楽園 投稿者: から丸
 //長森瑞佳創作ED

 
 あの日から、浩平が消えてしまった日から
一体どれだけの時間が過ぎていっただろうか。
 浩平がいなくても、自分の身に様々なことが起こるのは変わりなかった。
だがどれだけのことを経験しても、どれだけ多くの人と接していても
それはただ目の前で起こっているだけで、ただ通りすぎていくだけだった。
 経過していくだけの時間をまるで他人のことのように見つめながら、
月日は流れていった。
 どうして自分はこんなにも空虚な日々をわざわざ生きているのだろう・・・
何度となくそう思った。
 だがその理由ははっきりしていた。あの、優しくそそぐ春の陽光に
照らされながら消えていった幼なじみのことを待っているからだ。
季節の暖かさを感じたのはあれが最後だった。自分はあの人と一緒に自らの心すら失ってしまったのだ。
 最愛の人を失った悲しみは計りしれない。だが最後まで感じていた
彼の温もりと、彼との間にあるたくさんの記憶の数々は彼が帰るまでの、
永遠とも思えるような長い時間を生きて行けるだけの糧だと思った。
 でもそれは違った。現実が辛くなれば、それは異世界への誘惑となった。
もはや過去の思い出の方が、現実よりも価値のあるものになってしまった。
いつまでも輝く記憶を思い返す度に、辛い現実が重くのしかかってくる。
 彼との繋がりをなくして、どうやって現実を生きて行けというのか。
最後に彼を抱きしめた瞬間、あのとき感じた彼の温もりが、冷え切ってしまっている
今の自分にとってはあまりにも温か過ぎる。閉ざされた氷のなかでは
温かい記憶は逆効果だ。囚人が外界への希望を決して持たないのと同じように、
今の自分も全てを失い、また絶たれていた。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「うっす、俺バニ山バニ夫!」
 今日もまた、浩平がこの世に存在していたという唯一の証に
耳を傾ける。
「瑞佳、またその人形・・・」
「あ、おはよう佐織。」
「おはよう・・・」
 親友にいつもどおりの挨拶をされ、沙織もいつもどおりに接するしかなかった。
瑞佳は懐かしむような表情で不気味な人形の発する音声に聞き入っている。
「笑っていろよな長森・・・か。」
「・・・」
「彼、けっきょく私を名前で呼んでくれなかったよ。」
「そう・・・」
「なんでだと思う?」
「さあ。」
「まるで恋人同士みたいじゃないか・・・って。」
 瑞佳はそれまでの表情をほとんど崩さないまま、微かに微笑んでそう言った。
「恋人じゃなかったの?」
「そう・・・だったんだけどね。」
「なんか、子供みたいな人だね。」
「あはは、その通り。」
 瑞佳は窓側の方へと目をやった。遠い目をして、うっすらと微笑んでいるように
見えないこともない、といった表情で。 
「その彼・・・ってどうしちゃったの?」
「遠くに行っちゃたよ。」
「帰ってこないの?」
「ううん。きっと帰ってくるよ。」
「保証は?」
「・・・ないけど、信じてるから。」
「ふうん・・・」
「・・・」
「ねえ、会いに行けば?」
「そ、それは無理なんだよ。」
「どうして。」
「すごく遠いんだよ。」
「距離の問題なの?」
「違うんだ。とにかく、それは無理なんだよ・・・」
「いや。きっとできるよ。」
「え・・・」
 二人をとりまく雰囲気が変わった。いつのまにか教室からは
誰もいなくなり、さっきまで聞こえていた朝の喧騒も
まるで最初から無かったかのように消えうせていた。
「沙織・・・?」
「可能だよ。」
「ど、どうしたの佐織。」
「彼に会いたい?」
「あ・・・うん。」
「本当に?」
「会えるならすぐに飛んでいくよ。」
「そう・・・それなら教えてあげる。
彼がどんな状況に陥ったか、大体想像はつくわ。
彼のような者がたどり着く場所はひとつしかない。」
「どこ。」
「言ってもわからないわ。でもあなたも言った通り
ひたすら遠い場所よ。もしあなたがそこに行きたいと
思うのなら、二度と戻らない覚悟でいくしかないわ。」
 小さく、悲鳴のような吐息が聞こえた。
瑞佳は禁じられた領域に自分が踏み込んで行っているのを
直感した。
「それに、たとえそこにたどり着けたとしても
彼を探し出すのは並大抵なことではないわ。
あそこは隔絶されていながら、神にも制御できない
無限の広がりを持っているもの。
彼を見つけられる確率はそれこそ宇宙に浮かぶ
たった一つの星に石を投げて当たるか当たらないかってとこね。」
「・・・」
「それでも行く勇気はあるかしら?」
「・・・はい。」
 辺りが強い光に照らされ、教室が視界から消える。
 それだけで瑞佳は、自分がいままで住んでいた世界から
解き放たれたことを悟った。
「どこまでも飛びなさい!そこへ行くにはひたすら遠くに
飛べば良いわ。すべてを振りきって遠くへ飛びなさい!」
「あああ・・・」
「むこうに着くことができたら記憶をたどるように彼を探しなさい。
もしも彼が同じ記憶を共有していれば必ず出会えるはずよ。」
 体に変化が起こっているのを瑞佳は自覚した。
いままで体にかかっていた重力がどこかに消え去り、
代わりにいままで眠っていたような意識が目覚め
それが万物に接続されていくのを確かに感じた。
 飛ぶ。
「彼を思う気持ちを信じなさい!
また自分を思ってくれているはずの彼を信じなさい!」
 あらゆる空間、あらゆる時空を超えて駈けるための翼が生える。
飛翔をイメージすると、翼がはためく音とともにいとも簡単に飛び立った。
 すさまじいスピードで地上が遠くなる。
いままで過ごしてきた場所、それまで自分の全てだった世界が小さく遠くなってゆく。
 きまぐれな天使から背教者へ、悪魔から裏切り者へ、送られる翼。
もはや何者でも無くなってしまった一人の女が、呪われた翼を身にまとい
許されざる場所を目指し飛び立った。
 女に寂しさや未練は無かった。いやむしろ何も考えてはいなかった。
 後に女は、自らの欲望のために神を裏切った者として語られることになる。
だが彼女が握っている唯一の真実は決して彼女をを弾劾することは無い。
その選択には彼女に関するすべての記憶を生かすための希望が託されていた。
 もはや何も迷うことは無かったのだ。すでに背教者は飛び去った。
後にも先にも、彼女ほどの速さで虚空を駆ける者はいなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 女は地上を飛び去り天界を超え、いやはてを
目指し飛行していた。その間一時の休息も
とらず、またその速度をまったく緩めることなく、ただ飛び続けていた。
 その女の速さたるや他に無く、かつて魔王が復讐の念に燃えて
地獄から楽園を目指して疾走したときもこれほどの速さではなかった。
 地上を飛び出し天界を超え、地獄の果てすらも遠くに見やり、彼女は止まることが無かった。
 それ以降は一切が空虚な地であり、生ける者も死した者も立ち入ることはできない荒涼の地だった。
ああ、だが一体どの不信得者が彼女にあの鍵を与えたのだろう。あらゆる祝福をかなぐり捨て、
もはや二度と動き出すことも存在しうることをも不可能にする永遠への致命的な鍵。
 ここにまだ彼女の記憶をかろうじて保持するものがいたとしたら、いやこの女が求めた
かの消え去った男がもしここにいたとしたら、どれだけの言葉と強制を持って彼女に
その行為を止めさせたであろうか。
 最高の暴挙にして逃避。無を手にするという恐るべき行為。死する権利をも失われる
言うなれば究極の拷問を、この女は手にしようというのだ。
 だがもう遅く、すでに門は開かれた。これから現れる幾多の迷い者を無限に引きずり込むに
十分な門がいま開かれたのだ。
 女は中へと身を躍らせた。女の背には天使の翼があった。
後にも先にも、この地まで飛ぶに耐えたのはそのまがいものの翼だけであった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 気の遠くなるような時間が流れた。
いや、一体ここで時間をどのように表せばいいのだろう。
 ともかく気の遠くなるほどの長い間を、俺は永遠の世界で過ごした。
こっちでこれなのだから、現実ではどれだけの時間が経ってしまったのだろうか。
 もう、長森のやつは待ってないな・・・
どうして、俺は戻ることができなかったんだろう。絶対に帰ってくると誓ったのに。
いや、最初から戻ってくることは不可能だったのだろうか。もし不可能だったとしたら、
もう最初から俺にできることは無かったのかな。
 無力感に苛まれた。もしかしたら長森は一生、俺の帰りを待っていたかも知れない。
「あのばかなら、やりかねないな。」
 本当のばかは、まぎれもなくこの俺なのだろうが・・・
「長森・・・」
 もう一度抱きしめたかった。できることなら詫びたかった。
 しかしその両方とも今となってはもう遅い。俺に残されたのはあいつとの
記憶だけだ。あいつも俺との記憶を持って現実を生きているのだろうか?
いやもしかしたら、そんなもの捨てて前向きに生きているかもしれない。
そうだとしたら悲しいが、それは誰にも責めることはできないだろう。
ああ、真相はそうかもしれない。二人の記憶にひたってるのは
もう俺だけかもしれない。永遠を生きることもできるはずだった
かけがえのない記憶の数々・・・はは、なんて寂しい宝物だ・・・

ふわ・・・

 今日は長森とのどんな記憶を見ていこうかと
考えようとした矢先。不意に聞こえた音に違和感を覚えてはっとなった。
今のは、一体なんだ。ここで聞き覚えの無い音が聞こえるはずはない。
そんなことが、あるはずはない。

ばさ・・・

 また聞こえた。なんの音だろう。辺りを見まわしても何も見えない。

ばさ、ばさ・・・

 音が大きくなっていく。
「なんだ・・・?」

 ばさ、どしゃあ!

「うおお!?」
 いきなり、急に、突如として、体に衝撃を受けた。
すごい勢いでぶつかってきたような感じで、それに
耐えきれず、それはもう見事に後ろに転倒してしまった。
「ぐえ。」
 何の支えも無く地面に叩きつけられたため、背中がひどく痛んだ。
 だが俺が手で触れるよりも早く、背中には何か羽のようなものが
巻き付いていた。
 そういえばさっきから俺の胸にしがみついているこの
得体の知れないものはなんだろう。人間のようだが顔が見えない。
「こうへいぃ・・・」
 はあ!?この声は・・・
「な、ながもり・・・?」
「浩平、私だよ!」
 嘘か、夢か、冗談か、幻か、蜃気楼か、陽炎か、最後の方はむちゃくちゃであるが
俺はこれが本当ではないと思った。考えられないことだったからだ。
「う、嘘だろ・・・」
「本当だよ。浩平、会いたかったよ・・・」
 長森の背から生える翼を見やる。この翼は白かったのだろうか、
所々に血がにじんでもはや元の色をほとんど判別できない。
「ば、ばか・・・お前、こんなになっちまって・・・」
「会いたかったんだよ、浩平。」
「ばかやろお・・・お前は本当にばかだ・・・」
「あはは、その通りだよ・・・」
 抱きしめた。とにかく抱きしめた。もう二度と、それこそ永遠に
放すことがないほど強く抱きしめた。
 二人の絆を疑ったりした自分が途方も無く愚かに思えた。
 長森は覚えていてくれたのだ。そしてここまで飛んできてくれたのだ。
「長森・・・」
 名前を呼ぶ以外に言葉が無かった。大好きな人への感謝の気持ちで一杯だったが、
ここで抱きしめてやるのがなにより長森を癒すことになると思った。
 失ったはずの長森の声、温もり、笑顔・・・そのすべてがいとおしかった。
「放さないぞ、長森。もう放さない・・・」
 二人を祝福する者はだれもいなかったが、そんなことは構わない。
なにも無かったはずの世界に灯った奇跡。失ったはずの大切な人が、
今は腕の中に居る。
「もうずっと一緒だよ、浩平・・・」
 誰も知らない世界の中で永遠の愛を誓うふたり。
決して祝福されないが、揺るぐことも消えることもない永遠不滅の想いがお互いを包む。
それだけで十分だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 失ったものへ悲しみを募らせる者を永遠へ誘う二人の邪心夫婦。
未来、二人はそのようにして語り伝えられることになる。
 だが多くの理解ある人々の間では、二人は常に永遠の愛の象徴として
語られる。すべてを裏切り、禁忌を犯してもなお揺るぐことのない想いで結ばれる二人。
それは恋人たちの伝説になりえた。
 しかし、この二人が地上で経験したはずの物語を伝える者はいない。
それは後になって多くの神学者たちを悩ますこととなる。
 そう、男が消滅してからのお話はあくまで後日談です。
二人が現実の世界で見つけたほんとうの幸せとはなんだったのか?
それは皆さんがご承知の通り・・・

<了>

/////////////////////////////

 はああっくしょん!!うー・・・やな季節だぜ。
 ごほごほ!えーどうも。4作目の投稿となりますから丸です。
 前の3つが原作に極力忠実に書いてきたのにもかかわらず、
 今回はずいぶん冒険してしまいました。冒険と言うか神話。
 皆さんの反応が気になります・・・いかがでしたでしょうか?
 相変わらずいっぺんに投稿するので長くなってしまっていますが、
 読んでくれた方、ありがとうございます。さらに感想など書いて下さると
 やっぱりかなり嬉しいです。

 お話の中で矛盾する点がいくつか出てきますね。すいません。
 っていうか謝ることしかできない。
 途中に出てくる妙な語り口調はミルトン作「失楽園」(岩波文庫)を
 見よう見真似で書きました。不自然でなかったでしょうか?
 自分で読んでみてもさっぱり読み手の感情はわからないもので・・・
 
 >由代月さん
  はじめまして、から丸です。
 ・佐織 vol.1
  佐織メインのお話は初めて読みました。
  おお、なんかドキドキしますね。それにしても「脳味噌をかんだ」っていかなる表現か!?

 >うとんたさん
 ・またまた替え歌
  うぬ・・・元歌がわからない。そこら辺の知識がないもので・・・
  歌ってるのは七瀬・・・かな?一緒に食べてるのは・・・誰だあ!?

 >WTTSさん
  メールの感想ありがとうございました・・・くああああ!嬉しいです!!
  ・実は初めての・・・
  おお、「ルージュの伝言」だけはわかるぞ!
  替え歌というのもなかなかロマンチック(死語かな?)ですねえ。
  あっはっは、Part1口ずさんでしまいましたよ。

 >神凪 了さん
 ・おしらせだよ
  し、しまった。これは作品じゃない・・・?
  それにしても相変わらずハルマゲドンな雰囲気です。
  アルテミス、少し読みました。おお・・・なんかスケールが違うぞ。
  ううーむ、僕も「MOON」買っちゃいましょうかねえ・・・

  以上・・・足りてるかな?
  ところでかつての私の作品「ラブレター」に感想かいてくれたとある方!
  「心凍らせて」とはどのイベントのことでしょう・・・?
  すいません。メール出すつもりがアドレスチェックしてなくて
  気が付いたらコーナーから消滅していました・・・
  気が向いたら応答して下さい。