幻想猫の魔法 投稿者: から丸
第三話 「藪の中の記憶」

 その日はひどく天気が悪かった。別にそれが気にくわなかったわけじゃないが、
まるで天が自分の心の内を見透かしているように思えてなんだかしらけていたのだ。
「まったくいい天気だ・・・」
 じめっとした感触の空気が肌にまとわりつく、それほど暑いわけではないのに
体温が体に閉じこもっているようで実に気分が悪かった。不快指数が高い、というのが
今の状況なのだろうか。
 教室の他の連中も同じようにだらぁ〜っとしていた。特に折原は暑さに弱く湿度には
さらに弱いらしく、なんというか死んでいるようだった。
「うー・・・気持ち悪ぃ」
 机の上に二の腕を投げ出してぐぅー・・・っと伸びをした。
「・・・住井くん」
「え」
 呟くような、囁くような声。もしここに喧噪があったなら確実にかき消されるだろう
そんな声だった。
「なに、里村さん」
「・・・・・・」
 何十秒かそこら黙した後、彼女は口を開いた。
「・・・詩子が泣いていました」
 俺もしばらく何も言わず、何十秒かした後。
「俺のせいか・・・?」
 こっくり 
 手加減なしに頷いてくれる。彼女はこの気候でも、まるで慣れでもしているかのように
うんざりしている様子はなかった。
「うーん、やりすぎたかなあ。でもそんなに気にすることでもないと思うがなあ」
「だからもてないのよ、あんたは」
「うおっ、急に現れるなよ佐藤!」
 まったく、風のように佐藤佐織(名字はあっていたろうか?)が目の前に現れていた。
こいつ空気が合成されてできてるんじゃないか・・・
「なんて言うか・・・ガキね」
「う、お前にそこまで言われる筋合いはないわ!」
「人がどうこう言うことじゃないけど、目の前だけを見るのはよしなさい」
「聞いてるのか!」
「それだけよ」
 言うだけ言うと佐藤はさっさと立ち去ってしまった。
「・・・実は彼女、ユダヤ教神秘術の後継者です」
「ほんとか!?」
「・・・嘘です」
「・・・・・・」
 
 佐藤に言われたことが別段気になったわけでは決してないが、学校が終わると
俺は自然と町をぶらついて問題の彼女、柚木さんを捜していた。
「って、そんな簡単に見つかるわけないか・・・」
 なんの手がかりもなく、ただうろつくだけで人が発見できるかはかなり怪しかったが、
探さないわけにはいかないような気がしたのだ。
「うーん・・・」
 俺は考える前に行動するタイプだから、素早いように見えて実に手際が悪いのだ。
今だって、このままじゃ見つかる前に日が暮れてしまうわ。
「あのぉ・・・」
 小一時間ほど歩き回った後、不意に俺を呼び止める者があった。
見慣れない顔の女の子だが、その制服は見慣れていた、柚木さんとまったく同じその制服
「あんたは昨日の・・・」
「そうです。詩子の友達で三笠っていいます」
「ああ、俺は」
「住井護さん、ですよね」
「なんで知ってんの」
「詩子から聞きました」
「そ、そう」
 一体どんなことを聞いているのか気になったが、聞かないでおいた。
「詩子を探してるんですか?」
「まあ、そうなんだが」
「詩子、落ち込んでましたよぉ〜」
「・・・」
「まあ、今のうちならまだ芽はありますよ」
「はあ・・・それで彼女の居所を知ってるかい?」
「今日は誰とも約束してないみたいでしたけど、どこにいるかは・・・」
「そうか」
「あ、昨日の喫茶店、行ってみたらどうですか?」
「あそこか?」
「もしかしたら、いるかも知れませんよ」
「そうだなぁ・・・」
 俺は彼女に礼を言うと立ち去りかけた。
「あ、待って!」
「へ?」
「あのぉ、折原くんの住所とか教えていただけませんか」
「・・・うーん、あいつは女の家を泊まり歩いてるから住所は不定なんだ」
「ええ!?」
「やめといた方がいいよ。あいつは淡泊そうに見えてみだらな生活を送ってるからな」
「がーんっ・・・そうなんだ・・・」
「じゃ、俺は行くよ」
「はい・・・それじゃ」
 折原の不幸と長森さんの幸福に陰ながら貢献する俺はなんていいやつなんだろう。
 問題の喫茶店に来てみたものの、やはり入るがためらわれた。なにせ昨日の今日だ、
店員に顔を覚えられてるかも知れない。
「腹くくるか」
 組になぐり込む覚悟を決めて、俺は店のドアをくぐった。カランコロンと、店の
カウベルがしゃれた店内の様相を象徴するように響いた。
「おお、いらっしゃい少年よ!」
 はったおそうかこいつ・・・年は30過ぎといった所だろうか、
何で固めたのか不気味なほど輝く前髪と無意味に長い顎、
さらに必要以上に体格のいいその店員を俺はあやうく殴りつけるところだった。
「さあ座りたまえセニョリータ!」
 正体不明のイタリア語をわめきながら、俺を席へ誘う店員。普通に応対できんのか。
 俺はわざと不機嫌そうにどかっと席に座り込んだ。
「さあ、いくらでも注文したまえ待ち人少年A!」
「・・・コーヒー」
「なにを言う。どーんと親子丼のひとつやふたつ注文したまえ!」
「いらん!」
 喫茶店なのにどうして親子丼なんだ!?
 どうにかしてその店員を追い払うと俺は落ち着いて店内を見渡して
彼女がいないかどうかを確かめた。
「いないな」
 いなかった。
 しかし、彼女がもう一度ここに来るという保証はあるのだろうか。
「なんでこんなことしてるんだろ」
 いままで見知らぬ人間だったのだから疎遠になったからといって何も気にする
必要はないはずなのだ。しかし頭でそれがわかっていても俺は現に行動してしまっている。
「まあ、後味が悪いのはいやだものな」
 俺は適当に結論を出して気を落ち着けた。
 ・ ・ ・ ・ ・30分、一時間、二時間・・・いくら待っても彼女は来なかった。
というか、来ないのかも知れない。いや来た方が不思議かも知れない。
うーん、なんだかみっともない男の見本だ、これでは。
 ・・・さらに一時間して計三時間。これはもう来ないな、しかしここまでやっておいて
諦めるのも癪だった。こうなったら閉店まで居座ってやる・・・
 覚悟を決めて背中を席に任せたところで、不意になにかが首筋に触れた。
いや、触れたと言うより巻き付いた、そしてそれがぐぅーっと上に引き上げられる。
「ぐええ!」
 何事かと思ったが、それは明らかに人間の手だった。俺は手の主を突き止めるべく
顔を上げてその腕の先を見定めた。
「・・・・・・」
「・・・・・・ぐえ」
 両者、しばらく無言。ただ柚木さんは真顔のまま何もいわず手に力を込め続けている。
「・・・」
「手、手をはなせぇ」
 なんとか声を絞り出すと、彼女はあっけなく手を離した。
俺の体がどすっと音を立てて席に舞い戻る。俺が呼吸を整えてる間に、
彼女は俺の正面に移動してきていた。ただ、こちらからは目をそらしている。
「はあ・・・」
「・・・」 
 そのまま両者、またしばらく無言。
「えーっと・・・」
「・・・」
「なんだ、昨日は、悪かったな」
「ほんとにそう思ってる?」
 彼女は俯きながら目だけをこちらに向けた。口をとがらせて表情だけでも
怒っていることが見てとれる。
「思ってるとも」
「・・・」
 彼女は吐息を漏らすように肩を落とすと、何故か気まずそうにしていた。
「まあ、それだけだが」
「・・・」
「にしてもいつから店に、しかも隣の席にいたんだよ」
「最初からいたよ」
「・・・最初からずっとか?」
「うん」
「ふーん・・・」
「仕返し」
「なんの」
「・・・ねえ、ここ出ない?」
「え、ああ」
 あれだけ騒いでおいたから当然かも知れないが、店中がこちらの会話に注目していた
「行くか」
「うん」
 あの店員はコップを磨いていた、何気ない観客を装っているつもりなのだろう、多分。
「どこへ行くんだ?」
「自転車」
「なに?」
「だから、自転車」
「自転車って俺の?」
「そう」
「まさか・・・」
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ほらー、走れ走れー!」
「だから首をつかむなー!」
 またやるとは思ってもみなかった。彼女を後ろに乗せて通りを疾走する、
彼女は以前のスピードに慣れてしまったのか今度はもっと速くないと満足しないようであった。
周りの風景が恐ろしい速さで通り過ぎていく。
「ほらペース下がってるぞー!」
「無理言うな・・・」
 中古で買った自転車がぎしぎしと悲鳴を上げる。
「そっちじゃないよ、こっちこっち」
「ええ、家は向こうだろ?」
「いいのよ!」
「ぐえ」
 脇道にそれて人通りが少なくなると、さらに速度上昇を強要された。
自転車の悲鳴が「ぎしぎし」から「こき〜」になってきてる、やばい。
 そこからしばらく走った。なんだか周りがだんだんと見慣れない風景に変化していき、
やがて全く見覚えの無い地にやって来た。
「どこまで走るんだー!?」
「そこ、右!」
「ぐえ」
 さらに人里はなれたよなへんぴな場所へと走り込んでいった。
裏山、そんなふうに言えばいいだろうか、街の外れにある極めて適当な空間。
開発するはずの土地が何かの理由でほったらかされているような、そんな場所だった。
「もういいよ、止まって」
「おう・・・」
元からあったのであろう、街路樹とは違い規則無く乱立する木々の群。
まったく手入れされてない雑草、藪・・・そこらをつつけば蛇か蛙でも出てきそうだった。
それら無造作に成長した生物たちが辺りを包み、まるで整理された区の一角に
ささやかな異世界が誕生しているようだった。
「どこだ、ここ・・・」
「なつかしいね」
「?」
 こんな場所が彼女に似合うなどと、普段なら決して思うことはないだろう。
だが彼女はその空間に身を投じると、まるで以前自分がその世界の住人で
あったかのように、ゆっくりと息を吐いてその風景の中に溶けていった。
「ねえ、覚えてない?」
「なに・・・?」
「やっぱり忘れちゃったんだ」
「・・・」
 彼女が自然な動作でこちらに近づき、俺の頬を両手で挟み込んだ。
そのまま少し顔を近づけて、続ける。
「もう何年も前だよ。あなたは一人でここにいたんだよ。
だけどそこに女の子が一人、あなたの側に来たはずだよ」

 ・ ・ ・ ・ 頭の中で何かが膨張していった。生産ではない、
存在していたものの覚醒。それは遠い日の記憶。 
 俺は一人きりでいたんだ。何故?
 耐えられなくなったからだ、だから逃げてきたんだ。
 悲しかったからだ。死にたかったからだ。だから一人だった。
 泣いていたんだ、いや泣くことはできた。それだけだったからだ。
 誰も知ることのない世界の一角の異世界、僕の場所だった。
 そこに居たんだ、彼女が。
 
「・・・思い出した?」
「う・・・」
 
 母さんがいた、でも父さんはたまにしかいなかった、僕が知ってるのはそれだけだ。
 でも、父さんは母さんをよく殴っていた。父さんがいれば、必ず母さんと争っていた。
 僕が知っていたのはそれだけだ。
  
「ねえ、泣いてるの?」
「ううん・・・」
「じゃあ、あたしとあそぼっか?」
「え・・・」
 
「気がついたら走っていた・・・」
「あたしが急に走り出したからね」
「ああ、そうか」
「うん、そうだよ・・・」
 幻想的な光景だった。辺りには虫の声、木々のざわめき。まるでこの世界に
彼女と俺の二人だけが取り残されたような錯覚を受ける。
「毎日、遊んだ」
「うん」
「でも」
 別れた記憶がない。
「来なくなったんだよ」
「母さんが急に、俺を連れだした」
「どこへ?」
「遠くへ」
「そうだったんだ・・・」
 こつん、と俺の額に彼女の額があたる。俺は背が低い、小さい頃からの悩みだった。
「思い出した?」
「ああ」
「そっか・・・」
 彼女がゆっくりと離れる。
「護。また会える?」
「ああ、詩子」
 風景から抜け出る詩子。一瞬こちらを見つめたかと思うと、すぐに背を向けて
走り去った。それを追いかけたい衝動に駆られたが、俺は突っ立ったままだった。
 やがて林の中から出ると、もう詩子の姿はどこにも見えなかった。
まるで消えてしまったかのように、鮮やかにいなくなっていた。
「・・・」
 俺は呼び起こされた記憶を反芻し始めた。何故いままで忘れ果てていたのだろう・・・
だがそれを考える前に、俺は目の前の問題に直面しなければならなかった。
 どうやって帰ろう・・・

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 ぐふはあああああ・・・・・・・・・
 ぐふ・・・ったくよお、たまの休みだってのに睡眠3時間なんて
 正気の沙汰じゃねえや・・・ごほ。栄養剤って結構きくもんだなあ。
 げほ、えー・・・第3話いかがでしたでしょうか・・・急な展開だねえ、なんとも。
 ここまで単調だったからなおさらだよ、まあこれからおもしろくなります、きっと。
 一体何話まで続くかわかりゃしませんがどうぞよろしく・・・
 
>いけだものさん
・雨の日
 それが日常であるか非日常であるか茜にとっては
 それが雨に日にかかっていたんですねぇ。
>ニュー偽善者Rさん
・来ない彼女と側の君
 ああ、浩平がふられた・・・そのとたんに彼女がやってくるたあ
 なんとスリリングなことか。恋をするのは勝手だ・・・しかしふられたら永遠!
 うかつに恋愛できんな、浩平。
 あ、感想不要?
>ひろやんさん
・Something there
 はう・・・繭との間にも物語があったのですよねえ。 
 はたして繭も浩平もどんな心境だったんでしょう。
>神楽有閑
・つなぎ止める思い
 こちらは澪SSですね。うーん、繭も澪も逆の視点から見ると
 物語がまたちがってきますね。
 うーん、キャラの心理描写はすっごく骨が折れるんですが
 神楽さん見事に書ききってます・・・

ぐふ・・・それではまた・・・