第七話「タクティクス・ベル」 「ここにあるものを盗んで欲しいの」 やっとスノウから仕事の指令がきた。 「何だい?盗むブツは」 「ROM構造物」 「ROMだって? それってAIなのかい?」 「まあそんなところよ」 回線でホテルに送られてきたデータ。T社。正確にはTactics&Bell社。 その各階と部屋の図面。さらに保管庫内の目標の管理NO。 「やることはわかってるわね。ネットで管理されているセキュリティをはずして、それから…」 「連中の目隠しと追っ払い。ブツの所在確認。棚管理データへの侵入と解放。入出庫履歴の書き換え。だろ?」 「そうよ。か弱い女の子が入りやすいようにちゃあんと整えるのよ」 「か弱い?ルミィのことか?…まあ歌いながら歩けるようにしてやるよ。つながってない警報機は?」 「それはルミィにまかせていいわ」 「だがこの程度なら…マトリックスは俺一人で十分じゃないか?」 「念には念を入れて欲しいの」 画面の向こうのスノウの目。今までと少し違っていた。 浩平にもそれがわかった。本気なのだ。彼女は。 「これは絶対に失敗してはならないの。一度しかチャンスはない。やり直しはきかない仕事なのよ」 「…そうか」 「それにT社を甘く見てはだめ」 なるほど。あの男の古巣。情報は持っていると。 しかし昔いたのだから、コネでも何でもありそうなものだが…ROMぐらいいつでも貸してもらえるんじゃないのか。 たとえ大事なものでもこっちは軍部とつながっているぐらいだから、それぐらい簡単だろう。 それとも。T社と「王」がまったく敵対しているという噂…あれがホントだとしたら。 まあそれでもずいぶん贅沢なRUNであることは確かだ。機材類も侵入ソフトも最新。おまけにコード・ワッフル。 浩平はちらっとウイザードの方を見た。彼女はルミィと横で図面をチェックしている。 茜。 『ワッフル』がこの世界ではあまりに知られすぎていたので、彼女に別の呼び名を選んでもらった。それが茜。 浩平はそれでも彼女の性癖をからかって、時々ワッフルと呼んでいた。 だが茜という名前。ワッフル。それらがまた彼の心に何かの引っ掛かりを生じさせていた。何だろう。 この深い場所から湧き起こるものは。 「まあ細かい分担はそちらに任せるわ。計画の段取りが決まったら連絡をちょうだい。急いでやってね」 こちらの返事も待たずに回線を切られた。 静かになった部屋に、どこかから声が響く。 「みゅっ♪」 別の部屋には繭とミューがいる。 繭はミューが気に入ったらしく、会ってからずっと一緒に遊んでいた。どこに行くのも一緒だ。 今も繭の頭の上にミューが乗っている。 「みゅっ」 「ププゥ」 「みゅっ♪」 「ププゥッ」 意志の疎通が成り立っているのか非常に気になるところだ。 それをじっと見ている茜。目がすっかり研究者のそれだ。 繭。おまえ。気をつけないとあの山奥に連れて行かれちゃうぞ。 それから浩平は茜と一緒にT社のセキュリティシステムの解析を進めた。 何しろ強力なエキスパートだ。手際がいい。 みるみるうちに侵入プログラムができていった。 様々な種類のウイルス。 最初は外部から入ってくる定期データに化けて入りこむ。その偽装用ウイルス。 外部から送られてくる正規のものに外でエラーを返すウイルス。 循環監視チェックのタイミングに合わせてデータを返すウイルス…とかだ。 内部データとして認識されれば、迎撃ウイルスもやってこない。 後は監視システムに入り込んで制御するだけだ。 だからどれだけうまく入り込むかにかかっている。家に入ればこっちのもの。 後はそれらを投入するパターンとタイミングだ。これをうまくやらないといけない。 通常は何層にも重なって侵入対抗システムが組まれているのだから。 茜がシミュレーション用のプログラムを組んだ。可能性の高い侵入防止パターンが出てくる。 「これで練習しましょう」 「うっ…これ…本物より難しくないか?」 「練習ですから」 「…そっそうか…」 浩平はそれから毎日かなりの時間をそのシムに費やした。 自分なりにウイルスを改良したり。あれこれと警備システムのパターンを変えてみた。 いつまでも向こうが同じとは限らない。毎日ほとんど寝る間も惜しんで入り続ける。 侵入。後退。変換。侵入。変換。侵入。侵入。侵入。 だがこれこそ自分の仕事という感じだ。水を得た魚のよう。 いつでも彼の頭の中ではパターンのモザイク模様が動いていた。 そして数週間後の深夜。 ルミィの耳の後ろに小さい送信端末をつける。それと同調したフリップフロップを浩平のデッキに差し込む。 これで回線を切り替えるだけで、マトリックスから抜けずに彼女の視聴覚を共有することができる。 基本的にはVRのリアルタイム版。人間とのインターフェース部分が基本的には同じだから可能なことだ。 ルミィが下に降りていった。 「スノウには連絡済」 「そろそろいいだろう」 「…ルミィ…そちらはどうですか?」 外に出たルミィ。 「こちらはOK」 「GOだ」 フリップフロップ。街を歩くルミィ。彼女の見ている視点、風景が目に飛び込んできた。 夜の雑踏の声が、まるでその場にいるように聞こえてくる。 画面の隅にはルミィの脈拍や心拍数が表示されていた。特に異常はない。 徐々に彼女が足を速めているのがわかる。かなりの速さだ。 横で茜も別のデッキで見ている。 「彼女の目。すごいです」 「真っ昼間みたいだな。それに街灯やたき火とかの過負荷はちゃんとカットされている」 特別製だ。あの目は。確か瞳孔にロゴはなかったはず。 恐らく誰かが彼女のために特別にこしらえたものだ。 それにしても視線の動きがすごい。怪しい連中が視界に入ると油断なく見ている。 かといって緊張しているようにも見えない。 「遠慮せずどんどん斬ってくれ」 「そんなことはしない」 「あっ聞こえてるのか…」 横で茜が笑っている。 こちらとの通信はすべて表向きには使ってないVR衛星経由。今回のためにT社の周りにアンテナを設置してある。 スクランブルの暗号はKARSMM。最後のMはミューのこと。 「誰も死ななければ…いいですね」 「ばれたらそういうわけにもいかないさ」 茜の言葉にルミィは何も言わない。だが必要であれば彼女は躊躇せず斬る。きっと。 T社ビルの近くまできた。予定より少しだけ早いが問題無い。 「そちらからの音声はカット」 「了解」 こちらの声が邪魔になるからだ。 必要であればルミィの視神経にも信号を送ることができる。 浩平だけがフリップフロップ。マトリックスでプログラムを起動した。 茜の作ったウイルスが、T社の防護システムの第一層、四角いデータ群の表面に絡みはじめる。 まるで蛇が獲物をなめ回っているようだ。表面が薄く引き延ばされるように見えた。 そこからウイルスが潜り込む。定期データと認識してくれたようだ。別のウイルスが入った後に偽装をかける。 先頭はもう第三層まで入りこんでいた。浩平の視点もどんどん中に入っていく。 うまくいった。第五層まで入ったところでビル全体の管理システムが現れたのだ。 「よしっ」 すぐ警備システムのカメラを茜に回す。彼女が見つければ、それはルミィが見つかったということになる。 ここでフリップ。ちょうどルミィはエレベーターに乗ったところ。 エレベーターの中に警備員が座っている。動かないところを見ると気絶しているようだ。 途中で上層階用に乗り換え。人がいないか確かめる。身のこなしがすばやい。 だが上層階用のエレベーターにはキーがいる。扉の横にカードの差込口。 浩平はシステムからエレベーターにアクセスした。 「変換済。誰も乗ってない」 数秒後。ルミィは降りてきたエレベーターに乗り替える。保管庫の階までノンストップ。 同時に陽動作戦開始。あらかじめ用意してあった偽の電話を回線に流す。 早く逃げないと数分後に毒ガスを流すというもの。 茜がすぐに保管庫の階のカメラ映像をストップ。静止画像に置き換える。 本物の映像はこちらにしか流れない。保管庫の警備員が慌てふためいて下のセンターに電話している様子。 電話はつながらない。そちらの入力を途中で切ってあるからだ。 タイミング良く空調の風量を最大にしてやる。 その音を聞いて我先にと非常用階段のボタンをぶち破って降りていく姿が見えた。 まあ一番下まで着くには時間がかかるだろう。途中で他の階には外から入れないのだから。 フリップ。 ちょうど誰もいなくなった保管庫のフロアにエレベーターが着き。彼女は降りるところだ。 「確かこっちのはず」 再度フリップ。マトリックスで目標の管理システムの四角いデータ群に侵入。棚と物品を確認。位置は間違いない。 さらに保安システムを示すデータ群に入り、用意した開錠プログラムを動かす。 偽の信号でシステムは緑のままだ。目標の棚のキーをはずす。これもシステムの認識は閉まったままの状態。 入出庫データは1年前にモノを取り出したということにしておいた。 こちらかの音声を開く。 「ルミィ。そこから前に10列目。左に3列目だ」 「了解」 恐らく保管庫の中は消灯されて暗いはずだ。それでも彼女の目には全てが見えている。 ルミィはすばやく動くと、棚を開けて中身を取り出した。 「入手した」 「OK」 退却だ。 来た時と同じようにエレベーターで降りる。乗り換えてさらに下の階まで。非常階段の連中よりは早い。 こちらはビル管理システムから抜けていく。なめらかに。丁重に。足跡を消しながら。 マトリックスでは完全に抜け出た。後はルミィを待つだけ。 フリップ。 「!」 1階のロビー。 彼女の目に男が映っている。黒いレザーのジャンパー。冷たい目をしている男。 手には短い刀。ニンジャ、いやサムライか。 「ご苦労様。それをこっちにもらおうかな」 「…嫌と言ったら?」 「斬る」 次の瞬間、画面が大きくぶれた。 男の初太刀。それを避けるためにルミィの体が動いたのだ。 「よく避けたな。だが次はない」 「…くっ」 茜が叫んだ。 「怪我をしてますっ」 心拍数と脈拍をチェック。いかんっ。 「スノウ。聞こえてるだろう?」 「大丈夫。今応援が行ったわ」 「えっ?」 表に車が着いた。何人か走って来るのが見える。 「ちっ」 男は裏口から走り去った。 「それはうちの連中よ」 「聞いてるか?ルミィ!」 「ルミィッ!ルミィッ!」 「…大きい声で叫ぶな。傷に響く…」 しゃがんでいる床に血が流れているのが見える。半端な量じゃない。どうやら彼女の傷は深そうだ。 回収されたルミィは近くのクリニックへと運ばれた。とりあえず茜を残して浩平はそちらへ向かった。 だが絶対安静で面会はできない状態。建物の周囲をスノウの配下が囲んでいる。 「ルミィを倒すとは恐ろしい相手だ。いったい何者なんだろう」 浩平はルミィの持っていたROMを受け取ると、念のために護衛つきでホテルに戻った。 おまけに影武者が先に出るという念の入れよう。もっともその影武者も後で聞いたところでは行方不明らしい。 結構やばい状態であることは間違いないようだ。 ホテルに戻ると茜が浮かぬ顔で待っていた。浩平が帰ってくるまでにあの男のことを調べていたと言う。 だが映像が残っているにも関わらず正体が全くわからなかったらしい。恐らく人造の皮膚。作り物の顔だろう。 まずあの男はT社の者ではない。T社の人間なら逃げたりはしない。いったいどこの人間なのか。 わからない。 スノウと連絡をとる。 「今日は疲れているでしょう?それに今は外に出ない方がいいと思うし」 「…わかった」 「じゃあ明日。それまでそれは『預けて』おくわ」 回線を閉じる。と同時に通信コードが消去される。この回線はもう使うことはできない。 明日でこのホテルも引き払う。全部撤収だ。 目の前に残った黒色の立方体。ROM構造物。見るからに旧式なタイプのカセット。 「…浩平」 「預けたってことは。つまり。これを先に見てから来いってことか」 「大丈夫でしょうか。危険なものだったら…」 「まず外から覗けるか試そう」 ホログラムディスプレイを用意した。 デッキから引き出したファイバー、その先のボードに例のROMを差し込む。 スイッチオン。 だがホログラムには何も表示されない。壊れたデッキのマークが宙に浮かんでいるだけだった。 エラーマークだ。 「直接入らないと無理みたいだな」 「…そのようですね。プロテクトがかかっているみたいです」 「とりあえず俺が先に入ってみる。何かあったら後は頼む」 「…はい」 茜が心配そうな顔をしている。この上、浩平にも何かあったら。そう考えているのだろう。 だがルミィが命がけで守ったものだ。意地でも見ないわけにはいかない。 ヘッド端末を頭につける。さあ見てやろうじゃないか。 何かがいた。 マトリックスの中。誰かがいる。間違いない。それもただのAIとは違う。 誰かの人格コピーだ。 虚空に向かって呼びかける。 「誰だい?あんた」 「私?」 影が現れるとそれは女の姿に変わった。もちろんこの場所では不要な映像。 恐らくそういう形に組まれているのか。 青い髪はルミィのようだ。顔もどこか似ている。ただもっと…年が上。 「私が誰かも知らないでアクセスしてきたの?呆れた坊やだわ」 「俺は坊やじゃない。浩平だ」 「…あら、そうなの。あなたが浩平なのね」 「何?」 彼女は名乗った。 「私はikumi。ikumi−AI」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 7つ目です。今回は疲れました。 作戦に関してはあまり突っ込まないでください(涙目)たぶん穴があるとは思いますが。 あと感想いただいた方々、本当にありがとうございます。 少しですが感想です。 >ここにあるよ?さん いつもながらほのぼのした会話。僕も瑞佳と勉強したいです。 ところで佐藤っていったい?これは次回ですね。 あと電脳ペットは僕もほしいです。 >WILYOUさん パワーが…すごいです。D・Y・M・N(爆)トナカイさんの歌も素敵(涙) でも住井も浩平もぼろぼろ。既に誰も得してないっていうのが(笑) 町中巻き込んでいったいどうなるんでしょう…ああ想像できません(笑) >静村 幸さん いいですこれ。もうなんていうか。住井の気持ちがずんずんきました。 前半の重さと後半のせつなさ。瑞佳と親友/恋敵を待つ彼に思わず泣いてしまいます。 >奈伊朗さん ミューが幽霊になって見守っている話でしたね。浩平とお母さんの会話がすごいです。 離れられないってことはまだまだ繭が心配なんでしょう。やっぱり最後までいるのかも。