追憶 投稿者: 沢村奈唯美
あるよ?
 永遠はあるよ?

 生い茂った緑の草むらの中、彼女はオレの前にしゃがみ込んで、膝を抱えて俯くオレの頬に手を伸ばす。両頬を包む掌の弾力に促されるように、オレは目を上げる。耳たぶを、彼女の指が押さえている。多分中指だ。その上にもう一本指があって、オレの耳の穴を塞いでいるのが分かる。聴覚を阻害されるその所為で、オレの世界は縮んでいる。聞こえる音の少なくなった所為で、夢から醒めたような感覚になる。この世の全てがもし幻だとしても、自分が存在している事だけは確かだとか、そんな事を考えさせる。この世界は、自分が自分である為には大きすぎて、そして、自分以外の人間が多すぎるのだと、ふと思った。たったひとりの、どんなに大切なたったひとりの人との思い出も、日々の、なんでもない他の誰かとの会話のうちに埋もれていってしまう。
「悲しい事があったんだ」オレは言う。
 うん。と、目の前でそいつは頷いた。
「生きていくっていうのは、もっと、もっと未来が希望で溢れているものだと思っていた」
 その言葉の奥底の意味が、他人に理解出来るとは思っていなかった。
 うん。そいつはまた同じ様に顎を下げる。
「苦痛の合間をどう過ごしていくかを考えるのが正しい生き方だなんて思ってなかった」
 うん。また頷く。そうしてからオレの頬から手を放さないままでオレに言う。
「オトナの人ってさ、辛そうだよね」
 うん。オレは頷く。駅のホームで見かけるスーツ姿の人たちが、なんでいつもあんなにつまらなそうな顔をしているのか、つい最近まで気が付かなかった。生きる事そのものがつまらないからなんだと、今は分かる。
 長森の掌が、オレの頬から離れていく。
「昨日ー」長森は言った。「リスが死んでさ」
 オレはまだ「死んだ」という言葉に敏感になっていて、わざと明るく喋っている長森の顔を見つめる。長森は先刻まで俯いていたオレの代わりに俯き、曲げた膝の上に手を置いている。
「飼ってたの」黙っているオレを見て、説明不足だったと思ったのか、長森は髪の黄色いリボンの端を親指と人差し指で擦りながら、つけ加えた。
 オレは、ああ、と改めて理解したようなフリをする。
「それで、少しキミの事、分かるような気がした」
 オレは長森に何も話していない。由起子さんだな、と少し叔母を恨んだ。
 長森はオレへ顔を上げ、頭の脇についた黄色いリボンと共に微笑みを揺らす。
「命には終わりがあるんだって、分かったよ? 私」
 長森の目が濡れていた。太陽に照らされて涙は光になる。光の筋になる。
「分かったら、怖くなった。これからずっと、こんな事が続くんだって気が付いて、ものすごく、怖くなった」
 血の流れを止められたような重い苦しさがオレの内部から外へと拡がっていく。
 長森は膝に当てていた掌を持ち上げて目の下を擦る。涙を拭いて、「ねぇ」とオレに言葉を掛ける。泣いた長森を前に、オレはどうしていいのか分からずに少し開いてしまっていた口を閉じて黙り込む。
「ねぇ」もう一度長森が言った。「幼馴染みになろうか? 私たち」
「え?」オレは聞き返す。
「今から付き合っていけば、きっと高校生くらいになる頃には幼馴染みって言うようになると思う」
 長森は笑った。笑って、オレの頬に手を伸ばす。
「これからはずっと私が側にいるよ?」
 左の頬に触れる長森の右手。
「でも、それだって永遠じゃないよ」
 右の頬に触れる長森の左手。
「永遠だよ。キミが忘れなければ。私、今、ここで心に刻みつけるもん」
 だからさ。長森は続ける。
 長森の顔が近づいてくるのを、避けもせずオレは待った。目を閉じるのが見える。頬を包む手でオレの顔を引き寄せ、そして、長森の唇がオレの唇に重なる。
 約束。
 長森がオレから離れていく。唇が離れ、手が頬から離れ、近づく前の位置で目を伏せる。
「あるよ………」長森の小さな呟きが聞こえた。「永遠は、あるよ………」
 顔を上げた時、長森はやっぱり笑っていた。

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夏コミの原稿がすすみません。ホワイトアルバムと同時進行なので辛いです。
………………ふぅ……

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