---3章--- 校舎に夜のとばりがおりている。透き通った空気が冷たい。 教室の中は薄暗かった。が、廊下よりは明るい。 澪は教室に入ると俺の腕から離れた。自分の机に駆け寄っていく。 俺達は忘れ物を取りに来ていた。 「よっぽど大切なんだな」 それを取り出すと澪は安堵の表情を浮かべた。 ふと何かが俺の中でひっかかる。 「…ちょっと見せてもらっていいか…?」 それは古ぼけたスケッチブックだ。 かどが擦り切れていて、全体の印象にシャープさがない。 紙の一枚一枚が水分を含んだかのようにふやけている。 薄くてまだらになった色あいの表紙。 ところどころテープで繕った後が見える。 ページをめくってみる。 『澪』 次々とめくっていく。 『いっしゅうかん』 『ばいばい』 『うれしい』 『パパとママ』 『すき』 『やくそく』 「…なあ、澪」 わずかに俺の声が震えた。澪が顔を上げる。 「俺と初めて会ったときのこと、覚えてるか?」 それはかすかな記憶だった。昔の。まだ小さかったころの。 俺はあの女の子と約束していたんだ。あの公園で会うはずだった。 (どうして行かなかったんだろう?) …そうだ、お父さんが死んだんだ。葬式だった。だから行けなかった。 (翌日も?その次の日も?また次の日も?) 俺とお母さんはこの街を離れてしまったんだ。 あの日、由起子さんに見送られて… 俺は手を振って、優しかった由起子さんに別れを告げたんだ。 (そう、抱き上げてくれたんだ…雨だったのに) …ふと我に返る。目の前の澪がぺこぺこ頭を下げていた。 「そうか…いや、なんでもない」 *** 放課後の教室で、私は頭のリボンを結び直した。 これはずっと昔からのおまじない。 (うん!うん!やるの!) 私は部室に向う。春公演が迫っている。 毎日が稽古の連続だけど、とても充実していた。 深山部長にチェックされる回数も減って、 誰もが私の上達ぶりに驚くほどだった。 (あっ!忘れてきちゃった!) 部室の前で、大変なことに気づいた。踵を返すと、大急ぎで教室に戻る。 パタパタパタ… 教室に駆け込んで自分の机に近づく。 しかし、そこにあるはずのものが無かった。あったのは1枚のメモ。 私はそれを開く。青いクレヨンで書かれた言葉が目に飛び込んできた。 私の時間が一瞬止まる。 『約束守れなくてごめんな』 青いクレヨンをくれた男の子… 私の深いところから、にじみ出て来るものがあった。 それは少年の面影と涙。 (きたんだ) 毎日のように公園で待っていた。 スケッチブックを返したくて、うれしいって伝えたくて、 そして、私のことをいっぱい知ってほしくて… (うっ…) あの日の公園にいた男の子が来てくれた。約束を終らせるために。 (えぐっ!) ……あなただったんですね。 涙があふれるのと同時に、何かが解けていく。私は思い出した… 「本当に朝までここに居るつもりか…」 ずっと私の側にいてくれた人… 「まさかそんなに嫌がるとか思わなかったんだ」 いたずらにリボンをほどこうとした人… 「そうだ、いいぞ澪」 私の練習を見ていてくれた人… 「…俺の言葉なんか…真に受けるな…」 私を迎えに来てくれた人… 何故、忘れていたんだろう。大事なことなのに。 まだだ…。まだ私は伝えていない。あの日の男の子に何も伝えていない。 そして、今のあなたにも。私には伝えなきゃいけないことがある。 (舞台…公演の日に…) あなたは必ず観てくれる。私の姿を必ず見ていてくれる。それは確信。 (いっぱい伝えたいことあるの) *********************** どうも、せきせです。 3回目です。あと1回でおわりです。 #いま、ゲラ直してます。(^^;