」
「猫が自発的に呼んだということは…何か行動を起こすつもりがあるということになる」
「スノウ・ミヤマの証言によれば、それが最初に現れたのはナックラーの会長宅らしいではないか」
「鹿沼葉子を目覚めさせる…どうせ連中が狙っているのはその程度のことだろう?」
「以前からこちらで潜り込ませた医師によれば…完全な植物人間だそうだが…」
「だったら問題はないはずだ。それにカプセルも既に掌握。巳間晴香、名倉由依の両名は監禁済だ。何もできまい」
「YAKUZAはどうなっとる?」
「追跡中だ。もっとも今となっては捕える意味はあまりないがね」
「そんな甘いことを言っとるから宇宙港で失敗するのだ」
「あれは失敗ではない。既に閉鎖も完了している」
「しかし現に連中は飛んどるじゃないかっ」
「まあまあ…もう済んだことをほじくりかえしてもしょうがない…」

さっきの太った男が場を収めた。

「…諸君…改めてわしの方から…これだけは念を押しておきたい」

猫の存在は我々にとって…今までも、そしてこれからも首にナイフを当てられているのと同じことなのだ。
今回の動きがあの一族のもくろみであるなら…そのナイフが動き始めたと言うことになる。
我々にとっては容易ならぬ事態が始まるということだ。それだけは絶対に阻止せねばならない。

彼はそう言い終わると、部屋の中を見回した。
こいつらの利用価値もそろそろ終わり。用済みだな。馬鹿どもが。
少なくとも猫を手に入れる…もしくは消滅できれば、そこでわしの研究施設でつくらせた『doppel』をばらまく。
世界中のネットを我々の手中に収めることができるのだ。しかも対抗できるウイルスはない。
そうなれば…あの一族が握っている世界の金融、軍事産業を裏から分断できる。そこで我々の出番というわけだ。

別の女が男の側に近づいた。場が静まりかえる。

「クラスター内。引き続き目標を捕捉、追跡中とのことです」
「…そのまま計画どおり進めろと伝えろ」
「承知しました」

これでいい。よもやしくじることはないだろう。
ニンジャの数ならこちらが上だからな。

男は笑った…が、その冷たい醜悪な表情に気づいたものは誰もいなかった。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
14個目。ちょっと長くしました。

もともと次かその次で終わりのはずが…全然無理そうです(大汗)