NEURO−ONE 5 投稿者: 天王寺澪
第五話「マトリックス・ラン」


「畜生め」

浩平はナカサキの以前訪れたことのある闇クリニックにいた。
前にここで無駄になった新円の金額を思い出しただけで、彼は気分が悪くなった。
どうしてここで俺が治せるんだ?いや、苛ついている理由は別にある。
全てあの連中が仕組んだことだとわかったからだった。

「あせらない。浩平」

居住区でふさぎ込んでいる彼の横で、ナイフを回す女。今は青い髪を自然におろしている。
体に張り付いた短いTシャツ。下にブラはつけていないし、形のいいへそが見えていた。
黒のレザーパンツは細いがたくましい足をぴったりと包んでいる。

「おまえはよく平気だな。俺たちははめられたんだ。最初から働かせるためにな」
「そうだね。でもそれだけじゃない」

トンッ

ルミィの手が一瞬見えなくなった。音のした方向。心理効果を考えてカラーリングされた部屋の壁。
飛んだところは見えなかった。ナイフはまるで最初からそこにあったかのように刺さっている。
それを抜くとまた手の上で回しはじめる。彼女の手の中ではナイフもおもちゃにしか見えない。
いやマジに幼い頃からナイフで遊んでいたに違いない。

「たぶん私たちでなければならない理由があるのだろう」
「それは何だ?おまえは知っているのか?」
「いや。私も知らない」
「…そうか。そうだろうな」
「ただわかっていること。おまえの治療にはかなり大きなものを支払っているようだ」

ルミィは話した。こちらの盗聴機で仕入れた話だった。
浩平が治療を受けるのにスノウ側から提供された技術は、軽く世間の3年先をいっているらしい。
それを手に入れただけで、ここのクリニックはかなり他に先んじることができる。それが治療代。

「あの技術を金に替えれば、浩平よりかなり腕のいい連中を軽く20人は雇える」
「それはホントか?いったい背後にどんな連中がいるんだ」
「さあ。見当がつかない」
「だいたい俺にそこまでする意味が…」

さてと、もうこの辺でわざとらしい会話はやめておくか。

この部屋の中に、店が開けるほど盗聴機があるのはわかっている。どこかにCCDも仕込んでいるに違いない。
彼はみさきの部屋の映像を思い出した。何だったらルミィと寝てみるか。そうだ見せつけてやるってのは。
…いや…やっぱり止めとこう。
あのナイフでざっくり切り取られるに違いない。眺めるだけがよさそうだ。
浩平は彼女の胸の稜線を見ながら、そんなことを考えていた。

「どうした?どこを見ている」
「え?…いやっ。何でもない」
「目が怪しかったが」
「…そっそうか?…いや気のせいだ…」

浩平は窓の外に目をそらした。珍しくスモッグのない冬の空。スミイに襲われてからもう3日たった。
まあ焦ってもしょうがない。どのみち今日ここで治療を受ける。あと少しだ。あと少し。

だが何度考えても不思議だ。どうして彼らはこんな面倒な手続きを踏んだのか。
あの男とスノウの関係。はっきりとはわからないが、あの二人ができてるのは間違いない。
だがわざわざ氷上が俺を騙し、「王」に神経を損傷させ、マトリックスから締め出した理由がわからない。
しかも今度はスノウが治療してやると来た。行き場所をなくして言うことを聞かせるにしては手がこんでいる。
最初から動脈に毒爆弾でも仕込んでおけばいい。定期的に特殊な解毒薬を入れないと死ぬ。それで十分ではないか。
いやそもそもそれだけのことを「王」にさせることができる…氷上…何者だ?
もっとも…あいつのためにあんなことをしてやった自分も…何を考えていたのかわからないが。

浩平は2〜3度しか会っていない氷上のことを思い出した。変わった気配の男。他に印象はない。
「王」の幹部と一緒だった。一緒にやるRUNの話をしただけだ。昔はT社にいたと言っていた。

気がつくとルミィが浩平の顔を覗き込んでいる。近くで見ると愛敬のある瞳。碧の宝石。エメラルド。
これが暗闇でも獲物を見ることのできる特別製とは。しかし…やはり美人だ。
浩平は少しだけそれに見とれた。

「…聞いてるのか?浩平」
「あっすまん。考え事をしてた」
「…前に話した吹き矢のことなんだが…どうやらあれは暗示だったようだ」
「何?」
「ここに来たついでに首の後ろを調べてもらった。だがそれらしい痕はなかった」
「どこかで暗示をかけられた…と」
「おまえを切ろうとする瞬間に体が止まる。そうなっていたんだろう。吹き矢のイメージと一緒に刷り込まれたのだ」
「………」

これで間違いない。できれば別のYAKUZAの仕業であって欲しかったが。
どんな手段を使うにしろ、とにかく二人とも回収することは決まっていたわけだ。
ただその動機がわからなかった。追いかけっこに何の意味があるのか。

そこまで考えたところでドアが開いた。
短い白衣を着た男が浩平を呼んだ。時間のようだ。

「行ってくる」
「うまくいくといい」

ルミィがナイフを振った。彼は笑って部屋を出ていった。



そこでプロジェクターの画面を切ると、女は男の方に体の向きを変えた。広いベッドの上。

「気がついてるみたいね。あの二人」

紫の髪。白い乳房が男に押しつけられてたわむ。女の手が下の方へと滑った。
胸にもたれながら彼の顔を見上げる。男は淡い髪の色。瞳は見る方向によって色が変わった。
だがそれは驚いたことにオリジナルなのだ。

「いずれはわかることだよ。だが今となっては問題じゃない」
「あなたの組織からもやつらからもはずす。まったく独立した囲いの中にいれる」
「そうだ。そのためにルミィには『しくじって』もらわなければならなかった。でなければ髭も子分を説得できまい」
「でもだからと言って、対象はあの坊やじゃなくても良かったでしょ」
「見たかったのさ」

男は女の髪を撫でながら、こう言った。
女の手は下で動き続けている。

「あの男にまだ燻ってるものがあるかどうか」
「…でも死にたがっていたわ」
「ふむ…だが今度こそ本物の『浩平』かもしれない」

女の顔を見る。切れ長の目。深い瞳。綺麗なスノウ。
彫刻のような白い体に微妙な影。擬似暖炉の光でそれが揺れている。
彼女の手は少しひんやりとして、彼はその中で固くなっていた。

「彼はただの知り合いの僕を逃がそうとしてくれた。あの世界では信じられないことだ」
「ただの馬鹿かもしれないわよ」
「何かを感じとったから。僕はそう見ている」

彼は浩平が制裁をくらった原因。死んだはずの男。

「パーツ屋のお嬢ちゃんは彼を見て何か反応したのかい?」
「さあ。みさきは気に入ってると思うけど」

そりゃあもう気に入ってるわ。と言おうとしたがやめた。

「繭は?あの少女はどうだったんだ?」
「まだ一回しか会ってないのよ。店では居眠りしてたし」
「あの娘が初対面で居眠りか。横で安心して眠れるとは」

やはりあの男だ。間違いない。
浩平。やっと見つけた。

「あなたの方の手配は?」
「大丈夫。済んでるよ」

ちょっとした知り合いに依頼するだけだ。軍部のちょっとした「知り合い」たち。
この前のあの馬鹿どもの慌てかたといったら…見物だった。
まさかこっちが連中の裏を全部掴んでるとは、夢にも思わなかったみたいだからな。

「後はただ頼むだけでいいんだ」

彼はスノウの体を抱きよせると、彼女の唇をやさしくふさいだ。
そして高まったものを彼女の中へと埋めていった。



二週間後。

クリニックで十日間眠った後に目覚めた浩平は、さらに数日の検査を終えて劇場へと戻ってきた。ルミィも一緒だ。
だがそこからすぐにホテル・ハンシンに移動。あてがわれた部屋ではスノウの手配した連中が準備を進めていた。
盗聴防止や入り口のセキュリティ、ネット回線の引き出しなど。
なぜか別の部屋に繭がいて、不思議にルミィになついている。

ドアに警報機が設置されるのを眺めながらルミィがつぶやいた。

「私でもできる」
「念には念を入れたいんだそうだ。だからプロを呼んだらしい」

その横では別に送られてきた箱の中身が床に広げられていた。
ヘッド端末、いくつかの侵入用ボード、ハーネス、DISKやROMの類。
そして最新型デッキ。ナックラー・サイバー2200。

「こりゃすごい」
「そうなのか?」
「ルミィはこういうものに興味はないのか?」
「ないな。それに昔一度痛い目に会っている」
「痛い目?」

この女が痛い目にあう。なかなか見れないことだ。
だが浩平の興味はデッキの方に向かっていたのでそれ以上聞くことはなかった。連中が帰った後、早速繋いでみる。
回線につないでからヘッド端末をつけ、侵入用のボードを差すとデッキの電源を入れた。
システムが立ち上がる。

「あまり無理はするな。医者もそう言っていた」
「わかってるって」

すぐにルミィの声は聞こえなくなった。
視界に立体的な文字が浮かび上がる。回転するナックラーのロゴ。
それが消えると下から丸い球体が浮かび上がる。球体が大きくなった。
その球体の中に飲み込まれたと思うと、上下左右に奥行きのある空間。無限に格子が広がっていた。
ネットで擬似的に共有する電脳空間。あちこちに点在して広がる、データの群れ、星団。
すぐ向こうにVR社のデータ群。さらに向こう、やや高い位置にT社。A社。反対側。神戸方面に光っている大きい山はL社。
遠くの方、かなり上に軍のシステム。あそこにはさすがに届きそうにない。
それぞれが意味のある色と位置で視覚化されている。

「入れた。やったぞ」

戻ってこれた。たぶん今自分は笑っているだろう。それがわかる。
もう一度この海で泳ぐことができる。まさか本当に戻ってこれるとは。
ポインターを動かし、キーを叩く。新たな空間が折り紙のように開く。
望むデータ群に侵入し、隠された数字を洗い出していく。
好きな場所へ移動することができた。これはいいデッキとプログラムだ。かなり賢いし強い。
夢中になって泳ぎ回った。何度この光景を夢に見たことか。頬が濡れていた。

デッキをはずした時には5時間がたっていた。ルミィも繭もいない。
メモが残っていた。どうやら二人でスノウのところに行っているらしい。

「ほっとかれちまったな」

浩平は適当にそのあたりのものを食うと、また再び泳ぎはじめた。もちろん勘を取り戻すため。だがそれだけじゃない。
調べたいものは決まっていた。あの男のことだ。

それがあるらしい場所を片っ端から探り回る。特に裏バイダが中心。あとVR関連。あの女方面からだ。
こういうものを探すのはどこに何があるかをどれだけ知っているかにかかっている。要は経験だ。
もともと「王」にいた浩平は、要領よく調べたつもりだったが、それでもかなり時間がかかった。
彼のデータは特Aランクのシークレットになっていたのだ。あちこちで巧妙に消された痕。やはりただの男ではない。
だが膨大な名前のないやりとりの中から読み出したデータから得られた結論。結局スノウが鍵になった。
視覚野の隅に映る時計。それが2時間過ぎたことを示した時、やっとそれを見つけた。


浩平はしばらくネットの中で「立ちつくした」。

男の名。氷上シュン。
秘密結社「王」の伯爵(カウント)と呼ばれた男。カウント・ワン。
その力はネットUGの恐怖。裏で網をあやつる男だった。配下のワイアードの数は数千とも数万とも言われている。
彼が本気を出せばセントラルの一切のネットが沈黙するだろう。

そうだ。「王」にいる間、ボスの姿を見ることはなかった。名前さえ知らなかった。
まさかやつが…。そう言えば会った時はいつもそれとなく不気味な連中が側にいた。あれは護衛だったのか。
しかしいったい何のために俺を。俺にやらせたいことっていったい。

端末をはずしてデッキの電源を落とすと、ベッドに横になる。
上等でやわらかなベッド。カプセルの高温フォームとえらい違い。
ルミィにはやくこのことを教えてやりたい。抱える頭がもう一つ増えるだけだが。

やがて浩平は眠りに落ちた。
マトリックスで疲れた後の眠り。久しぶりに芯から眠った気がした。
その夢の中に女が出てきた。鳶色の瞳。後ろで結わえた長い髪。
彼女はやさしく笑うと、やがて消えていった。
だが彼は起きた時、それを覚えていなかった。

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やっと5つ目で本筋に入れました。長かった。
ここまで話のフレームをパクリまくってるのでそれが災いしてるかも。
まあそのかわり、文がすかすか、中身もありません。
それでも感想いただいた方、本当に有り難うございます。

では少しですが感想です。

>吉田 樹さん
佐織いいですね。寒い中での南とのやりとりがドキドキします。
こんな女の子。クラスに一人はいるんですよね。でこっそり狙ってるやつが多いと(笑)
冬に夏を感じさせる佐織。ラストの南は晴れ晴れとしていて気持ちがいいです。

>偽善者Zさん
詩子危機一髪。うぐっ。やっぱり助かっちゃいましたね(笑)ドキドキしました。
それにしても最近詩子ブレイクしてますね。いよいよあの女性が登場。楽しみです。

>メタルスライムさん
澪ちゃん可愛いです。なの、なの…と登るとこなんか発狂しそうでした(笑)
なのにあんなことに。診断がリアル。「謎せま」はかなり細かく調べられてたんですね。
感心しました。納得。でも澪やっぱり…可哀相ですよね。誰かに治して欲しいって思います。