幻想猫の魔法 投稿者: から丸
第五話「様々な記憶と現在」 

 静まり返った部屋。音が、声が、禁じられた空間。
 それはまるで時間が止まってしまったようだった。
 冷たくなった母の手、それを握る俺の手はまだ、小さい。
 幼い手に握られた手は、冷たかった。どんなに強く握っても、力は戻らない。
 どんなに揺り動かしても、温度は戻らない。
 
 お前はこれから一人になる・・・

 母さん、母さん、大好きだった母さん。何故死んでしまったんだ。
 
 強くなりなさい

 俺を置き去りにしたかったのか、俺を殺したかったのか。
 
 護。

 母さん、母さん、何故、何故。

 ふぅ・・・と息をつき、それきり母は動かなくなった。
 それまでが嘘であったかのように、ぴたりと動かなくなった。
 俺はそれを眺めながら、最後の涙を流した。
 瞳の輝きも青さも、すべてその涙が流してしまった。
 優しい日々の終わりが、その時の俺にもはっきりとわかっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 すとん。
 そのような感じだった。それまで意識の奥深くにあった感覚があまりにも
急に目覚める。気持ちのいい目覚めとは、とても言えない。
「ほら、朝だぞ。護!」
 どうやら枕をすっぽ抜かれたようだった。
 目眩がする頭を押さえながら、なんとか状況を理解しようと努める。
だがあまりに急でしかも起き抜けとあっては、なかなか思考が巡らないし
ましてや完結はしない。
「なに、ぼーっとしてるのよ」
 目の前に詩子がいる。一応それだけは認識できた。
「しいこ・・・?」
「詩子さんだよ?」
「・・・・・・わあー」
「なに訳の分かんない声出してるのよ、ほら着替え!」
「ああ・・・」
 とりあえず着替えを持たされたので、着替え始める。
「ばか!いきなり着替えるな!」
 ぱこーん、と枕で殴られ俺はベッドに倒れ込んだ。そこでようやく意識がはっきりする。
 俺はがばっと起きあがると
「なんで詩子が俺の部屋にいるんだぁ!!」
「反応が遅いよ」
「いいからなんでいるんだ!?」
「起こしに来てあげたんだよ♪」
「あほっ、来る前に断れ!!」
「だって寝てたんだよ」
「当たり前だ!」
 一気にしゃべりすぎたせいだろう、軽く目眩が起こる。
俺はまた倒れ込みそうになったのを必死でこらえた。
「ほら、起きたばっかりでそんなに騒いじゃだめだよ」
「お前のせいだぁ・・・」  
 目眩と頭痛が交錯する頭を押さえながらゆっくりと息を吐き、どうにか
平静を取り戻す。
「もういい・・・着替えるから一旦出てくれ・・・」
「はーい」
 詩子を追っ払うと、俺は急いで着替えに取りかかった。
 それにしても、あいつはどうして俺の服の在処を知っているのだろう・・・
その理由を知るのも怖い気がしたが、当然疑問だった。そんな俺の疑問を吹き消すかの
ように冬の寒風が全開した窓から舞い込んだ。
「うわ・・・」
 いや、もちろん窓を開けて寝るはずがない・・・
「窓から入りやがったのか詩子ぉー!」
「だって家の人起こしちゃったらまずいでしょ・・・ってまだ着替えてないじゃない!」
 詩子は慌ててドアの後ろに身を引き戻した。
 とっさに叫んでしまったものの、俺はまだトランクス一枚の状態だった。
詩子が反応するまでそれに気づかなかった俺も悪いが、まあちょっとした天罰だな。
 ようやく着替えて部屋の外に出ると、詩子は少し怒っているようだった。
「もう、着替え終わってから呼んでよ」
「呼んだ覚えはないぞ」
「あれは呼んだに入るよ」
「入らない」
「入る!」
「入らない」
 はたから見れば無意味としか思えない問答を繰り返しながら居間まで行き、
適当に夕飯の残りを摘む。
「護、これなに?」
「住井家伝来のお好み焼きだ」
「いや、何か黒い物体にしか見えないけど」
「住井家以外の者にはそう見えるらしいが、本当はすごくうまいんだぞ」
「ほんと・・・?」
「そうとも」
 おそるおそる、といった感じで詩子がひとつまみだけ口に運ぶ。
「・・・」
「どうだ?」
「あ、ほんとだ。結構おいしいね」
 笑顔を浮かべながら、そう答えた。俺の頬を一粒の汗がしたたる。
「どうしたの?」
「二つ上の兄貴は胸焼け・・・一つ上は下痢・・・」
「?」
「世の中、広いな・・・」
 俺は人類の神秘に触れた気がした。
 そのまま洗面所で顔を洗い、ついでに歯を磨く。歯の磨き方がいつも雑なので
急いでいると時々出血したりする、今日は時間がやたら早いので大丈夫だが。
「眠い・・・」
 顔を洗ってもすっきりしない頭を左右に振った。
「あ、おはようございます」
「・・・はあ」
 居間から、会話が聞こえる。二つ上の兄貴の声と、詩子の声。
「・・・やばい」
 長いこと合ってなかった幼なじみが朝、窓から入って俺を起こしに来た、
などと説明してわかってもらえるものだろうか。
「よう、護・・・」
 洗面所にずっしりとした足取りで入ってきた兄貴が、ドスのきいた声をかける。
「・・・おう」
「今晩、住井家伝来の拷問地獄「仏でわっしょい」を執り行う。あることないこと
しゃべってもらうぞ」
「・・・」
 あることないこと、は拷問する方が言う言葉じゃないだろ・・・
俺はつっこみたかったのを押さえて、無言で洗面所を後にした。
「じゃ、行こっか!」
「おう・・・」
 詩子がなんともさわやかな笑顔を浮かべながら俺を外へと促す。
なにがそんなに楽しいのか俺にはわからなかったが、俺は正直、詩子のその笑顔に
どきりとしたのだ。
「どうかした?」
「なんでも・・・」
 まるで流れる水のような、冬の朝の風が体を覆った。
 
起きる前に見ていた、嫌な夢のことなどは忘れてしまっていた。
それは空気の冷たさもあるだろうが、何せあの騒ぎだったのだから当然だろう。
「それにしても、どこまでついて来るんだ詩子?」
「あ、せっかく起こしに行ってあげたのに、あたしのこと迷惑がってる!」
「違うって・・・俺とお前は学校は別だろ」
「駅までは一緒だよ」
「そっか」
 朝の通学路を疾走する俺達・・・ってなんで走ってるんだ!?
時間的には早すぎるくらいなのだが。
「あたし、走るの好きだから♪」
 どうやら俺の考えが読めたらしい。詩子が笑顔で答える。
「なんで俺まで合わせにゃならんのだ・・・」
「じゃ、あるこっか?」
「いや、まあいいけど」
「だよね♪」
 昔もこんな感じであの雑木林を走っていたのだろうか。俺はついこの前まで
失っていた記憶の糸を手繰り寄せた。
「どーも、思い出せないな・・・」
「うーん、昔のことだからね」
「お前、俺の心が読めるのかっ!?」
「護の考えることならね、大体わかるよ」
 不気味な奴だ・・・
「こんなかわいい子をつかまえといて、なに言うのよ」
 ・・・
「思い出せないかなあ・・・ほら、崖下に変な穴ぼこ見つけてさ、
二人で潜ったの覚えてない?」
 ふと、記憶の糸が頭の中で一斉に合成されて形をなした。
「・・・お前は体が小さかったからよかったけど・・・」
「護が入ったら穴が崩れて・・・」
「閉じこめられた」
「怖かったよぉ〜、あれは」
「いきなり真っ暗になったからな」
「あたし泣いちゃったよね・・・」
「大騒ぎするお前を必死で穴から引っぱり出したよ」
「あはは・・・二人とも泥だらけだったね」
「ああ・・・」
 やがて大きな通りに出て、駅との分かれ道になる。
「じゃ、また後でね!」
 こっちが恥ずかしくなるくらいに大きく手を振ると、詩子はまた走り始めた。
俺は何故か、その後ろ姿を見送っていた。それが昔の光景を思い出させたからなのか、
それとも別の理由からなのか、俺にはわからなかった。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・

 空からまっすぐに地上を射す冬の陽光。それに照らされて微かに輝く校舎を見ると、
まるでそれが有名な絵画の一幕のように思えてにわかに学校がかっこよく思える。
「って、なんでそんなこと考えたんだろ・・・」
 朝、そんなことを考えた自分を少し気恥ずかしく思った。
 今は昼飯を食い終わった昼休み。いわゆる暇な時間だ。
もしかしたら詩子が遊びに来るかな、などと考えていたが、予想に反して今日は
まだ一度もこちらに顔を見せていない。
 いや、あいつが来るのを心待ちにしているわけじゃない・・・
 だが、自分で否定しながらも、少し前とは心情が明らかに変化していた。
果たして俺達は以前もこんなに親しい仲だったんだろうか。詩子が再び現れる前までは
まったく忘れていただけに、あいつとの思いでも実に限られている。
「うーん。朝、いきなり起こしに来るほどに・・・」
 仲がよかったのだろうか・・・?
「・・・詩子のことを考えてますね」
「わぁああーー!?」
「・・・彼女に心を奪われないようにと、言っておいたはずですが・・・」
「ま、待て待て・・・」
 とにかく、いきなり現れたことはこの際置いておこう。
「また不幸な男性が一人増えますね・・・」
「ま、待て待て」
 こっちの心を読んだことも、この際置いておこう。・・・もしかしたらこの人と詩子は
どこか特殊な研究室かなにかで教育されたんじゃなかろか・・・そうに違いない、
二人はテレパス能力とその他にも多くの能力が・・・そうだ、里村さんは
危機が迫ったらあの長い髪をさらに伸ばして敵を撃滅するに違いない、
そうに違いない・・・
「・・・どうしました?」
「いや、なんでも」
 俺は里村さん、というか髪の毛から距離をおきつつ、再度彼女に注意を戻した。
「そういえば詩子に惚れるな・・・って言ってったけ」
「・・・ええ」
「そりゃ、どうしてだい?」
 里村さんは不憫な人間に同情するような目を一瞬すると
「・・・例外なく不幸になります」
「へ?」
「例外なく、不幸になります」
 もう一度、やや力を込めて言う。
「不幸に・・・?」
「・・・そうです」 
 俺は怪訝そうな表情を隠さなかった。
「あの子は・・・あれで結構もてるんです・・・」
「まあ、そうかもな」
 性格はともかく、あの容姿だ。近くに居ればわかるが仕草なんかも実に・・・
いや、ともかく異性から人気があってしかるべきだろう。
「思いを寄せれば寄せるほど・・・近づけば近づくほど・・・不幸になります」
「ええ・・・なんでだ?」
「彼女は、他の人間に拘束されることを極端に嫌います」
「はあ・・・」
 それはそうかもしれない。
「だから遊ぶことはあっても、決して特別な領域には近づけません・・・」
「へえ・・・」
「飽きたらポイ、です」
「・・・」
「なお、彼女は無意識にそれをやっていて、悪意はまったくありません」
「・・・」
 詩子ってそんなにたちの悪い女だったのか・・・?
だが里村さんの言うことには説得力がある。彼女が詩子の性質をよく心得ているのは
間違いないし、その上実に見事な分析だ。
「もう、被害者は数え切れません」
「うーん・・・」
「・・・くれぐれも気をつけてください」 
 里村さんは最後に釘をさすと、趣のある動作で自分の席に戻っていった。
どうも彼女には中世の王侯貴族のような風格がある・・・などと勝手に思った。
「うーん、そうか。そうだったか・・・」
 何年間も詩子と一緒に過ごしてきた幼なじみの言葉をむげにするわけにもいくまい。
「・・・」
 それなら俺自身がそれを確かめて見るのもいいかも知れない・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 土曜日だから授業は午前で終わる。人波となって下校する生徒達、
俺もその中の一人になって家路をたどった。
 通りを赤く染める夕焼け・・・今までなら気にも止めなかったろうが、
最近はどうもこの風景が頭の中に印象として残っている。
「護!」
 それはこいつのせいなのだろうか・・・
 またいつの間に後ろに回り込んだのだろうか、詩子がいつもの笑顔をたたえながら
俺に名前で呼びかける。
「前から来ればいいだろ、前から」
「びっくりするかと思って」
「しないって」
「おかしいなあ、前は驚いてたよ」
「う・・・あれはなぁ・・・」
 二人で夕焼けに染まる商店街を歩く。俺のいつもと違う雰囲気を察してか、
詩子が走り出すことはなかった。
「どしたの、護?」
「え?」
「なんか、いつもと雰囲気が違うよ」
 ほんとに超能力者か、こいつは。
「いや、なんでもない・・・」
「そう?」
 そこからまたしばらく歩いたところで、決心した俺は唐突に話を切りだした。
「なあ、詩子」
「あ、うん、何?」
 詩子は少し、ぎこちない笑みを浮かべていた。
「明日、暇か?」
「え・・・明日って、日曜日?」
「ああ、そうだ」
「うん、別に予定無いけど・・・」
「じゃあ俺と、デートに行かないか?」
「え・・・」 
 詩子はしばらく黙っていた。黙って俯き、なにか考えているようだった。頬が少し赤い。
「うん・・・いいけど」
「ほんとか?」
「うん・・・」
 詩子はそれきり、なにも話さなかった。俺もそれ以上は何も話さず、
約束場所だけを伝えると、そのまま別れた。

「わあーー!」
 家に帰ってから、自分がどれだけ思い切ったことをしたか、ようやく自覚した。
 なんだか、ものすごく急じゃなかったか?もう少し時間を置いてもよかったろうに。
「ううーーー・・・」
 それでも俺はやってしまった・・・いや、取り返しのつかないことをした訳じゃないが、
大きな賭に出たことは確かなのだ。
 俺は本当に詩子のことが好きなのだろうか・・・
自分でもそれは完全にわかっていなかった。
 そんな状態でここまでやってしまうとは・・・俺はつくづく考えが浅い。
その夜は、それ以外のことはなにも考えられなかった。
その事をこれ以上考えても無意味だとわかっていたし、考えたくないと思いながらも、
様々な考えが浮かんでは消えた。その夜はずっと不安なままだった。

<第5話 終わり>
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ふう・・・どきどきしますねぇ・・・
読んでくださってる皆さんはどんな心境でしょう・・・不安だ。
ごほっ、第5話いかがでしたでしょうか。
これまでも展開が急でしたが、今回はさらに急展開です。
果たして続きがちゃんと書けるのだろうか・・・自身も不安です。
まあ、どうにか最後まで書ききるつもりですが・・・がんばります。

>雀バル雀さん
 ・飛べ!必殺うら殺し?夏の二時間スペシャル
 おお、時代劇じゃあ。藩じゃ一揆じゃとり潰しじゃあ。
 しかも政略結婚とな!?なんともアダルトな雰囲気も漂いまして
 ベテランのSSですなあ、なんとも・・・
>変身動物ポン太さん
・感想SS”感想は忘れた頃にやってくるっ♪”
 へへえ。感想ありがとうございました。
 うーむ、みさき先輩に食べられないものってあるのか・・・?
・光・・・届く日
 きゃああああ・・・なんとも言えないね・・・
 二人ともお幸せに・・・
>ぱやんさん
・結婚写真 −中編−
うわあああ・・・こっちもお熱いね・・・ 
 はぁう、長森がかわいいですね。続き楽しみです。

 うー・・・少ないなあ、テスト近いんで勘弁して下さい・・・
 それでは。