【6】 水車小屋
 投稿者: から丸&からす <eaad4864@mb.infoweb.ne.jp> ( 謎 ) 2000/3/3(金)22:42
 昔々あるところに、一軒の水車小屋がありました。四方を畑に囲まれた小さな小さな水車小屋です。そこには若者が一人住んでいて、朝から晩まで畑を耕していました。若者はもう長いことそこに住んでおりましたが、かなり前に村が飢饉に襲われて以来なんのことはない、平和な日々を過ごしておりました。若者は何を不自由と感じることもなく、朝から晩まで汗びっしょりになって働いては、水車の音を聞きながら夜にはすうすうと寝るのでした。
 その日、若者はいつもと同じように畑を耕しておりました。やがて夕暮れが鴉の鳴き声と共にやってきます。若者は額の汗を服の端で拭うと、深く嘆息しただけで、いかにも満足そうに畑を後にしていきました。くわを担いだ手はまめだらけで、その日も歩く度に少し痛みましたが、若者はそんな痛みにはもう慣れっこなのでした。
 清い水が流れる水車の側で若者は顔を洗いました。ここの水はいつも冷たくてよく澄んでいます。その水を受けて水車は静かな音をたてながら回っています。それはまだ若者の父親や祖父が生きていた頃から、まったく変わることがありません。それは若者の仕事道具であると同時に、ちょっとした宝物で、また誇りでもありました。
 小屋に引き上げた若者は、その日もぐったりと疲れて、食事の支度をするまえに横になってしまいました。その日はなぜか特別疲れていて、お腹がすいているにもかかわらず、
 横になっているとそのまま眠ってしまいそうでした。若者は寝るか起きるか、その狭間でごそごそとやりながら、いつまでも起きあがりませんでした。
 若者が天上を見上げて、さてどうしたものかと考えあぐねている最中に、不意に視界に奇妙なものが映りました。
「おや?」
 若者は跳ね起きると、目をこすってよくよく見てみました。しかし間違いはありません。一人の女の子がそこにちょこんと立っていました。若者から向かって小屋の出入り口の方に、しかし女の子はすぐ手の届く位置にいて、まるでふっと沸いて出てきたような現れ方でした。
「あれ・・・どこの子かな?」
 女の子は、若者が着ている汗でびしょびしょの野良着とは対照的に、村でも祭りの時ぐらいにしか着られないふわりとした服をまとっていました。それに若者がどろで顔をべたべたにしているのに、女の子は塵一つついていないかのような汚れのない顔をしておりました。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「・・・みゅー」
「みゅーって・・・変な名前だなぁ。それじゃあどこから来たんだい?」
「みゅー」
 女の子は腕を後ろに組んで、若者を見下ろすように立っていました。若者にはわからない言葉を、まるでそれが当たり前のような雰囲気で話します。
「困ったなぁ。きっと迷子だな」
「みゅー?」
 女の子はぶるぶると首をふりました。
「ん?それじゃあ一体どこの子なんだ?」
「・・・・・・」
 女の子は黙ってしまいました。それに対する答えを考えるかのように、ぐるっと小屋の中を見渡します。若者は頭をかきかき、これからどうしようか考えました。
「やれやれ、しょうがないなぁ。今日はもう遅いから、明日村長様の所に連れていってやろうな。それでいいかい?」
「みゅー!」
 女の子は了解したのかそうでないのかよくわかりませんでしたが、何か嬉しそうに頷いて微笑みました。すっかり目が覚めてしまった若者は、さっさと夕飯の支度をしようと薪を取ってきて釜戸にくべました。火打ち石で藁に火をつけ、薪に火を移そうとしましたがこれがなかなかうまくいきません。
「やれやれ、どうやら昨日の雨で薪が湿ってしまったようだな」
 若者は何度か試してみましたが、いくらやってもうまくいきません。そこへ女の子がとことことやって来て、ふぅっと薪に息を吹きかけました。
「あ、あれ!?」
 するとどうでしょう、火は藁から燃え移り、みるみる薪を燃やしていきました。急に起こった煙で小屋の中が暖められます。
「うーん。不思議なこったな・・・」
 若者は不思議に思いましたが、それ以上考えることはせずに料理に取りかかりました。作るのは雑穀の粥と野菜のスープでしたが、若者が雑穀を入れてある壺を覗いてみると、なんとしたことでしょう、どうやら鼠が入っていたようです。雑穀にはいたるところにかじられた跡がありました。
「あれ、こりゃあ・・・」
 若者が言葉を無くしていると、女の子がくいくいと若者の野良着の裾を引きました。そして小屋の天上に近い、一段高く据えてある棚を指さしました。そこにはいつからあったのか、若者が今覗いているのと同じくらいの大きさの壺があります。
「ん?」
 若者は早速それを手にとって中を調べて見ましたが、驚いたことにその中には傷一つない雑穀がまるまる入っていました。
「はて、あんな所に壺を置いたっけなぁ・・・」
 若者は不思議に思いましたが、それ以上考えることはしませんでした。
 若者は水車の側から汲んできた水で、粥とスープをこしらえますと、木製のわんにそれぞれつぎ入れました。それは温かそうに湯気をたてています。
「さあ、おあがり。口に合うかどうかわからんけども、きっとうまいぞ。さあ」
「みゅー」
 若者と女の子は小屋の真ん中に座って、慎ましい夕食をとりました。若者はそれまでの空腹からすぐに両方ともたいらげてしまいましたが、女の子はゆっくりとしてまだ半分も食べきれていませんでした。
「ははは、よく噛んで食えよぉ」
「みゅー・・・」
 夕食が終わると、辺りはもうすっかり暗く。小屋の中もすでに真っ暗でした。若者は粗末な布団を藁の上に広げると、女の子にももう寝るように言いました。
「寝心地はよくないかも知れんけど、この布団は不思議なもんでなぁ。いくら使ってもほつれることがないんだ。ほつれても次の日見てみると直ってしまっているんだ。こいつはおいらの少ない宝物の一つだぁ・・・。どうだ、たいしたもんだろ?」
「みゅー!」
 女の子も嬉しそうに頷きました。二人は寄り添うように一つの布団にくるまると、若者は畑仕事の疲れからすぐに寝入ってしまいました。女の子もすぐに眠り、すうすうと二つの小さな寝息が、水車の音に合わさっていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 翌日、目を覚ました二人はすぐに村長様の所に出向きました。
「親御さんも心配してるだろうからなぁ、すぐに連れてってやらんと」
「みゅー」
 女の子は状況が理解できていないのか、若者に手を引かれて村長の家へ行く途中も、全く呑気な様子でした。朝日がようやく顔を出しきった早朝でしたが、村の農民達はもう働きはじめています。若者は遅れてはならんと思い、幾分か急ぎ足になっていました。
「村長様!村長様!」
「むう、なんじゃ。この早くに」
 若者は村長を呼び出すと、事の次第を話しました。しかし話が終わっても村長は怪訝な表情をして、女の子をまじまじと見てこう言いました。
「いや、わしは村におる者を皆知っているが、こんな子は見たことも聞いたこともない」
「そんな、じゃあこの子はどこの子なんですか?」
「わからんなぁ・・・」
 若者も村長も二人して不思議な事態に首をかしげておりましたが、女の子は一人で楽しそうに近くにとまっていた蝶を追いかけて遊んでおりました。

「うーん、まったく不思議なことだ・・・」
 若者は女の子の手を繋いで、今度は水車小屋への帰路に立っておりました。
「みゅ?」
 女の子は朝日がそそいで輝いているような畑の風景が気に入ったらしく、しきりに若者の手を引いてぴょんぴょんと飛び回っていました。
「どうしたものかなぁ・・・」
 若者は考えあぐねていましたが、ふとあることに気が付いてぽんと手を打ち鳴らしました。
「ああ、そうだ。もしかするとお前は物の怪の類か?」
「みゅ?」
「そうだ。そうに違いない。いかん、それはいかんぞ」
「・・・・・・」
「すぐに牧師様の所へ行って、お祓いをしてもらわなきゃならなぇ。さあ、一緒に教会に行くんだ」
 若者は不意に悪寒を感じて、急いで歩いてきた道をとって返し、村の中央に位置する教会へと走り込みました。
 教会は朝早くてまだほとんど人気がありません。若者が女の子を連れて駆け込んで来たとき、長い顎髭をたくわえた一人の老牧師はその中央でひっそりと朝の懺悔を神に捧げているところでした。
「牧師様、牧師様!」
 若者がやかましいような声を教会の中に響かせると、老牧師はゆったりとした身のこなしで振り向きました。
「なにかありましたかな?」
「家の小屋に物の怪が出たんでさ。この女の子でさ。どうか、お祓いをお願いします」
「どの子ですかな・・・」
 老牧師は教会の入り口に佇む二人の下へ近寄ってきました。女の子は鋭く身を震わせると素早く若者の背に隠れました。
「うむ・・・これはいかにも。物の怪、いや妖精ですな」
「妖精?」
「そう、あなたの家に取りついた妖精です。あなたの家はかなり古くからあるもののようですね。これほどはっきりとした妖精は見たことがない」
「はぁ・・・」
「この子がなぜ現れてきたのかは私にもわからない。だが不吉な兆候に間違いはない。このまま放っておけば、この子の妖気は辺りの怪物達を引き寄せるだろう。あなたが災いを好まないなら、今すぐあなたからこの子を祓わねばなりません」
「恐ろしいことだ・・・恐ろしいことだ・・・。牧師様、どうかこいつを私から祓ってください」
「よかろう・・・」
 女の子、若者の家に取り付いていた妖精は若者の背にしがみついていたままでしたが、若者は恐怖で身動きがとれませんでした。老牧師はそれに構わず、携えていた聖書を太陽にかざすと、お祓いの文句を口にし始めました。
「この者に取りつきし妖魔よ。お主はこの者に大罪を成そうとしている。貴様は秘蹟によって授けられた力によって罰せられたくなければ、聖母の言葉が三度唱えられる内にこの者から去るのだ」
 妖精は恐怖に怯えてさらに強く若者の背にしがみつきました。しかし若者は怯えるだけで、妖精を守ろうとは考えもしませんでした。
「大いなる神にかけて誓う。この者から去るがよい。私の命令が撤回されるなどと思ってはならぬ、もしも貴様が去らぬというなら、貴様の眷属一同を恐れおののく方法で罰しよう。繰り返す!私の命令が撤回されるなどと考えてはならぬ。すみやかにこの者から立ち去るのだ」
 不意に、若者の背が軽くなりました。今までのしかかるようにしがみついていた妖精は姿形もなく消え失せ、背後にはさっきと変わらぬ村の風景があるだけでした。妖精は立ち去ったのです。
「聖母よ、この偉業に感謝します・・・」
「牧師様、あいつは、いなくなってしまったのですか?」
「安心なさい、やつは去りました。もう二度とあなたのもとへ現れることはないでしょう」
 若者はすっかり軽くなってしまった背を覗き込むように見て、何もいないことを確認しました。若者は脱力感の内に、その場にへたりこんでしまいました。
「私の役目は終わったようですな。それでは、今日も一日自らに課せられた仕事を全うしてくだされ、では・・・」
 教会の大扉が若者の目の前で閉められました。若者はしばらくそこにへたりこんだまま、動けなくなってしまいました。突然現れた空虚感に、身も心も支配されていたのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 それから様々なことが起こりました。まず若者が疲れたような体を引きずって小屋へ帰って来てみると、水車がぴたりと止まっていたのです。どうしたことでしょう。若者は水辺へ降りて水車を見てみましたがどこも悪いところはありません。水路の流れもそのままなのに、水車だけがぴたりと止まってしまったのです。若者は途方にくれ、その日一日の野良仕事にも身が入りませんでした。
 悪いことはさらに続きました。若者の宝物の一つだった、あの布団がほつれたまま修繕できなくなってしまったのです。それまではいつからともなく修復されていたあの布団がです。さらに家にはそれまで見たこともなかった蛇や毒虫が沸くようになり、若者はそれらを追い出すだけでも一苦労でした。それだけではなく、それまでは一度もなかった釜戸の不始末により、あやうく小屋全体を焼いてしまうところでした。度重なる不運に、若者はすっかり疲れ果ててしまいました。
 どうしてこんなことになってしまったのか、若者は考えました。あの妖精は、災いどころか幸運の使いだったのではないでしょうか。若者はしばらくする内にそう考えるようになりました。
 そしてある夜、若者は身一つで村から離れた山中へと駆け出しました。追い立てられてしまった可哀想な妖精を探して、行き場所を無くした妖精が本物の妖魔に変わってしまうと言われている深淵の森へと、駆け出していったのです。
「おーーーい!!」
 若者は山中を駆け抜けました。辺りには若者の魂を喰らわんとする妖魔が蠢き、若者を脅かしました。それらを必死で振り払いながら、若者はかの妖精を求めて疾走しました。
「おーーーい!!」
 そしていつしか、滝の流れる水場へとたどり着きました。若者は満身創痍で、水場へたどり着くとへたへたとその場に倒れ込み、泥の混じった水を飲みました。するとどうでしょう、辺りから見るもおぞましい妖魔の数々が若者を取り囲んでいます。恐ろしい形相の妖魔はその歯をむき出し、じりじりと若者へと詰め寄って来ました。
「あわわ・・・」
 若者は後ずさりし、どんどん水の深みへと入り込んでいきました。そしてついに泥に足をとられ、若者は滝の轟音がしたたる水の中へと落ち込んでしまいました。水はまとわりつくように若者の四肢を縛り、辺りからは妖魔共がこぞって若者の元へ殺到しました。それは世にも恐ろしい光景で、若者がそれを目の当たりにすれば、そのまま魂を抜かれて死んでいたかもしれません。
 妖魔の牙が若者に届こうとしたまさにその時、滝の底から目を破らんばかりの強い閃光が放たれました。若者は水の中にいましたが、強い光を確かに感じました。強力な閃光に妖魔共はたじろぎ、若者から次第に退いていきました。
 気絶してしまった若者を抱きかかえるように、あの妖精が水の底から姿を現しました。妖精は若者を抱き上げると、そっと水辺に降ろしました。息を取り戻した若者が、かすかに見える妖精の姿に手を伸ばしました。
「あ・・・う・・・」
 しかし若者の声は言葉になりません。強い悔やみの念も、愛情も、妖精に伝えることはできませんでした。妖精は若者に息があることを確かめると、再び水の底へ帰って行きました。
「ああ、う・・・」
 若者は水の底に手を伸ばしましたが、その手は空しく水中の泥を掴むだけです。そこで力果てた若者は再びぐったりとなって気を失いました。目を覚ましたとき、妖精の姿も妖魔の姿もどこにもなく、ようやく照らしてきた朝日があるだけで、若者は取り残されていました。
「ど、どこに行ったんだ・・・」
 若者は探しました。確かに見た妖精の姿を。それからしばらく探し続けましたが、やはり探し出すことは出来ず、若者は強い脱力感にとらわれたまま、悲しく森を後にしました。

 その日から、水車は動き始め、小屋に災難が降りかかることは無くなりました。しかしほつれてしまった布団は直らず、それは結局そのままでした。やがて秋が訪れ、刈り入れも無事に済み、あの水車も申し分のない働きをしてくれました。若者はあの妖精の姿を何度も思い出します。しかしあの妖精が現れることは、若者がその一生を終えるまでついに無かったということです。

<終わり>
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ふう、短編でした。では感想にでも行ってみましょうか・・・。って、掲示板が新しくなってるよぉ・・・。

>みのりふ氏
・下る! 乙女たち 
 エキサイティングなヒロインの活躍が続いてますねぇ・・・。一番よかったのはやっぱりシュンです。嗚呼、でもやっぱり二人は結ばれないのか。ラストが気になるなぁ・・・広瀬と幸せになるのも見てみたい気が・・・。
 ところで刑事版の発言は一体・・・?誰が狙ってるんです?

>WTTS氏
・一方その真相…南森
 うーん、なんか七瀬シナリオの研究みたいになってきたなぁ、女子の反応とか。おお、でも広瀬の意中の人って誰なんだ?

>幸せのおとしご氏
・ゆったりとした休日
 ああもう、こんなゆったりしたSSからは程遠くなっちまったなぁ、俺。俺もたまにはこんな平和な雰囲気のSS書きたいです・・・いつから書けなくなったんだろう・・・。