風の旅路
投稿者: から丸&からす  投稿日: 2月21日(月)13時27分
第七話「旅する人」

 それから、久々に長森と一緒に帰った。他愛もない話をしながら、いつもと同じように、いやいつもと比べればお互いが少し緊張していたかもしれない。それでも、それはどこか新鮮な感じがした。
「じゃあね、浩平」
「ああ、また明日な」
「うん・・・」
 早足で俺から去っていく長森。俺はその後ろ姿をしばらく眺めた後、自分の帰路についた。辺りはまだ薄暗い程度で、僅かに強い夕日の名残を残していた。アスファルトに映る自分の影を踏みしだきながら、俺は家へと歩いていった。
 俺の頭を苛んでいたものが一つなくなった。穴が空いていてひどく空しかったその空間には、とても安心できる雰囲気が、うっすらと横たわっている。俺は長森との屋上での一件を思い出しながら、それでもまだ心を包む温かさに彷彿としていた。だがこれでもまだ、家に帰れば翼と顔を合わせることになる。あいつの言葉は不思議だ、それまで確かに存在していた俺の心を徐々に徐々に彼方へと奪い去っていってしまう。だがそれは翼が故意にそうしているわけではないのだ。俺の内側にあったものが、翼の言葉に揺り動かされているだけなのだ。それはとても不安定で、ちょっとした軽いきっかけでも俺自身を遠いどこかへ連れ去ってしまう。安心できない俺の要素だった。
 しかし俺が安心できないと思っているものに、翼は身を委ねている。それが自分だと確信して、これまで旅を続けて来たのだろう。だからこそ俺にとって翼の言葉は誘惑的だった。それに酔わされた俺の心がどうなってしまうか、俺自身わからない。
 俺は始終そんなことを考えながら、家までの道をなぞるようにたどっていった。
「ただいま〜・・・」
 いつもだったら帰ってきた時に挨拶などしない。それまでは帰ってきた家に誰もいないのが常だったからだ。でも今は少し違っている。
「あ、お帰り浩平!」
 台所からエプロン姿の翼が顔を出す。俺の内面の葛藤などまるで気づいていないようで、その表情も声も陽気そのものだった。
「夕飯あとちょっとで出来るよ〜。手でも洗ってきたら?」
「・・・」
 俺は言われるがまま、洗面所で手を洗った。その後は台所で包丁の音をたてている翼に一瞥もくれず、早足で通り過ぎると階段を上って自分の部屋に入った。
 鞄を投げ捨てるように置いて、ベッドに倒れ込む。俺は寝ころんだまま、今度はわざとあの油断ならぬ要素を呼び出してみた。俺を彼方へと誘う、幻惑的なあの心地。それは俺の心に巣くった悪魔か何かのようだった。そいつを呼び出すと、俺の体は浮き上がるような感じを受けながら、次第に現実感を失っていく。代わりに心はひどく鋭敏になって、これまで見てきたものや、それまで感じてきたものを浮かび上がらせる。そしてそれらから自分を解き放とうとするのだ。その悪魔は切り離そうとする。旅に出ろと、何もかも捨てて旅に出ろと俺に詰め寄るのだ。
 俺は意識を戻した。体には急に現実感が戻る。部屋の匂いや自分の体重などが、改めて感じられた。そして俺の心に巣くっているものが、まだ俺を旅に出させようとしていることを改めて感じる。それは何なのか、何が俺を旅に出させようとしているのだろう。俺の中に巣くう悪魔は、一体どこからやって来たのだろう。
 ふいに、ドアの叩かれる音がする。俺は現実感を完全に取り戻すと、一瞬蒼白になった目をドアへと向けた。
「浩平〜、ご飯だよ?」
「あ、ああ・・・」
「もしかして・・・エッチなことしてる?」
「あほ!」
 俺は枕をドアの方へ叩きつけるように投げつけた。その衝撃によってか翼は退散していく。ぱたぱたと廊下を走る音が、俺の部屋まで響いてきた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 相変わらず、翼の作る飯はうまい。今日は肉じゃがだったが、火の通り具合も味付けもまさに完璧だった。俺と違って生活力のあるやつだと、つくづく感心する。
「浩平、今日なにかいいことあった?」
「な、なんでだ?」
「なんか関門を突破したみたいな顔してる」
「そうか?」
「うん、なんかあったの?」
「いや、学食に一つ残ってたカツサンドを肉弾戦になってまで奪い取ったのが関門だったとしたら、多分それだ」
「・・・あんたの昼食って戦いなの?」
「戦いでない昼食などありえまい」
「うーん・・・壮絶ね・・・」
 こんなことで納得する翼も翼だと思うのだが、まあそれはいい。いくらなんでも事実を話すわけにはいかなかったろう。夕食の時にした会話と言えばそんなものだったが、そう言えば翼は旅のことを口にしていない。俺はそれに安心しているのだが、心のある部分はそれを不服としているのに、俺はなんとなく気づいた。それは明らかに危険な衝動に違いない。
「ねぇ、浩平」
 俺が気分を紛らわそうと適当なテレビ番組を見ていた横に、エプロンを解いた翼がやってきた。俺は風呂にも入っていないので制服のネクタイをとっただけの服装だが、翼は最初に会ったときに来ていた紅葉色のシャツとキュロットを履いている。かなりラフな服装だった。
「なんだよ?」
 俺はソファに場所を空けてやりながら、素で返事を返した。すでにこいつが家族の一員として俺の家庭内に紛れてしまっているのが、なんとなく恐ろしかったりする。
「私と旅をする気、もうなくなっちゃった?」
「・・・そんな気は最初からないぞ」
 俺は内面の動揺を隠しながら、極めて冷静を装い、翼にそう返した。
「じゃあ、もうすぐお別れだよね」
「ん?ああ、バイト代が貯まったならここにいる理由もないだろうからな」
「そうだよね・・・」
「それがどうかしたのか?」
「浩平ってさ」
 翼は身を起こした。そのまま俺の目をじっと見つめる。いつになく真剣な表情だが、俺は気を取られるわけにはいかない。奴に心を奪われてしまったら、俺は旅への誘惑に負けてしまうだろう。
「浩平って、間違いなく旅人なんだよ」
「お前・・・それはな」
「でも最近、だんだん浩平が旅人じゃなくなっていくような気がする」
「・・・?」
「浩平は・・・旅をしていたの?」
「・・・俺は旅なんてしたことないぜ」
「嘘!あなたは旅人だよ、旅をしないはずがないよ・・・」
 テレビでは本来なら笑いを誘うはずの番組が流してあった。だがそれも今では空しさしか呼び起こさない。しかし俺はテレビを消すつもりにもなれず、激情したように俺を見つめる翼に捉えられていた。
「旅を終わらせちゃったの?どうして・・・」
「・・・俺は最初から旅なんて・・・」
「違うよ。浩平は旅に出たがってたよ・・・」
 寂しそうに言う翼。しかし俺にはわけがわからない。
「・・・俺は、旅人なんかじゃない」
「嘘だよ!」
 俺と翼の間にはほとんど距離がなかった。だから翼が抱きついてきた時、俺はほとんど抵抗することが出来なかった。首に手を回してしっかりと俺に抱きついた翼を、とっさのことで振りほどくこともできなかった。
「嘘だよ。旅人だよ、浩平は」
「時川・・・お前・・・」
「旅して行くんだよ、知らない場所、知らない人達、知らない風と一緒に流れていくような日々を送るんだよ?旅人だったらそうしなきゃいけないはずなのに・・・」
「・・・・・・」
「ようやく、旅の果てに見つけた旅の仲間だと思ったのに。もう、すっかり旅人はいなくなっちゃったんだよ。私の故郷でも、みんな旅に出ることを諦めてた。なぜかわからないけど、必死にそこに居着こうとしてた・・・」
「私は耐えきれずに・・・旅に出たよ。風と一緒に旅をしてきたよ。ずっと一人で・・・」
「お前は・・・なんのために旅をしてるんだ?」
「旅することが私の目的だと思ってた。でも違う、浩平を見てて思ったんだ。私は何かを探し続けてるんだ」
「探す?」
「それがなにかはわからないけど、それが見つかるまでの旅なんだよ。浩平、あなたは見つけたの?旅する必要がなくなったの?」
「・・・・・・」
「旅人は、旅し続けるんじゃないんだ・・・、ちゃんと目的があるんだ。探しながら旅をするんだ。旅の果てに見つけた・・・浩平は、私の仲間だって思った」
 翼が離れる、名残惜しそうに。俺は彼女を抱きしめてやることもできず、両腕は垂れ下がったままだった。しばらく黙っていた翼だったが、急に意を決したように俺に告げる。
「バイト代・・・もうちょっとで貯まりそうなんだ」
「そうか」
「そしたらここを出ていくよ・・・」
 翼はそれだけ言うと、居間から逃げ出すように出ていった。そのまま叔母さんの寝室へと引っ込んでしまう。どうやら俺と顔を合わせたくないようだ。
 俺もさっさと居間を後にすると部屋に戻って、その日はもう一歩も部屋を出なかった。

<第七話 終わり>
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 七話目・・・ずいぶん長く書いてきたよな気がする。後どのくらいかなぁ・・・いやー
さっぱりわかりませんがな。
 いかがでしたでしょう第七話。これは話の骨組み、もとい構想が不安定なのでSSそのものの展開もかなり不安定になってるかと思います。なにせ書き始めるまで内容が頭にないようですから・・・(はいすいません)。
 まあ、もうちょっと続くかと思います。それでは・・・。