風の旅路
投稿者: から丸&からす  投稿日: 2月19日(土)15時58分
第六話「夕焼け」

 その日の朝はひどく暗く、まるで空気まで湿っているようだった。それは雨が降っていたというわけではない。ただ誰もカーテンを開けず、部屋が真っ暗のままだったのだ。
 時川は昨日のことで何か含むものでもあるのか、俺を放って先にバイトへ行ってしまったようだった。テーブルの上には俺の分の朝食が用意してあったが、伝言も何もない。長森にいたっては家に来もしなくなった。
「ちぇ・・・」
 俺は舌打ちすると、始業には確実に遅刻する時間帯にのそのそと起きあがった。
 カーテンを開けると、いつもならまばゆい朝日が部屋の中に射し込んでくるのに、今日は違っていた。あいにくの曇り空。俺をあざ笑うかのように、空は色を失った雲で覆われていた。
 俺は一人で朝食を食い、一人で洗顔を済ませ、一人で着替えると一人で家を出た。真冬にも近いこの季節、太陽が出ていないと肌寒いほどだ。俺は上着を両の手で体に巻き付けるようにしながら、逃げる体温をどうにか内に留まらせようとする。そんな無駄にも等しい努力をしながら、一人通学路を、もはや遅刻が確定的なので急ぐこともなく、歩いていった。

「おはよーございます・・・」
 授業中にのそっと現れた俺に、クラス中が一瞬間だけ注目する。そしてそれが過ぎると、皆興味を失ったように授業に目を戻した。俺と長森の不仲が情報として行き渡っているのだろうか、クラスのそんな反応は俺にいらぬ苛立ちを覚えさせた。
 俺はいかにも退屈そうに席につくと、机の中からばらばらと教科書類を取り出した。うるさい物音に教師が一瞥をくれるが、何を言うでもない。
 退屈な授業を聞きながら、機械的にノートをとっていく。興味のわかない授業が元々頭に入るはずがないが、今日はいつもより増して頭には入らなかった。それはやはり、長森のことも含めて物思いに耽ることが多くなったせいだろう。
 昨日の時川の言葉がまだ頭にこびりついて離れない。私と一緒に旅に出よう・・・と、よく考えてみればとんでもないことを口にした時川。だが俺の心は刹那、それに捕らえられてしまった。
 いつもの変わらない生活を捨てて、何もかもが違う旅に出る。知らない場所、知らない人間、知らない風と共に日々を送る。それは時川から聞いたことだが、今では俺を旅へと誘う詩になっていた。こうしているだけも、俺の心は今いる場所を離れて遠くへ行ってしまう。それを止める気にすらなれない。俺の心は体からの束縛を離れて、自由な旅へと出ていってしまう。何もかも捨てて、風と共に日々を送る。それが今にも現実へと取って代わりそうで、俺は今抱いているはずの現実感のなさに身震いした。
 それまで見慣れていたはずの風景が、不意に見慣れないものへと変わっていく。それは俺の心がすでにここにないことを暗示していた。旅に出たいと言うのだろうか、この俺が。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 午前の間中、俺はずっとそんな調子だった。隣の席の住井は何度となく俺の気をひこうと手を尽くしたらしいが、あいにく俺は全く記憶にない。
「おーい折原く〜ん」
 昼休みともなると、住井が猫撫で声でやってくる。俺にいつもとは違う何かを感じたのだろうか、住井はわざとおどけてみせようとしているのだ。
「どーした折原。ここのところ長森さんとはうまくいってないみたいだし、授業中はぼーっとしてるし、何があった。親友の俺様に相談しなさい」
 住井は俺の席に乗り出してくると、一気にそうまくしたてた。言葉はふざけているが、真顔だ。いつになく真剣な様子の住井だが、俺はやはり、それを敏感に察知してやれる状態ではなかった。
「・・・なんでもないって」
「そんなわけあるか!長森さんの方もなんか意気消沈しててファンクラブの連中は絶命寸前だぞ!お前はこの状況を解決する義務がある!」
 住井は唾を飛ばしながらそう言うが、俺の方からはため息しか出ない。
「うーん、こりゃ重傷だな・・・」
「・・・厄介だ」
 どこからか中崎と南森まで顔を出している。俺の事を心配してくれているのだろうか。
「とはいえ俺達にはわけがわからんものなぁ、お前らの間に何があったのやら・・・」
「・・・そういえば、転がり込んできた例の女はどうなった?」
 南森は頭に巻いたバンダナの下から光るような目を俺に向けた。本当にこいつは変なところで鋭い。
「それが原因か、折原」
「俺達に話してみなさい、楽になるぞ」
 多分、解決には至らないと思うぞ、と俺は心の中で三人に言った。他人にどうこうできる類のものではないということを、俺自身よく理解していた。
「俺はなんでもないよ。お前らこそ、俺に構ってないで学食でも行ってきたらどうだよ?昼休みがなくなるぜ」
「はぁ・・・俺らがなんとかしてやろうと言うのに」
「まあ、本人がそう言うならな」
「・・・去るべし」
 三人は去っていった。教室を出て、そのまま学食へ向かうのだろう。
 残された俺は、なんとなく長森のことを考えていた。もしも旅に出てしまえば、長森も置いていくことになる。この数日間が実に味気なく感じるのは、あまり認めたくはないがあいつに負うところが大きいのではないだろうか。今はちょっとした行き違いで疎遠だが、いつも側で笑顔を振りまいていてくれたあいつの存在が、今更になって大事なもののように感じられた。しかし、俺はどうすればいいのかわからないし、第一俺自身が不安定だった。
「ふぅ・・・」
 食欲がわかなかった。その日も俺は一人、飯も食わずに昼休みを過ごした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 下校時間になっても、俺の気分は相変わらずだった。そんな俺の様子を察してか、自然と俺の周りに集まる人間も少なくなる。それが完全になくなった時、これが孤独というやつか、と俺はなんとなく思った。なにしろ俺の周りの空気が違う。明らかに異質な空気を振りまいていることが、周りの級友にも感じられるのだろう。
「浩平・・・」
 そんな中で、俺に声をかける者があった。それは今、それでなくても疎遠になっている人だった。俺がなるべく目を合わせないようにしていた、長森だった。
「これから帰るの?」
「ああ」
「少し・・・お話してかない?」
 俺は始めて長森の方を振り向いた。俺の方はなるべく相手にしないような雰囲気を装っていたのだが、長森の方は目を落としながらも、照れているのか、それともただ単に気まずいだけなのか、その言葉からはありありと決心の色が伺えた。
「ああ、いいぜ」
「・・・よかった」
 断る理由はなかった。長森はようやく目を上げると、少し安心したような表情をしていた。

「浩平が授業中もぼーっとしてるから、心配になっちゃって」
「それはお前だって同じだろう」
 ここは学校の屋上。昼間はいいが、夕暮れ近くなると寒くなって人は寄りつかない。夕暮れの好きなどこかの先輩も今日は姿を現さず、屋上は閑散としていた。だがいつもより強めに注ぐ夕日の光は肌寒い屋上の空気を微かに暖めている。
「時川さんと何かあったの?」
「いや、それよりも俺はお前と話したい」
「え・・・」
「お前さ、時川が来てからどうも様子が変じゃないか、どうしてだ?」
「・・・それは・・・」
 長森はまた俺から顔をそらした。逃げるように、屋上の上を歩いていたが、やがてフェンスに遮られて足が止まる。長森は目を落としたまま、フェンスを握る手に力を込めるようにしながら言葉を絞り出した。
「なんか、寂しくってさ」
「ん?」
「私がいつも居た場所をとられちゃったみたいで、気にくわなかったんだ・・・」
「・・・・・・」
「朝、浩平を起こすのは私の役目だったもの」
「それを取られちゃったみたいで・・・悔しかった」
 長森の独白に、俺は終始無言だった。俺は長森をみつめて、消え去りそうなその両肩を抱き寄せてやりたい衝動に駆られた。
「・・・俺はてっきり、お前が面倒でやってるのかと・・・」
「そんなことないよ、今じゃもう大事な習慣だよ」
「そうか・・・」
 それは無意識の内だったかと思う。気がつくと、俺は長森を抱きしめていた。長森が寒そうにしていたからか、それとも消え去りそうだった長森を引き留めたかったからなのか、それはわからない。ともかく俺は後ろから長森を抱きしめ、両手を組んで逃がさないようにした。
「こ、浩平・・・」
「寒いだろ」
「うん・・・」
「嫌か?」
「ううん・・・」
 長森は照れたように、再び目を落としてしまった。おかげでその表情は読みとれない。俺も急にこんな行為に出てしまって自分に驚いていたが、途中でやめるというわけにもいかなかったので、しばらくの間、長森を抱きしめ続けるという形になった。長森は今の状況をどう思っているのだろう、それがいやに気になった。
「浩平・・・」
「ん?」
「ありがとう・・・」
「・・・」
 それからしばらく、二人はそのままだった。どちらが望んだというわけでもないが、そうしている方が良いように思えたのだ。
 一番熱い夕日が照らした後、薄暗くなるまで、二人はそのままだった。やがて離れてからも、俺の胸には長森の体温と同時に、不思議な安心で満たされていた。長森はそれ以上なにも言わなかったが、きっと同じ気持ちだったのではないか。俺はなんとなくそう思えた。

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 ああー、書いてばっかりだな・・・。
 どうでしたでしょう、第六話、今回のSSは前と違って勢いとかがないので読んでくださってる皆さんを退屈させまいかと不安です。
 では、ここまで読んでくださった方に敬意を表しつつ、お後がよろしいようで・・・。