【90】 勿忘草色の瞳 4 |
…。 ……。 「お母さん。澪は…どこの病院にいるの?」 お見舞いに行きたい。行って澪とお話ししたい。 「どうして? どうして会っちゃいけないの?」 澪に会ってお喋りするだけなのに。本当にそれだけなのに…。 「澪…元気なんだよね? そうなんだよね…?」 なんで? 元気なのに会えないの? 分からない。よく分からないよ。 「そのうち? 今度?」 もう聞き飽きた言葉。 そのうちって、いつ? 今度って、いつなの? 「澪と、また遊ぼうねって約束してるんだよ…」 ……。 …。 「えっと、上月さん。お久しぶり…って、わたしのコト覚えてるかな?」 ラズベンダーの芳香剤の香りが漂う中、わたしは思い切って澪に話し掛ける。都合よく化粧室内には、他の人は誰もいないようだった。 「………」 澪はわたしの言葉を受け、一瞬困惑の表情を浮かべる。先程まで顔を合わせていたとはいえ、ほとんど初対面の人間に突然声を掛けられたのだ。その反応は至極当然のことかも知れない。 『露草さん…?』 小さく自信なさげに書かれた文字。よく名前を覚えていないのか、それとも漢字に自信がないのか…。どちらにしても、その文字がわたしに与えたショックは大きいものだった。 榴ちゃんって、言ってくれないんだね…。 覚悟はしていたけど、正直自分のことを忘れられているとは思わなかった。 「あ、ごめんね。わたしの勘違い。昔の友達に…上月さん似てたから……」 作り笑いを浮かべながら、わたしはその場を繕った。澪は依然として困った顔をしているけど、わたしに対する警戒心は解かれている気がした。 『誰にでも間違いはあるの』 先程の文字の下にそう書き加え、にこにこと笑顔を向ける。一緒に大きなリボンが揺れた。 「上月さん…。一つ訊いてもいいかな……?」 わたしがそう言うと、澪はサインペンをスケッチブックに走らす。 『もちろんなの』 大きく元気な文字でそう書かれていた。字は人となりを表すって言うけど、澪の文字は感情を端的に表している。話せないから、大きな声は大きな文字で、明るい声は明るい文字で書いているんだと思うけど…。 「その…いつから喋れなくなったのか教えてくれないかな? あ、嫌だったらいいけど…」 うーん、と考える仕草をしてから澪は次のページに文字を書き出した。 『5、6才の頃なの。よく覚えてないけど…』 一旦わたしに見せてから、続けてペンを走らす澪。5、6才と言えば、ちょうどあの事件があった時と同じ。わたしと一緒にハイキングに行った時と…。 『滑り台から落ちたのが原因だって、お母さんが言ってたの』 滑り台か…。わたしは澪の書いた、"お母さん"という文字から何となく察しがついた。原因は間違いなく、あの事件のせいだろう。だけど…。 「あ、そうなんだ。ごめんね、嫌なこと思い出させちゃったよね…」 『構わないの』 直後澪はハンカチをポケットにしまうと、ぺこりとお辞儀をしてトイレを後にした。 澪の失われた記憶。失われた声。失われた思い出…。 全ては…勿忘草の記憶……。 「おっそいよぉ。榴、もしかして大きい方だったの?」 「きゃはははは。来夢、おやじ入ってるよ」 「澪のお土産のおかげかな〜」 『楽しいのっ♪』 帰って来るなり、わたしはみんなの変貌に驚かされた。世界が違う。テンションが違う。匂いが違う。…って、匂い!? 「榴ぃ〜、これ飲みなよ。世界が回るよ、楽しいよ〜」 う゛…、お酒くさい。この次元を超えたテンションの高さは、お酒のせいなの? わたしたち高校生なのに。しかも今日入学式だったじゃない。もし見つかったりしたら…入学早々停学かも……。前代未聞だろうな、さすがに。 「おらぁ。私の酒が飲めないってかぁ?」 「きゃははははははははははははは」 『なの♪』 壊れてる。みんな壊れてるよ。絡み酒に笑い上戸に泥酔者各一名づつ。一見して変わっていないのは澪だけだった。澪のグラスの減りが一番多いから、ただ単にお酒に強いみたいだけど…。 「榴ぃ、好き♪」 ちゅっ。 「わあああああああっ!」 来夢の唇がわたしの唇に接触…。早い話が来夢にキスされてしまっていた。ちょ、ちょっと…わたし初めてだったのに……。ファーストキスが女の子で、しかも味はお酒風味とは…。 「ちょっと、来夢。正気に戻ってよ!」 わたしは顔が真っ赤に染まっているのを感じた。だ、だって、上目使いでうっとりしてる来夢が、妙に色っぽかったりして…。だああああああああ、違うって! 「榴になら、私…あげてもいいよ……」 何をあげる気だ! 何をっ!! って、どうして制服を脱ぎだす!? 「…来て♪」 「きゃははははははははははははははははは」 『もっと注文するの〜☆』 この後のことはご想像にお任せします。わたし…説明したくない。と言うか、忘れたい。 今までもお酒は嫌いだったけど、ますます嫌いになりました。いろんな意味で。 特に来夢にお酒を飲ませてはいけないということ。 この教訓だけが、唯一の収穫かも知れません。 あ、あと…補導されずに済んで本当に良かったと思います。 明日からの学校生活に、ちょっと不安を感じる露草榴でした…。 ################################### まだ先は長い…。頑張ろう。 というか、大丈夫なんだろうか?(爆) んでわ、またお会いできる日まで。 (⌒∇⌒)/ http://www.interq.or.jp/dragon/katutaka/ |