NEURO−ONE 12 投稿者: 天王寺澪
第十二話「スペース・ポート」


出発の準備を整えた浩平は、茜の部屋をノックした。

「そろそろ時間だぞ」
「…もう少しです」

服を着替え終わった茜。合成皮革のジャンパー。ジーンズ。
もういつでも出かけられるはずなのに浩平を待たしている。
それは『用事』がまだ終わっていなかったからだ。

軍専用通信機。めまぐるしく変わる周波数とキー。決まったばかりの暗号で軍事衛星に連絡を入れる。
これから宇宙港に移動すること。ROMはセントラルにあることなど…だ。
ただそうしながらも茜は…この任務に抵抗を感じている自分を認めていた。
重傷のルミィ。間違いなく自分の情報が招いたこと。あれからずっと感じている痛み。
今までもこういった諜報活動は何のためらいもなくこなしてきたはず…なのに。
軍の狙いがあくまでもROMならば…次に襲われるのはこの劇場かもしれない。そう思うとまた憂鬱になった。

通信機をしまうと鞄を持ってドアを開ける。

「お待たせしました…」
「ああ。行こうぜ」

スノウのよこした男たちと一緒にエレベーターへと向かう。

「クリニックに行ってルミィに挨拶して行きたいけど…まだ見張られてる可能性があるからだめだな」
「…そうですね」

正直ホッとした。今はまだルミィの顔が見れない。会いたくなかった。
大切な仲間を裏切った感覚。たった数週間一緒に過ごしただけで、こんな風に感じるなんて。
いや…初めて二人に会った時から。あの高原で、ゲートの外で待っていた二人の顔を見た時から気がついていたことだ。
浩平も同じらしく何度も尋ねてきた。前はどこで暮らしていた。その前は…。
もちろん以前に実際の世界で会ったことはない。自分が過ごしてきた町や世界は彼らと全く接点がなかった。それは間違いない。

結局スノウたちから恋愛シムの話を聞いて、それが原因らしいことはわかったけれど。

何を感じたのだろう。外見ではないことは間違いない。
VRの中で使われるグラフィックは共通のものだったはずだから。もっと違う何か。
自分の場合はあのシムの茜に似ていると言われたことが何度かあったけれど。
でも全てを聞いた後で、浩平は何度も私の顔を見て言った。そうだよな。最初は顔だと思ったけど…そうじゃないんだ。
何かを感じたんだと…。あのシムで起こったことが、いったい私たちに何をもたらしたのだろう。

「スノウは…?」
「見送りになんか来るわけないさ」
「…そうですね」

エレベーターの中で護衛に囲まれる。サングラスをつけた無愛想な元軍人たち。

この連中は私の軍への連絡を止めようとしない。スノウだって知らないはずはないのに。
たぶん泳がせているのだ。浩平だって本当は気がついてるに違いない。みんなお互いにわかってやっていること。
そう。これはただの任務。昔のことなんか関係ない…はず。

…じゃあ今自分が一緒に行こうとしているのは…これは…?
1ヶ月の期限も過ぎても軍から連絡がこない。その場合は確かに継続ということになってはいる…だけど…。
たとえ行くなという指令が来ても、私は一緒に行くだろう。そんな気がする。

劇場の玄関に出るとそのまま待っているベンツに乗り込む。前後にも同じ車。ただ外見は同じだが中身は違う。
分厚い装甲、高出力レーザーと20mm機関砲を備えた走る戦車だ。やけにものものしい。
車はしばらく市街を走った。見慣れた街が今日は不思議に新鮮に見える。地上を離れて宇宙に出るからだろうか。


クラスター。集合体。これから向かう場所。
衛星軌道に浮かぶ群島。世界最大の財閥が造った独立国家。自由貿易地帯。
そこには地上から入ることができないネットが存在している。ikumiさんと話している中で出てきた候補地だ。

『猫がいるとしたら…あそこしかないわね』
『得意の勘がそう言うのかい?』
『まあね…』
『でも事件の時は…まだ…建設中だったはず…』
『建設に使ったものがあるでしょ?』
『あっ!!』
『軌道エレベーター…!』
『そうかっ!あの頃はまだ動いていた…』
『一旦軌道エレベータに避難して…それから島…可能性が強いわね』

そうだ…軌道エレベーター…。かなり前の国境紛争で止まったままになっているが…。
軌道エレベータからクラスターに入ったということか。だが…それならあの財閥は、猫の存在について知っているはずだ。
いったいどういう関係にあるのだろう。


やがてハイウェイに上がると、そのまま北西、郊外へと伸びるルートに入る。
10分ほどで前方に広がる宇宙港が見えてきた。結局何の妨害も受けないでターミナルに到着。

車を降りた二人は搭乗カウンターへと向かう。浩平が二人分のチケットを出した。
ゴールドチケット。ステーション経由クラスター行き。周囲を油断なく見張る男たち。
チケットの格が違うせいか手続きはすぐに終了。あとは荷物を預けてJALのシャトルに乗るだけだ。

だがそこでそれは起こった。

爆発。

「何っ!」

近くのカウンターが炎とともに弾け飛んだ。護衛の男の一人が茜にかぶさる。
だが男の体がぴくっと痙攣したかと思うと、茜の視界を真っ赤なものが塞いだ。

「…っ!」

彼女にかぶさった男…の首がなくなり、そこから流れ出した血が辺りを染めていたのだ。
茜は懐の銃を手に取ると、死体をひっくり返して横に転がり出る。綺麗に切り取られた首。
煙の匂い。周囲に転がる肉片。逃げ惑う人々。
立ち上がると目の前に笑っている男がいる。冷たい顔。見覚えがあった。
T社でルミィを襲った男。彼女の目を通して見た顔だ。間違いない。でもどうして。
軍の雇った殺し屋なら、どうして私を襲うのだろう。

浩平が茜の側に駆け寄ると盾になった。

「茜っ!逃げろ!早くっ!」

周りに残った男たちは殺し屋に銃を向ける…が、目にも留まらぬ動き。これは…。

「ギャアッ」
「グフッ」

ブシューッ

飛び散る血飛沫。銃を握ったまま転がる腕。首。
やはりニンジャだ。それもA級の。
茜は首を振った。これはどういうことだ。軍はROMが目的ではなかったのか。

「早く逃げろっ!」

だめだ。彼らには銃を使っても勝てない。
振り返って走ろうとする…だが後ろを塞ぐ別のニンジャ。やはり冷たい目。
私たち…死ぬのか。

シュッ
カシカシィッ!

男たちが不意に飛びのいた。リノリウムの床に突き立つそれは…ナイフだ。
見覚えのある輝き。

「あれは!」

不意に現れた影。
ナイフを避けて一瞬バランスを崩した一人の懐に飛び込んだ。
あわてて振りかぶった刀が振り下ろされる前に首を掻っ切る。

バシューッ

血を吹いて倒れる間に影の姿は消えた…と思うと頭上高く飛んでいた。

ヒュウンッ

空中からさらに数本のナイフ。

シュッ
カツカツカツンッ!

残った方、例の男は全て弾き返すと、すかさず浩平たちを斬ろうとする。
だが間に入った影がそれを阻止した。

「!」

ひるがえる青い髪。目にも止まらぬ斬撃を交わす刀と刀。

キンッ!
カッカカッ!
カンッカキィッ!

火花が散った。

「ルミィ!」
「何をしているっ。早く行け!」

浩平はうなずくと、すぐに茜の腕を掴んで走った。

「浩平っ」
「俺たちは足手まといだ。早く離れるんだ!」

ルミィ。治っていたのか…?
敵を欺くにはまず味方からというが…。
とにかくここは任せるしかない。



距離をおいてにらみ合う二人の刺客。

「…傷は治ったようだな」
「止めておけ」
「何?」
「おまえが死ぬだけだ」
「ほう」

男は笑った。

「寝言か…?」
「ROMさえかばわなければ…おまえなど相手ではなかった」
「…ふっ」

二人の姿が消えた。

フォッ

風が起こった。
すれ違った形で背中を向け合う。
ルミィのこめかみから血が流れると、顔の横を伝わり落ちた。
振り返る男。その顔は笑っている…が…。

「いっ…一瞬に三度斬りつけるとは………がっ…」

笑う男の顔…表情を変える暇もなく縦に真っ二つになる…次に首が切れてそのまま下に転がり落ちた。
綺麗に切られた首の断面。さらに胴体が腰のところで血を吹き出す。
ただの肉片と化した体から流れ出した血が、あっという間に床に池をつくった。

ルミィは刀の血を振り払ってつぶやく。

「言っただろう。おまえが死ぬと」

そのまま立ち去ろうとした…が。

「…!」

カランッ

刀が手から離れて床に落ちる。

「ぐっ…」

横腹を抱えて膝をついた。意識がにぶる。やはり無理がたたったようだ。超人的な動きに傷口が開いたらしい。
ぼんやりとした目に映るもの。血と肉片。遠くで見ている他の客たち。駆けつけてきた数人の警備員。
まずい。捕まる。

その時、煙幕が辺りを包んだ。叫び。白いガスで視界が遮られる。
すぐ側で男の声。

「立てるか?」
「…?」
「こっちへ来い。一緒に逃げるぞ」

腕を掴んで引き上げる。もう一人別の男がいてルミィの刀を拾う。
近づくまで気配を感じなかった。この男たちはいったい。

「歩けないみたいだな…おぶってやろう。よいしょっ…と」
「あ…」

抵抗しようとしたが体が言うことを効かない。仕方なくされるままになっている。
背中のたくましい筋肉。間違いなく並の人間ではない。しかも自分を背負って風のように走る。
そのまま裏口へ。既に鍵は壊されていた。

「思ったより軽いんだなあ。ドラゴン」
「私を…知っているのか…」
「あの技が『雷』だろ?病み上がりの体で恐れ入ったぜ…」
「おまえは…いったい…」
「…味方ってわけじゃないんだが…まあ今は信用してくれていい」
「…」

何か考ようとしたがだめだった。
男の背中で意識が遠くなった。



ターミナルから走り出た浩平と茜。だが逃げる間もなく次の連中に囲まれてしまった。
屈強な体の男たち。見かけはバラバラだが、動きは見事に統率されている。
その中から出てきた男。昼間から会うには違和感のある顔だ。

「一緒に来てもらおうか」
「スミイ…」
「早くしろ」

黒塗りの大きなリムジン。その後部座席に数人の男たちとともに押し込まれる。
誰もが静かで無駄口を叩かない。ただ氷のような威圧感を持った男たち。
茜は思った。これは軍人とはまた違う。上手くいえないが。
これがYAKUZAなのか。

広い室内。二人と向かいあって座るスミイ。
すっかりくつろいでいる。

「どこへ連れて行くつもりだ」
「…さあな」

サイレンの音がした。分離帯を挟んだ反対車線。
ターミナルへと急行するパトカーが何台か、それとなぜか軍の車輌まで見えた。ルミィは無事だろうか。
そう考えていると、窓に黒いシェードが降り、何も見えなくなった。運転席との間も遮られる。

「場所を知られたくないんでな。悪く思うな」
「…右手は元に戻ったみたいだな」
「ああ。今度はちょっと強化してある」

だからってあの姉ちゃんとは二度とやりたくないけどな。そう言って笑う。
浩平は知っていた。スミイの右手に仕込んであるもの。アルゴンガスレーザーブレード。
めったにそれを使うことはないが、使えば二桁は人が死ぬ。

「よくあそこにいるとわかったな」
「ああ。なんだってわかるさ。お前たちの中にも仲間はいる」
「…」
「スパイなんてものはなぁ。どこにだっているんだぜ? 浩平」

そう言うとスミイは茜の方を見て笑った。思わず顔を伏せる茜。

「まあどちらにせよ…あそこはしばらく封鎖される。あんな騒ぎになっちまったら」
「自分たちでやっといて、そんなことを言うのか」
「…おいおい。俺たちじゃないぜ」
「…?」
「そこのお嬢ちゃんだったら良く知ってるはずだ」
「!?」

茜は下を向いたままだ。手を握り締めている。

「まさか知らなかったのか?あいかわらずお間抜けだなぁ。浩平」
「…茜」
「…」
「そいつはずっと軍と連絡をとっていた。まあVR女もそれは知ってたみたいだが」
「そうだったのか…」

そうか。あのニンジャ…。ルミィが襲われたのも…。今日のことだって…。
軍の仕業。俺だけが知らなかった。みんな同じ。俺だけが違うってわけだ。
やれやれ。

「茜」
「…はい」

恐る恐る顔を上げる。握り締めた手が白くなっている。
それでも浩平は尋ねなければならなかった。

「さっき狙われたのは…あれも演技なのか?」
「…!」

慌てて首を振る。

「女なんか信じちゃだめだぜ…浩平」
「…ちが…い…ます」

浩平はうなだれた茜を見ている。
確かに…あれは演技なんかじゃなかった。たぶん彼女も一緒に殺されていただろう。茜でさえ軍にとっては駒でしかないのだ。
だったら…同じだ…俺と。スノウにしても伯爵にしても同じ。誰もが駒だ。いまさら気にすることではない。
それに今の俺は…少なくとも自分の意志で猫を探しているのだから。

ただ…そうは言っても少しがっくりきてはいた。あのシナリオの話を聞いた後で茜は軍に連絡したってことだ。
結局あのシムの話に何か感じたのは俺だけってことか…。ここまで来たのはただの任務ってやつなのかな。

「まあお前たちを殺せなくても…騒ぎを理由に港を押さえる。どちらにせよ連中は目的を果たしたってわけだな…おやっ?」

スミイが懐から端末を取り出した。

「…うん。そうか。よしわかった。ご苦労さん。後でこっちへ来てくれ」

端末をしまう。

「さすがはドラゴンだな。借りはきっちり返したみたいだぜ」
「本当か?」
「ああ」
「そうか…」

ルミィ。良かった。本当に治っていたのか心配だったけど。
うつむいたままの茜…何も言わない…でもなんとなく安堵しているのがわかった。
そうだな。彼女だって殺されかけたんだ。襲われたのはショックだったはずだ。
みんな無事で良かった。

…そうだ。
何もがっかりすることはない。彼女たちは今までよく助けてくれた。
そして手に入れたものはまだ何一つ無駄にはなっていない。何一つ。
ただひたすら猫に向かって前に進む。そう決めたはずだ。
それでいいじゃないか…。

とは言うものの、今はYAKUZAの車の中。どこに進んでいるかもわからないが…。
まあなるようにしかならないな。

浩平は笑った。様子に気がついた茜が不思議そうに顔を上げた。

「茜」
「…はい」
「気にするな」
「…?」
「俺は気にしてない」
「…!!」

笑っている。おまけに気にしてない…?
茜は信じられないという顔で浩平を見つめた。なぜそんなことが言えるのか。さっき死にかけたばかりだというのに。
ルミィのことだって…私は殺されても文句は言えないのだ。彼女だって私を許さないだろう。

「…スミイ。頼みがある」
「何だ」
「茜は帰してやってくれ」
「浩平!」
「スパイとは一緒にいたくないってか?」
「そうじゃない…危険な目に合わせたくないだけだ」
「馬鹿も休み休み言え…立場わかってんのか?」
「茜はもう関係ない…おとなしく帰るだろう」

違う。帰りたくない。
一人でなんか帰りたくない。

「…嫌です」
「茜?」
「一人だけ帰るなんて…嫌です」
「…いや…しかし…」
「一緒に行かせてください…」

そうだ。
さっきまでのあの辛さ…殺されるとかそんなことじゃなかった。
この人と一緒にいられなくなる…それが辛かったのだ。
ここまで来たのも一緒にいたかっただけ。今ごろ気がつくなんて。
なんて馬鹿なのだろう。私は。

そう思った途端、熱いものが胸に込み上げてきた。
瞳に涙が溢れてきた。

「降ろしゃあしねえよ。心配すんな」
「スミイ!」
「…嬉しいです」
「茜…」

浩平は、茜の潤んだ瞳を見てドキっとした。と見る間に頬を零れ落ちる涙。綺麗な宝石のような光の粒。
茜はじっと自分の顔を見つめ続けている。頬がほんのりと赤く染まって…。本当に嬉しそうだ。
浩平は慌てて前を向いた。

「わかった…」
「…はい」

やれやれ。誰の車かわかりゃあしねえ。そうつぶやくスミイ。

「甘いねぇ。浩平ちゃんは…」

スミイがにやにや笑っている。最初からこうなるとわかっていたようにも見える。
普通の女ならYAKUZAの車から喜んで逃げ出すんだが…まあその辺りも並の女じゃないってことか。
こりゃ野郎の方は振り回されるぞ。

「惚れたか?」
「…馬鹿なことをいうな」
「ふっ…」

甘ちゃんだねぇ。まだつぶやきながら窓の方を見ている。もちろん覆われて景色なんか見えないのに。



やがて車が速度を落とした。

「どうやら着いたようだな…さっ降りてくれ」

開けられたドア。光が眩しい。

「うっ…!」
「…ここは…」

地平線が見えるほど広大な敷地。遥か彼方から吹いてくる風。
そして…眼前にそびえ立つ巨大な鉄塔。横に組まれているブースターと機体。

シャトルだ…。
YAKUZAの所有する二機のシャトル…その一つが目の前にある。

「スミイ…」
「どうせもう普通の便では行けやしないんだ。これを使いな」
「…おまえ…」

スミイは空を指差した。右の義手。黒い手袋が指差す先。
遠く青い空を背景に浮かぶ白い紡錘形。昼の月のようにぼんやりとして。

「行くんだろ?あそこに」


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12個目。長くなりました。

予定ではあと3…4回。