第十一話「瑞佳・REV」 日射しが暖かい。 青い空は少し黄色がかっていて、記憶の中の春の空そのままだ。 遠くに見える町は陽炎で揺れている。家々の屋根の瓦がきらきらと光っていた。 川にかかった小橋を渡ると、澄んだ水の流れる音を聞きながら、川沿いの小さな土手を歩く。 すぐ側の田んぼに広がるレンゲやシロツメクサの花。緑の中の綺麗な白と鮮やかな紅紫。 時々聞こえる、雲雀のさえずり。子供たちの遊ぶ声。 こんなに暖かいのならセーターなんかいらなかったね。 彼女は歩きながらぼんやりと春の風景を眺めていた。 別にこちらが探す必要はない。そのうち向こうから見つけてくれる。ほら。 「あっ。お母さんだっ」 「お母さ〜ん」 手を振るとこちらに走って来る。小さな二人。そんなに急いで走らなくっても。ほらほらこけちゃうよ。 あ。やっぱり。 「うう…」 「なくな。ほら」 男の子の方が女の子を助け起こす。 母親はゆっくりと草の絨毯を踏みながら、子供たちの方へと近づいた。微笑みながら。 「大丈夫?メグ」 「うん」 「えらいぞ。泣かなかったね」 「うんっ!」にっこり 「ねえ、お母さん。お母さんもあそびにきたの?」 「うふふ。そうよ。だってこんなに天気がいいんだもん」 「やったぁっ。お母さん。いっしょにあそぼうっ」 「あそぼ〜」 「うふふ…はいはい」 それから三人で一緒に花輪をつくった。大きな花の輪。 娘と息子が首にかけてくれる。ちょっと恥ずかしかったけれど。 彼女の方は娘の頭に小さなレンゲの花冠を乗っけてやる。とても嬉しそうだった。 そのうちまた二人で走り回っている。 顔を上げると遠くに見える山々。手前で縄跳びをする女の子たち。飛ぶたびに風景が遠くなったり近くなったり。 ああこれって昔読んだ詩の風景だわ。思い出した。シンペイ・クサノだったかしら。 国語の教科書で詩のところは好きだったな。 漢字とか得意だって言われたけれど、本当は詩の方が好きだった。 向こうの国道を走る車はどれも小さくてオモチャのようだ。時々窓がきらっと光ったりする。 風景はみんな暖かな春の空気の中でおぼろげに揺れていた。 お母さん。 不意に呼ばれて辺りを見回す。すぐ近くには誰もいない。 少し離れたところで娘と一緒にカエルを追いかけている息子。 お願いだからそれはこっちに持ってこないでね。 お母さん。 何? 男の子は背中を向けたままだ。 もうすぐお母さんにあいにくるよ。 誰が? お母さんのしってるひと。 私が? うん。 女の子のほうがカエルを嫌がって逃げてしまった。 残された男の子が後から走っていく。 たっちゃんは知ってる人? ううん。 どんな人? わかんない。 そう。…今日来るの? ううん。でももうすぐ。 二人はもう他の子供たちと走り回っている。 彼女は立ち上がるとスカートから草をはらい、空を見上げた。 予感はする。いや。それは予感という名の情報。 あの空の色の変化と同じ。 まぶしさに手をかざして遠くを見る。あいかわらず町は霞んで見える。 それはあの町の向こうから訪れるのだろうか。 今日浩平が帰ってきたら話しておこう。 きっと知りたがるだろう。 それが誰なのか。 「説明してくれたのね…全部」 「ええ…」 セントラル劇場の最上階を占める部屋。 端末を頭につけた女の前には、ROMカセットを差したデッキ。 横には飲みかけのワインが入ったグラス。 「ありがとう」 「どういたしまして」 マトリックスの中、青い髪の女がスノウに微笑んだ。 こちらこそあんな場所から出してくれて感謝してるわ。 「浩平たちは行ってしまったの?」 「ええ…さっきまではここにいたんだけど」 「あなたの話も聞いたのね?」 「ええ。もちろん」 「じゃあ知りうることは全て知ったわけね」 「そう。あなたと私。この世界でわかることは全部聞いたことになる」 「でも自分たちがメンバーだったことは思い出せなかった…」 「全然無理よ」 スノウはワインを口に含む。 「…暴走シナリオの主人公。ただそれだけのことなんだけどね」 「あの中で何が起こったのか。どんなシナリオに変わってしまったか…」 「あなたの不揮発層にもほとんど残っていない…大部分は想像するしかないと」 「それにしてもよく見つけたわね…あの時アクセスしてた『浩平』は何百人もいたでしょう?」 「だからこんなに遅くなったのよ」 そうだ。最初はたくさんのグループが同時に動いていた。何百人の『浩平』がいたのだ。 それが猫のためにおかしくなった。全てのグループのメンバー、何千人が一つの暴走シナリオに巻き込まれてしまって。 その中でたった一人の『浩平』を演じ続けた男。それを見つけるのにどれだけの手間と時間をかけたか。 しかも同時に自分たちが生きていく術を見つけなければならなかった。T社を追われた自分たちの。 それでも頑張って…やっとここまで来た。ここまで。 「何故自分が浩平と名乗っているのかも…」 「わからなかったみたいよ。裏の世界で生きていくのに無意識に選んだ名前。茜ちゃんも同じ」 「まさか昔のあのハザードで焼きついているなんてね。夢にも思わないでしょうね」 「私たちが何人の浩平を調べたと思う?海辺で砂粒一つ見つけるようなものだったわ」 「…本当にご苦労様。みさき…澪…繭…留美…順番に見つけて最後にあの二人てわけね」 「そう…みさきがすぐ近くにいたからまだ良かったけど」 そうだ。みさきもあの日アクセスしていた。そして戻ってこれた数少ない人間の一人。おまけにメインメンバーだった。 記憶の消去がメンバーによって度合いが違うのだ。みさきは比較的あのシナリオの中身を覚えていたほうだった。 おそらく彼女の場合は本能…すなわち空腹が勝って、長時間のVRを抜け出せたのが大きかったと見られている。 それでも数百回のVRフィードバックを試みて、やっと読み出した記憶だけれど。とにかくあれが突破口だった。 そうでなければ今ごろまだ裏の世界で金をばらまき続けていただろう。 しかしあの世界…。数少ないメンバーからほんの一部しか内容が掴めなかったけど…。 驚くべき世界だった。あの一日の騒ぎの間に、サーバーの中では数年が経過していたのだから。 猫の暴走と戦い。あの世界で死んでいった多くの人たちの話。とても私たちのシナリオの延長とは思えない世界。 そうだ。私たちは結論した。あのシナリオの中で死んでしまった人たちが、VRから抜けても意識が戻らないのだと。 葉子さん…やはりあの世界で死んでしまったのだ。もう彼女は蘇らないかも…。 いや。絶対に諦めたりはしない。ケリをつけるまでは。 私たちにとってシナリオはまだ終わっていないのだから。このままでは、決して。 それに不穏な動きも聞いている。軍部が何か画策しているのは間違いない。 郁未さんがいない今、私たちには葉子さんの力がどうしても必要なのだから。 はやく猫を見つけなければ…。 「…他にも近くにメンバーがいるかも知れないわね。気がついていないだけで」 「そうね。茜も本当に偶然。さすがに軍部の人事データまでは調べてなかったもの」 「私はあの声…っていうか…脳波ね。あれで確認したわ。間違いなくメンバーよ」 「結局はあなたが頼りだった。メンバーたちの照合とファイル・ミズカの入手」 「過去履歴もある場所の医療データで見つけたわ。ええ。あの娘もあの日は自宅からアクセスしてた。 そして家族が気づいた時には、まだ意識が戻ってなかったの。」 「その時の記憶はない…と」 「でも偶然にしては集まりすぎ。猫が手引きしたのかしら」 「さあ…」 あるいは探して欲しがってるとか?そうなのか…? 「あの二人が見つからなかったらどうするつもりだったの?」 「浩平は猫への鍵として不可欠。絶対に見つけるつもりだった。後のメンバーは浩平をフィルターにかける役目。でも」 私はね。ルミィと浩平のペアで十分だと考えていたんだけど。結果的にああなっちゃったから。 本当はルミィにも猫に会って欲しいの。ただ彼女自身はメンバーであることに気がついていないけれど。 「結局は彼らの意志が全て…何も強制はしてないわ」 「じゃあ…あなたは彼らに何も条件付けしてないの?それでも行ったってことは…」 「自分たちの意志で向かったってこと」 「…そう…そうなの」 ikumiはつぶやいた。良かったわ。じゃあ後は。 「…後は任せるしかないわよ」 「そうね。そうかもしれない」 「じゃあここからは…二人で積もる話でもしましょうか?」 「私は積もってるけど(笑)あなたは倉庫で眠ってただけじゃない」 「いいじゃないの。あれから後の苦労話でも聞かせてちょうだい」 「VRスターの成り上がり人生ってやつを?どうせマトリックスで情報集めてるんでしょう?」 「それでも聞きたいの」 ikumiは笑って言った。味気ないデータじゃなく、あなたの口からあなたの言葉で聞きたいの。私は。 「スノウ・ミヤマの素敵な話し方で聞かせてちょうだい」 「…贅沢なAIね。でも私の昔話は…高いわよ?」 それに長いのよね。私が話すと。 今朝浩平たちに話した時だって…あんまり長くて…横にいた繭なんか途中でぐうぐう寝ちゃってたわ。 まあみさきのせいなんだけどね。昔からあの子がぱくぱく食べてるのを待ちながらお喋りしてたから。 長く話すのが癖になっちゃったのよ。 「つまらなかったら途中で寝てあげるわ」 「何言ってるの。AIのくせにっ」 そうして二人は日が暮れるまで…いや日が暮れた後も、マトリックスで話し込んでいた。 ずっと。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 11個目です。 用意したプロットではスノウの回想シーン(ここでは既に済んだことになっている)で謎について説明するはずでした。 でも書き上げてみたら3〜4話分ぐらいに膨れ上がってしまって。悩んだ末、結局入れないことにしました。 もし機会があれば別に載せるかもしれません。浩平達はそれを聞いてから出かけたということになっています。 いやでもきっと今回で大体わかる…はず…(汗)