The Orphan of Seventh Angel  投稿者:から丸&からす


第七話「深淵」

 夢をみた。
 残酷なことに、ひどくはっきりとした夢だった。
 出来れば思い出したくない、最悪の夢だ。
 これを悪夢、というのだろうか?
 悲しくて辛い夢だ。
 だがこれを悪夢として追いやることができれば、どれだけ俺は幸運だろう。

「ほらほら、立てよ!」
「馬鹿だよな。言うこと聞いてりゃよかったのに」
「おい、娑婆で覚えた回し蹴りを見せてやるよ」
「ひゃはは、吹っ飛んだぜ。すげぇ」
「今度は水攻めにしてやろうぜ・・・」

「みさお!!」
「あん、なんだよ」
「折原か、なんだよお前、泣いてんじゃねーの?」
「てめえら、みさおを!」
「うるせぇな・・・てめえもやっちまうぜ?」
「そりゃあいいや、兄妹水攻めだな。やろうぜ」
「かかってこいよ!ぎたぎたにしてやる!」
「おもしれえ!」

「みさお!みさお!」
「・・・お、おにい・・・ちゃん・・・」
「しっかりしろ、もう大丈夫だぞ。今すぐ先生の所へ・・・」
「お兄ちゃん・・・」
「なんだ、みさお」
「ありがとう・・・」

 それは感謝の言葉だった。何に対しての感謝の言葉だったのだろう。リンチから救ってやったことへの礼だったのか、それまで寄り添うように生きてきたことへの礼だったのか、今では知ることができない。俺はただ、ぐったりと医務室のベッドに横たわる妹の姿を、ただ見守ることしかできなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ぐい・・・ぐい・・・と頬を引っ張られる感触がする。
 浩平は貫徹して頭痛が伴うほど不快感がする頭を、ゆっくりと左右に振って覚醒させた。見ると、目の前には浩平の頬を引っ張っている少女の姿が見えた。どうやら浩平を起こそうとしているらしい。
「そうか。もう、朝・・・どころじゃないな。昼か」
 浩平は少女に朝日を見せてやれなかったことを後悔した。出来ればまたゆっくりとした時間を、浩平も少女と共に過ごしたかったのだ。
 浩平は上体を起こして、顔に張り付いていた少女を抱き上げると目を見つめて言う。
「朝日は見れなかったけど・・・昼のお天道様でも拝むか、きっと気持ちいいぜ」
 浩平達は車のドアを開けて外に出た。真昼に近い午前中、涼しい風が車に入り込んできて、昨晩の浩平の作業の名残をあらかた吹き飛ばしてしまう。浩平達は風を受けながら、屋上の縁に近いところまで歩を進めた。
「そうだ、肩車してやるよ」
 浩平は少女の腰を抱えて自分の頭にのっけた。少女は高いところに登って興奮しているのか、両手を振り回してはしゃぎだした。
「いい天気だな・・・。ここから日本中が見渡せそうだ」
 4階建てのデパートの屋上、下には忙しく立ち働く人々の姿が目に入った。浩平は監視の目を今更ながらに恐れ、縁から少し身を離した。
「・・・いい天気だ。ずっと、こんな天気が続けばいいのにな・・・」
 それからしばらく、浩平は屋上で少女とたわむれていた。
 この後、また引き裂かれるような緊張と危険の中に身を投じなければならないことを、浩平は忘れていなかった。しかし、浩平は自分をごまかすように少女とはしゃいでいた。ゆっくりとした時間が流れていた。時間はわからなかったけれど、太陽が高く昇って、きらきらと輝いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いずれ陽も落ちて、夕刻になる。浩平はそろそろ、計画を実行に移さなければならなかった。ほとんど完成に近づいていた無線機に信号機を取り付け、浩平はデパートの屋上の隅にあるポンプ施設の陰に身を潜め、ちょうど良さそうな位置にアンテナが来るように無線機の位置を調節する。
 これは浩平が個人的な興味で調べた情報だった。現在の状況を打破するために、浩平は今からある組織と接触しようとしている。浩平の知識が正しければ、彼らはこの時間内に特定の速度で通信を行うはずだった。
「うまくいってくれよ・・・」
 浩平は祈りながらバッテリーの電源を入れ、無線機を稼働させる。ヘッドホンからノイズとあらゆる無関係な通信音が入り込み、瞬間的に浩平の頭を混濁させる。
「間違いないはずだ・・・この時間に聞こえるはずだ・・・」
 浩平は耳を澄ました。特殊部隊と言っても無線の扱いはかなり久しぶりだった。慣れない耳にノイズと通信音を聞き分けるのは辛い。
 浩平は必死で耳を澄ました。ノイズと関係のない通信の中にこそ、それはあるはずだった。聞き取らなければならなかった、この時間を逃せば後がない。雑音の彼方に、浩平は目指す電波の音を求めた。

 ツー・・・ツー・・・ツー・・・トン・・・トン・・・

 来た!間違いない、このやたらと遅いモールスの波。普通に聞いていれば、他の雑音と混じって全く気づくことができないのだ。それもこの通信は暗号を使用しているため、一般の人間がもし傍受したとしても訳がわからないはずだった。
 そして浩平にも当然、彼らの通信内容はわからなかった。しかしそれは問題ではない。重要なのは、この通信が送信されているということは、確実に受信している者がいるということだ。
浩平は彼らのリズムに合わせてモールスを送った。通常の信号、暗号ではない。もしもこれを相手が聞けば、自分たちの通信を傍受したこちらの通信に必ず耳を傾けるはずだ。

 ツー・・・トン・・・ツー・・・トン・・・

「「アナタガタニ ジュウヨウナ ジョウホウ アリ」」
 浩平は信号を送った。相手が聞いてくれていれば、必ず応答があるはずだ。
 応答はなかった。浩平は繰り返し、何度も何度も送信した。相手は気づいていないのかも知れない。それともこちらが確実に相手の通信を傍受したのか、はかりかねているのかも知れない。ともかく数で押すしかなかった。浩平はひたすらに送信し続けた。

 トン・・・ツー・・・ツー・・・

「「・・・ニチ ・・・ジ エキマエビジネスホテル」」
「やった!!」
 雑多なノイズの中、ついに応答があった。さっきからと全く同じ通信パターンが日時と場所を指定している。相手の組織からの、こちらへの通信に間違いない。浩平は確実にそれらを受信、記録した。相手はコンタクトを取ろうというのだ。
 浩平の目論見は成功した。相手は明日の午後七時。駅前のあるビジネスホテルに来る。いや、浩平が待つのか相手が待つのかわからない。それでも接触できるチャンスができたのだ。もしかしたらこちらを抹殺しようと向こうが考えているという可能性もあるが、その時はその時、切り抜ける自信はあった。
「・・・」
 首筋に生温かい感触がした。ぎょっとして振り返ると、少女が首に巻きついている。一瞬、敵の強襲かと思った浩平は危うく反撃するところだった。
「外に出るなと言ったろ!」
 浩平はさっきからの興奮もあって多少きつめに少女を叱った。少女は少し悲しそうな顔をしたが、素直に自分の非を認めたようだった。
 二人はもう一度、車の中に戻った。夜になるまで浩平は車の中で少女と遊んでやり、夜になって少女が寝付くと、明日行われるはずの取引を頭の中でイメージした。
(銃を服の下に入れて握りながら中に入る。相手が友好的な場合も決して腰を落ち着けない・・・。もしも俺が先に行ったら、ドアの前で静止している・・・)
 無限の可能性を考慮して、浩平は頭を巡らし続けた。
 後部座席ではそれとは全く関係なく、少女が呑気な寝息をたてていた。

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二話連続投稿・・・まあいいか・・・。