つながる記憶 投稿者: 静村 幸
「明かりをつけましょぼんぼりに〜」
 目の前で瑞佳がにこにこと笑いながら歌っている。
「浩平、ほら浩平も歌おうよ!」
 妙に機嫌が良くてテンションが高い。
 それもそのはずで、机の上には白酒が入っていた瓶が何本か転がっていたりする。
 ・・・まあ、俺が飲ませたんだけど。

 今日は雛祭り。
 瑞佳の家で雛祭りパーティーをやるというのでごちそうにつられてやってきたのだが、家にいたのは着物を着て着飾った瑞佳一人。
 聞くと、なんでも俺と瑞佳と瑞佳の母さんと3人でやるはずだったのだが、急な用事が入って瑞佳の母さんが参加できなくなったらしい。
 まあごちそうは用意されていたから俺と瑞佳は雛壇の前に机を広げてそこで2人で何も問題なく騒いでいた。
 しばらくすると、瑞佳が何か思い立ったように着物の裾をひるがえして台所に走っていき、そして戻ってきたときにはその手に白酒が入った瓶を持っていた。
「どうぞ、浩平」
 瑞佳がにっこりと笑ってお酌をする。
「お、すまんな」
 くいっとあおり、瑞佳にもご返杯と、とくとくとつぐ。
「あ、わたしはいいよ」
「ダメダメ、飲んで飲んで」
「うー、それじゃ一杯だけ・・・」
 瑞佳はそう言うと杯に両手を当ててこくりと白酒を飲む。
「お、いい飲みっぷりだな! よしもう一杯!」
「え、え、ダメだよ〜」
 そう言って嫌がるが俺は問答無用でついでしまう。
 瑞佳はつがれた杯をしばらくじっと見ていたが、意を決したように杯を傾けた。
「ん、ん、ん・・・はぁ」
 ふうと息をつく瑞佳。その顔はほんわりと赤くなっていた。
「おいしいねー」
 普段飲み慣れていない瑞佳はもう酔いが回ってきているようだ。しかしまだまだ。これからが盛り上がるんだ。
「よし、俺も飲むぞ!」
 俺は自分の杯に白酒をついだ。





 その調子で飲み続けること1時間ほど。
 白酒はすっかり空になり、瑞佳は完全に前後不覚。おれもほろ酔いでいい気分だった。
 ふと見ると、歌い疲れたのか瑞佳が眠っていた。床の上で横になって赤い顔で寝息をたてている。普段は白い瑞佳の肌が、より赤みをきわだたせていた。
 すると、瑞佳がころんと寝返りをうった。
 俺の視線がある一点に注がれる。
 寝返りをうったことによって瑞佳の着ていた着物の裾がはだけて・・・すらりとした足があらわになったのだ。
(うわ・・・)
 裾は足の付け根の方まで微妙にはだけていた。太股はもちろん、白い下着がちらりと見えている。
 俺は凍り付いたようにそこに釘付けになっていた。そして今気付いたかのように、そして確認するように口から言葉が流れ出た。
「・・・そういえば、今この家は俺と瑞佳の2人っきりなんだよな・・・」
 自分で自分の言葉に驚く。
 そしてごくりと喉が鳴ったのがわかった。
 俺はゆっくりと立ち上がり、一歩一歩瑞佳に近づいていく。
 瑞佳の傍らまでやってきて、俺は恐る恐るそこに腰を降ろす。そして震える手が瑞佳のあらわになった足へと伸びて・・・
「にゃー」
「うわあぁぁぁ!!」
 突然後ろから声をかけられて俺は飛び上がった。
 あわてて振り向くと、そこには「なにしてるの?」という表情を浮かべた白猫が座っていた。
「な、なんだ・・・驚かすなよ」
 白猫は「なになに?」って顔のまま俺のまわりにまとわりつき始めた。するとどこから現れたのか、他にも数匹の猫達がやってきて、瑞佳のまわりをうろうろと歩き回りはじめる。
「・・・・はあっ」
 俺は詰まっていた空気を押し出すように大きく深呼吸した。そしてよし、と気分をとりなおして瑞佳を見た。
「まったく、こんなところで寝ちゃって・・・風邪ひいてもしらないんだからな」
 俺は小さくそう言って、少し笑った。


「よっと」
 寝ている瑞佳を抱き上げると、足元にまとわりついてくる猫をあしらいつつ、階段を上って瑞佳の部屋へ向かう。
 綺麗に整えられた明るい雰囲気の瑞佳の部屋に入り、掛け布団をめくってベットに寝かせる。
 その時に少しめくれていた襟元を整えてやる。なぜか不純な気持ちは湧いてこなかった。
 瑞佳は赤い顔のまま幸せそうに眠っている。
 俺はそんな瑞佳をしばらく見ていたが、ぽんっと一回布団を叩いて立ち上がった。
「じゃあな、瑞佳・・・今日は楽しかったな」
 音の立たないように静かにドアを閉めて、階下に降りる。雛壇の前の惨状を簡単に片づけ、ふと雛壇を見上げた。
 赤い光が灯るぼんぼり。その赤を照り返す金の屏風。

 昔を思い出した。

 こんなに立派な雛壇じゃない。
 たった一段の、三人官女も五人囃子も右大臣、左大臣もいない。
 あるのは折り紙でできたお内裏様とお雛様。 
 金と銀の折り紙でできた屏風。ぼんぼりのかわりのろうそく。
 俺とみさおの2人が作った手作りの雛壇。
 俺の作ったところはどうも歪んでいたりしたが・・・。
「お兄ちゃん、お雛様だよ!」
「ああ、そうだな」
「綺麗だね!」
「ああ」
 金の折り紙がろうそくの灯を照り返す。

 幸せだった記憶。

 揺らめく炎。照り返しが紡ぐ幻想。紙でできた顔のない人形。
 ふと眩暈のようなものを感じて俺は顔に手を当てた。 
悲しくはなかった。けれどなぜか涙が出た。

 俺はまたいつかこのみさおとの記憶を思い出すのだろう。
 しかしその時には、今日のこの瑞佳との記憶も一緒に思い出せるだろう。
 その時に俺は悲しいと感じるのだろうか。
 俺は笑っていたい。
 記憶のなつかしさにこみ上げてくるのが涙ではなく笑いでありたい。
 記憶を共有した人と共に幸せな笑みを浮かべられる、そうありたいのだ。

「さあ、帰るかっ!」
 うんっ、と一つ伸びをして俺は歩き出した。
 思いだし笑える日をこれからも過ごしていこうと思いながら。


                         了


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 とある家の和室。
 こたつが置かれ、そこには二つの人影がある。
 そのうち一つは机に突っ伏して、もう一つはのんびりとお茶をすすっていた。
 そこに一人の少女・・・郁未が現れた。

「すいません、こちらに静村来て・・・あ」
「あら、郁未さんいらっしゃい」
「由起子おばさま・・・ご無沙汰してます」
「やあね、おばさまっていうのは止めて頂戴よ」
「あ、すいません・・・由起子さん」
「そうね、その方がいいわね。それでどうしたの?」
「あ、はい、静村をちょっと捜しているんですが・・・」
「静村君? 彼だったらここにいるじゃない」

 そういってお茶をすすっていた由起子さんは机に突っ伏していた人影を見た。

「・・・なんか、背中に包丁刺さってません?」
「刺さってるわね」
「死んでるんじゃ・・・」
「どうでしょうねえ」
「どうしたんですか、これ」
「さっきまで二人でお話していたんだけど、急に顔を真っ赤にした瑞佳ちゃんが来てさくっと刺していったのよ」
「さくっと、ですか・・・」
「ええ、さくっと」
「・・・・・(よっぽど酷いことしたのね、きっと)」
「で、静村君になにか用があったんじゃないの?」
「あ、実は買い物に行くから荷物持ちにさせようと思ってたんですけど」
「買い物? ・・・ねぇ、郁未ちゃん私も行っていいかしら。久しぶりに新しい服が欲しかったのよ、いいかしら?」
「もちろんです! 実は私も服を買いに行こうと思ってたんです」
「それじゃさっそく行きましょう」
「はいっ!」

 楽しそうに家を出ていく二人。
 取り残された人影は、どこからか吹いてきた冷たい風にさらされていたのだった。


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