堕ちてゆけるのなら 投稿者: さとぴぃ
痛い。
心が・・・痛い。
とても、とても・・・。
悲鳴をあげている。
忘れたい、忘れられない。
引き摺られる、過去のトラウマ。
そして再び訪れた、新たなる別れ・・・。


夜も耽った頃、明りを灯す事のない漆黒の部屋。
ベッドの上、両腕で膝を抱いて座っている少女の姿がそこにある。
月明かりにすら嫌われたその少女は、立てた膝の上に顔を伏せ泣き伏していた。

『心に刻まれた傷を癒してくれる人。
私が愛してしまった人。
でも・・・もう逢える事は無い。
この世界から失われてしまったから・・・。』

彼女に与えられた夜の闇は、より一層の喪失感を呼び覚ますものでしかなかった。
部屋に閉じ篭り外界との抵触をせず、一人の世界へと逃避していた。
食事も喉を通らず、彼女の美しかった姿態は痩躯と成り果て、見る影も無くなっていた。

『どこに出口があるの。
ここから逃げ出したいのに。
現実は、私に優しくしてくれない。
こんなのは嫌。辛すぎて、耐えられない。』

「どうしたんだよ、何で泣いているんだよ?」
躍動感に満ち溢れ、力強い声が響く。
「あっ?」
泣き顔をあげると、そこに最愛の人の姿を見出した。
「浩平!」
驚喜の感情が沸き上がり、鼓動が爆発的に上がる。
「俺の顔が珍しいか。そんなに驚いた顔してさ。初めて見たよ、茜の驚いた顔。」
優しさを満面に湛えた、浩平の笑顔がそこにあった。
茜の表情が崩れ、泣き顔でくしゃくしゃになってしまう。
今まで溜まっていた物を、全部涙に置き換えて出し尽くしてしまうかの様に。
「お前って、泣き虫なんだな。」
「だって・・・」
感情が溢れ出て、言葉に、声にならない。
「心配だったからこっちの世界に顔を出しに来たんだ。また来るからな。じゃ。」
そう言って背中を向ける浩平。
「待って。行かないで。」
慌てて立ち上がり、浩平の側へ走り寄る。
茜の手が浩平の手に掛かるその時、その姿が闇の中に消えていった。
「嘘・・・いやぁ・・・こうへーーーい!!!」
緊張の糸が切れ、その場に倒れ込んでしまう。

外からの日差しが明るく差込んでくる。
雀の泣き声が、朝の来訪を告げる。
『・・・夢?』
泣き疲れてそのまま眠ってしまったらしい。
掛け時計に目をやると、7時半を差していた。
『支度しないと・・・。』
夢を見る時間は終わり、苦痛なだけの学校に行かなくてはならないのだ。
そこに行っても、大切な人はいない。
学校という場所は、なまじ想い出があるだけに心の傷に痛みを加える。
一緒に登校して、一緒に授業を受けて、一緒に昼食を摂って、一緒に下校して・・・。

校門を抜け教室に入ると、数人のクラスメイトが先に来ていた。
『・・・?』
誰かが、こちらの挙動を注目しているような気配がする。
その気配の原因は、教室の隅にいる男子生徒3人組の視線だった。
男子生徒の一人と視線が合うと、その生徒は態とらしく視線を外した。
別段気にも止めず、自分の机まで歩き着席する。
机の中に教科書を入れようと手を差込むと、異物がある事に気付いた。
それを引っ張り出して見ると、封筒の様なものだった。
表に『里村茜さんへ』と書いてある。
裏側を向けると、差出人の名前は無かった。
「おっ、手紙を見てるぞ。」
「まだ、開けてねーじゃん。」
「馬鹿、聞こえるぞ。」
先程の3人組みの小声の話が、茜の耳にまで届く。
茜は徐に席を立ち、ゆっくりと教室の出口に向かう。
そして、出口の直ぐ側にあるごみ箱に封筒を投げ入れた。
男子生徒3人組みは、驚きの表情を隠せないでいる。
茜は何も無かったかの様に自分の席に戻り、腰を下ろす。
そして、寂しそうに外の景色を眺めていた。

「おい、どういうつもりだよ?」
眉根を寄せて、茜に詰め寄る男子生徒。
案の定、放課後の屋上に呼び出されて詰問された。
「何の事ですか?」
憤怒の面持の男子生徒に、逆に質問する。
「わかってるだろ!今朝、ラブレターを捨てたじゃねーか。」
ラブレターにしては色気の無い封筒ね、と思った。
「こいつが勇気を出して気持ちを打ち明けようとしたのに、それを踏み躙りやがって。」
”こいつ”といって指差された男子生徒は、やや困惑気味の様相を呈している。
今話をしている男子生徒は、恋のキューピットになれなくて怒っているのだろうか、ふと疑問に思う。
クラスに一人は、こういった他人の恋愛を実らせる事に躍起になる生徒がいるものだ。
「ラブレターだということは、なんとなく判りました。」
抑揚も無く、素っ気無い返答をする。
「だったら、中身くらい見てもいいだろう!」
勝手な言い分をして、茜の胸座を掴む。
そして相手が女性だという事に気付き慌てて手を離す。
茜は、”こいつ”と言われた男子生徒、恐らく手紙の差出人の所まで歩み寄る。
「あなたが私に手紙を書いた人ですか?」
確認を取る。
「え、あ、そうです。」
”YES”の答えを言う簡単な事に、しどろもどろになる。
男子生徒の自信の無さが伺えた。
「見世物になるのは嫌です。
あなたが一人でそっと渡してくれた手紙なら、目を通したかもしれません。」
事実、茜は目立つ事をこれ以上ないくらいに嫌っていた。
高校生の色恋沙汰の噂というものは広がりが早く、尾鰭が最も付き易いのも事実だった。
「ご、ごめん。」
男子生徒は一言だけ発した。
この男子生徒は、異性の前では頭に血が登ってしまう様だ。
「もう行きます。」
これ以上、人と関わりたくなかった。
浩平という存在が消えてから、それが顕著に現れていた。
「待って下さい。」
3人組みの中で、今までだんまりを決め込んでいた男子生徒が茜を呼び止める。
眼鏡を掛けていて、理知的な雰囲気を伺わせる。
「こいつは口下手ですけど、いい奴なんですよ。」
話す時に眼鏡の番いに人差し指を当てる仕草が、インテリを連想させる。
その行為も、茜にとっては癇に触るものでしかなかった。
「あなたの事を心配しているんですよ。
いつも悲しそうだと。力になってあげたい、と言ってました。」
眼鏡の男子生徒は切り札を出したのか、口元を吊り上げた。
まるで、勝利を確信したかの様に。
だが、思いがけない返答を突き付けられた。
「知ったふうな事言わないで!」
怒声を張り上げる茜。
明らかなる拒絶の姿勢に、たじろいでしまう眼鏡の男子生徒。
茜の瞳から、一粒の真珠が零れ落ちた。
それを見られない様に手で覆いながら、昇降口に消えていった。

取り残された3人組みは、お互いの顔を見合った。
「脈無し、と言った所だな。」
眼鏡を掛けた生徒は、簡潔に結んだ。
「何なんだ、あの女。」
友人の恋歌を創作する事に失敗した男子生徒が、誰に問うともなく口にする。
「はぁ。」
情事の当事者は、ただ何度も溜息をついていた。
三者の思惑は、見当違いの方向で終着してしまった。


茜は家に帰ると、部屋に閉じこもってしまった。
太陽が沈んでも、部屋から出る事はなかった。
そして、浩平が居なくなってから何十日目かの夜が訪れた。
夜の闇は毎日やって来る。
それは、永遠に繰り返されるのだ。
愛する人がいる世界であっても、消えてしまった後の世界であってもそれは変わらなかった。
ただ、前者は翌日の学校で浩平と顔を合わせるという喜びがあった。
それに対し、後者では絶望の再認識をする意外の何物でもなかった。

心が泣いていた。
心が餓えていた。
心が凍えていた。
心が渇いていた。
心が死んでいた。

今日の屋上での3人とのやり取りで、茜の傷口は塞がりようのない程大きく開かれていた。
もう、今の心に耐える力は残っていなかった。
「浩平・・・。今、そっちに行くから。」
小さく呟き、そっと目を閉じる。
傍らには、小瓶がカラカラと音を立てて転がっていた。

まどろみが生み出す様な、歪曲した情景が視界を覆い尽くす。
そこは何物をも拒む、閉塞された世界。
無尽に広がる地平線の彼方に、浩平の姿を見出した。
だが、そこに辿り着く事は造作もなかった。
意識下の世界、深層心理の中では距離という物は存在しないのである。
「会いたかった。」
着飾っていない率直な言葉だった。
ただそれだけだった。
その言葉に、どれだけの想いが詰まっていたのだろう。
「どうして、こんな事をした?」
浩平の瞳は、茜に蔑む様な視線を投げかけた。
「もう、浩平のいない世界は嫌。」
最愛の人の手に縋り付き、理解を乞う。
「ここは、お前の来る所じゃない。戻るんだ。」
乱暴な口調で答え、手を振り解く。
そして、慈しむな表情を見せる。
「自分を大切にしろよ。自分を愛せ。・・・俺の事は忘れろ。」
視界に靄が掛かり、歪みはじめる。
「嫌、嫌、いやぁー。」
絶叫が残響する。
「元気でな。」
最後に見せた浩平の笑顔が、とても侘しそうに見えた。

目が醒めて辺りを見渡す。
眠りに着く前と変わらず、ベッドの上だった。
「うっ。」
吐き気が、込み上げて来る。
耐え切れず、近くにあった屑入れに嘔吐してしまう。
「はあっ。はあっ。」
睡眠薬は、ただ単に多量に摂取すれば死に至るというものではない。
身体にある防衛本能が拒絶すれば、体外に放出するように出来ているのだ。
この間、僅か数分だった。
あと少し時間が過ぎていたら、永遠に意識が戻る事は無かっただろう。

死ねなかった自分を呪っていた。
また、同じ日々が繰り返されるのだ。
夢の中で、浩平と逢える事を願う夜が続くのだ。
浩平は、夢の中にしか生きられないのだから。

END

−−−−−−

誰も憶えていないと思うので初めまして、さとぴぃと申します。
このSSは、BS1の時にサークル「わっふる同盟」の
フロッピーに入っていた未完成SSの完成版です。
ショボイSSですが、ご勘弁下さい。では。