NEURO−ONE 4 投稿者: 天王寺澪
第四話「ムーン・バトル」


アジアカプセルの汚い入り口をくぐって、自分の寝場所にたどり着いた時には、もう9時を過ぎていた。
一応念には念を押して尾行をまいてきたせいか、かなり疲れている。あの劇場から遠かったこと。
正直もうこれで今日は終わりにしたいと思った。だがそういうわけにもいかない。
それにここはもう安全とは言えないのだ。

「さて…」

部屋というより狭い棺桶を見渡す。置いてあるのはボウシバのポケットPC一つだけ。
さっき次の相手に連絡をとるのに使った。もうこいつは使わないから売ってしまおう。
「拾った」クレジットチップで払いを済ませると、コートの中にPCとブツを抱えて外に出る。
小さなアルミの缶に入ったホルモン剤。相手は金がない言ったので回線を切ってやった。他で売るしかない。

チカチカチカッ。
「MOON.」に入ると、スケッチブックの点滅。自動で繰り返す派手な夜仕様だ。
澪は他の客に酒を出していたが、ちらっとこちらを見る。うん。無事なんだな。
浩平はとりあえずカウンターに座った。すぐにビールが置かれる。

『いらっしゃいなの〜』
「元気だな。澪」
『疲れてるの』
「俺か?ああ…今日はホントに疲れたよ」

浩平はビールをお替りすると、店を見回した。向こうにいる男。一見サラリーマンだが目の色がおかしい。
背広をまくってやれば注射の跡が並んでるだろう。
短い髪の顔中ピアスの女が彼の横に座った。たまに薬を欲しがる。だが今日のブツはちょっと違う。
何もないそぶりを見せると、今度はサラリーマンの横に行ってしまった。

さてと…あと少しだけ時間をつぶしてから、さっさとあの女のところに戻るか。
その前にしばらくここには来ないって言っておかないとな。じゃないと来た意味がない。
そう思って澪の顔を見ると、半分瞼が閉まっていた。
リボンがこっくりこっくり揺れている。

「おい。澪。不用心だぞ」
『眠たいの』
「おまえもか。俺も眠たい」

さっさとこんな連中追い出して、店を閉めてやれ。
浩平がそう言おうとした時、店が静かになった。天使でも通ったように。
眠気の吹き飛んだ澪の目が大きく開いて、入り口の方を見つめている。
わざとらしく電飾がきらめいた。チカチカッ

『いらっしゃい…なの』
「…」

舌を出しながら歩いてきた男。茶色の髪。ダブルの背広に黒い手袋。
その後ろの二人はやはり背広だが、異常に筋肉が盛り上がって不格好だ。
まあナチュラルな代物でないことは、その辺りの鼻たれ小僧にだってわかる。

「やあ。浩平じゃないか」
「…スミイ」
「元気そうだな。ええ?」
「あんたもな」
「今日はどこへ行ってたんだ?」
「さあな…わかってるやつに言う必要はないと思うが」
「…くっくっくっ…」

スミイは笑う。だが目は少しも笑っていない。これもどこかの培養曹の産物。
みさきの目よりは高級かもしれないが、彼女のような温かさがないと浩平は思った。

「パーツ屋、子供。おまけにあのVR売女。若いなあ、おまえは」
「臭い男どもの相手はおまえに任せてるからな」
「ふ…言ってくれるじゃないか」

やはり追いかけていたか。しかし…今日はなんて日だ。まだまだ終わらせてはもらえなさそうだ。
まずいのは武器がないこと。刀は預けたまま置いてきてしまった。あの殺し屋が味方になったからだ。
スミイがゆっくりと浩平の方へ近づいてきた。

『揉め事は許さないの』
「!」

カウンターから大口径の改造マグナムが顔を出していた。澪とつながったマニピュレーターが操作している。
そのとてつもない反動を彼女が受けることはない。
澪の小さな手にはニードル銃。細かい針が顔中に突き刺さると肉が爆発したようになるだろう。
スミイが両手を上げた。

「わかった。わかってるよ。俺たちは友達だ。なっ?そうだろ浩平?」
『この店から誰も連れて行かせないの』
「…これをやるよ」

浩平はポケットからホルモン剤を出すとスミイに投げてよこした。

「500新円にはなる」
「そうか」
「それでもうおまえとは終わりだ」
「…帰るぞ」

手下を連れて出口へと向かうスミイ。だが、そこで振り返るとこう言った。

「俺たちの仲はまだまだ終わりじゃない。また近いうちにな」

にやりと笑って出ていった。

『サノバビッチなの』
「澪。借りができたな」

適当に時間をつぶしてから、澪にニードルだけ借りる。

『一日50新円なの〜』
「後で誰かに頼んで送るよ」
『…』
「しばらく来れないんだ」

寂しそうな顔が澪の顔に浮かぶ。浩平はその頬にキスをした。

『………』えぐえぐっ

世話になりっぱなしでごめんな。どちらにせよ信じるしかないんだ。あの女を。
でなければ俺はもうあと一月も持ちそうにない。
この肉体という牢獄の中では。

「じゃあな」

浩平は澪の頭を撫でると店の外に出た。
後ろでチカチカと瞬いている。

『またいつか店にくるの。きっとなの』
「ああ。約束する」



適当な故買屋でPCを売ってからセントラルへ向かう。
浩平は今度こそ終わったと思った。だがそれは甘かった。
ソネザキの手前で、あの男が待っていたのだから。

「………スミイ」
「悪いな。今日を逃したら」

ニードルを出そうとしたが後ろから腕を掴まれる。
さっきの二人。羽交い締めにされた。

「しばらく会えないような気がするんでな」
「しつこいやつだ」
「連れて行け」

抗っても無駄だった。男達とは力が違いすぎる。
暗い路地へ引っ張られて、腹にボディブロー。
ぐほぉっ。胃の中身が一撃で全部出ていった。

「あの女さえしくじらなければ、こんな目に会わずに成仏してたんだ。怨むならあの女を怨め」
「…ご…ぐっ…」
「いったいスノウに何を頼まれた?」
「ぐ…まだ…依頼の内容は…聞いてないんだ」

どすぅっ

「…が…ほ…」
「まあこのまま臓器ショップに並んでもらってもいい。だがその前にそれだけは知っておきたい」
「…ふ…あの…女に…聞けよ」

がすっ

目の前が赤くなった。視界がぐにゃりと曲がる。

「頭を殴るなっ!喋れなくなるだろうが…この馬鹿どもがっ」

ぼんやりとスミイの声が聞こえる。
筋肉だけの連中だ。困ったもんだ。だがしょうがない。
上も手を出すなと言ってきた。これは俺が勝手にやってることだからな。
こんなのしか連れてこれなかったんだ。

「許してくれよ?浩平」
「…うぐ…」
「さあ教えてくれ。おまえは何故あそこに呼ばれたんだ?」

同じ答え。同じ攻めの繰り返しになるだろう。どちらにせよ俺は死ぬのか。
そうだ。ホントはこんなことはどうでもいいんだ。単に俺を殺したいだけなんだろ。
浩平は顔を上げるとこう言った。

「…この…くそ…野郎が…」
「………そうかい」

スミイはゆっくりと命令した。

「殺せ」


ごめんなみお。やくそくまもれなくて。
みさきさん。みさきさんのきれいなむね。
いつもあったかくてやわらかくて。
いいにおいがしたよ。


男の一人が浩平の首をつかむ。
あとはそれをひねるだけだ。180度。それでおしまい。
だが男はそれ以上何もできなかった。
自分の首が先に地面に落ちていたからだった。

「!」

もう一人の男…右の肩から左の腰にかけて、ゆっくりと…上と下の体が斜めにずれていった。

ズルッ

バタバタバタ…
ゴロッ

倒れた拍子に、二人の手足や腰がさらに細かく分かれて転がる。
まるで組み上げただけで接着してなかった人形のように、ばらばらになった。
それからやっと血が地面に流れ出した。肉の断面はとても滑らかでもう一度つなげそうなぐらいだ。

その背後にしゃがんでいた人影。目が爛々と輝いている。
暗闇で一瞬だけ刀が光るのが見えた。

「ぐっ…きさま」

支えを失った浩平が地面に倒れるよりも先に、見えない一撃がスミイを襲った。

シュッ

一呼吸置いて。

ボタッ

下に右腕が落ちる。スミイの右腕。
だが血が出ない。

「くっ…」
「おまえの義手がやっかいなのは知っている。だから先に切らせてもらった」

雌豹は立ち上がると刀を静かに持ち上げた。切っ先は全然届いていないように見える。
どうやって切ったのかまったくわからない。
スミイは後ずさると、つぶやいた。

「やはりおまえを手放したのは…オヤジたちの間違いだったな」
「そのようね」
「今度はこっちが…年貢の納め時か」

そう言いながら左手に仕込んだ毒ナイフをこっそりと拳の内側に出していた。
もちろん女はそれを知らない。だがスミイの左肩が動けばそれに反応するだけでよかった。
何百と人を切ってきた体は、何も考えずに条件反射でスミイの首を切り落とすだろう。
スミイにもそれはわかっていた。

「わかった。もう帰る」

ゆっくりと左手を見せる。ナイフが地面に落ちた。

「それだけの腕があるくせに。なぜそいつを殺せなかった?」
「とぼけないで」
「何?」
「なぜあの時私に吹き矢を使ったのだ!」
「!!」

スミイは首を振った。

「知らない。本当だ」
「あれが私の動きを止めた。あんなものをぶつけられなくても私は倒れていた」
「………驚いたぜ」

最初からみんな仕組まれていたってことか。女に依頼したのはオヤジだった。
確かに高すぎる買い物だ。こんな男一人に使うにはもったいない。
あの金を出したのは…あの女だったってことか!

女もスミイが本当に知らないことに気がついたようだった。

「…二度と現れないで」
「わかった。約束する」

そうだ。もしそうなら。こいつが死んでいたら俺が…。なんてこった。くそっ。
だが一体何故だ。こんな野郎にいったい何の価値があるっていうんだ。
そんなに腕が立つワイアードでもない。もっと他に使えるやつがいくらでもいるだろう。わからない…。
だが借りができたことは間違いない。

スミイは残った左手で右腕を拾いながらこう言った。

「そいつに教えてやってくれ。あの男は生きているってな」
「…!?」
「それだけでわかる。それにもう一つ。あの女はそれを知っていると」
「………」

男は去った。

女は喉につけた回線でスノウに迎えを頼むと、浩平の手首に何種類かドラッグバンドを貼る。
すぐに効き目が出て浩平は気がついた。だが痛みが抑まった代わりに意識も鈍い。

「我慢して。もう来るから」

月の光が射してきた。通りの端からゆっくりと建物の影が動き出す。
手近な壁にもたれた浩平はうつろな意識で、ビルの隙間の満月を背景に立っている女を見上げた。
狭い通りを吹き抜ける風に女の髪が揺れる。

それが長かった一日。やっと訪れた終わりに彼が見た風景だった。

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4つ目終わり。まだマトリックスさえ入っていないという(涙)
でも全部で16話予定(もしかすると少し伸びるかも)だからあと12話もあるわけで。
その間、こんなけったいな話を読んでくれる奇特な人がいるのだろうか…。

あっ感想いただいた方、ありがとうございました。
それなのに今回は感想パスです。すいません(平謝り)