【28】 勿忘草色の瞳 〜 Forget-me-not Blue Eyes 〜
 投稿者: スライム <katutaka@dragon.interq.or.jp> ( 男 ) 2000/3/14(火)20:36
 ……。
 淡い記憶。
 激しい水の音が、時の歩みを忘れさせるかのように…。
 わたしの手が、あの子の手を必死に握っていた。
 一生懸命…大きな声で助けを呼びながら……。
 お願い。お願い…誰か……っ。
 あの子とわたしを結ぶ、その指の数が段々と少なくなって。
 わたしの声は、もう声にならなくて。
 絶対に手を離さないって、心の中で繰り返し叫ぶことだけしかできなかった。
「榴(つつじ)ちゃん、もう手…離して……」
 瞳に涙を一杯に溜めて、だけど顔は笑っていて…。
 反対の手には…わたしが綺麗だね、って言った青い花を握ったまま。
 最後の最後まで笑顔を絶やさないで、わたしの顔を見つめていた。
「忘れないでね…」
 川辺に一輪だけ咲いていた、まるで透き通るように綺麗な青い花。
「榴ちゃん。また会えたら、一緒に…遊ぼうね」
 忘れない。忘れないよ。
 一緒に遊ぼう。また二人で冒険ごっこしようよ。
「………つつ…じ…ちゃんっ」
 忘れない。忘れないからっ!
 お願い。誰か…神様でも悪魔でも何でもいいから……。
 誰でもいいから助けてよ…っ!!
「榴ちゃん…。澪のこと、忘れないでね……」
 唸るような水音の中で、その言葉だけがその場に残っていた。
 下流に目を向けても、その姿はどこにも見えなくて。
 右手に残る冷たい手の感覚が、今までここにいたことをわたしに伝えていた。
 そして……。
 わたしの左手に握られた浅い青色の花が、夢ではないことを…。
 …わたしの記憶に刻んでいた……。


 清々しい春風が流れる中、わたし…露草 榴(つゆくさ つつじ)は新しい門出となる校門を潜った。ゆったりとしたホイートカラーの袖口が可愛らしい制服を身に着け、わたしはこれから3年間通うことになる校舎に向う。
「新入生のみなさんは、正面左手の体育館へ集合して下さいーっ!」
 生徒会役員らしき上級生が大きな声で誘導する。その声に従って移動する新入生たちの後ろに、わたしも一緒について行く。
 友達…早く作らないとね……。
 運悪くわたしの中学校からこの高校へ進学する友達は誰もいなかった。この不安感みたいな感じは何となく嫌いだった。でも、誰もわたしの過去を知らないっていうミステリアスなところは恰好いいかも。今日から生まれ変わったわたしが始まる…なんて。
「ねっねっ! あの人、恰好良くない?」
「ホントだー。彼女いるのかな…?」
 がやがや、という人ごみの中から甲高い声が溢れてくる。2人の女の子が仲良く喋っている姿を見ながら、わたしは少し羨ましく思った。楽しくお喋りしたい、って思うよね…普通。
 とりあえず友達だよ。彼氏も欲しいけど…。
 昨日カットしたばかりのショートボブは完璧だし、お肌のお手入れも怠っていない。とにかく第一印象は大事だからね。今日一日笑顔を維持して、みんなに好印象を与えないと。

 大きな人掛かりが目の前を覆う。体育館の前には、勧誘パフォーマンスをする部活動が大勢いた。ブラスバンドの校歌らしき演奏と、運動部の大きな声がこだまする。自称"絶対音感"を持つわたしとしては、ブラスバンド部か合唱部辺りが相場かな。小学校時代は"ピアニカのつつじ"と言われて恐れられていたのよ!
「と、部活なんかより、わたしのクラスはと…」
 掲示板に貼り出されているクラス分けの名簿に目を移し、自分の名前を探す。
 1-A、1-B……。
 ちょっと…邪魔よ! と、目の前の男の子を足蹴りしたい衝動を胸の内に抑えながら、わたしは目を凝らす。自慢じゃないけど、目はあまりよくなかった。と言うか、死ぬほど悪い。コンタクトレンズを外すと、正直…昼が夕方に変わってしまう。眼科の先生が言うには、瞳の明度を感知する力が足りないそうだ。だから、夜寝る時に電気が点いていても全く分からない。他の人からは、明るい中でよく眠れるねって言われたりする。わたしは闇の中にいるのにね…。
「あ、あった!」
 1-Cの欄に自分の名前を見つけ、つい声に出してしまっていた。担任は巳間良祐先生か…。若くて恰好良いといいな…。渋いオジさんでもいいかな。

「―――― っ!!」
 何気なくクラスメイトの名前を眺めていると、不意にそこに知り合いがいないはずのわたしの目に一つの名前が飛び込んできた。
「うそ。もしかして…澪……?」
 『上月 澪』という名前が、1-Cの欄に載っていた。澪って、子供の頃一緒に遊んでた…あの澪?
 いつも2人で行動してて、イタズラいっぱいして、近所では子悪魔ちゃん達って呼ばれてたっけ。
「澪…また引っ越して戻って来たのかな……?」
 忘れもしないあの日。ハイキングの途中でお母さんたちから離れて川辺に行って、そして澪が……。
 その後澪は、大きな病院に入院しないと駄目だからって、遠くの街に引っ越して行って…。
 わたしはお母さんに何度も、澪は? 澪は元気になったの? って訊いたけど…。
 何かお母さんと澪のお母さんの仲が悪くなったみたいで、容態を訊いても、澪の引越し先を訊いても教えてくれなかった。
 だから、澪と連絡が取りたくても取れなかった…。また遊ぼうって約束してたのに……。
 でも…この同じクラスの子が、本当にあの澪だとしたら……またあの頃みたいに一緒に遊べるよね。
 ま、同姓同名ってこともあるから喜ぶのはまだ早いかな。

 わたしは逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりと掲示板前から離れた。
 何だろう…。新しい高校生活に光明が差し込んだと言うか。
 澪…成長したかな? って、当り前だよね。もう10年ぐらい会ってないんだもの。
 胸…凄く大きくて、すっごくスタイル良くなってたりして……。
「う゛……」
 何かヤだな。澪は、ちまちましてて、とてててて〜って駆け回ってて、背もちっちゃくて幼児体型で、可愛らしい方が似合ってるよ。うん、そうそう。
「さ、早くクラスに行こうかな」
 わたしは澪の可愛らしい姿を想像して、悪いと思いつつも笑いながら歩いていた。あはは…って、笑いながら歩いてたら、周りの人から怪しい女だと思われるじゃない。
「ふぅ…。無心、無心と…」
 今だ顔をにやつかせながら、わたしは校舎の中に足を踏み入れていた…。

 勿忘草(わすれなぐさ)の記憶が、少しづつ榴の脳裏に蘇り始めていた ――― 。


######################################

 次は…1週間後か、1ヵ月後か、1世紀後に……(爆)
 前回感想をくれた皆様、誠にありがとうございました。
 それでは…。